第3話:救出開始、魔鎖の腕輪
閃光玉は、グレッグの足元で砕けた。
光が弾ける。
ただ明るいだけの光ではない。ヴェルに言われた通り、魔力の流れを細かく散らした、嫌な揺らぎを混ぜてある。
「ぐあっ!?」
グレッグが片手で目を押さえ、もう片方の手で大剣を振り回した。
刃が檻の鉄格子をかすめ、火花が散る。まともに当たっていたら、ぼくの体なんて工具箱ごと真っ二つだっただろう。
怖い。
膝が笑いそうになる。
けれど、手は止めない。
「ヴェル、鍵束」
「わかってるし!」
ヴェルが腕を振った。
黒い鎖が、じゃらりと鳴る。
それはもう、ただの拘束具の動きではなかった。細い腕から伸びた鎖が、影の蛇みたいに檻の外へ走り、吊るされていた鍵束に巻きつく。
「っ、重い……!」
ヴェルの顔が歪む。
まだ封印はほとんど残っている。さっきの細工は応急処置でしかない。鎖を動かせるようにしただけで、彼女の体には負担がかかっているはずだ。
「無理しなくていい。少し引ければ」
「うるさい。おじさんに言われなくても、これくらいできるっての」
強がりながら、ヴェルは鎖を引いた。
鍵束が大きく揺れ、鉄の輪から外れる。
落ちる。
その直前、ぼくは檻の隙間から腕を伸ばした。指先に冷たい金属が当たる。届かない。あと少し。
「シュウ様」
柔らかい声がした。
セラが両手を胸の前で組んでいる。首元の枷に、さっきよりも淡い光が集まっていた。
「どうか、届きますように」
祈りのような声だった。
首枷から流れ込んだ魔力が、彼女の指先に集まり、檻の中に小さな風を起こす。
鍵束が、ほんの少しだけこちらへ流された。
ぼくの指が、鉄の輪をつかむ。
「取れた」
「やったじゃん、セラ!」
「わ、わたし、今、何かできましたか?」
「できた。助かった」
セラは泣きそうな顔で、ほっと笑った。
その笑い方だけで、少し胸が痛くなる。たぶんこの人は、ずっと誰かの役に立てないと思わされてきたのだろう。
そんな道具みたいな扱いをされた人が、自分の力で誰かを助けた。
なら、この首枷はもうただの枷じゃない。
「あとでちゃんと直す」
「え?」
「その首枷。今は無理だけど、ちゃんと君のものに作り替える。縛るためじゃなくて、守るための道具に」
セラが目を見開いた。
その横で、ヴェルがふんと鼻を鳴らす。
「じゃあ、あたしの鎖もね」
「もちろん」
「即答するんだ」
「悪い道具じゃないから。使い方が間違ってるだけだ」
ヴェルは一瞬、何かを言い返そうとして、やめた。
代わりに、赤い目を少しだけ伏せる。
「……変なおじさん」
声は小さかった。
けれど、さっきまでより棘が柔らかい。
「いたぞ! 檻の裏だ!」
見張りの一人が叫んだ。
閃光玉の効き目が切れかけている。グレッグがまだ目を押さえながらも、怒りで顔を真っ赤にしていた。
「この、こそこそしやがって……!」
グレッグが大剣を振り上げる。
ぼくは鍵を差し込もうとして、手を止めた。
鍵穴が歪んでいる。
古い錠前だからではない。さっきグレッグの剣が檻をかすめた時、衝撃で中の歯がずれたのだ。
「最悪だ」
「開かないの!?」
ヴェルの声が跳ねる。
「普通にはね」
ぼくは工具箱から細いヤスリを抜いた。
鍵をそのまま差し込めば折れる。折れたら終わりだ。だから、先に鍵の方を少し削る。歪んだ錠前に合わせる。
『シュウ、急いでください。あの大男、怒りでますます単純になっています』
「それは助かる」
『えっ』
「単純なら、動きが読める」
グレッグが大剣を横なぎに振る。
ぼくは檻に背をつけ、身を低くした。刃が頭上を通り過ぎ、髪を数本持っていく。
「ひっ」
情けない声が出た。
出たが、手は止めない。
ヤスリで鍵の先端をほんの少し削る。削りすぎれば合わない。足りなければ回らない。
こういう時、焦った方が負ける。
相手が剣を振っていても、錠前は急いでくれない。
「おじさん、普通そこまで冷静でいられる!?」
「冷静じゃない。かなり怖い」
「じゃあなんで手が動くのよ!」
「手まで怖がったら、誰も助からないから」
ヴェルが黙った。
ぼくは削った鍵を差し込む。
少し引っかかる。
だめだ。もう一削り。
「セラさん、ヴェルの腕を支えて。鎖を動かし続けると負担が大きい」
「はい」
セラがすぐにヴェルの手首に触れた。
「ちょ、触らないでよ。大丈夫だし」
「大丈夫な人は、そんなに手が冷たくなりません」
セラの手から淡い光がこぼれる。
ヴェルの顔色が、ほんの少し戻った。
「……余計なことしなくていいのに」
「ごめんなさい」
「謝るなって言ってんの」
二人のやり取りを聞きながら、ぼくは鍵をもう一度差し込んだ。
今度は奥まで入る。
回す。
ぎち、と嫌な音がした。
止まりかけたところで、ぼくは鍵の背を指で軽く叩いた。力任せではなく、歯車の噛み合わせを戻すように。
かちり。
錠前が開いた。
「開いた」
檻の扉が、重い音を立てて少しだけ開く。
セラとヴェルが息をのんだ。
ロイたちの檻からも、くぐもった声が上がる。
「先に二人を出す」
「ロイたちは?」
セラが檻の向こうを見る。
優しい子だ。
自分がまだ逃げられてもいないのに、もう他人を気にしている。
「助ける。全員助ける。でも順番を間違えると、全員捕まる」
「……はい」
「ヴェル、立てる?」
「誰に言ってんの。立てるに決まってるでしょ」
ヴェルは立ち上がろうとして、少しよろけた。
ぼくは思わず手を伸ばす。
「触らないでってば」
「ごめん」
「……支えるだけなら、許す」
小さな声だった。
ぼくはヴェルの肩を支え、檻の外へ出した。続いてセラが出る。彼女は出た瞬間、深く息を吸った。
「外の空気……」
その声は、ただ空気を吸えたことに驚いているようだった。
胸が詰まる。
どれだけ長く、狭い檻の中にいたのだろう。
「ネズミが、商品を逃がしているぞ!」
ダリオの声が鋭く飛ぶ。
「グレッグ、殺しても構いません。男だけなら」
「言われなくても!」
グレッグが突進してくる。
今度は避ける場所が少ない。後ろにはセラとヴェルがいる。檻の中にはロイたちがいる。
ぼく一人なら、転がって逃げればいい。
でも、今はそれではだめだ。
「ヴェル。鎖、まだ動かせる?」
「動かす」
「無理なら」
「動かすって言ってるでしょ!」
ヴェルが鎖を握った。
その細い腕が震えている。けれど、目は逃げていない。
「どこ狙えばいい?」
聞いてくれた。
それだけで、十分だった。
「足首。倒さなくていい。止めるだけでいい」
「止めるだけ、ね」
ヴェルが笑った。
怖がっているのに、生意気で、強がりで、それでも前を向いている笑みだった。
「おじさんの注文、地味」
「職人だからね」
「じゃあ、地味に決めてあげる」
黒い鎖が地面を走った。
グレッグは大剣を振り上げたまま、踏み込む。
その足首に、鎖が絡みついた。
「なっ」
巨体がぐらつく。
完全には倒れない。力が強すぎる。ヴェルの鎖もまだ細い。けれど、ほんの一拍、足が止まった。
その一拍で十分だった。
ぼくは補修札を取り出し、グレッグの足元に投げた。
床ではない。土だ。だから、補修札は地面のひびや石を勝手に繕おうとする。その途中で、土と小石が一瞬だけ固まる。
即席の足止め。
長くは持たない。
でも、今はそれでいい。
「セラさん、ロイたちの猿ぐつわを」
「はい」
セラが走った。
走り方はぎこちない。けれど、彼女は迷わなかった。ロイたちの檻へ向かい、震える手で猿ぐつわを外していく。
「シュウ……」
最初に声を出したのはロイだった。
喉が潰れたような声。
「なんで」
「話は後」
ぼくはロイの縄を見た。
魔力封じの縄ではない。普通の麻縄に、簡単な締め具をつけただけだ。切るより緩めた方が早い。
「動けるなら、リリィとミナを守って」
「でも、俺は」
「今は反省より手を動かして」
ロイが唇を噛む。
それから、うなずいた。
昼間の彼なら、きっと何か言い返していた。
でも今は、言い返さなかった。
それだけでいい。
「くそがああっ!」
グレッグが吠えた。
足元の補修札が破れる。ヴェルの鎖も弾かれた。
「っ……!」
ヴェルが膝をつく。
「ヴェル!」
セラが叫ぶ。
ぼくは工具箱に手を突っ込み、最後の魔石片を握った。
次の手を考える。
考えろ。
ここは工房じゃない。材料もない。時間もない。けれど、壊れている場所は見える。
グレッグの大剣。
あれだけ力任せに振り回しているせいで、柄の留め具が緩んでいる。月明かりに、一瞬だけ隙間が見えた。
あそこをずらせば、刃は落ちる。
倒す必要はない。
武器だけ壊せばいい。
「ヴェル、もう一回だけ鎖を」
「言われなくても」
「セラさん、ヴェルを支えて」
「はい」
セラがヴェルの背に手を添える。淡い光が流れ、ヴェルの鎖にほんの少しだけ力が戻る。
ぼくは魔石片に銅線を巻きつけた。
今度は閃光ではない。
留め具を震わせるための、小さな衝撃。
ちゃんとした道具なら、もっと綺麗に作れる。今のこれは、ただの出来損ないだ。狙いも細い。外せば終わり。
けれど、ぼくの目には留め具の歪みが見えている。
「いくよ」
ヴェルの鎖が、グレッグの大剣の柄に絡みつく。
ぼくは魔石片を投げた。
小さな衝撃が、柄の留め具を打つ。
きん、と高い音。
次の瞬間、グレッグの大剣の刃が、柄からずれ落ちた。
「は?」
グレッグが間の抜けた声を出す。
重い刃が地面に落ち、土をえぐった。
周囲が一瞬、静かになる。
ヴェルが、ぽかんと口を開けた。
「……武器を、壊した?」
「正確には、留め具を外した」
「同じでしょ」
「違う。直せる壊し方だ」
そう言ってから、自分でも少し変なことを言ったと思った。
ヴェルが吹き出す。
怖がっていた顔のまま、それでも初めて、少しだけ楽しそうに笑った。
「やっぱ変なおじさん」
グレッグの顔が怒りで赤黒く染まる。
武器は落ちた。けれど、まだ終わっていない。素手でも、あの体格なら十分に危険だ。
それに、ダリオがいる。
奴隷商人は、笑っていなかった。
細い目で、ぼくとセラとヴェルを見ている。
「なるほど。魔法道具師ですか。しかも、即席で封印具に手を入れる腕がある」
ダリオがゆっくりと手袋を直した。
「あなたも、商品価値がありそうですね」
「白い髪の女は、神殿筋が高値で買う。黒髪の魔物は、魔王軍の残党が血眼で探している。そこへ、封印具をその場で組み替える魔法道具師まで現れた」
ダリオの声は、少しも荒れていなかった。
「今夜は、実によい仕入れ日です」
背筋に冷たいものが走る。
ロイたちはまだ完全には動けない。ヴェルは膝をついている。セラの力も不安定だ。ぼくの魔石片は、もうほとんど残っていない。
それでも。
檻の扉は開いた。
セラとヴェルは、もうただ檻の中で震えているだけではない。
ロイたちも、ようやく自分の足で立とうとしている。
壊れていたものが、少しずつ動き出している。
「商品じゃない」
ぼくは工具箱を握り直した。
「この子たちは、人だ」
ダリオの笑みが、薄く深くなる。
「では、まとめて壊してから運ぶとしましょう」
森の奥から、さらに複数の足音が近づいてきた。
見張りに出ていた男たちが戻ってくる。
ぼくは息を吸った。
直すところが多すぎる。
それでも、まだ手は動く。




