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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第3部

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第28話:同じ朝食を食べる

 朝の小屋は、昨日までと少し違って見えた。


 呼び鈴の紐が、床の端を這っている。


 入口灯は足元だけを照らす弱い光に落としてある。


 武器箱は入口のそば。


 荷物には木札。


 人間客とミミルさんの間には、フィオさんの蔓の仕切り。


 どれも応急だ。


 粗い。


 仮のものばかり。


 それでも、昨日の朝にはなかった秩序が、小屋の中に少しだけ生まれていた。


 代わりに、ぼくの眠気はひどかった。


「おじさん、目が死んでる」


 ヴェルが遠慮なく言った。


「生きています」


「目は死んでる」


「そこだけ分けないでください」


 セラさんが、心配そうにぼくの顔を覗き込む。


「シュウ様、本当に少し横になった方が」


「朝の準備が終わったら」


「昨日も同じようなことをおっしゃっていました」


「今日は本当に」


 自分でも信用できない返事だった。


『根っこ毛布、弱めでした』


 柱の根元からフィオさんの声がする。


「はい。昨日よりは動けました」


『よかったです。次は、寝返り用の隙間を作ります』


「次もあるんですね」


 ない方がいいような気もする。


 ただ、昨夜の根っこ毛布がなければ、冷えた床で体を痛めていたかもしれない。そこはありがたい。


 ありがたいのだが、ぼくの休む場所については、早めに何とかしないといけない。


 セラさんは、もう鍋の前に立っていた。


 浄水壺の水。


 ガルスさんが置いていった保存食。


 硬いパン。


 少しの豆。


 フィオさんの畑から摘んだ若葉。


 薬売りの女性が出してくれた、苦くなりすぎない薬草。


 豪華ではない。


 むしろ、かなり薄い。


 けれど、温かい汁物なら全員が食べられる。


「フィオさん、若葉はこのくらいで足りますか?」


『はい。今日は少しだけです。畑は、まだ赤ちゃんですので』


「赤ちゃんの葉っぱを食べてるの?」


 ヴェルが顔をしかめる。


『食べてもよい分だけです』


「ならいいけど」


 ミミルさんが、蔓の仕切りの向こうから鍋を見ていた。


 手伝いたそうにしている。


 でも、薬売りの女性や荷運びの若者が近くにいるので、近づけない。


 ヴェルがそれに気づき、少し乱暴に言った。


「ミミル。葉っぱ洗って」


「……わたし?」


「他に誰がいるのよ。食べるなら手伝いなさい」


 言い方はきつい。


 でも、渡したのは人間客から少し離れた場所に置いた桶と若葉だった。


 ミミルさんが怖がらずに作業できる場所を選んでいる。


 ミミルさんは小さくうなずき、桶の前に座った。


 葉を一枚ずつ洗う。


 その手はまだおぼつかないが、何もしないで縮こまっているよりずっといい。


 薬売りの女性が、それを横目で見ていた。


「その葉は、あまり強く揉まない方がいいよ。苦味が出る」


 ミミルさんがびくっとする。


 女性はすぐに声を少し柔らかくした。


「怒ってるんじゃない。薬草も葉も、潰しすぎると味が変わるんだ」


 ミミルさんは、少しだけ迷ってから、こくりとうなずいた。


「……分かった」


 会話と呼ぶには短い。


 けれど、昨日よりは少しだけましだ。


 セラさんが鍋をかき混ぜる。


 薄い湯気が上がった。


 硬いパンは、暖炉の火で少しだけ焼き直す。焦げすぎないよう、ぼくが板に立てかけておいた。


 ヴェルがそれを見て、鼻を鳴らす。


「おじさん、眠そうなのにパンの角度は細かいんだ」


「焦げると食べづらいので」


「そういうところだけ元気」


「そういうところが大事なんです」


 汁物ができると、セラさんは同じ鍋から器へよそった。


 人間客にも。


 ミミルさんにも。


 ヴェルにも。


 ぼくにも。


 同じ鍋。


 同じ湯気。


 それだけで、少し緊張が戻る。


 護衛役の男は、自分の器を受け取ったあと、ミミルさんの器を見た。


 ミミルさんも、男の器を見る。


 どちらも、すぐには口をつけない。


 ヴェルが先に飲んだ。


「昨日よりはまし」


 セラさんが微笑む。


「ヴェルさん、それは褒め言葉ですか?」


「かなり」


「ありがとうございます」


 セラさんは嬉しそうだった。


 ヴェルは少し照れたように目をそらす。


 薬売りの女性も一口飲み、薬草の小袋を少しだけ振った。


「もう少し香りを足すと、胃が落ち着くよ。苦くはしない」


「お願いします」


 老人が器を両手で持ち、ゆっくり飲んだ。


「薄いが、温かい」


「それは褒め言葉ですか?」


 ぼくが聞くと、老人は目を細めた。


「旅の朝なら、十分な褒め言葉じゃ」


 なるほど。


 ミミルさんは、まだ器を見ていた。


 ヴェルが横から言う。


「毒なんか入ってない。あたしが飲んだでしょ」


「うん」


 ミミルさんは、小さく息を吸ってから、汁物を飲んだ。


 耳が少しだけ動く。


「……あったかい」


「そりゃ、温めたからね」


 ヴェルの返しはそっけない。


 でも、ミミルさんは器を両手で抱えたまま、少しだけ安心した顔をした。


 しばらく、誰も大きな声を出さなかった。


 ただ、同じ鍋の汁物を飲む音だけがする。


 仲良くなったわけではない。


 人間客とミミルさんの間には、まだ蔓の仕切りがある。


 護衛役の男は、ミミルさんへ近づこうとはしない。


 ミミルさんも、人間客の近くへは行かない。


 それでも、昨日は剣を抜きそうだった男と、入口灯の前で震えていたミミルさんが、同じ小屋で、同じ鍋のものを食べている。


 ぼくは、それだけで十分だと思った。


 一緒に笑わなくてもいい。


 すぐに信じ合わなくてもいい。


 同じ屋根で夜を越えて、同じ朝を迎えられたなら、今はそれで上等だ。


「人間」


 ミミルさんが、小さく言った。


 ヴェルが耳を動かす。


「何」


「何も、しなかった」


 たぶん、夜のことだ。


 剣を抜かれなかった。


 追い出されなかった。


 籠を無理に開けられなかった。


 それを、ミミルさんなりに言葉にしたのだろう。


 ヴェルは少しだけ顎を上げた。


「おじさんの小屋で手を出したら、あたしが許さないから」


 護衛役の男が、眉をひそめる。


 だが、言い返しはしなかった。


 少し間を置いて、低く言う。


「夜に騒がなかったのは、助かった」


 それが誰に向けた言葉なのかは、少し分かりづらかった。


 でも、ミミルさんは小さくうなずいた。


 荷運びの若者が、頭をかく。


「昨日は悪かったな。薬箱のこと」


 ミミルさんは器を見たまま、また小さくうなずく。


 許した、というより、受け取っただけ。


 それでいい。


 薬売りの女性が、ミミルさんの足元を見た。


「足の腫れはどうだい」


 ミミルさんが少し身を引く。


 女性は苦笑した。


「近づかないよ。見た感じ、昨日よりひどくはなさそうだ。あとで布を替えた方がいい」


「……うん」


「その若葉、少し冷やす力がある。潰して布に挟むと、腫れにいい」


 ミミルさんは、桶の中の若葉を見る。


 それから、ほんの少しだけ女性の方を見た。


「……ありがとう」


 声は小さい。


 けれど、たしかに聞こえた。


 セラさんが嬉しそうに微笑む。


 ヴェルは「別にたいしたことじゃないし」と、なぜか自分が照れたような顔をした。


 朝食が終わる頃には、鍋はほとんど空になっていた。


 食器も足りないので、何度か洗って使い回した。


 浄水壺の水もかなり減っている。


 保存食も減った。


 フィオさんの若葉は、使える分だけに抑えたが、それでも畑はまだ小さい。


 セラさんが宿帳代わりの板を手に取る。


「シュウ様」


「はい」


「この人数を受け入れると、食料と水と食器がかなり減ります」


「そうですね」


「今後も続けるなら、支払いと補充を決めた方がよいと思います」


 宿屋らしい言葉だった。


 もう、否定する元気もあまりない。


 薬売りの女性が、自分の荷を見た。


「あたしは薬草で払える。あと、境界道で使える傷薬を少し置いていくよ」


 荷運びの若者が手を挙げる。


「俺は金は少ないけど、薪割りとか荷物運びならやれる」


 老人は杖を抱えながら言った。


「わしは話くらいしかないのう」


「情報も支払いになります」


 ぼくが言うと、老人は少し驚いた顔をした。


 ミミルさんは、自分の籠を抱えた。


「わたし、払うもの……」


「払える形で構いません。金貨だけが支払いではありませんから」


「でも」


「昨日、紐を出してくれました。葉を洗うのも手伝ってくれました。それも助かっています」


 ミミルさんは、葉の札を握りしめた。


 まだ不安そうだ。


 けれど、少しだけ俯き方が変わった。


 セラさんが宿帳代わりの板を開く。


「では、記録を残しましょう」


 薬売りの女性、荷運びの若者、老人。


 順に、名前や印、支払いの形を書いていく。


 そして、ミミルさんの番になった。


 セラさんは、筆代わりの細い木炭を持ったまま、優しく聞く。


「ミミルさん。お名前を書いてもよろしいですか?」


 ミミルさんの耳が、少し伏せた。


 昨日もそうだった。


 名前を残すことが、怖いのだ。


 ぼくは、宿帳代わりの板と、葉の札を見た。


 ここにも、直し方が必要らしい。



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