第24話:武器を預ける箱
結局、その夜は誰も深く眠れなかった。
小屋の中は静かだった。
けれど、静かすぎた。
誰かが寝返りを打つたび、床板がきしむ。
そのたびに、ミミルさんの耳がぴくりと動く。
入口の壁に立てかけた護衛役の剣が、薄い灯りを返す。
ミミルさんは、それを見るたびに肩を縮めた。
護衛役の男は、剣から手を離している。
でも、完全に安心しているわけではないらしく、時々ヴェルの腕輪を見る。
ヴェルの魔鎖は腕輪に戻っている。
それでも、彼から見れば、あれはいつ伸びるか分からない武器なのだろう。
見えているから安心する人がいる。
見えているから怖い人もいる。
同じものなのに、立場が変わると意味が変わる。
ぼくはほとんど眠れないまま、入口の壁と、ヴェルの腕輪と、床に置かれた荷物を見ていた。
夜明け前。
暖炉の火が小さくなり、窓の外が少し白んできた頃、ぼくは起き上がった。
「何してるの」
入口のそばで座っていたヴェルが、眠そうな声で言った。
「箱を作ります」
「今?」
「今です」
ヴェルは目を細めた。
「武器を入れる箱?」
「はい」
それを聞いた護衛役の男が、すぐに顔を上げた。
「武器を手放せってことか」
「取り上げたいわけではありません」
「同じだろう」
ヴェルも腕を組んだ。
「あたしも反対」
「ヴェルも?」
「弱い側から武器を取り上げたら、強い側だけが得をするでしょ」
その言い方は、いつものわがままではなかった。
ヴェルはミミルさんを見ている。
小柄で、足を痛めていて、まだ人間客を怖がっているミミルさん。
彼女のそばに武器がない状態で、人間側だけが剣を持つ。
それは確かに、安心ではない。
「その通りです」
ぼくが言うと、ヴェルは少し驚いた顔をした。
「え」
「弱い側だけから武器を取るなら、それはだめです」
「……分かってるならいいけど」
「だから、全員です」
今度は護衛役の男が渋い顔をする。
「俺は護衛だ」
「分かっています」
「必要な時に抜けなきゃ意味がない」
「それも分かります」
ぼくは入口の壁に立てかけられた剣を見る。
「取り上げたいんじゃありません。寝る場所では、全員の手を空けたいんです」
小屋の中が静かになる。
「武器を抱えて眠ると、怖がった誰かが先に動いてしまうかもしれない。剣を持つ人も、鎖を持つ人も、刃物を持つ人も。だから、寝る場所では手から離す。でも、誰のものか分かるようにして、必要な時には返せるようにする」
薬売りの女性が、腕を組んだままうなずいた。
「理屈は分かるね」
「あたしの薬切り小刀も入れるのかい」
「寝る時は、お願いします」
「厳しい宿だ」
「宿では」
言いかけて、やめる。
もう、その言い訳は弱い。
客を入れ、水を出し、寝床を決め、武器の置き場所まで考えている。
宿ではない、と言い続ける方が難しくなってきた。
セラさんが起き上がり、髪を整えながらこちらへ来た。
「シュウ様、何が必要ですか」
「壊れた木箱と、余り板。曲がった釘と、古い蝶番があれば。あと、木片をいくつか」
「札にするのですね」
「はい。誰のものか分からなくなると揉めます」
セラさんはすぐに動いた。
小屋の隅に置いてあった壊れた木箱を出し、板を並べる。
荷運びの若者が、眠そうな顔で手を挙げた。
「板を押さえるくらいならやる」
「助かります」
薬売りの女性は、自分の荷から古い革紐を一本出した。
「これ、切れかけだけど使えるかい」
「十分です」
ミミルさんは、少し迷ったあと、昨日直した籠から余った細い紐を取り出した。
「……これ」
「使っていいんですか」
ミミルさんは小さくうなずく。
「ありがとう」
ぼくが受け取ると、ミミルさんはすぐにヴェルの後ろへ隠れた。
ヴェルがちらりと見下ろす。
「隠れなくていいでしょ」
「……うん」
「言うだけ無駄ね」
そう言いながら、ヴェルは木箱の反対側を押さえてくれた。
不満げな顔をしている。
でも、押さえる力はしっかりしていた。
ぼくは壊れた木箱を見た。
側面にひび。
底板は一枚浮いている。
蓋の蝶番は片方が曲がり、もう片方は釘が抜けかけている。
鍵はない。
金庫にはならない。
けれど、今必要なのは金庫ではない。
全員が見える場所に置けて、勝手に開ければ分かって、誰のものか間違えない箱。
まず、底板を押さえる。
浮いた板を無理に締めると割れるので、余り板を内側に当てる。曲がった釘は真っ直ぐには戻しきれないが、短く切れば使える。
釘の頭を叩くたび、小屋の中に乾いた音が響いた。
ミミルさんが少し驚く。
護衛役の男も反射的にこちらを見る。
「大きい音はこれで最後にします」
「別に怖がってない」
ヴェルが言った。
「ヴェルには言ってません」
「分かってるし」
耳が少し赤い。
ぼくは蓋の蝶番を外し、曲がりを直す。
完全には戻らない。
だから、蓋を軽くする。
余り板を薄く削り、重い部分を外す。落ちて指を挟まないよう、革紐で開きすぎを止める。
箱の中は二段に分けた。
下に長いもの。
上に小刀や短い刃物。
ヴェルの魔鎖は腕輪から外せないので、入れるものはない。ただし、寝る時には鎖を伸ばさないことと、腕輪を布で覆うことにする。
「あたしだけ布?」
「見えているだけで怖い人がいます」
「あいつの剣も怖いんだけど」
「だから箱に入れます」
ヴェルはむっとした顔で、しかし何も言わなかった。
次に、低級魔石の欠片を取り出す。
入口灯から伸ばした細い銅線を、箱の蓋の内側へ通す。
大げさな仕掛けではない。
蓋を乱暴に開けると、入口灯が小さく鳴る。
それだけだ。
開けられないわけではない。
壊そうと思えば壊せる。
けれど、みんなが寝ている小屋で、勝手に開ければ誰かが気づく。
今はそれでいい。
「勝手に開けたら、灯りが鳴ります」
ぼくは箱を軽く叩いた。
入口灯が、ちりん、と小さく震えた。
ミミルさんの耳がぴんと立つ。
「大きな音ではありません。みんなが気づくくらいです」
護衛役の男が箱を見る。
「開けようと思えば開くな」
「開きます」
「それでいいのか」
「ここは牢屋ではないので」
言ってから、自分でも少しだけ驚いた。
でも、そうだ。
ここは武器を奪って閉じ込める場所ではない。
安心して眠るために、少しだけ手を離してもらう場所だ。
セラさんは、横で木片を並べていた。
「シュウ様、印はどうしましょう」
「字が読めなくても分かるものがいいです」
セラさんは少し考え、木片を指で分けた。
「丸、三角、葉、車輪、星……このあたりでしょうか」
「いいですね」
手際よく木片を分けていくセラさんは、もう半分くらい宿屋の受付の人に見えた。
本人はそんなつもりはないのだろうが、客の名前と荷物と印を自然に結びつけている。
ヴェルが、それを横目で見て、少しだけ頬を膨らませた。
「なによ。あんただけ、宿屋の女将さんみたいな顔して」
「まあ。ではヴェルさんは、こちらの木札を小さく切り分けていただけますか? シュウ様のお手伝いです」
「シュウの手伝い?」
ヴェルの目つきが変わった。
「それなら、あんたよりあたしの方が上手にできるし」
黒い鎖が伸び、木片をまとめて押さえる。
そこまではよかった。
次の瞬間、ヴェルは勢いよく刃を入れようとした。
「待って。そんなに強く削ったら、札じゃなくて薪になります」
「ま、薪にはしないわよ!」
「今の力加減だと、かなり薪寄りでした」
ヴェルはむっとした顔で手を止める。
セラさんは口元に手を添え、楽しそうに笑っていた。
ぼくは魔石の欠片を軽く熱し、木札に焦げ目をつけた。
同じ印を、箱の内側にもつける。
丸は薬売りの女性。
三角は護衛役の男。
車輪は荷運びの若者。
葉はミミルさん。
星は、ぼくの工具用。
セラさんは、薄い板を宿帳代わりに使い、そこへ名前と印を記録していく。
「お名前をいただいても?」
セラさんがミミルさんに聞いた。
ミミルさんの耳が伏せる。
「……名前、書くの?」
「嫌なら、呼び名でも、印だけでも構いません」
ぼくが言うと、ミミルさんは少しだけほっとした顔をした。
「葉で」
「では、葉の印で」
セラさんが、やわらかくうなずく。
名前を書く。
それだけでも、怖い人がいる。
知らなかった。
宿帳一つ作るにも、考えることは多い。
箱ができると、最初に誰が入れるかで少し空気が止まった。
護衛役の男は、剣を見ている。
ヴェルは男を見ている。
ミミルさんは、箱を見ている。
「人間が先に入れなさいよ」
ヴェルが言った。
護衛役の男の眉が動く。
「なぜ俺が」
「一番大きい武器持ってるから」
「護衛だからだ」
「だから怖いんでしょ」
またぶつかりそうになる。
ぼくは工具箱を開いた。
「まず、ぼくの刃物から入れます」
「おじさんの?」
「はい。宿側も例外にしません」
小刀。
細い削り刃。
針のような工具。
全部を入れるわけにはいかない。修理に必要な工具までなくすと、何かあった時に困る。
けれど、寝る場所に置いておく必要のない刃物は箱へ入れた。
星の札を自分の手元に置く。
それを見て、護衛役の男が渋々剣を外した。
「……見える場所に置くんだな」
「はい。入口の近く。あなたからも見える場所です」
「必要な時は」
「ぼくに声をかけてください。緊急なら、あなたが開けても構いません。ただし、灯りが鳴ります」
「分かった」
剣が箱へ入る。
金属の重い音がした。
ミミルさんの肩が、少しだけ下がる。
薬売りの女性は小刀を入れ、丸の札を受け取った。
荷運びの若者は荷ほどき用の刃物を入れ、車輪の札を受け取る。
ヴェルは腕輪をじっと見た。
「これは外せない」
「外さなくていいです」
ぼくは布を一枚差し出した。
「寝る時だけ、少し覆ってもらえますか」
「……弱く見える」
「見え方の問題です」
「それが嫌なの」
ヴェルはそう言いながらも、布を受け取った。
腕輪を完全に隠すのではなく、黒い鎖がすぐ伸びる部分だけを覆う。
「これでいいでしょ」
「助かります」
「おじさんが困るからやるだけ」
ミミルさんが、ヴェルをじっと見ていた。
「なに」
「……ありがとう」
「あたしに言わないで。箱作ったのはおじさん」
「でも、怖くなくなった」
ヴェルは一瞬黙った。
それから、ぷいと横を向く。
「なら、ちゃんと寝なさい」
やはり、優しい。
本人に言うと怒るので、言わないでおく。
箱を入口近くに置く。
全員から見える。
でも、寝床のすぐそばではない。
入口灯の淡い光が、箱の蓋に当たっている。
セラさんが木札をまとめ、宿帳代わりの板へ印を書き足した。
「預けたもの、印、持ち主。まずはこれで記録しておきます」
「ありがとうございます」
「宿屋らしくなってきましたね」
「まだ仮です」
「はい。仮の宿屋ですね」
言い方が少し楽しそうだった。
ぼくは咳払いをする。
「今夜からの仮ルールです」
みんなの視線がこちらへ向く。
「寝る場所では、刃物や武器はこの箱に預けます。仕事や護衛で必要な時は、ぼくかセラさんに声をかけてください。勝手に開けたら入口灯が鳴ります。預けたものは、セラさんが記録します」
護衛役の男は不満げだが、剣が見える場所にあるせいか、何とか頷いた。
ヴェルも腕輪の布をいじりながら、黙っている。
ミミルさんは、葉の札を両手で持っていた。
ただの木片だ。
でも、自分のものがあると分かる印は、少しだけ彼女を落ち着かせているように見えた。
これで一つ、置き場所は決まった。
武器の置き場所。
名前の代わりになる印。
預けたものを記録する板。
どれも小さなものだ。
けれど、小屋の中の空気は、昨日より少しだけましになった。
ぼくは床に目を落とす。
そこで、また別の問題に気づいた。
薬売りの女性の荷。
荷運びの若者の袋。
ミミルさんの籠。
老人の杖と包み。
それらは、まだ床に雑然と置かれている。
荷物の置き場所が決まっていない。
武器は箱に入った。
でも、他の荷物はそのままだ。
「……あれ」
薬売りの女性が、自分の荷を見下ろした。
「どうしました?」
「薬箱が一つ、足りない」
小屋の中の空気が、また少し硬くなった。
ぼくは、床に散らばった荷物を見た。
次に直すべきなのは、どうやら武器だけではないらしい。




