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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第1部

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第7話:魔物を連れた者は街に入れない

「その魔物を、町へ入れることはできない」


 守備兵の槍が、まっすぐヴェルへ向けられていた。


 朝の光が、槍の穂先に白く反射する。


 ぼくたちは町へ戻ってきたはずだった。


 奴隷商人の帳簿を持っている。魔法印具もある。グレッグと見張りたちは縛ってある。捕虜たちも、ロイたちも証人になる。


 それなのに、門の前の守備兵が最初に見たのは、帳簿ではなかった。


 ヴェルだった。


「魔物じゃない」


 ヴェルが低く言った。


 フードの奥で、赤い瞳が細くなる。声は怒っている。けれど、その奥には傷ついた響きが混じっていた。


「あたしは、あたしだし」


「魔物の気配がある」


 守備兵は槍を下げない。


「町へ入れるわけにはいかない」


「待ってくれ」


 ロイが前へ出た。


 まだ顔色は悪い。だが、昼間の軽さは消えている。


「こいつらは俺たちを助けた。奴隷商人に捕まってたんだ。帳簿もある。まずはそっちを」


「下がれ、銀鹿の牙」


 門の奥から、低い声がした。


 鎧を着た大柄な男が歩いてくる。


 四十代くらいだろうか。顔には深い皺が刻まれていて、目つきは鋭い。腰の剣は飾りではない。鎧もよく手入れされている。


 壊れたところを放置しない人間の装備だ。


 だからこそ、厄介だと思った。


 この人は、ただの怠慢や悪意で動いているわけではない。


「守備隊長バルク……」


 ボルドが小さく呟いた。


 バルクはぼくたちを順に見た。


 縛られたグレッグたち。壊れた荷馬車。青い顔の捕虜たち。ロイたち。そして、ヴェル。


 最後に、ぼくの工具箱へ視線を落とす。


「事情は聞く。奴隷商人どもは引き取る。帳簿も確認する」


 低く、硬い声だった。


「だが、魔物を町へ入れることはできん」


「彼女も捕まっていたんです」


 ぼくは言った。


「奴隷商人に、商品として扱われていた。怪我もしている。事情を」


「事情は聞くと言った」


 バルクはぼくを見た。


「その上で、町へは入れん。町民が怯える。魔王軍の間者かもしれん。門を開けてからでは遅い」


「間者じゃない!」


 ヴェルが叫んだ。


 その瞬間、守備兵たちの槍がわずかに動く。


 ぼくは一歩、ヴェルの前に出た。


 槍の穂先が、今度はぼくの胸元へ向く。


 怖くないわけじゃない。


 けれど、どくわけにはいかなかった。


「人間ならどけ」


 バルクが言う。


「その娘は、町外の拘束所で調べる」


「拘束所?」


 ヴェルの声が硬くなる。


「また檻に入れろってこと?」


 バルクは答えなかった。


 答えないことが、答えだった。


 守備兵の一人が、ヴェルの腕輪を見て言った。


「鎖つきなら、ちょうどいい。暴れられないように」


 ヴェルの肩が、ぴくりと震えた。


 彼女は怒った顔をしている。


 でも、鎖を握る手は白くなるほど強い。


「この鎖は、彼女を縛るためのものじゃない」


 自分でも驚くほど、静かな声が出た。


 守備兵がこちらを見る。


「ぼくが作り替えた。彼女の武器だ」


「魔物に武器を持たせて町へ入れろと言うのか」


 バルクの声がさらに硬くなる。


 理屈としては、間違っていないのかもしれない。


 町を守る人間としては、当然の判断なのかもしれない。


 でも。


 檻の中で震えていたヴェルを知っている。


 怖いのに強がって、鎖を自分の武器だと言った彼女を知っている。


 それをまた「縛るためのもの」に戻すことだけは、できなかった。


「帳簿と印具は渡します。奴隷商人たちも引き渡す。捕虜の保護もお願いします」


 ぼくは工具箱を抱え直した。


「その代わり、二人を保護してください」


 バルクはセラさんを見た。


「白い髪の女は、人間なら保護できる」


 セラさんが小さく息をのむ。


「だが、その魔物は別だ」


「わたしだけ、ですか」


 セラさんが聞いた。


 声は柔らかい。


 けれど、いつものおっとりした響きとは少し違う。


「わたしだけ保護されて、ヴェルさんは檻へ戻されるのですか」


「安全確認が済むまでだ」


「安全を確認してくださるのは、どなたですか」


 バルクは答えない。


 代わりに、別の守備兵がセラさんの首元を見た。


「その首輪は何だ」


 セラさんがチョーカーに手を添える。


「これは」


「奴隷商人の首枷に見える。改造品か?」


 守備兵たちの視線が変わる。


 帳簿には、神殿筋の符丁があった。セラさんの身元はわからない。首には元奴隷具のチョーカー。


 人間だから安全。


 そんな単純な話ではなくなっていく。


「その女も事情聴取が必要だな」


 バルクが言った。


 セラさんの指が、チョーカーを握る。


 でも、彼女は一歩前へ出た。


「この方は、わたしを商品として見ませんでした」


 セラさんは、ぼくではなくバルクを見ている。


「わたしは、その方のそばにいます」


「セラさん」


「シュウ様」


 彼女は静かに首を振った。


「わたしだけ安全な場所へ行くことはできません」


 ヴェルが横を向いた。


「別に、あたしは頼んでないし」


「はい。でも、わたしがそうしたいのです」


「……勝手にすれば」


 ヴェルの声は、少しだけ震えていた。


「隊長、待ってください」


 ロイが言った。


「その子も、俺たちを助けたんです。鎖でグレッグを止めた。こっちの白い髪の人も、捕虜を守ってくれた。シュウがいなきゃ、俺たちは全員売られてた」


 ミナも一歩前へ出る。


「魔物だから危険っていうなら、私たちを助けたことはどうなるんですか」


 ボルドは壊れた盾を抱えたまま、うなずいた。


「少なくとも、あの奴隷商人どもより先に槍を向ける相手じゃねえ」


 リリィも震えながら言う。


「お願いします。話だけでも」


 バルクは、彼らの言葉を黙って聞いた。


 そして、短く言った。


「証言は受け取る」


 ロイの顔に、わずかに希望が浮かぶ。


「だが、判断は変えん」


 その希望が、すぐに消えた。


「町の安全を預かる者として、魔物を門の内側へ入れることはできない。白い髪の女も、身元が確認できるまで拘束に近い保護となる」


 バルクの声に迷いはなかった。


 たぶん、この人は本気で町を守ろうとしている。壊したいのではなく、壊される前に閉じようとしている。


 だからこそ、余計にきつかった。


 保護。


 便利な言葉だ。


 檻も首枷も、きっと誰かにとっては保護だったのだろう。


 そう思った瞬間、胸の奥が冷えた。


「おまえは人間だ」


 バルクがぼくを見る。


「帳簿を渡し、魔物を置いて町へ入れ。おまえの事情は聞く」


 ロイがこちらを見る。


 セラさんが息を止める。


 ヴェルは、何も言わなかった。


 フードの奥で、赤い瞳だけがこちらを見ていた。


 答えは、もう決まっていた。


「なら、ぼくも入らない」


 門の前が静かになった。


 自分の声が、思ったより遠く聞こえた。


「この二人を置いて入るつもりはありません」


 壊れたものを前にして、自分だけ雨の当たらない場所へ逃げる修理屋はいない。


「その選択が、町から出るという意味だとわかっているのか」


「わかっています」


 たぶん、完全にはわかっていない。


 町に入れないということが、どれほど困るのか。仕事も、宿も、食料も、全部遠ざかる。帳簿を渡しても、ぼく自身は証人として扱われないかもしれない。


 それでも。


 ここで二人を置いていく方が、ずっと取り返しがつかない。


「シュウ、待て」


 ロイが声を上げた。


「そんな、あんたまで追い出されることは」


「ロイ」


 ぼくは帳簿と魔法印具を差し出した。


「これを頼む。捕虜の人たちのことも」


「でも」


「君たちは町に入れる。証言もできる。だから頼む」


 ロイは何も言えなくなった。


 昼間、ぼくを追い出した彼が、今度はぼくが町に入れなくなるのを止められずにいる。


 その顔は、見ていて少しつらかった。


「……わかった」


 ロイは、歯を食いしばるように言った。


「絶対、握り潰させない」


「ありがとう」


 バルクは帳簿と印具を受け取らせ、グレッグたちを守備兵に引き渡すよう命じた。


 最後まで、ヴェルへの槍は完全には下がらなかった。


 ぼくたちは門を離れた。


 セラさんは、申し訳なさそうに俯いている。


「わたしのせいで」


「違う」


「でも、シュウ様は町へ」


「入らないって決めたのは、ぼくだよ」


 ヴェルは黙っていた。


 怒っているのか、悔しいのか、泣きそうなのか。


 フードの奥の顔は見えない。


「……あたしのせいでもないから」


 小さな声だった。


「うん」


「おじさんが勝手にしただけだから」


「うん」


「だから、後で文句言わないでよ」


「言わないよ」


 ヴェルはそれ以上何も言わなかった。


 でも、歩く位置が少しだけ近くなった。


 町の門が遠ざかる。


 人間の町にも戻れない。


 魔物の領地へ行けるわけでもない。


 ヴェルは魔物だと疑われているが、自分が何者かを証明できない。ぼくは人間だ。魔物側へ行けば、今度はぼくが怪しまれるだろう。


 ぼくたちは、境界道の上に取り残されていた。


「シュウ様、これからどちらへ」


 セラさんが不安そうに聞く。


「まずは、雨風をしのげる場所を探そう」


「おじさん、計画ないの?」


 ヴェルが呆れた声を出す。


「ない」


「言い切った」


「でも、壊れた屋根くらいなら直せる」


 ヴェルが一瞬こちらを見て、それから小さく笑った。


「ほんと、変なおじさん」


 その時だった。


 頭の奥で、マーサの声がした。


『シュウ。森の奥に、妙な気配があります』


「妙な気配?」


『敵意ではありません。古い魔力です。とても古くて、少し寂しそうな』


 ぼくは足を止め、森の方を見る。


 朝日が木々の隙間から差し込んでいる。


 その奥で、風の流れがほんの少しだけ曲がったように見えた。


 何かがある。


 はっきりとは見えない。


 けれど、森の奥に古い道具の匂いがする。長く放っておかれて、それでもまだ完全には壊れていないものの気配だ。


「行ってみよう」


 ぼくは工具箱を持ち直した。


 雨風をしのげるかは、わからない。


 でも、壊れかけたものなら、たぶん何かはできる。



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