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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第2部

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第18話:木の精霊、畑を作る

 大樹の応急処置を終えて、小屋へ戻る頃には、ぼくの手は泥と樹液でべたべたになっていた。


 ヴェルは何度も森の奥を振り返っている。


 素材狩りたちが戻ってくる気配は、今のところない。


 でも、完全に安心できるわけではない。あの連中は「次は道具を増やして来る」と言っていた。大樹もまだ応急処置をしただけだ。


 それでも、小屋が見えた時、少しだけ息が抜けた。


 古い扉。


 淡い入口灯。


 修理したばかりの荷車の跡。


 昨日より少しだけ、人が戻れる場所に見える。


『こちらまで、根を伸ばしますね』


 耳ではなく、足元の土から聞こえるような声がした。


 フィオさんだ。


 彼女は大樹から完全には離れられない。けれど、細い根と淡い光だけは、小屋の近くまで届くらしい。


「フィオさん。無理はしないでください」


『無理ではありません。根っこは歩くのが得意です』


「根っこは歩かない」


 ヴェルが即座に突っ込んだ。


『では、土の中をゆっくりお散歩します』


「それもどうなの」


 セラさんが小さく笑った。


 その瞬間、小屋の裏手の地面が、かすかに揺れた。


 大きな揺れではない。


 硬く固まっていた土が、内側から少しずつほぐれていくような揺れだ。乾いた表面に細いひびが入り、その隙間から湿り気のある土の色が見える。


 ぼくはしゃがみ込み、土を指でつまんだ。


「昨日と違う」


「何が?」


 ヴェルが横から覗く。


「固すぎた土が、少しほぐれています。水が通る隙間ができている。これなら根が伸びやすい」


 指の腹でこすると、固い塊のまま割れるのではなく、細かくほぐれて指の隙間から落ちた。乾きすぎてもいない。握ればまとまり、離せば崩れるくらいの湿り気がある。


『この辺りの土は、ずっと踏まれて固くなっていましたから』


 フィオさんの声が、のんびり響く。


『少しだけ、息をしやすくしました』


 小屋の床が、こつん、と鳴った。


 まるで、くすぐったいと言っているようだった。


「小屋も反応してますね」


 セラさんが微笑む。


「くすぐったいのかもしれません」


「小屋がくすぐったいって何よ」


 ヴェルはそう言いながら、床の鳴ったあたりをちらりと見た。


 フィオさんの根は、小屋の裏手から横へ、ゆっくり広がっていく。


 ただ土を掘り返すわけではない。


 水の通り道を作り、固いところをほぐし、石が多すぎる場所を避けている。力任せではなく、土に聞きながら整えているように見えた。


『森のみんなから、少しずつ分けてもらいました』


「分けてもらった?」


『落ちた種。余っている種。鳥さんが落としていった実。根っこが覚えている薬草の眠り場所』


 フィオさんの声は穏やかだった。


『森を削るのではなく、森が余らせているものを少しだけ』


 ぼくはほっとした。


 助けたお礼だからといって、森を無理に削っているわけではないらしい。


 フィオさんは、本当に森の世話役なのだ。


 小屋の横の土から、小さな芽が出た。


 ひとつ。


 ふたつ。


 それから、少し離れたところにも。


 丸い葉の芽。細い葉の芽。赤みのある茎。小さな薬草らしい若葉。


 さらに小屋の裏手では、低木のようなものが二本、ゆっくりと顔を出した。


「すごい……」


 セラさんが両手を合わせる。


「これで、温かいものに少し青いものを入れられますね」


 最初に出る感想が、食事のことなのがセラさんらしい。


 でも、ぼくも同じことを考えていた。


 保存食だけで作る汁物は、体は温まるが味気ない。青い葉が少しあるだけで、ずっと食事らしくなる。


「薬草もありますか?」


『はい。強い薬ではありませんが、すり傷や疲れた根っこには効きます』


「根っこ以外にも効きますかね」


『たぶん』


「たぶん」


 ぼくとヴェルの声が重なった。


 フィオさんは楽しそうに笑った。


 その間にも、芽は増えていく。


 小屋の横だけではない。


 裏手まで、列のように土が柔らかくなり、ところどころに小さな芽が並んでいく。


 ぼくは立ち上がり、全体を見渡した。


 これは。


「さすがに、これは家庭菜園ではないと思います」


『小さめです』


「木の基準で小さめって言うな」


 ヴェルが言った。


 確かに、森全体から見れば小さめなのだろう。


 けれど小屋の裏手から横まで広がったこの範囲は、ぼくたち三人が世話するには十分に大きい。畑と呼ぶにはまだ荒いが、家庭菜園と呼ぶには広すぎる。


「通路を作らないと、水をやる時に踏みますね。あと、獣よけも必要です。柵もいる。薬草と食用の葉は分けた方がいい。根菜みたいなものがあるなら、掘る場所も決めないと」


「おじさん、顔が真剣」


 ヴェルが呆れたように言う。


「管理しないと、すぐ荒れます」


「さっきまで木を直してたのに、今度は畑?」


「ぼくもそう思っています」


 やることが増えた。


 寝床。入口灯。浄水壺。修理台。大樹の補修。そして畑。


 なのに、不思議と嫌ではなかった。


 直したものが、次の暮らしにつながっている。


 それが目に見える。


「木のくせに、やりすぎ」


 ヴェルが腕を組んで、芽の列を睨む。


『根っこは広がるものですから』


「小屋の周りまで勝手に広がらないでよ」


『控えめにしました』


「これで?」


 ヴェルの声には、少しだけ拗ねた響きがあった。


 フィオさんが小屋の周辺に自然に入り込んでいることが、気に入らないのかもしれない。


 ぼくはヴェルの方を見た。


「ヴェルが入口を守ってくれたから、ここまでできた」


「……別に、畑のために守ったわけじゃないし」


「うん。でも、助かった」


 ヴェルはそっぽを向いた。


 耳まで少し赤い。


「おじさん、そういうこと急に言うのやめて」


「え、すみません」


「謝るところでもないし」


 セラさんが微笑ましそうに見ていた。


 そのセラさんへ、フィオさんの声が向く。


『セラさんの水があると、この子たちは喜びます』


「わたしの水、ですか?」


『はい。やさしく染みる水です』


 セラさんは少し照れたように、手に持っていた小瓶を見た。


「それなら、毎日少しずつお水をあげます」


『ありがとうございます。無理のない分だけで』


「はい。無理のない分だけ」


 セラさんの声が、いつもより明るい。


 自分にできることがある。


 そう感じているのだと思う。


 その明るさを見て、ぼくも少し安心した。


 だが、すぐにフィオさんの光が薄くなった。


 芽の動きも止まる。


 輪郭が透けて、向こう側の大樹の樹皮まで見える。声はのんびりしているのに、姿は今にも木漏れ日に溶けそうだった。


「フィオさん」


『少し、張り切りました』


 声は変わらずのんびりしている。


 でも、明らかに弱っている。


「今日はここまでです」


『もう少しだけなら』


「だめです」


 ぼくが言う前に、セラさんがきっぱり言った。


 ヴェルもうなずく。


「そうよ。倒れたら、あたしたちがまた怒られるんだから」


『怒られるのは、困りますね』


「怒るのはこっち」


 フィオさんの声が、柔らかく笑った。


『では、今日はここまでにします』


 土の下の気配が、ゆっくり落ち着いていく。


 小屋の柱の近くまで伸びていた細い根も、そこで止まった。


 柱が、こつん、と小さく鳴る。


『ときどき、お顔を出してもよろしいでしょうか』


「もちろんです」


 セラさんがすぐに答えた。


 ヴェルは腕を組んだまま、少し目を細める。


「小屋に根を張りすぎないでよ」


『では、控えめに絡まります』


「絡まるな」


 ヴェルの突っ込みに、セラさんが今度こそ笑った。


 ぼくもつられて笑いかけ、すぐに畑の方を見た。


 まだ芽が出ただけだ。


 収穫には時間がかかる。


 柵もない。通路もない。水やりの仕組みもない。獣よけも必要だ。


 でも、小屋の周りには、もうただの固い土だけではない。


 泊まれる場所。


 直せる場所。


 そして、少しずつ食べ物を育てられる場所。


 境界の小屋は、またひとつ、できることが増えた。


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