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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第3部

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第25話:なくなった荷物と疑われる客

「薬箱が一つ、足りない」


 薬売りの女性がそう言った瞬間、小屋の中の空気がまた硬くなった。


 せっかく武器を預ける箱を作ったばかりだ。


 剣は入口の箱に入った。


 小刀も、荷ほどき用の刃物も、印のついた木札と引き換えに預けられた。


 それで少しは落ち着いたと思った。


 けれど、今度は荷物だ。


 床に並んだ袋、包み、籠、杖、布。


 武器ではないものが、まだ小屋の中に散らばっている。


 薬売りの女性は、自分の荷を一つずつどけていた。


「小さい箱だよ。青い紐で縛ってある。爺さんの足に使う湿布と、傷薬が入ってる」


 老人が暖炉の近くで足をさすった。


 荷運びの若者も慌てて手伝う。


「この袋の下じゃないのか?」


「そこは見た。ない」


 女性の声に焦りが混じる。


 大金が入っているわけではない。


 でも、薬は旅では命に関わる。


 まして境界道だ。町まで安全に行ける保証はない。


 焦るのは当然だった。


 ミミルさんが、籠を胸に抱え直した。


 その小さな動きに、護衛役の男の目が向く。


「その籠」


 ミミルさんの耳が伏せた。


 ヴェルが一歩前に出る。


「何」


「さっきから抱えてるだろ」


「だから?」


「中を見せれば済む」


 ミミルさんの肩が震えた。


 籠を抱く手に力が入る。


「やめなさいよ」


 ヴェルの声が低くなる。


「まだ何も決まってないでしょ」


「薬がないんだ」


 護衛役の男も、声を荒げているわけではない。


 だが、焦っていた。


「見せるだけなら」


「見せたくないものだってあるでしょ」


「盗まれて困るものだってある」


 また、空気が割れそうになる。


 セラさんがすぐに間へ入った。


「決めつけるのは待ってください」


 その声はやわらかい。


 けれど、はっきりしていた。


 薬売りの女性も、唇を結んでいる。


 彼女はミミルさんを盗人扱いしたいわけではないのだろう。


 ただ、薬がない。


 その事実が不安を大きくしている。


 ぼくは一度、息を吸った。


「まず、現物を見ます」


 全員の視線がこちらに集まる。


「盗まれたとは、まだ決まっていません」


「でも、ないんだよ」


 薬売りの女性が言う。


「はい。だから、なくなった場所を見ます。最後に見た場所、置き方、紐の状態、床の傾き。そこからです」


 護衛役の男がミミルさんの籠を見る。


 ぼくは首を振った。


「ミミルさんの籠は、今は開けません」


「なぜ」


「見せたくないものを、疑いだけで開けさせるのは違います」


 ミミルさんが、はっとしたようにぼくを見た。


 ヴェルも、少しだけ目を丸くする。


「必要なら、あとで本人に聞きます。でも、まずは薬箱がどう動いたかを見ます」


 護衛役の男は納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。


 ぼくは薬売りの女性の荷の前に膝をつく。


「最後に見たのは?」


「武器箱を作る前だよ。こっちの大きい荷の横に、小さい箱を置いた。青い紐で縛ってあった」


「箱の形は?」


「手のひら二つ分くらい。角が少し欠けてる」


 ぼくは床を見た。


 大きな荷の下に、薬草の細かい屑が落ちている。


 それは不思議ではない。


 問題は、その横に細い紐の切れ端があったことだ。


 青い。


 端がほつれている。


 刃物で切られた感じではない。


 引っ張られて、古くなった繊維がほどけた切れ方だ。


「紐が切れています」


「切られたのかい」


「いえ。古くなっていたと思います。切り口がばらけています」


 ヴェルがすぐに言いかけた。


「ほら、違うじゃん」


「まだ決めません」


「え」


「違うと決めつけるのも、同じです」


 ヴェルは不満そうに口を閉じた。


 ぼくは床の粉を指でなぞる。


 薬草の粉。


 木箱の角がこすれたような浅い跡。


 そして、ほんの少しだけ床板が傾いている。


 この小屋は古い。


 直したとはいえ、床板のすべてが水平になったわけではない。


 荷を置いた場所から入口の方へ、わずかに下がっていた。


 小さな箱なら、紐が切れた拍子に滑ってもおかしくない。


「ここから、入口の方へ動いています」


 ぼくは床の傷を指で追った。


「ミミルさんの足跡とは、方向が違います」


 ミミルさんの足には、昨日巻いた布と支えがある。


 歩けば、床に少し擦れた跡が残る。


 その跡は、ヴェルのそばと暖炉の近くにあるだけだった。


 薬箱の跡とは重なっていない。


 薬売りの女性が、少しだけ表情を変えた。


「じゃあ、どこへ」


『床の下を、少し見ましょうか』


 柱の根元からフィオさんの声がした。


 細い根が、床板の隙間からそっと伸びる。


 ミミルさんが驚いて耳を立てた。


 人間客も一瞬身構える。


 フィオさんの根は、ゆっくりと床板の継ぎ目をなぞった。


『小さなものが、戸口の方へ動いたようです』


「場所は分かりますか」


『だいたいです。細かいところは、暗くてくすぐったいです』


 床下がくすぐったいという感覚は、ぼくにはよく分からない。


 けれど、方向は分かった。


 ぼくは入口の敷居近くへ移動する。


 床板の端に、わずかな隙間があった。


 そこに、青い紐の端が引っかかっている。


「ありました」


 薬売りの女性が息を呑む。


 ぼくは細い針を差し込み、慎重に引き出した。


 小さな薬箱が、敷居の影から出てくる。


 蓋が半分開いていた。


 中の薬包が少しこぼれている。


 それから、箱の角に小さなかじり跡があった。


「これは……」


 荷運びの若者が覗き込む。


 入口の外、土の上に、小さな足跡がいくつか残っていた。


 森にいる小動物だろう。


 薬草の匂いにつられて、箱を引いたのかもしれない。


「盗みではありません」


 ぼくは言った。


「紐が古くて切れた。床の傾きで滑った。薬草の匂いに小動物が寄って、ここまで引いた。たぶん、そうです」


 薬売りの女性は、薬箱を受け取った。


 蓋を開け、中身を確認する。


「湿布は無事だ。傷薬も……少しこぼれただけだね」


「薬包は包み直します。箱の留め具と紐も直します」


 ぼくは乾いた布を出し、こぼれた薬包をまとめた。


 箱の蓋は、留め金が少し緩んでいる。


 青い紐はもう使わない方がいい。


 ミミルさんが昨日出してくれた余り紐の切れ端を見て、ぼくは一度手を止める。


 勝手に使ってはいけない。


「ミミルさん。この紐を少し使ってもいいですか」


 ミミルさんは、自分の籠を抱えたまま、小さくうなずいた。


「……いい」


「ありがとうございます」


 ぼくは新しい紐を通し、留め具の当たりを調整した。


 薬箱を閉じる。


 軽く振っても、蓋は開かない。


「これで大丈夫です。ただ、床に直置きはやめた方がいいです」


「そうだね」


 薬売りの女性は、薬箱を抱えたままミミルさんを見た。


 少し迷ってから、頭を下げる。


「悪かった」


 ミミルさんは、びくりとした。


 ヴェルはまだ不満そうに女性を見ている。


 護衛役の男も、気まずそうに口を開いた。


「……悪かった」


 ぼくの方を見る。


 ぼくは首を横に振った。


「謝る相手は、ぼくではありません」


 男はさらに気まずそうな顔になる。


 そして、ミミルさんへ向き直った。


「疑った。悪かった」


 ミミルさんは、籠を抱えたまま何も言わなかった。


 ただ、小さくうなずく。


 許した、というより、これ以上怖いことを言われたくない、といううなずきにも見えた。


 疑われた方が、すぐ平気になるわけではない。


 そこを急がせてはいけない。


 ヴェルも、同じことを感じたのかもしれない。


 怒った顔のままだったが、何も言わなかった。


 セラさんが静かに息をつく。


「荷物にも、印が必要ですね」


「はい」


 ぼくは床に置かれた荷物を見た。


「荷物は床に置きっぱなしにしない。誰の荷物か分かるように札をつける。なくなった時は、まず置いた場所と、壊れたところを見る。疑う前に、宿側に声をかける」


「また宿屋らしくなりましたね」


 セラさんが言う。


「まだ仮です」


「はい。仮の荷物札ですね」


 楽しそうに言われると、反論しづらい。


 セラさんは、武器預かり札と同じように、荷物用の小さな印を宿帳代わりの板へ書き足していく。


 丸。


 三角。


 葉。


 車輪。


 杖。


 少しずつ、小屋の中のものに居場所ができていく。


 物の置き場所が決まると、人の立つ場所も少しだけ決めやすくなる。


 荷物を壁際へ寄せ、床を空ける。


 薬売りの女性の荷は丸の札。


 荷運びの若者の袋は車輪の札。


 ミミルさんの籠は葉の札。


 老人の包みは杖の札。


 たったそれだけで、さっきまで雑然としていた床が少しましになった。


 ましになった。


 だけど。


 ぼくは空いた床を見て、すぐに別の問題に気づいた。


 荷物を片づけても、寝床は増えない。


 人間客四人。


 ミミルさん。


 セラさん。


 ヴェル。


 ぼく。


 フィオさんは柱の根から声を出しているだけだが、それでも小屋の一部だ。


 人間客とミミルさんは離した方がいい。


 老人は暖炉の近く。


 護衛役の男は入口の近く。


 ミミルさんはヴェルの近く。


 セラさんは人間客のそばにいた方が安心される。


 では、ぼくはどこで休むのか。


 セラさんが、ぼくの顔を見た。


「シュウ様の休む場所がありませんね」


「ぼくは作業台の横で」


「だめです」


 即答だった。


 ヴェルも反応する。


「おじさんだけ床の隅とか、許さないから」


「いや、でも」


「でもじゃない」


 ミミルさんが、葉の札を抱えながらこちらを見ている。


 薬売りの女性は苦笑し、荷運びの若者は気まずそうに頭をかいた。


 老人が暖炉のそばで、しわがれた声を出す。


「宿の主が一番寝られんとは、変な小屋じゃのう」


 まったくその通りだった。


 次に直すべきなのは、荷物の置き場所だけではないらしい。


 寝る場所。


 それも、かなり急ぎで。



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