第16話:魔物側の素材狩り
森の奥から、枝を踏む音が近づいてくる。
ひとつではない。
重い足音が二つ。軽い足音が三つ。金具が揺れる音。瓶の中で何かがこすれる音。木を切る道具の刃が、鞘か金具に当たる低い音。
ヴェルが鎖に指をかけ、ぼくの前に半歩出た。
セラさんはフィオさんの前に立っている。
大樹の幹に浮かぶ光は、さっきより薄い。
フィオさんの輪郭も、今にも幹へ戻ってしまいそうに揺れていた。
「今日こそ根元まで抜くぞ。御神木材は高く売れる」
「軍の連中が欲しがってるんだ。枝一本でも残すなよ」
声とともに、茂みの向こうから五人が現れた。
人に近い姿の魔族が二人。獣の耳と爪を持つ男が一人。背中に硬い殻のようなものを背負った小柄な魔物が二人。
全員、斧や鋸を持っていた。
黒い杭を束ねた袋。
魔石を砕いた粉の入った瓶。
太い縄。
刃物はどれも、よく手入れされている。
だから余計に嫌だった。
雑な暴力ではない。何度も同じことをしてきた道具の光り方だ。木を読むためではなく、木のどこを切れば値がつくかだけを知っている手つきだった。
道具の種類だけで、何をしに来たのか分かる。
切る。
抜く。
縛る。
運ぶ。
彼らの目には、目の前の大樹も、そこに宿るフィオさんも、最初から荷物にしか見えていない。
「……ん?」
先頭の魔族の男が、ぼくを見て眉を上げた。
「なんだ、人間か」
それからヴェルを見て、にやりと笑う。
「魔物娘もいるじゃねえか。人間連れで森の奥まで来るとは、変わった趣味だな」
ヴェルの肩がぴくりと動いた。
ぼくは工具箱の取っ手を握り直す。
手のひらに汗がにじんでいた。
「ここから先は、通せません」
声が少し掠れた。
でも、言えた。
素材狩りの男が、斧を肩に担ぐ。
「通せない? 誰に言ってる」
「この木を切らせるわけにはいきません」
一瞬、沈黙が落ちた。
次の瞬間、彼らは笑った。
「木だろうが」
「御神木だの精霊入りだの言っても、切れば材だ」
「人間が魔物の森で木の味方か。面白いな」
笑い声が、乾いた森に響く。
フィオさんの光が弱く震えた。
セラさんが一歩前へ出る。
「この方は、切られていいものではありません」
「人間の女までいるのか」
獣耳の男が鼻を鳴らす。
「どけ。怪我したくなけりゃな」
セラさんの肩が小さく揺れた。
怖いはずだ。
それでも下がらない。
「どきません」
静かな声だった。
でも、芯がある。
ヴェルが鎖を鳴らした。
「あんたたち、ほんと最悪」
「なんだと?」
「魔物だからって、弱ったやつを素材扱いしていい理由にはならない」
先頭の男の目が細くなる。
「魔物のくせに、人間をかばうのか」
「人間をかばってるんじゃない。あんたたちが気に入らないだけ」
ヴェルの腕輪から、黒い鎖がするりと伸びた。
敵を倒すためではない。
根元に近づけさせないために、地面すれすれで揺れている。
ぼくは息を整えながら、相手の道具を見た。
大斧は幹を割るため。
鋸は枝を落とすため。
黒い杭は、さっき見た穴と同じ太さだ。
あれを根元に打ち込んで、魔力を抜く。
瓶は抜いた魔力を溜めるためだろう。
すぐに大樹を切り倒すわけではない。
まず杭を打つ。
なら、止めるべきは斧ではなく杭だ。
「ヴェル」
「なに」
「杭を持ってるやつの手元を止めて。倒さなくていい」
「倒さなくていいの?」
「倒すより、切らせない方が先」
ヴェルが一瞬だけ目を丸くした。
それから、口の端を上げる。
「そういうの、嫌いじゃないわ」
「セラさん」
「はい」
「フィオさんのそばで、水を。根元が乾きすぎています。少しずつでいいです」
「分かりました」
ぼくは工具箱を開けた。
銅線。
布。
低級魔石。
入口灯に使った魔石片。
ちゃんとした結界は作れない。
でも、杭が触れた時に光るくらいならできる。
強く防ぐのではなく、気づかせる。手元を狂わせる。大樹に打ち込む一瞬を遅らせる。
銅線を根の上に直接巻きつけると、かえって傷める。
だから根に触れない高さで、石と枝を支えにして低く張る。布で魔石片を包み、銅線の端を軽く噛ませる。入口灯のような安定した灯りにはならないが、異物が触れれば魔力が乱れて光るはずだ。
道具としては粗い。
でも、警告にはなる。
それでいい。
今ほしいのは勝ちではない。
時間だ。
「何をしてやがる」
素材狩りの一人が黒い杭を手に、根元へ近づいた。
ぼくは大樹の根元に銅線を走らせ、魔石片を布で固定する。
手が震える。
けれど止めない。
杭を持った男が踏み込む。
その瞬間、ヴェルの鎖が地面を走った。
「させない」
鎖は男の手首ではなく、杭の束へ絡みついた。
黒い杭がばらばらと落ちる。
「このガキ!」
男が斧を振り上げる。
ヴェルは受け止めなかった。
斧の柄へ鎖を巻きつけ、横へ引く。
刃が大樹から外れ、乾いた土を削った。
ぼくの張った銅線に、別の杭が触れる。
ぱち、と小さな光が走った。
強い光ではない。
でも、杭を打とうとした小柄な魔物がびくりと手を止めるには十分だった。
「なんだ、これ」
「触ると光るだけです」
ぼくは自分でも情けない説明をしてしまった。
だが、相手の手が止まった。
それでいい。
「光るだけなら邪魔にもならねえだろ!」
もう一人が強引に踏み込む。
セラさんが根元に水を注いだ。
大樹の光が、ほんの少しだけ戻る。
フィオさんが苦しそうに目を開け、細い蔓を一本伸ばした。
蔓は敵の足元に絡み、ほんの少しだけ歩幅をずらす。
それだけだった。
けれど、斧の狙いが幹から外れた。
刃が幹の横をかすめ、乾いた樹皮の表面だけを削る。
フィオさんの肩が、びくりと震えた。
セラさんがすぐに幹へ手を添える。
「大丈夫です。まだ、深くは入っていません」
その声は、フィオさんに向けたものでもあり、自分に言い聞かせるものでもあるようだった。
「フィオさん、無理しないでください」
「少しだけなら、根っこも働きたいのです」
フィオさんは、弱々しいのに、いつもの調子で言った。
セラさんが彼女のそばに膝をつく。
「今は、持たせるのが先です」
ぼくは銅線をもう一本張りながら言った。
素材狩りの男が舌打ちする。
「面倒な真似を」
「精霊が弱ってるうちに切れ。木が泣こうが材は材だ」
その言葉に、ヴェルの目が鋭くなった。
「もう一回言ってみなさい」
鎖が黒く伸びる。
飛び込もうとしたヴェルを、ぼくは声で止めた。
「ヴェル、杭!」
「……分かってる!」
ヴェルは歯を食いしばり、敵の喉元ではなく、足元の杭を弾いた。
黒い杭が草の上を転がる。
敵を倒すより、杭を止める。
怒っているのに、彼女はそれを守ってくれている。
ありがたかった。
同時に、申し訳なくもあった。
ぼくが戦えないから、彼女に我慢させている。
でも、今はそれしかない。
「くそ、やりづらい」
素材狩りの一人が後ろへ下がる。
「倒しに来ねえ。杭だけ狙いやがる。気持ち悪い戦い方しやがって」
先頭の魔族も、こちらを見て舌打ちした。
「変な仕掛けを張りやがって。人間のくせに、こそこそと」
「こそこそで十分です」
ぼくは汗を拭った。
「切らせないのが目的なので」
男の顔が歪む。
「なら、まとめて倒すだけだ。日暮れまでには根元まで抜く。支えるなら、お前らごと倒してやる」
素材狩りたちは、いったん距離を取った。
撤退ではない。
立て直しだ。
次は強引に来る。
ぼくでも分かる。
ヴェルが鎖を構えたまま、低く言った。
「追う?」
「追わない」
ぼくは首を振った。
「今は根元を見ます」
大樹の根元にしゃがむ。
さっきの防衛で杭は打たせなかった。
でも、元から開いていた杭跡からは、まだ魔力が漏れている。指先を近づけると、冷たい風のようなものが細く流れていた。
敵が戻る前に、ここを支えないといけない。
切らせないだけでは足りない。
このままでは、彼らが戻る前に大樹の方が持たないかもしれない。
「シュウ様」
セラさんが不安そうにぼくを見る。
フィオさんの輪郭はさらに薄くなっていた。
ぼくは工具箱を開け、残った材料を確認した。
足りない。
でも、何かはできる。
「今のうちに、根元を支えるものを作ります」
ぼくはそう言って、杭跡に手を伸ばした。




