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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第1部

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第5話:おっさん、奴隷商人を出し抜く

 鉄箱の鍵穴には、嫌な魔力の染みがこびりついていた。


 錆ではない。


 汚れでもない。


 何度も何度も、人の名前や血や魔力を押しつけられて、道具の方まで歪んでしまった跡だ。


「それに触れるな、と言ったはずです」


 ダリオの声が、煙の向こうから飛んでくる。


 さっきまでの余裕は、少しだけ薄くなっていた。


 つまり、この箱は当たりだ。


「触るなと言われると、余計に見たくなるよね」


「おじさん、そういうこと言う余裕あるの?」


 ヴェルの声が後ろからした。


 振り返る余裕はない。けれど、鎖の鳴る音でわかる。彼女はまだ立っている。セラさんの光に支えられて、ぎりぎりのところで踏ん張っている。


「余裕はない」


 ぼくは鉄箱の角に指をかけた。


「だから急ぐ」


 鍵穴にヤスリを差し込もうとして、すぐにやめた。


 正面から開ける作りではない。鍵穴の奥に、細い燃焼札が仕込まれている。無理にこじれば、箱の中身が燃える。帳簿か契約書かはわからないが、証拠を消す仕掛けだ。


 よくできている。


 だから腹が立つ。


 人を縛るための道具に、どうしてこうも手間をかけるのか。


「鍵は?」


「ありません。鍵穴からは開けない」


「は? じゃあどうすんのよ」


「箱は鍵穴だけでできてるわけじゃない」


 ぼくは鉄箱を横から見る。


 蝶番。底板。側面のかしめ。どれも頑丈だが、何度か開け閉めした跡がある。鍵穴は罠付きでも、箱そのものを作った職人は、修理や点検のための逃げ道を残している。


 職人は、完全に壊さないと開かないものを嫌う。


 たとえ使う人間が悪党でも、作った人間の癖は残る。


「ここだ」


 ぼくは側面の留め具にヤスリを入れた。


 鉄粉が指に落ちる。


 森の奥から見張りの怒鳴り声が近づく。グレッグは素手で檻を押しのけようとしている。ダリオの靴音も、じりじりと近づいてくる。


 怖い。


 でも、手は止めない。


 留め具の噛み合わせが浅くなったところで、刻印針を差し込む。ぐ、と角度を変える。


 ぱきん。


 小さな音を立てて、側面の板が浮いた。


「地味」


「開いたならいい」


「まあ、そこはちょっとすごいけど」


 ヴェルが小さく言った。


 ぼくは鉄箱の中を覗き込む。


 入っていたのは、黒い革表紙の帳簿。小型の魔法印具。束ねられた制御札。それから、細い銀鎖でまとめられた契約札の束だった。


 帳簿の端には、いくつもの符丁が並んでいる。


 神殿筋らしき印。境界貴族の紋。魔王軍残党を示すのか、黒い角のような印。


 文字の意味は全部はわからない。


 だが、道具としての意味はわかる。


 これは、人を物にするための一式だ。


「見つけた」


「シュウ!」


 ロイの声が飛んだ。


 顔を上げると、グレッグがこちらへ走ってきていた。


 大剣はもうない。けれど、あの腕で殴られれば、それだけで骨が折れる。いや、折れるだけで済めばいい方だ。


「この野郎、ちょこまかと!」


「ヴェル」


「わかってる!」


 ヴェルが腕を振る。


 黒い鎖が地面を走り、グレッグの足首に絡みつく。


 だが、グレッグは止まらない。鎖を引きずったまま、力任せに踏み込んでくる。


「軽いんだよ!」


「軽いのは、あんたの頭でしょ!」


 ヴェルが言い返す。


 けれど、顔色は悪い。魔鎖の腕輪は動いているが、まだ完全ではない。ヴェルの魔力も、封印で細く絞られたままだ。


 セラさんが、ヴェルの背中に手を添えた。


「少しだけ、支えます」


「だから、余計なこと」


「ごめんなさい」


「謝るなって言ってるでしょ!」


 言いながらも、ヴェルは手を振り払わなかった。


 集魔のチョーカーが淡く光る。


 周囲の魔力がセラさんの首元に集まり、そこからヴェルの背へ、腕へ、鎖へと流れていく。押しつける力ではない。乱れていた流れを、そっと整える力だ。


 鎖の音が変わった。


 じゃら、ではなく、す、と影が滑るような音。


 黒い鎖が角度を変え、グレッグの足首だけではなく、膝、腰、腕へと回り込む。


「縛られるだけの鎖じゃない」


 ヴェルが歯を食いしばる。


「これは、あたしが縛る鎖だ!」


 鎖が締まった。


 グレッグの巨体が、つんのめる。


「ぐっ、おおおおっ!?」


 力で引きちぎろうとするが、鎖は真正面から受け止めない。影みたいに角度を変え、力を横へ逃がす。押せばずれ、引けば絡む。


 上手い。


 ヴェルは感覚でやっている。だが、鎖の使い方を体で知っている。


 その事実に、本人も少し驚いているようだった。


「な、なによ。やればできるじゃん、あたし」


「できてる。すごい」


「おじさんに褒められても、別に嬉しくないし」


 耳まで赤くして言うので、説得力はなかった。


 その間に、ぼくは鉄箱から制御札の束を取り出す。


 ダリオが低く舌打ちした。


「制御札に触れるな」


「触られたくないなら、もう少し目立たないところにしまうべきだった」


「それが何かわかっているのですか」


「人を縛るための道具だってことくらいは」


 ぼくは札の端を見た。


 セラさんの首枷、ヴェルの腕輪、捕虜たちの簡易契約縄。それぞれの模様がある。札を起点にして、契約具へ命令を流す仕組みだ。


 難しい魔法理論はわからない。


 けれど、魔力の噛み合わせなら見える。


 帳簿と印具と札が、互いに同じ向きへ噛んでいる。だから命令が通る。なら、その噛み合わせをずらせばいい。


 壊す必要はない。


 狂わせれば十分だ。


 人を縛るために作られた噛み合わせなら、人を逃がすために噛み違えさせる。


 それくらいの嫌がらせは、修理屋にもできる。


「セラさん、少しだけ光をこっちへ」


「はい」


 セラさんが手を伸ばす。


 集魔のチョーカーに集まった淡い光が、ぼくの手元の札へ流れた。


 その光に触れた瞬間、契約札の黒い線が嫌がるように波打つ。


「やっぱり」


「何が?」


 ヴェルがグレッグを押さえながら聞く。


「この札、きれいな魔力に弱い。汚れを隠すために黒く塗ってあるだけで、中の線は細い」


「じゃあ壊せる?」


「壊すと燃える。だから、ずらす」


 ぼくは刻印針で、制御札の端にほんの少し傷を入れた。


 大きく切らない。


 紙を破るのではなく、魔力の通り道を横へ逃がす。水路の向きを変えるように。


 黒い線が、ぷつ、と震える。


 同時に、捕虜たちを縛っていた縄のいくつかが緩んだ。


「縄が……!」


 リリィが声を上げる。


「ロイ、今」


「あ、ああ!」


 ロイが動いた。


 縄が緩んだ捕虜を起こし、荷馬車の陰へ誘導する。ボルドは壊れた盾を抱え、檻の扉を押さえた。ミナは杖を握りしめ、爆発ではなく、煙だけを細く広げている。


 派手ではない。


 だが、今はそれでいい。


 煙が見張りの視界を遮り、ボルドの盾が逃げる人の壁になり、ロイが声をかけて動線を作る。


 やればできるじゃないか。


 胸の奥に、少しだけ苦いものが広がる。


 最初からこうやって動けていれば、たぶん捕まらなかった。


 でも、今動けているなら、それでいい。


「俺たち、今まで何を見てたんだ」


 ロイが、誰に言うでもなく呟いた。


 ぼくは聞こえないふりをした。


 今は反省より手を動かす時間だ。


「商品が勝手に、契約を拒むはずがない」


 ダリオの声が硬くなる。


 彼は新しい札を取り出し、こちらへ向けた。


 札の模様が黒く光る。


 だが、セラさんの首元の集魔のチョーカーは締まらなかった。ヴェルの腕輪も、逆流するように黒い火花を散らしただけだ。


 ダリオの札の端が焦げる。


「なぜ」


「商品じゃないからだと思う」


 ぼくは札束の噛み合わせをもう一つずらした。


 ぱん、と乾いた音がして、魔法印具の表面にひびが入る。


「あ」


 思わず声が出た。


「壊したの?」


 ヴェルが聞く。


「壊すつもりはなかった」


「でも壊したんでしょ」


「……直せない壊し方ではない」


「出た。おじさんの変なこだわり」


 ヴェルが笑う。


 その笑い声に、セラさんもほんの少しだけ頬を緩めた。


 だが、ダリオは笑っていない。


「その帳簿を街に持ち帰って、どうするつもりですか」


 彼は低い声で言った。


「あなたはただの修理屋でしょう。誰が信じるのです。神殿筋や境界貴族の名を、あなたのような者が口にしたところで、握り潰されるだけですよ」


 痛いところを突かれた。


 たぶん、その通りだ。


 ぼくはこの町で有名な冒険者でもなければ、貴族でもない。女神に転移させられたなどと言っても、信じる人の方が少ないだろう。


 帳簿を持ち帰っても、誰かが握り潰すかもしれない。


 それでも。


「俺たちが見てた」


 ロイの声がした。


 振り返ると、ロイが捕虜の一人を支えながら、こちらを見ていた。


 顔はまだ青い。足も震えている。


 それでも、目だけは逸らしていなかった。


「銀鹿の牙が、見てた。こいつらに捕まったことも、あんたが助けに来たことも、その帳簿も」


 ミナが唇を噛んでから、小さくうなずいた。


「私も見たわ」


 ボルドが壊れた盾を構え直す。


「俺もだ」


 リリィも震えながら手を上げた。


「わ、私も……証言します」


 ロイたちは、まだ謝っていない。


 それでいい。


 謝罪より先に、今は立つことを選んだ。


 その方が、ずっといい。


「証人が増えたね」


 ぼくが言うと、ダリオの顔から薄い笑みが消えた。


「ならば、全員連れていけばよいだけです」


 ダリオが指を鳴らす。


 残っていた見張りたちが、一斉に動いた。


 グレッグも鎖を引きちぎろうと、全身に力を込める。ヴェルの顔が歪んだ。


「おじさん、長くは無理!」


「十分」


 ぼくは荷馬車の車輪を見た。


 さっき固めた車輪止めは、もうひび割れている。だが、荷馬車そのものの留め具は古い。右後ろの車輪軸に、小さな割れがある。そこへ無理な力がかかれば、馬車は傾く。


 逃げ道を塞ぐには、ちょうどいい。


「ボルド、荷馬車の右を押せる?」


「右だな!」


「ミナ、煙を馬の方へはやらないで。驚かせると危ない」


「わ、わかってるわよ」


「ロイ、捕虜を左へ。リリィは転んだ人を」


「わかった!」


 指示を出しながら、ぼくは最後の魔石欠片を車輪軸へ投げた。


 狙うのは破壊ではない。


 もともと割れていたところへ、小さな振動を入れるだけだ。


 かつん。


 魔石欠片が車輪軸に当たる。


 ボルドが荷馬車を押す。


 軸が、ぎしりと鳴った。


 次の瞬間、荷馬車が大きく傾く。


「なっ」


 見張りたちの進路がふさがる。


 積んであった空の檻が滑り落ち、地面に転がった。グレッグが巻き込まれそうになり、体勢を崩す。そこへヴェルの鎖がさらに絡みついた。


「今!」


「言われなくても!」


 ヴェルが叫ぶ。


 黒い鎖がグレッグの腕と胴を締め、倒れた檻の柱へ縛りつけた。


 グレッグが吠える。


 だが、動けない。


 セラさんの光が捕虜たちの前に薄く広がり、飛んできた木片や小石の勢いを弱める。


「下がってください!」


 震える声。


 それでも、セラさんは前に出ていた。


「わたしにできることが、少しでもあるなら」


 捕虜たちが、彼女の後ろへ下がる。


 ダリオは一歩、また一歩と後ずさった。


 手にはまだ札がある。


 だが、帳簿と印具はぼくの手元にある。制御札の束も、いくつかは使えなくなっている。


「ここまでですね」


 ダリオが静かに言った。


 その声だけは、まだ整っている。


「グレッグ。あなたは時間を稼ぎなさい」


「頭ぁ!?」


 ダリオは返事をしなかった。


 袖口から、小さな灰色の札を取り出す。


 逃げる札だ。


 見た瞬間にわかった。札の端が焼け焦げていて、一度きりの使い捨て。発動すれば煙か転移か、どちらにせよ追えない。


「逃がすか!」


 ヴェルの鎖が伸びる。


 だが、間に合わない。


 ダリオの周囲に灰色の煙が弾けた。


「帳簿を持っていたところで、あなた方が街に戻れるかどうか」


 煙の向こうで、ダリオが薄く笑う。


「境界の町は、人間に優しい。魔物には、あまり優しくない」


 その言葉だけを残して、ダリオの姿は煙に消えた。


 あとには、縛られたグレッグと、倒れた見張りたちと、壊れた荷馬車。


 そして、ぼくの手の中の帳簿と、ひびの入った魔法印具が残った。


「逃げた……」


 ヴェルが悔しそうに言う。


「でも、全部は持っていけなかった」


 ぼくは帳簿を持ち上げた。


「こっちは残った」


「おじさん、地味に勝つね」


「派手に勝てないからね」


 そう言うと、ヴェルは少しだけ笑った。


 セラさんは、集魔のチョーカーに手を添えたまま、捕虜たちを見回している。


「みなさん、痛いところはありますか。少しずつなら、たぶん」


「セラさんも休んで」


「でも」


「君が倒れたら、みんな困る」


 セラさんは困ったように眉を下げ、それから小さくうなずいた。


「……はい。シュウ様」


 名前を呼ばれて、少しだけ変な感じがした。


 さっきまで檻の中にいた二人が、もうぼくの近くに立っている。首元のチョーカーと、腕の鎖に触れながら。


 夜明け前の空が、少しだけ白んでいた。


 捕虜たちは解放された。


 グレッグと見張りたちは縛った。


 ダリオは逃げたが、帳簿と印具は残った。


「シュウ」


 ロイが、かすれた声でぼくを呼んだ。


 昼間みたいな軽さは、もうなかった。


「俺たち、あんたに……」


 言葉はそこで止まる。


 謝罪にしては遅すぎて、言い訳にしては弱すぎる。


 ぼくは工具箱を抱え直した。


 壊れたものは、まだ多い。


 道具も、人の関係も。



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