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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第3部

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第21話:噂を聞いた人間客

 客が帰ったあとの小屋は、妙に広く感じる。


 いや、実際には広くなっていない。


 床はまだ軋むし、壁板の隙間からは朝の冷たい空気が入ってくる。寝床と呼んでいる場所も、板の上に布と干し草を重ねただけだ。


 それでも、昨日まではここに人が泊まっていた。


 ガルスさんが座っていた場所。


 旅人が杖を立てかけていた壁。


 セラさんが汁物を配っていた暖炉の前。


 そういう痕跡が残っていると、ただの小屋が少しだけ別のものに見えてしまう。


「……ここ、ほんとに宿屋みたいになってきたわね」


 入口のそばで、ヴェルが腕を組んでいた。


 生意気そうな顔をしているが、目は外の森と街道を交互に見ている。口では文句を言いながら、ちゃんと見張ってくれているのがヴェルらしい。


「宿屋というほどじゃないよ。屋根と水と、硬い寝床があるだけだ」


「それを宿屋って言うんじゃないの?」


「宿屋に失礼だと思う」


 ぼくは入口灯の台座を外し、魔石の曇りを布で拭いた。


 昨夜は長く灯していたから、魔力の流れが少し偏っている。明かりはつくが、結界の薄いところができていた。


 こういうものは、壊れてから直すより、壊れる前に触っておいた方がいい。


 人間でも道具でも、手遅れになる前が一番大事だ。


「シュウ様、お水の壺はまだ使えそうです」


 セラさんが浄水壺の中を覗き込んで言った。


 白い指先が壺の縁をなぞる。壺の底に沈めた小さな魔石が、淡く光っていた。


「昨日より濁りが少ない気がします。フィオさんの根が近くにあるからでしょうか」


『少しだけ、土の水を落ち着かせました』


 柱の根元から、のんびりした声がした。


 フィオさんの細い根が、床板の隙間から顔を出している。本人の姿は出ていないが、窓辺の若葉がゆっくり揺れた。


「無理はしないでくださいね」


『はい。無理はしません。ほんの少し、根っこでお手伝いです』


「根っこでお手伝いって、普通に聞くと怖いんだけど」


 ヴェルがぼそっと言う。


 フィオさんは気にした様子もなく、窓辺の葉をもう一度揺らした。


 小屋の横の畑では、昨日より少しだけ緑が増えている。


 畑というにはまだ頼りない。食料庫と呼ぶには、ずっと足りない。けれど、芽が出ているというだけで、寒々しかった小屋の周りが少し違って見えた。


 ぼくは入口灯を元の位置へ戻しながら、寝床の数を数える。


 一つ。


 二つ。


 無理をすれば三つ。


 昨夜の旅人一人ならどうにかなった。


 けれど、二人、三人と来たらすぐ足りなくなる。


「まずいな」


「何がですか?」


 セラさんが顔を上げた。


「寝床が足りません。あと布も足りない。食器も足りないし、鍋も一つしかない」


「急に宿屋っぽい悩みになってきましたね」


「だから宿屋じゃないんです」


「でも、シュウ様。困っている方が来たら、泊めてしまいますよね」


 セラさんが、やわらかく笑った。


 返事に困る。


 たぶん、顔にも出た。


 ヴェルがにやっと笑う。


「おじさん、自分のこと分かってる? 困ってるやつが来たら、絶対に放っておけない顔してる」


「そんな顔をしてるかな」


「してる。ものすごくしてる」


 否定したかったが、あまり自信はなかった。


 壊れた道具を見たら、直せるかどうかを考える。


 困っている人を見たら、何が足りないのかを考える。


 それはもう、癖みたいなものだ。


『シュウさん』


 フィオさんの声が、少しだけ低くなった。


『街道の方から、車輪の音がします。三つ……いえ、四つ。足音もいくつか』


「客?」


 ヴェルが入口へ顔を向ける。


 ぼくも外へ出た。


 境界道の方から、小さな荷車が一台、ゆっくりと森の入口へ近づいてくる。車輪の片方が少し傾いていて、軸が痛んでいるのが遠目にも分かった。


 荷車を引いているのは、日に焼けた若い荷運びの男。


 その横に、薬草の束を背負った中年の女性。


 後ろには、足を引きずる巡礼者らしい老人。


 そして、少し離れた位置に、剣を下げた護衛役の男がいた。


 四人とも、旅慣れてはいる。


 けれど、疲れていた。


 特に老人の足取りが重い。


 荷車が小屋の前で止まる。


 薬草を背負った女性が、警戒するようにこちらを見た。


「ここに、泊まれて道具も直せる小屋があるって聞いたんだが」


「……小屋はここです。ただ、宿屋というほどではありません」


 ぼくが答えると、女性は小屋を見上げた。


 入口灯。


 浄水壺。


 修理台。


 横の畑の芽。


 彼女の視線が、一つずつ動く。


「ガルスって商人が言ってたんだ。境界道に、変な修理屋の小屋があるって」


「ガルスさん……」


 やっぱり、あの人か。


「泊まれる。水が飲める。道具が直せる。飯も出る。あと、魔物を連れた変な修理屋だって」


「最後の部分は、できれば忘れてください」


 ぼくが言うと、荷運びの若者が少しだけ笑った。


 だが、護衛役の男は笑わなかった。


 彼の視線は、ぼくの後ろに向いている。


 ヴェルだ。


 黒い髪。


 小柄な体。


 けれど、人間とは違う気配。


 隠す気のない角と、背中の奥にある魔力の色。


 護衛役の男の手が、反射的に剣の柄へ伸びた。


 ヴェルの目が細くなる。


「何? 抜くの?」


「魔物だぞ」


 男の声には、恐怖と警戒が混ざっていた。


 ぼくは一歩、二人の間に入った。


「ここでは抜かないでください」


「だが」


「ヴェルです」


 ぼくは、できるだけ静かに言った。


「ここでは、ぼくの大事な仲間です」


 男の眉が動く。


 ヴェルも、少しだけ目を見開いた。


 言ったあとで、ぼくの方が少し恥ずかしくなる。だが、ここで言い直すと余計におかしい。


 セラさんが、すっと前へ出た。


「怖いと思うのは当然です」


 やわらかい声だった。


 責める声ではない。


「境界道を通る方なら、魔物を警戒するのは当たり前です。でも、ここでは誰も傷つけさせません。人間の方も、魔物の方も」


 護衛役の男は、まだ手を剣から離さない。


 けれど、抜きはしなかった。


 ヴェルが鼻を鳴らす。


「あたしだって、いきなり剣を抜く人間なんて信用してないし」


「ヴェル」


「分かってる。抜いてないから噛みつかない」


「噛みつく前提で話さないでほしい」


 薬草の女性が、少しだけ肩の力を抜いた。


「……あんた、本当に変な修理屋なんだね」


「それは、あまり褒め言葉に聞こえません」


「褒めてるよ。たぶん」


 たぶん、が気になる。


 けれど、少なくとも剣が抜かれるよりはいい。


 ぼくは荷車の車輪へ目を向けた。


「それより、車輪の軸が痛んでいますね」


 荷運びの若者が、ぱっと顔を上げる。


「分かるのか?」


「傾き方が少し変です。あと、荷の重さが右に寄ってます。今のままだと、暗くなる前に外れるかもしれません」


「やっぱりか……」


 若者が肩を落とした。


「町までは持たせたいんですか。それとも、今夜ここで動かなければいいですか」


「できれば、明日の朝に町まで行きたい」


「なら、完全に直すより、町まで持つように補強します」


 ぼくは工具箱を取ってきた。


 車輪を持ち上げるため、ヴェルに目を向ける。


「ヴェル、少しだけ支えてもらえますか」


「人間の荷車を?」


「困っているなら、人間でも魔物でも同じです」


 ヴェルは口を尖らせた。


 けれど、魔鎖の腕輪から黒い鎖を伸ばし、荷車の軸を下から支えてくれる。


「今回だけだから」


「ありがとう」


「……ふん」


 護衛役の男が、その鎖を見てまた身構えた。


 だが、今度は剣へ手を伸ばさなかった。


 ぼくは車軸の下に膝をつき、割れかけた留め具を外す。


 木が乾きすぎている。


 金具も歪んでいた。


 ここを無理に締め直すと、町へ着く前に割れる。


 だから、力を逃がす場所を作った方がいい。


「セラさん、細い布を一枚。あと、水を少しお願いします」


「はい」


 セラさんがすぐに動く。


 ぼくは古い蝶番を薄く曲げ、割れ目を押さえる形に合わせた。そこへ湿らせた布を挟み、銅線で巻く。


 強く締めすぎない。


 弱すぎてもだめだ。


 使う人と、行きたい場所を考える。


 この荷車は、あと一日だけ走ればいい。


 それなら、今必要なのは立派な修理じゃない。


 明日の町まで壊れないことだ。


「よし」


 ぼくは車輪を軽く回した。


 まだ音はする。


 でも、さっきよりずっとましだ。


「これで町までは持つと思います。ただし、重い荷は右に寄せないでください。あと、坂道では押してください。引くだけだと、また軸に負担がかかります」


 荷運びの若者が、目を丸くした。


「……助かった。ほんとに助かった」


「まだ応急です。町に着いたら、ちゃんと車大工に見せてください」


「ああ」


 薬草の女性が、今度は薬箱を差し出した。


「こっちも見てもらえるかい。留め金が外れて、薬瓶が割れそうなんだ」


「見ます」


 ぼくが手を伸ばすと、ヴェルが小さくため息をついた。


「おじさん、また便利に使われてる」


「そうかな」


「そう」


 セラさんがくすりと笑う。


「でも、助かったお顔をされています」


「……まあ、それならいいけど」


 ヴェルはそっぽを向いた。


 薬箱の留め金は、片方の爪が欠けていただけだった。針金で仮の爪を作り、木片を削って当たりを調整する。


 箱を閉じると、かちりと音がした。


「強く振らなければ大丈夫です」


「器用なもんだね」


「直すものがある方が落ち着くので」


「変な人だ」


「今日はそれをよく言われます」


 気づけば、日がかなり傾いていた。


 森の影が、小屋の前まで伸びている。


 巡礼者の老人が、疲れた顔で杖に体重を預けていた。


 薬草の女性が、少し言いにくそうに口を開く。


「それで、だ。もし迷惑でなければ、一晩だけ泊めてもらえないかい。爺さんの足が思ったより悪い。夜の境界道で野営するよりは、ここで休ませたい」


 ぼくは小屋の中を振り返った。


 寝床は足りない。


 食器も足りない。


 食べ物も、余裕があるとは言えない。


 宿屋ではない。


 何度もそう思う。


 でも、老人の足を見る。


 荷車の軸を見る。


 護衛役の男の疲れた目を見る。


 この人たちを追い返したら、夜の境界道で何かあった時、ぼくはきっと後悔する。


「一晩だけなら」


 ぼくが言うと、セラさんが静かに頷いた。


「どうにかできます。水と温かいものを用意しますね」


「人間ばっかり泊めるの?」


 ヴェルが不満げに言った。


 ぼくは少し考えてから、答えた。


「困っているなら、人間でも魔物でも同じです」


 ヴェルは口を開きかけて、閉じた。


「……それ、おじさんらしいけどさ」


「嫌ですか」


「嫌じゃない。ちょっと腹立つだけ」


「腹立つんだ」


「人間にいい顔してるみたいで、むかつく」


 ヴェルはそう言ってから、ちらりと老人を見た。


「でも、足が悪いやつを追い返すのは、もっとむかつく」


 それだけ言って、入口の方へ歩いていく。


 護衛役の男が、少しだけ戸惑った顔をした。


 ぼくは客たちへ向き直る。


「ただし、条件があります」


「条件?」


「寝床は選べません。食事も簡単なものだけです。支払いは、金貨でなくても構いません。食料、薬草、修理材料、境界道の情報。払える形でお願いします」


 薬草の女性が頷く。


「それでいい」


「それと」


 ぼくは護衛役の男を見る。


「小屋の中では、武器を抜かないでください」


 男の表情が固くなる。


「魔物がいるのにか」


「ヴェルも抜きません。あなたも抜かない。それができないなら、泊められません」


 自分で言っていて、少し驚いた。


 ぼくは宿屋の主人ではない。


 強い戦士でもない。


 でも、ここで誰かが武器を抜いたら、この小屋は安心して眠れる場所ではなくなる。


 それだけは、嫌だった。


 護衛役の男はしばらく黙った。


 やがて、ゆっくり頷く。


「……分かった。抜かない。そっちが先に手を出さない限りは」


「出させません」


 ぼくが言うと、ヴェルが入口から顔だけ向けた。


「おじさんが言うならね」


 セラさんが、小さく息をついた。


 張りつめていた空気が、少しだけ緩む。


 客たちを小屋へ入れる。


 やはり、狭い。


 荷物を置くだけで、床が半分埋まる。老人を暖炉の近くに座らせ、荷運びの若者には水を運んでもらう。薬草の女性は、支払い代わりに使えそうな薬草をいくつか出してくれた。


 護衛役の男だけは、入口に近い壁際に立ったままだ。


 ヴェルとは、できるだけ距離を取っている。


 ヴェルもヴェルで、わざと気にしていない顔をしているが、耳と尻尾の動きが落ち着かない。


 セラさんが二人の間に水を配る。


 誰にも偏らないように。


 人間にも、ヴェルにも、同じように。


 ぼくは寝床の数をもう一度数えた。


 一つ。


 二つ。


 無理をすれば三つ。


 客は四人。


 ぼくたちは三人と、柱のあたりに根を伸ばしているフィオさん。


 足りない。


 まったく足りない。


 これは、本当に宿屋の真似事をしている場合じゃないのかもしれない。


『シュウさん』


 柱の根元から、フィオさんの声がした。


 いつもより少しだけ、葉の音が硬い。


『森の方から、誰か来ています』


 ぼくは顔を上げた。


 ヴェルも、すぐに入口へ目を向ける。


「人間?」


『違うと思います』


 フィオさんの根が、床板の下でかすかに震えた。


『怖がっています。急いでいます。人間ではない方です』


 小屋の中の空気が、一瞬で変わった。


 護衛役の男の手が、また剣の柄へ伸びる。


 ヴェルの目が細くなる。


 セラさんが老人の前にそっと立った。


 ぼくは入口灯を見た。


 さっき調整したばかりの魔石が、淡く揺れている。


 まだ宿屋ではない。


 そう思っていた。


 けれど、どうやら境界道は、こちらの都合を待ってくれないらしい。



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