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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第1部

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第2話:壊れた檻の中の二人

 境界道の夜は、町の夜よりずっと静かだった。


 静かすぎる、と言った方がいいかもしれない。


 街道の片側には、人間の領地へ続く細い道。もう片側には、魔物領へ続く黒い森。木々の枝が月明かりを細かく裂いて、地面にまだらな影を落としている。


 ぼくは革のエプロンの胸元を押さえ、工具箱を肩にかけ直した。


 持ってきたものは多くない。予備の魔石片が三つ。銅線が少し。刻印針。小さなヤスリ。簡易の補修札。どれもきちんとした工房で使うなら心もとない道具ばかりだ。


 けれど、手ぶらよりはいい。


 少なくとも、壊れたものを見つけた時に、何もできずに立ち尽くすよりはずっといい。


「……ここか」


 道端に、見覚えのある金具が落ちていた。


 さっき拾ったものと同じ、ボルドの盾についていた留め具だ。片方だけじゃない。少し先にも、曲がった金具が転がっている。無理に盾を構えた時、まとめて外れたのだろう。


 ぼくはしゃがみ込んで、草の倒れ方を見る。


 重いものが一度、横から押し込まれている。たぶん盾だ。そこで受け止めきれずに、後ろへ倒れた。土に残った踵の跡が深い。


「留め具が外れたんだ……」


 ちゃんと締め直しておけば、受けられたかもしれない。


 そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。


 少し先には、焦げた草が円を描くように散っていた。ミナの爆発魔法だ。けれど、焦げ跡が広すぎる。狙って撃ったというより、驚いて杖を振ったのだろう。爆風は強いが、中心がずれている。


 さらに奥の木の幹には、浅い斬り跡が二本。


 ロイの剣だ。力任せに振った跡なのに、食い込みが甘い。刃こぼれのせいで、途中で引っかかったに違いない。


 戦いの跡というより、ひどく雑に使われて傷んだ道具たちの悲鳴を見ている気がした。


「だから、研ぎ直した方がいいって……」


 言っても、もう遅い。


 追放された腹立たしさより、その遅さの方が痛かった。


『シュウ。近くに人の気配があります』


 頭の中に、マーサの声が響く。いつもの調子より少しだけ固い。


『それと、かなり嫌な気配も。これは、ええと、女神的に言うなら、とても天罰向きの気配です』


「天罰は後で。まず場所を」


『あちらです。道から少し外れた場所に灯りがあります』


 ぼくはうなずき、森の中へ入った。


 足元に注意しながら進む。枯れ枝を踏まないように、土の柔らかいところを選ぶ。冒険者としては鈍いぼくでも、工房で床に落ちた小さな部品を探すことは慣れている。


 目立つものより、小さな違和感を見る。


 草の折れ方。土の盛り上がり。木の幹に結ばれた細い糸。


 ぼくは足を止めた。


「鳴子罠か」


 目の高さより少し下に、黒く塗った細い糸が張られている。夜の森ではまず見えない。糸の先は、木の裏に吊るされた小さな鉄片につながっていた。


 あれを鳴らせば、見張りに気づかれる。


 その手前には、土に半分埋められた魔法杭。踏めば足元に絡みつく仕掛けだろう。さらに奥には、乾いた袋が枝に引っかけられている。たぶん眠り粉だ。


「冒険者を捕まえるための罠だね」


『人を商品にする者の発想です。やはり天罰では?』


「だから後で」


 ぼくは工具箱を開き、小さな魔石片と銅線を取り出した。


 きちんと作るなら、魔石を磨いて、銅線の癖を取り、刻印台で回路を刻む。けれど、今はそんな時間はない。


 小石に銅線を巻きつけ、刻印針の先で簡単な魔力の通り道を削る。指先に少しだけ魔力を流すと、銅線がちり、と震えた。


「数回使ったら壊れるな」


『よいのですか?』


「今夜だけ動けばいい」


 ぼくは即席の探知具を地面に近づけた。


 魔力の流れがある場所で、銅線がかすかに震える。魔法杭の位置がわかる。ぼくはその周りを避けて、罠の隙間を抜けた。


 次に、古い釘と魔石片を組み合わせる。


 釘の頭に小さな回路を刻み、銅線で魔石片を縛る。これも出来は悪い。店に並べるどころか、人に見せるのも恥ずかしいくらいだ。


 でも、音くらいは鳴る。


 ぼくはそれを反対側の茂みに投げ込んだ。


 少し遅れて、かこん、と乾いた音が鳴る。


「なんだ?」


 男の声がした。


 見張りの一人が、馬車のそばから離れる。


 その隙に、ぼくは荷馬車の陰へ滑り込んだ。


 馬車は二台あった。


 一台は荷物用。もう一台は檻を積んだものだ。鉄格子のついた檻が三つ、粗い布で隠されている。けれど、中から人の息遣いが聞こえた。


 最初に見えたのは、ロイだった。


 手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされている。顔には土がつき、いつもの生意気な目つきは消えていた。ぼくを見つけた瞬間、目だけが大きく開く。


 声を出そうとして、出せない。


 その目は、ぼくを足手まといと笑った昼間の傲慢さではなく、ただの怯えた子供のものだった。


 ボルドは隣で転がされていた。盾はない。あれだけ自慢していた大盾がなければ、彼はただ大柄な若者だ。ミナは魔力封じの縄で両手を縛られ、杖も取り上げられている。リリィは震えながら、他の三人を見ていた。


 生きていた。


 そのことに、まず息が抜けた。


 見返してやろうとか、謝らせようとか、そんな気持ちは浮かばなかった。ただ、生きていてよかったと思った。


「おや。今の音は何でしょうね」


 柔らかい声がした。


 荷馬車の向こう側から、細身の男が現れる。年は四十前後だろうか。整えた髪に、汚れのない上着。こんな森の中には似合わないほど身なりがいい。


 奴隷商人だ。


 たぶん、あれがダリオ・ガルドン。


「グレッグ。見てきなさい。商品に傷をつける者なら、手足だけ折っておけば結構です」


「へいへい。人使いが荒いねえ」


 返事をしたのは、太い首の男だった。肩幅が広く、腰の剣も大きい。護衛というより、荒事専門の用心棒だ。


 グレッグ。


 あれとまともに戦えば、ぼくでは一呼吸も持たない。


「若い冒険者は売り先が多い。魔法使いと回復役は特に高くつきます。境界道で消えた者は、探す側も人間領と魔物領で押しつけ合う。実に都合がよい」


 ダリオが、商品目録でも読むように言った。


 胸の奥が冷たくなる。


 人間も魔物も、この人にとっては壊れた道具以下なのだろう。道具なら、まだ手入れすれば長く使えると考える。けれどこの男は、使い捨てることしか考えていない。


「ただし、奥の二人は別です。あれは普通の市場に出す品ではない。特級品ですからね」


 その時、奥の檻から小さな声が聞こえた。


「大丈夫です。息はできていますから。だから、そんなに暴れないでくださいね」


 やわらかい声だった。


 こんな場所に似合わない、湯気の立つお茶みたいな声。


 ぼくは檻の奥を見た。


 そこに、二人の少女がいた。


 一人は、白金色の髪をした女性だった。服は汚れ、頬にも土がついている。それでも、背筋の伸ばし方や指先の置き方に、粗末な檻では隠せない品があった。


 首には、鉄の首枷。


 けれど、ただの首枷ではない。内側に細い回路が見える。魔力を奪うだけじゃない。外から入る魔力まで遮っている。


 もう一人は、小柄な黒髪の少女だった。


 赤い瞳で、檻の外をにらんでいる。怖がっていないわけじゃない。手が少し震えている。それでも、顎を上げて、隣の女性を守るように前に出ていた。


 両手首には、拘束用の腕輪と鎖。


 鎖は太い。けれど、変だ。拘束具としては重すぎるのに、内側の魔力回路は妙に精密だった。魔力を封じるためだけなら、こんな作りにはしない。


 これは、ただ縛るための道具じゃない。


 何かを閉じ込めている。


「はっ。こんな鎖、あたしが本気を出せばすぐに千切れるし。……今は、ちょっと調子が悪いだけ」


 黒髪の少女が強がるように言った。


「はい。そうですね。ですから、今は少しだけ休みましょう」


「休んでないし。作戦を考えてるだけだし」


 二人のやり取りに、場違いにも少しだけ息が緩みそうになる。


 その瞬間、黒髪の少女の赤い目がこちらを向いた。


「誰」


 低い声。


 ぼくは檻の影から、そっと片手を上げた。


「騒がないで。助けに来た」


「おじさん一人で?」


 即答だった。


「無理に決まってるじゃん。見ればわかるでしょ。剣も持ってないし、腰も引けてるし」


「うん。正しい」


「認めるんだ」


 黒髪の少女が少しだけ目を丸くする。


 白金色の女性は、ぼくの方を心配そうに見た。


「あなたも、捕まってしまったのですか?」


「いや。まだ捕まってはいない。できれば、そのまま捕まらずに帰りたい」


「では、逃げてください。わたしたちのことは」


「それはできない」


 ぼくは檻の錠前に指をかけた。


 古い型だが、外側に魔力封じが追加されている。無理に壊せば大きな音が鳴る。錠前そのものを外すには時間が足りない。


「助けられる、とはまだ言えない。ただ、直せそうなところはある」


「檻を直してどうすんのよ」


「壊し方がわかる」


 黒髪の少女が黙った。


 ぼくは工具箱から刻印針を取り出し、まず白金色の女性の首枷を見た。


「触っても?」


「え……はい」


「変な意味じゃない。道具を見るだけだから」


「そこは疑っていません」


 柔らかく微笑まれて、少しだけ顔が熱くなる。


「おじさん、今照れた?」


「照れてない。作業中だから黙って」


 黒髪の少女が、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 ぼくは首枷の内側に刻まれた回路をなぞる。


 ひどい作りだ。


 いや、道具としては精巧だ。だからこそ、ひどい。魔力を奪い、外からの魔力を遮り、本人の中にある何かを眠らせるように組まれている。


 人を縛るために、ここまで丁寧に作られた道具。


 そのことが、ひどく腹立たしかった。


「これは、壊すより流れを変えた方が早い」


『シュウ。その首枷、普通ではありません』


 マーサの声が低くなる。


『とても古い封印の気配があります。気をつけてください』


「わかった」


 ぼくは小さな銅線を切り、首枷の継ぎ目に巻きつけた。魔石片を爪ほどに削り、刻印針で細い線を入れる。


 雑な仕事だ。


 普段なら絶対に人に渡さない。


 けれど、この首枷は魔力を奪う形に偏りすぎている。そこに、ほんの少しだけ外の魔力を集める道を作る。奪うだけの輪を、集めて巡らせる輪に変える。


 かちり、と小さな音がした。


 白金色の女性が息を吸う。


「あ……」


 彼女の指先から、淡い光がこぼれた。


 檻の隅で膝をすりむいていたリリィの傷が、少しだけ塞がる。


「今の、わたしが……?」


 女性は自分の手を見つめ、それからリリィを見た。


「痛みは、少し楽になりましたか?」


 自分の力より先に、相手の痛みを気にする。


 その反応だけで、この人がどういう人なのか少しわかった気がした。


「名前は?」


「セラフィナ、です。セラと呼んでください」


「セラさん。今はその首枷を外せない。けど、少しは息がしやすくなるはずだ」


「はい。ありがとうございます」


 セラは両手で首元を押さえた。


 まだ奴隷の首枷だ。それなのに、彼女はまるで大切なものに触れるように、そっと指を添えた。


「次、そっち」


 ぼくは黒髪の少女の腕輪を見る。


「名前は?」


「……ヴェル」


「ヴェル。腕を見せて」


「命令しないで。あたし、奴隷じゃないし」


「うん。だからお願いしてる」


 ヴェルは一瞬だけ言葉に詰まったあと、むっとした顔で腕を差し出した。


 腕輪の内側を見て、ぼくは眉をひそめる。


 これも、ただの拘束具じゃない。鎖に魔力を通す回路がある。けれど、今はその流れを逆向きにされている。動かすための鎖を、縛るために使っている。


「もったいないな」


「は?」


「いや。この鎖、悪い道具じゃない。使い方がひどいだけだ」


「……鎖を褒める人、初めて見た」


 ぼくは銅線を短く切り、腕輪と鎖の継ぎ目に巻いた。


 ヴェルの魔力は細い。封じられているせいだろう。けれど、奥にあるものは強い。少し触れただけで、指先がぴりっと痺れる。


「痛かったら言って」


「痛くないし。こんなの、全然」


 顔は少し青い。


 ぼくはできるだけゆっくり回路を組み替えた。


 閉じ込める輪を、外へ伸びる輪にする。鎖が持つ重さを、ただの重さではなく、動くための芯に変える。


 じゃら、と鎖が小さく鳴った。


 ヴェルの赤い目が見開かれる。


 鎖の先が、影のように一瞬だけ伸びた。


 檻の外に吊られていた鍵束が、かすかに揺れる。


「今の……」


「君が動かした」


「ふ、ふん。当然だし。あたしが本気を出せば、これくらい」


 声は震えていた。


 けれど、その目に少しだけ光が戻っている。


 その時、茂みの向こうで、かこん、ともう一度音がした。


 ぼくの囮具が、最後の音を立てて壊れたのだ。


「おい」


 太い声が近づいてくる。


 グレッグだ。


「さっきから妙な音がしてると思ったら……誰かいるな?」


 檻の中の空気が凍る。


 ロイが目を見開き、ぼくを見る。助けを求めたいのに、猿ぐつわで声が出せない。その顔には、昼間の余裕はもうなかった。


 ダリオの声もした。


「奥の商品に触れないように。特に白い髪の女と、黒髪の魔物は高値がつきます。あれは特級品です」


 ヴェルの肩がぴくりと震えた。


「魔物じゃない」


 小さな声だった。


 強がりきれない、傷ついた声。


 ぼくは工具箱の底から、小さな石を取り出した。さっき罠を抜ける前に、雑に削っておいた魔石片だ。そこに銅線を巻き、閃光用の回路を刻む。


 怖い。


 グレッグがこちらへ来る足音が近づくたび、指先が少し震える。


 それでも、手は止めない。止めたら、この二人も、ロイたちも、ただの商品として運ばれてしまう。


「それ、ただ光るだけ?」


 ヴェルが小声で言った。


「そのつもりだけど」


「魔物相手には甘い。光だけじゃなくて、魔力の流れをぐちゃっと揺らして。目だけじゃなくて、感覚も一瞬ずらすの」


「できるの?」


「知らない。でも、たぶんそういうのが嫌」


 感覚で言っている。


 けれど、悪くない。


 ぼくは刻印針で回路を一本足した。光を広げる線ではなく、魔力を短く散らす線。人間の目にも、魔物の感覚にも、一瞬だけ刺さるように。


 品質はひどい。


 たぶん一度光れば砕ける。


 それでも、今ここで必要なだけの働きはする。


「セラさん、ヴェル。目を閉じて。合図したら、ぼくの後ろじゃなくて、横に来て」


「横、ですか?」


「守られるだけじゃないってこと。たぶん、二人の力も必要になる」


 セラが、不安そうにしながらも静かにうなずいた。


 ヴェルは鎖の巻きついた細い腕を持ち上げる。


「ふん。おじさんのくせに、ちょっとだけ格好つけるじゃん」


 檻の前で、グレッグが剣を抜いた。


 刃が月明かりを鈍く返す。大きい。重い。まともに受ければ、ぼくの工具箱ごと胴まで割られるだろう。


 だから、まともに受けるつもりなんてない。


「何をしてやがる」


 ぼくは息を吸い、手の中の石に魔力を流した。


 壊れかけの道具でも、使いどころを間違えなければ、人を助けることはできる。


 そう信じて、ぼくは閃光玉を投げた。


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