第4話:首枷は守るための首飾りに
森の奥から、複数の足音が戻ってくる。
枝を踏み折る音。革靴が湿った土を蹴る音。短い怒鳴り声。さっき囮に釣られて離れていた見張りたちだ。
ぼくの手元に残っている魔石片は、もう爪の先ほどの欠片が一つだけだった。
銅線も短い。補修札も残り一枚。刻印針とヤスリはあるが、材料がなければできることは限られる。
それでも、檻は開いた。
セラさんとヴェルは、もう檻の中でただ震えているだけじゃない。ロイたちも、まだ足元はおぼつかないが、自分の力で立とうとしている。
壊れかけた歯車が、少しずつ噛み合い始めている。
ここで止めたくなかった。
「白い髪の女は、神殿筋が高値で買う。黒髪の魔物は、魔王軍の残党が血眼で探している」
ダリオが静かに言った。
その声には、怒りよりも値踏みの響きが強い。
「そして、封印具をその場で組み替える魔法道具師。今夜は、実によい仕入れ日です」
セラさんの肩が小さく震えた。
「神殿……?」
自分のことを言われているのに、遠い記憶の中の言葉を聞いたような顔をしている。
ヴェルは唇を噛んだ。
「魔王軍の残党って、何よ。あたしは……」
言いかけて、止まる。
本人にも、何かが引っかかっているのだろう。けれど、封印具のせいか、記憶そのものが霧の向こうにあるようだった。
ダリオは懐から、黒い札を一枚取り出した。
札の端には、セラさんの首枷と同じ模様が刻まれている。
「商品が勝手に動くのは困ります」
ダリオが札を指で弾く。
その瞬間、セラさんの首枷が、ぎちりと嫌な音を立てた。
「っ……!」
セラさんが喉を押さえて膝をつく。
さっきまで彼女の手からこぼれていた淡い光が、急にしぼんだ。ロイたちの表情がこわばる。ヴェルが目を見開いた。
「セラ!」
ヴェルが鎖を動かそうとする。
だが、鎖は重い音を立てただけで、思うように伸びない。ヴェルの膝がまた沈む。
「くそっ、動けってば……!」
「無理に動かさないで」
ぼくはセラさんのそばにしゃがみ込んだ。
怖い。
見張りたちは戻ってくる。グレッグは武器を失っても、素手でこちらを殴り潰せる距離にいる。ダリオはまだ何を隠しているかわからない。
でも、首枷の回路は見える。
外から命令を受けて、締めるための線が光っている。さっきぼくが少しだけ作った魔力の通り道を、黒い札が上から潰そうとしている。
人を縛るために、こんな丁寧な仕組みを作るな。
怒鳴る代わりに、ぼくは刻印針を握り直した。
「セラさん、少し苦しいけど、首元に触る」
「は、い……」
「息は止めないで。細くていいから吸って」
セラさんが震えながらうなずく。
ぼくは首枷の継ぎ目を見た。
外せない。
無理に外せば、首枷の内側に刻まれた封印が暴れて、セラさんの喉を傷つける。なら、外すのではなく、命令を受ける線を切る。
だが材料が足りない。
「ロイ」
ぼくは振り返らずに呼んだ。
「おまえの剣の柄飾り。銀線が巻いてあるだろ。外して」
「え、あ、ああ」
ロイは一瞬戸惑ったが、すぐに動いた。震える指で剣の柄から銀線を剥がす。
「ボルド、盾の壊れた留め具。まだ持ってる?」
「こ、これか」
「それ。投げて」
金具が足元に転がる。
ミナも、何か言いたそうに自分の杖を見た。
「杖の先の飾り石、欠けてる。使える?」
「……使えるなら、使いなさいよ」
声は震えていたが、昼間の刺々しさはなかった。
ぼくはうなずき、銀線と金具と飾り石を拾う。
きちんとした材料じゃない。
でも、職人仕事は、理想の材料がある時だけやるものじゃない。目の前にあるもので、今必要な働きを作る。
首枷の外側に銀線を巻き、盾の留め具を薄く削って小さな受け金具にする。飾り石を砕き、魔力を集める芯にする。
奴隷印は消せない。
今のぼくには、そこまでの腕も時間もない。
だから、その上から守りの回路を刻む。命令を受けて締める線を、外の魔力を集めて巡らせる線へ逃がす。
縛るための輪を、守るための輪に変える。
「これは、もう君を縛るためのものじゃない」
ぼくは刻印針を走らせながら言った。
「首飾りと呼ぶには、まだ荒いけど」
セラさんが、苦しそうにしながらも、ぼくを見る。
「首、飾り……」
「周りの魔力を集める首飾り。名前をつけるなら、集魔のチョーカーかな」
言ってから、少し恥ずかしくなる。
名前をつけるには、まだ出来が悪すぎる。工房に持ち帰って、きちんと磨いて、回路も刻み直したい。
それでも、セラさんは両手で首元に触れた。
まるで、初めて自分のものをもらった子どもみたいに。
首枷だった輪が、淡く光る。
鉄の表面に刻まれていた奴隷印は、消えたわけではない。けれど、その上を銀線と守りの回路が包み、冷たい命令の模様を、温かな光の模様へ塗り替えていく。
「わたしの……首飾り」
セラさんが、確かめるように呟いた。
黒い札から流れていた命令の線が途切れた。
セラさんが大きく息を吸う。
「……息が、できます」
その手から、温かな光が広がった。
ロイの頬の切り傷が塞がる。ボルドの腫れた手首が少しだけ動くようになる。ミナの魔力封じの縄に残っていた痺れが薄れる。リリィの青ざめた顔にも、少し血の気が戻った。
ヴェルの鎖にも、淡い光が流れた。
「なに、これ……軽い」
ヴェルが自分の腕輪を見る。
鎖はまだ黒い。重い。けれど、さっきより魔力の流れが整っている。セラさんの光が、ヴェルの魔力を無理に押すのではなく、乱れたところを支えている。
「わたし、何者なのかはわかりません」
セラさんが小さく言った。
「でも、痛い人を放っておくのは嫌です」
その声は弱い。
けれど、まっすぐだった。
「余計なことしないでよ」
ヴェルがぼそっと言う。
セラさんは困ったように眉を下げた。
「ごめんなさい。でも、苦しそうでしたから」
「……謝るなってば」
ヴェルは顔をそむけた。
耳まで赤い。
その鎖が、再び地面を走った。
戻ってきた見張りの一人が踏み込もうとした足首に、鎖が絡む。ただ締め上げるのではない。セラさんの光が薄く乗った鎖は、相手を傷つけすぎないように、転ばせるだけの強さで足を止める。
「なっ、なんだこの鎖!」
「知らない。でも、今は動く」
ヴェルが歯を見せて笑った。
「おじさん、次!」
「荷馬車の左側。車輪止めの楔が緩い」
「地味!」
「地味でいい」
ぼくは最後の補修札を、荷馬車の車輪の前に投げた。
補修札は壊れたものを繕おうとする。だが、使い方を少し間違えれば、地面の小石や木片を一瞬だけ固めることもできる。
車輪の下で、土と木片が固まる。
見張りが荷馬車を盾にしようと押した瞬間、車輪が引っかかった。
荷馬車が斜めに傾く。
積んであった空の檻がずれ、見張りたちの進路を塞いだ。
「今だ。ロイ、捕まってる人たちを馬車の陰へ。ボルドは檻を押さえて。ミナは火を出さなくていい、煙だけ出せる?」
ロイがこちらを見る。
「シュウ、俺……」
「今は反省より手を動かして」
ロイの顔が歪む。
けれど、彼はうなずいた。
「わかった」
昼間なら、きっと言い返していた。
今は言い返さない。
それだけで、十分だった。
ミナが震える手で杖を握り、弱い煙を出す。ボルドが檻の扉を押さえ、リリィが逃げ遅れた捕虜の肩を支える。
動き出している。
少しずつだが、確かに。
「厄介ですね」
ダリオの声が、煙の向こうから聞こえた。
「商品同士が勝手に助け合う。実に厄介だ」
「わたしは、商品ではありません」
セラさんが言った。
声は大きくない。まだ震えている。けれど、首元の集魔のチョーカーに手を添えたまま、彼女はまっすぐ煙の向こうを見ていた。
「この方たちも、商品ではありません」
「商品じゃないって言った」
ぼくは低く返した。
ダリオは答えず、手袋をはめ直す。
その視線が一瞬、荷馬車の床板へ向いた。
ほんの一瞬だ。
けれど、職人はそういう目の動きを見逃さない。
大事な道具を置いた場所を、人は無意識に見る。隠したつもりでも、目だけは確かめにいく。
ぼくは荷馬車の床板を見る。
一本だけ、釘の色が違う。
周りの板は古いのに、その釘だけ新しい。しかも、釘頭の溝が潰れていない。最近、何度も開け閉めしている。
「そこか」
ぼくは煙の中を低く走った。
「おい、どこへ」
ヴェルの声を背中で聞きながら、荷馬車の床へ手を伸ばす。
釘を外す時間はない。
なら、板の方をずらす。
ヤスリを差し込み、板の隙間に沿わせる。木は乾いている。端の噛み合わせが甘い。力任せに引けば割れるが、角度を合わせれば浮く。
ぎ、と小さな音がして、床板が少し持ち上がった。
その下に、小さな鉄箱が隠されていた。
鍵穴の周りには、セラさんの首枷や奴隷契約に使われるものと同じ、嫌な魔力の染みがある。
「それに触れるな」
初めて、ダリオの声から余裕が消えた。
ぼくは鉄箱を見下ろし、工具箱から細いヤスリを抜いた。
壊す場所は、見つかった。




