第26話:夜の部屋割り騒動
寝る場所。
それは、ただ床に布を敷けば済むものだと思っていた。
少なくとも、ぼく一人ならそれでいい。
作業台の横でも、入口灯の下でも、工具箱を枕にしても、まあ一晩くらいはどうにかなる。
けれど、今は違う。
人間客が四人。
ミミルさんが一人。
セラさん。
ヴェル。
ぼく。
フィオさんの根。
小屋の床は、荷物札をつけて整理した分だけ少し空いた。
だが、空いた床がそのまま寝床になるわけではない。
老人は暖炉の近く。
護衛役の男は入口側。
薬売りの女性は老人の近く。
荷運びの若者は荷物側。
ミミルさんはヴェルのそば。
人間客とミミルさんの間には、フィオさんの蔓の仕切り。
ここまでは決まった。
問題は、その後だ。
ぼくたちの場所が、ない。
「ぼくは作業台の横で休みます」
そう言った瞬間、セラさんが首を横に振った。
「だめです」
「いえ、慣れていますし」
「だめです」
二度目は、さらにやわらかい声だった。
しかし、拒否の強さは一度目より増していた。
ヴェルも入口のそばで腕を組む。
「おじさんだけ一人で寝かせたら危ないでしょ」
「危ないというほどでは」
「疲れてるくせに」
「それは、みんな同じです」
「おじさんが一番動いてた」
言い返せない。
薬箱を探し、武器箱を作り、荷物札をつけ、入口灯も見ていた。
自分ではいつもの調子のつもりだったが、たぶん少し疲れている。
薬売りの女性が、苦笑した。
「あんたが倒れたら、この小屋は困るんじゃないかい」
「宿屋ではないので」
「まだ言ってるよ」
荷運びの若者が小さく笑った。
笑わないでほしい。
ぼくは床を見た。
「では、ぼくは入口灯の下で」
「それもだめです」
セラさんが布を一枚広げた。
「シュウ様が床で休まれるなら、わたしもそばにおります」
「なぜそうなるんですか」
「体調を見られますし、寒くないかも分かります」
「分からなくて大丈夫です」
「大丈夫ではありません」
セラさんは、当然のようにぼくの右側へ布を寄せた。
距離が近い。
近いというか、近すぎる。
寝床を増やすために詰める必要があるのは分かる。
分かるのだが、セラさんはそのあたりの距離感に迷いがなさすぎる。
「少し詰めれば大丈夫です」
「ぼくが大丈夫ではないかもしれません」
「どこか痛みますか?」
「そういう意味ではなく」
説明しづらい。
非常に説明しづらい。
そこへ、ヴェルが割り込んできた。
「待って。おじさんだけ人間側に取られるの、変でしょ」
「取るという話ではありません」
セラさんが微笑む。
「シュウ様が休める場所を作っているだけです」
「だったら、あたしもそっち」
ヴェルはぼくの左側に腰を下ろした。
そして、ぼくの袖をつかむ。
「ヴェル?」
「あたしは見張りも兼ねてるだけ。入口側も見えるし、ミミルも近いし、おじさんが変なところで寝ないか見張れる」
「見張る対象にぼくが入っている」
「当たり前でしょ」
当たり前ではない。
ないはずなのだが、ヴェルの中では当たり前らしい。
右にセラさん。
左にヴェル。
かなり狭い。
というより、動けない。
「あの、左右から動けないんですが」
「動かなくていいです」
セラさんが言う。
「動いたら危ないでしょ」
ヴェルも言う。
二人で同じ結論にしないでほしい。
『寒いなら、根っこで包みます』
柱の根元から、フィオさんの声がした。
「フィオさん?」
床板の隙間から、細い蔓がするすると伸びてきた。
柔らかい葉がついている。
それがぼくの足元へ回り、毛布の端を押さえるように絡んだ。
少し遅れて、背中側にも葉が寄ってくる。
温かい。
温かいのだが、さらに動けない。
「フィオさん、シュウ様が動けなくなってしまいます」
セラさんが穏やかに言う。
「木のくせに寝床まで近いの!?」
ヴェルが低い声で言う。
『寒そうでしたので』
「寒いのは小屋全体でしょ。なんでおじさんだけ包むのよ」
『シュウさんが一番、寝ていなさそうでした』
正しい。
正しいが、今言われると困る。
ミミルさんが蔓の仕切りの向こうから、こちらを見ていた。
薬売りの女性は、完全に面白がっている顔だ。
荷運びの若者は視線をそらしている。
護衛役の男は、何を見せられているのか分からない顔をしていた。
老人だけが、暖炉のそばでしわしわと笑った。
「若いのう」
「若くはありません」
ぼくは反射的に言った。
「四十前後です」
「そういう意味じゃなかろう」
薬売りの女性が言う。
やめてほしい。
非常にやめてほしい。
「シュウ様」
セラさんがぼくの顔を覗き込む。
近い。
「お顔が赤いですよ」
「これは暖炉の熱で」
「暖炉、反対側だけど?」
ヴェルがにやにやと見る。
「入口灯の反射です」
「入口灯も反対側」
「では、疲れで」
「じゃあ寝なさいよ」
「寝られる状態ではないと思うんですが」
右からセラさん。
左からヴェル。
足元にはフィオさんの蔓。
これで寝ろという方が難しい。
いや、客の前でこんなことを考えている時点で、ぼくが悪いのかもしれない。
セラさんは純粋に心配してくれている。
ヴェルは見張りとミミルさんのことを考えている。
フィオさんは寒さを気にしてくれている。
たぶん。
たぶん、そうだ。
そういうことにしておきたい。
「おじさん、顔」
「言わないでください」
「まだ何も言ってないんだけど」
「言いそうだったので」
ヴェルが楽しそうに笑う。
セラさんも、口元に手を添えている。
小屋の中の緊張は、いつの間にか少し緩んでいた。
人間客とミミルさんの距離は、まだ遠い。
護衛役の男も、ヴェルの腕輪を完全に忘れたわけではない。
ミミルさんも、人間客に近づこうとはしない。
それでも、誰も剣を抜かず、誰も外に出ず、同じ屋根の下で夜を越えようとしている。
ぼくが動けないことと引き換えに。
それは果たして正しいのか。
かなり疑問だった。
けれど、ミミルさんが蔓の仕切りの向こうで、少しだけ肩の力を抜いているのが見えた。
老人も暖炉のそばで目を閉じ始めている。
薬売りの女性が荷物を抱え直し、荷運びの若者が壁にもたれた。
護衛役の男は入口側に座り、武器箱を見える位置に置いたまま目を閉じる。
配置としては、これでいい。
完璧ではない。
でも、今夜は持つ。
修理で言えば、応急処置だ。
ぼくはそう考えて、目を閉じた。
閉じた。
すぐに開いた。
セラさんの肩が近い。
ヴェルが袖をつかんでいる。
フィオさんの蔓が足元を包んでいる。
心臓の音が、自分でもうるさい。
精密作業より難しい。
髪の毛より細い魔力回路を刻む方が、まだ気が楽だ。
「シュウ様、眠れませんか?」
セラさんが小声で聞く。
「いえ。眠れます。たぶん」
「たぶん」
ヴェルが小さく笑う。
「おじさん、女の子に囲まれる訓練してないもんね」
「普通はしないと思います」
『根っこで包まれる訓練も、普通はしませんね』
フィオさんまで参加してきた。
「そこは黙っていてください」
ぼくの声は、自分でも情けないくらい小さかった。
結局、その夜、ぼくはほとんど眠れなかった。
ただ、不思議なことに、小屋の中は大きく荒れなかった。
誰も武器箱を開けなかった。
ミミルさんは途中で小さく寝息を立てた。
人間客たちも、ぎこちないながら眠った。
入口灯は淡く光り、フィオさんの仕切りは静かに揺れていた。
ぼく一人だけ、左右と足元を固められたまま、朝を迎えた。
夜が白み、暖炉の火が小さくなった頃、老人が目を開けた。
そして、ぼくを見るなり言った。
「宿の主が一番寝不足じゃのう」
薬売りの女性が吹き出した。
荷運びの若者も、気まずそうに笑う。
セラさんが慌てて身を起こした。
「シュウ様、大丈夫ですか? 目の下が」
「大丈夫です」
「大丈夫そうには見えません」
ヴェルが袖を離し、そっぽを向く。
「おじさんが勝手に緊張してただけでしょ」
「そうかもしれません」
「認めるんだ」
「否定できる材料がありません」
『根っこ毛布、少し強かったですか?』
フィオさんの声が柱からした。
「少し、動けませんでした」
『では、次は逃げ道を作ります』
「次があるんですね」
セラさんが、申し訳なさそうに、でも少し笑いをこらえながら言った。
「客室が必要ですね」
「男女で寝る場所を分けるのも必要です」
薬売りの女性が続ける。
護衛役の男も、眠そうな顔で入口を見た。
「見張りの場所もな」
ヴェルが腕を組む。
「あと、おじさんを変なところで寝かせない場所」
「それはどういう場所ですか」
「ちゃんと寝る場所」
正論だった。
ぼくは目の下を指で押さえながら、小屋の中を見回す。
客室。
寝床。
見張りの場所。
荷物置き場。
武器箱。
そして、ぼくがちゃんと休む場所。
直すべきところは、まだまだある。
宿屋ではないと言い張るには、少し遅すぎるのかもしれない。
その時、入口灯がちりん、と小さく鳴った。
全員が、そちらを見る。
風か。
獣か。
それとも、また別の何かか。
ぼくは眠気で重い頭を振り、工具箱へ手を伸ばした。




