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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第1部

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第6話:戻ってきてくれ、でも

 夜明け前の境界道は、薄い青に沈んでいた。


 森の奥には、まだ夜の黒が残っている。けれど東の空だけが、少しずつ白んでいく。


 ぼくたちは壊れた荷馬車のそばで、後始末をしていた。


 グレッグと見張りたちは、ヴェルの鎖と荷馬車のロープで縛ってある。ダリオは逃げた。けれど、帳簿と魔法印具は残った。捕まっていた人たちは、まだ青い顔をしながらも、互いに肩を貸し合っている。


 完全に直ったものなんて、一つもない。


 それでも、全員が生きている。


 それだけで、今は十分だった。


「みなさん、痛むところはありませんか。わたし、少しなら」


「セラさん」


 ぼくは彼女を止めた。


 セラさんは集魔のチョーカーに手を添えたまま、困ったように振り返る。


「でも、まだ痛そうな方が」


「君も痛そうだよ」


「わたしは、大丈夫です」


「大丈夫な人は、そんなに顔が白くならない」


 そう言うと、セラさんは小さく目を伏せた。


「……はい。少しだけ、休みます」


 素直なのは助かる。


 その隣で、ヴェルが腕を組んでいた。


「あたしは平気だし」


 そう言いながら、鎖を巻いた腕が細かく震えている。


「ヴェルも座って」


「命令しないで。あたしは」


「お願い」


「……なら、まあ、聞いてあげなくもないけど」


 ヴェルは不満そうに唇を尖らせながら、壊れた木箱に腰を下ろした。


 セラさんがその横に座る。二人とも、首元と腕輪に自然と手を触れていた。


 つい数時間前まで奴隷商人の拘束具だったもの。


 けれど今は、二人が自分の意思で触れている。


 そのことが、少しだけ救いのように思えた。


「シュウ」


 かすれた声がした。


 ロイだった。


 彼は少し離れたところで、泥だらけのまま立っていた。頬に切り傷が残っている。セラさんの光で塞がりかけてはいるが、まだ痛むはずだ。


 昼間みたいな軽さはない。


 剣を握る手も、どこか頼りなかった。


「その……」


 ロイは言葉を探すように口を開いて、閉じた。


 ボルドも、ミナも、リリィも後ろにいる。誰も笑っていない。


「悪かった」


 ようやく出た言葉は、短かった。


「あんたを追い出したことも、言ったことも。俺たち、何もわかってなかった。あんたがいなかったら、俺たちは死んでた」


 ロイは頭を下げた。


 ぎこちない。


 謝り慣れていない頭の下げ方だった。


 でも、だからこそ、本気なのだろうと思った。


「俺の盾も、留め具が外れた」


 ボルドが壊れた大盾を見下ろす。


「あんたが言ってたのに、俺は聞かなかった。盾役が盾を見てなかったんだ。笑えねえ」


 ミナは杖を抱きしめるように持っていた。


「火力があれば何とかなるって、本気で思ってた。煙を出すだけで人が逃げる時間を作れるなんて、考えたこともなかった」


 リリィは両手を握りしめている。


「私も、ごめんなさい。あの時、止められたのに、何も言えませんでした」


 謝罪の言葉は、どれも滑らかではなかった。


 けれど、滑らかじゃない方がよかった。


 言い慣れた謝罪より、ずっと重かった。


「顔を上げて」


 ぼくは言った。


 怒っていないわけではない。


 昼間の言葉が消えるわけでもない。


 でも、彼らは今、生きていて、立っていて、自分たちの失敗を見ている。


 なら、それ以上責めても、何かが直るわけではない。


「装備は、ちゃんと見た方がいい」


 ロイが顔を上げる。


「剣も盾も、魔法も回復も。強いものほど、手入れを怠ると怖い。君たちは強くなれると思う。だけど、強くなる前に壊れたら意味がない」


 ロイの顔が歪んだ。


「……あんたは、そういうことをずっと言ってたんだな」


「うん」


「俺たちが聞かなかった」


「うん」


 短く答えると、ロイは苦しそうに笑った。


「そこは否定してくれねえんだな」


「事実だから」


 ヴェルが後ろで小さく吹き出した。


「おじさん、そういうとこ遠慮ないよね」


「遠慮して事実が曲がるなら苦労しないよ」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 その緩みの中で、ロイがもう一度口を開く。


「シュウ。戻ってきてくれないか」


 空気が止まった。


「俺たち、今度はちゃんと聞く。装備も見る。無茶も、たぶん減らす。だから」


 たぶん、というあたりが正直だった。


 ボルドも、ミナも、リリィも、こちらを見ている。


 ぼくはすぐに答えられなかった。


 戻れば、楽かもしれない。


 少なくとも町には帰れる。冒険者としての仕事もある。ロイたちが本気で変わろうとしているなら、もう一度やり直す道も、完全にないわけではない。


 でも。


 背後で、かすかな金属音がした。


 セラさんが、首元の集魔のチョーカーを握っていた。


 彼女はすぐに手を離そうとしたが、指先が離れきらない。


「シュウ様が、お戻りになりたいなら」


 言葉は穏やかだった。


 けれど、声の奥に不安がある。


「わたしは、止めません」


 ヴェルはそっぽを向いた。


「戻れば? あたしには関係ないし。別に、おじさんがどこ行こうと」


 そう言いながら、腕輪の鎖を強く握っている。


 黒い鎖が、ぎゅ、と小さく鳴った。


 ぼくは息を吐いた。


 これは、難しい話じゃない。


 もう答えは出ている。


「その前に、二人に言っておきたいことがある」


 セラさんとヴェルがこちらを見る。


「町に戻ったら、それは外した方がいい」


 セラさんの顔が、はっきりとこわばった。


 ヴェルの眉が跳ねる。


「は?」


「奴隷の首枷と腕輪に見える。人に見られたら、嫌なことを言われるかもしれない」


「これは、奴隷の首枷ではありません」


 セラさんが、珍しく早口で言った。


 両手でチョーカーを包む。


「シュウ様が、わたしを縛るためではなく、守るために作ってくださったものです」


 その声は震えていた。


 けれど、引かなかった。


「わたしは、これを外したくありません」


 ヴェルも腕輪を抱えるように押さえた。


「あたしのも奴隷の鎖じゃない。あたしの武器だし」


 そこで一度言葉を切る。


「……おじさんが、くれたやつだし」


 最後の方は、ほとんど聞こえないくらい小さかった。


 でも、聞こえた。


 聞こえてしまった。


「そっか」


 ぼくはうなずいた。


「じゃあ、ちゃんと直す。見た目も、もっと装身具や武器に見えるように。奴隷の道具だなんて、誰にも言わせないように」


 セラさんの目が潤む。


 ヴェルは顔を赤くして、ふんと鼻を鳴らした。


「最初からそう言えばいいのよ」


「ごめん」


「謝るなら、かっこよく作りなさいよね」


「努力する」


 ぼくはロイの方へ向き直った。


 ロイは、もう答えがわかっている顔をしていた。


「戻らないよ」


 自分で言うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。


「怒っているからじゃない。今は、ぼくが直さなきゃいけないものが別にある」


 壊れた道具でも、元の形に戻すだけが修理じゃない。


 歪んだまま使い続けるより、別の形に作り替えた方がいいこともある。


 ロイは黙っていた。


「セラさんとヴェルを、放っておけない」


 沈黙が落ちた。


 それを破ったのは、リリィだった。


「そう、ですよね」


 ロイが目を伏せる。


「……わかった」


 短い言葉だった。


 悔しさも、情けなさも混じっていた。


 けれど、受け入れる言葉だった。


「なら、せめて町まで一緒に行かせてくれ。帳簿も、奴隷商人どもも、俺たちも証人になる」


「助かる」


「あと、装備のことも」


 ロイは自分の刃こぼれした剣を見た。


「町に戻ったら、見てくれないか。金は払う」


「それは修理屋の仕事として受けるよ」


「……ああ」


 ロイは小さくうなずいた。


 関係は元には戻らない。


 でも、完全に壊れたわけでもない。


 今は、それでいい。


 ぼくたちは街へ戻る準備を始めた。


 荷馬車の壊れた車輪軸は、応急で補修した。檻の鉄枠を一本外し、割れた軸に添え木のように当てる。見た目はひどいが、町までゆっくり動かすくらいなら耐える。


「ほんと、何でも直すのね」


 ミナが呟いた。


「何でもは直せないよ」


 ぼくは車輪の歪みを確認しながら答える。


「でも、町までは持たせる」


 捕虜たちを荷台に乗せ、グレッグと見張りたちは縄でつないだ。帳簿と魔法印具は、ぼくの工具箱に入れてある。


 セラさんには、首元を隠すための布を渡した。


「隠した方がいい。嫌な目で見る人もいると思う」


「はい。でも、外しません」


「うん。外さなくていい」


 ヴェルには、深めのフードをかぶってもらった。


「暑い」


「我慢して」


「おじさん、命令多くない?」


「お願いが多いだけ」


「じゃあ聞いてあげる。お願いだから」


 ヴェルは文句を言いながらも、フードを深くかぶった。


 赤い瞳が布の陰に隠れる。


 それでも、完全には隠せない。彼女の空気は、人間の町ではどうしても目立つ。


 ダリオの言葉が、頭をよぎった。


 境界の町は、人間に優しい。魔物には、あまり優しくない。


 嫌な言葉だ。


 けれど、たぶん嘘ではない。


 朝日が昇り始めた頃、ぼくたちは町の門へたどり着いた。


 ロイが小さく息を吐く。


「これで、ひとまず戻れるな」


 ぼくも、そう思いたかった。


 門の前にいた守備兵たちは、縛られた奴隷商人たちを見た。壊れた荷馬車を見た。ぼくの工具箱を見た。


 そして最後に、ヴェルを見た。


 フードの奥の赤い瞳。


 布の隙間からのぞいた、魔物の気配。


 守備兵の顔色が変わる。


 槍の穂先が、こちらへ向いた。


「止まれ」


 低い声が、朝の空気を切った。


「その魔物を、町へ入れることはできない」



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