第27話:夜中の呼び鈴
入口灯が、ちりん、と鳴った。
大きな音ではない。
小さな金属片が、淡い光の中で触れ合っただけの音だ。
それでも、小屋の中では十分すぎるほど響いた。
眠りかけていた客たちが、一斉に顔を上げる。
護衛役の男の目が、入口近くの武器箱へ向いた。
ミミルさんは、葉の札を握ったまま肩を縮める。
薬売りの女性は老人の前に身を寄せた。
ヴェルはもう立っている。
ぼくは工具箱へ手を伸ばした。
眠気で頭が重い。
目の奥がじんじんする。
けれど、音が鳴った理由を見ないわけにはいかない。
「まだ武器は開けないでください」
セラさんが、静かに言った。
その一言で、護衛役の男の手が止まる。
昨日までなら、たぶん剣を取っていた。
それを止められただけでも、武器箱を作った意味はあったのかもしれない。
ぼくは入口灯のそばへ行き、魔石の光を見る。
強い反応ではない。
外から何かが、結界の端に触れた程度だ。
『近くに、小さい足音があります』
フィオさんの声が柱からした。
『草の根元を、ちょこちょこと。薬草の匂いに寄ってきた子だと思います』
「獣か」
護衛役の男が低く言う。
「小さいものです。今のところ、襲ってくる気配はありません」
『ただ』
フィオさんの声が、少しだけ沈んだ。
『森の奥に、嫌な匂いが残っています。鉄と油のような、木が嫌がる匂いです』
ヴェルが入口の外へ目を細めた。
「近くにはいない。でも、森が変なのは分かる」
「素材狩りですか」
「分かんない。あいつらかもしれないし、別かもしれない。でも、今すぐここに来る感じじゃない」
今すぐの危険ではない。
だが、夜に音が鳴っただけで、小屋の中はこれだけ硬くなる。
もし本当に何かが来たら。
誰かが声を上げる前に剣を抜くかもしれない。
誰かが怖がって逃げようとするかもしれない。
ミミルさんのように、声が出ないかもしれない。
ぼくは、入口灯の銅線を指で触った。
冷たい。
細い。
でも、これで合図は出せる。
「知らせる仕組みが必要ですね」
「知らせる?」
薬売りの女性が聞く。
「怖い時に、まず剣を抜くのではなく、ここを呼んでください」
ぼくは入口灯を指した。
「声が出せるなら声でいい。でも、声を出すと相手を刺激することもあります。怖いと、声が出ない人もいます」
ミミルさんが、小さくうなずいた。
あの子はきっと、怖い時に大声を出せない。
なら、手で引けるものがいい。
「紐を引くと、ここが鳴るようにします」
護衛役の男が眉をひそめる。
「そんなもので間に合うのか」
「剣を抜くより先に、全員が気づけます」
「敵が入ってきたら」
「その時は別です。でも、毎回いきなり剣を抜くと、味方まで怖がります」
男はミミルさんを見た。
ミミルさんは視線を落とす。
男は何も言わなかった。
ぼくは材料を集めた。
細い糸。
曲がった針金。
割れた金具。
低級魔石の欠片。
木札の余り。
どれも立派なものではない。
でも、音を鳴らすだけなら十分だ。
「シュウ様、紐を切り分けますね」
セラさんがすぐに動く。
「お願いします」
ヴェルは入口側へ行き、壁の隙間を見た。
「ここ通せばいい?」
「はい。引っかかりすぎないように」
「分かってる」
分かっていると言いつつ、ヴェルはかなり慎重に紐を通した。
ミミルさんは、少し迷ったあと、葉の札を握ったままこちらへ来た。
「……これ、使う?」
小さな木片だった。
籠を直した時に余ったものだ。
「いいんですか」
ミミルさんはうなずく。
「呼べるなら」
「では、使わせてもらいます」
ぼくはその木片に、葉の印を小さく焼きつけた。
ミミルさんの寝床近くの紐につける。
同じように、丸、車輪、杖、三角の札も紐につけた。
どこから引かれたか、分かるように。
入口灯のそばには、割れた金具を吊るした。
鈴と呼ぶには粗い。
でも、細い針金で吊り、下に魔石の欠片を当てると、紐を引いた時に小さく鳴った。
ちりん。
さっきと同じくらいの音。
眠っていても、気づく。
でも、外まで大きく響くほどではない。
「これで、紐を強く引くと鳴ります」
ぼくは薬売りの女性の近くの紐を軽く引いた。
ちりん。
入口灯の横で、丸の札がほんの少し光る。
「鳴った場所も、札で分かります」
「器用なもんだね」
薬売りの女性が感心したように言った。
荷運びの若者が自分の紐を引く。
ちりん。
車輪の札が光る。
「面白いな」
「遊び道具ではありません」
「分かってるって」
分かっている顔ではなかった。
セラさんが、柔らかく注意する。
「本当に困った時だけですよ」
「はい」
若者が素直にうなずいた。
次に、ミミルさんが自分の紐を見る。
葉の札がついている。
彼女は、おそるおそる指を伸ばした。
「これ、わたしも呼べる?」
「はい。怖い時は、引いてください」
「声、出なくても?」
「出なくても」
ミミルさんは少しだけ目を丸くした。
それから、そっと紐を引く。
ちりん。
葉の札が淡く光った。
ミミルさんの耳が、ほんの少しだけ立つ。
それは、笑顔と呼ぶには小さすぎる変化だった。
でも、昨日から見た中では一番安心した顔だった。
「おじさん」
ヴェルが、入口側から呆れた声を出す。
「また寝る時間削ってる」
「寝るために作っているんですが」
「作ってる間は寝てないでしょ」
正論だった。
最近、ヴェルの正論が多い気がする。
ぼくは入口灯の光を少し落とした。
強すぎると眠れない。
弱すぎると怖い。
フィオさんが言っていた。
見えすぎると怖い。
見えなさすぎても怖い。
なら、足元だけ見えるくらいでいい。
光を床へ落とし、壁の上の方は暗くする。
寝床までの道。
武器箱。
入口。
呼び鈴の紐。
そこだけが、ぼんやり見える。
「これで、夜間灯も兼ねます」
「夜間灯?」
「夜に歩いても転ばない程度の灯りです」
老人が暖炉のそばでうなずいた。
「年寄りにはありがたいのう」
「転ばれると困りますから」
「言い方が正直じゃのう」
褒められているのかは分からない。
外で、草が揺れた。
ヴェルがすぐに入口へ寄る。
ぼくも灯りの位置を確認した。
フィオさんの根が、床下でゆっくり動く。
『薬草の匂いに寄ってきた小さい子です。葉で追いますね』
窓の外で、若葉がさわさわと揺れた。
小さな影が、ぱっと草むらへ逃げていく。
危険はなかった。
少なくとも、今すぐ小屋に押し入ってくるものはない。
ただ、森の奥の嫌な気配は、完全には消えていない。
ヴェルもそれを感じているのか、しばらく森を見ていた。
「どうですか」
「近くは平気。でも、あっちの方、なんか嫌」
「今夜は?」
「来ないと思う。たぶん」
たぶん。
それでも、何も分からないよりはずっといい。
ぼくは工具箱を閉じた。
「今夜は、これで休みましょう」
「おじさんが一番休んでないけど」
ヴェルが言う。
「今から休みます」
「ほんとに?」
「努力します」
セラさんが心配そうにこちらを見る。
「シュウ様、今度こそ横になってください」
「はい」
『根っこ毛布は、弱めにします』
「ありがとうございます」
弱めでもあるのか。
少しだけ不安だったが、文句を言う気力はなかった。
呼び鈴の紐が、それぞれの寝床のそばへ伸びている。
武器箱は入口灯の近く。
足元だけを照らす夜間灯。
蔓の仕切り。
荷物札。
寝床はまだ足りない。
部屋もない。
それでも、昨日よりは少しだけ、夜の形ができた。
そのあと、小屋はようやく静かになった。
ミミルさんは葉の札を握ったまま眠った。
護衛役の男は、剣を取りに行かなかった。
薬売りの女性は老人のそばで目を閉じ、荷運びの若者は壁にもたれて寝息を立てた。
セラさんはぼくの近くで、まだ心配そうにしていた。
ヴェルは入口側を向いたまま、半分だけ目を閉じている。
フィオさんの根は、今度は本当に軽く、足元の布を押さえるだけだった。
今夜は、誰も武器を抜かずに済んだ。
そう思ったところで、ぼくの意識はようやく薄れていった。




