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境界の修理屋-外れスキル《魔法道具作成》で宿屋を直していたら、世界の対立まで直すことになりました-  作者: 山賀 秀明
第1章:第2部

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第15話:御神木のドライアード

『……お願い……切らないで……』


 大樹の奥から聞こえた声は、風よりも細かった。


 ぼくは幹に触れたまま、慌てて首を振る。


「切りません。ぼくたちは、あなたを切りに来たわけじゃありません」


 声が止まった。


 幹の奥で、弱い魔力が震えている。


 怯えている。


 そう感じた。


「傷んでいるところを見に来ただけです。小屋の近くの葉が枯れていたので、原因を調べていて」


「誰があんたをこんなにしたの」


 ヴェルの声は低かった。


 怒っている。


 けれど、その怒りは大樹に向けたものではない。


 セラさんは両手を胸の前で合わせ、幹に向かってそっと語りかけた。


「大丈夫です。怖がらせたいわけではありません。わたしたちは、あなたを助けたいんです」


 木肌に、淡い光が浮かんだ。


 最初は、樹皮の隙間に朝日が差し込んだだけかと思った。


 けれど光は少しずつ集まり、幹の前で人の形を取り始める。


 緑と淡い金が混ざった長い髪。


 木漏れ日のような瞳。


 肌はほんのり透けていて、肩や腕には葉と蔓の意匠が浮かんでいる。胸元から腰にかけては、柔らかな若葉を重ねたような衣が揺れていた。


 おっとりした雰囲気の女性だった。


 ただ、その輪郭は薄い。


 足元は幹から離れきれず、今にも光へ戻ってしまいそうに揺れている。


「……切らない、のですか?」


 彼女が、ゆっくり瞬きをした。


「はい」


「根元からも?」


「切りません」


「枝も?」


「切りません」


「少しだけ、薪にしたりも?」


「しません」


 ぼくが答えるたびに、彼女の表情が少しずつほぐれていく。


 最後には、ほう、と息をつくように笑った。


「それは、よかったです。では……少し寝てもよろしいでしょうか」


「寝るな。説明しなさい」


 ヴェルが即座に突っ込んだ。


 ぼくも少し驚いた。


 さっきまで切られそうで怯えていた相手とは思えないほど、声がのんびりしている。


「あら。そうですね。寝てしまうと、たぶん夕方まで起きませんものね」


「夕方で済むの?」


「もしかすると、雨の日まで」


「幅が広すぎる」


 ヴェルが額を押さえる。


 セラさんは心配そうに一歩前へ出た。


「お体は大丈夫ですか?」


「体……ええと、この姿のことでしょうか。それとも、本体のことでしょうか」


「両方です」


「どちらも、あまり大丈夫ではありません」


 彼女は穏やかに言った。


 まるで、朝食の量が少し足りなかった、くらいの口調で。


「わたしはフィオレーネです。森のみんなからは、フィオと呼ばれています」


「フィオレーネさん」


「はい。あなたは、やさしい水の匂いがします」


 フィオさんはセラさんを見て、ふわりと微笑んだ。


 セラさんが少し驚いた顔をする。


「水、ですか?」


「はい。乾いた根に染みる、やさしい水です」


 それからフィオさんは、ヴェルへ視線を移した。


「あなたは……夜の根っこのような匂いがします」


「それ、褒めてるの?」


「落ち着く匂いです」


「なら、まあ……いいけど」


 ヴェルは微妙な顔で腕を組んだ。


 最後に、フィオさんの視線がぼくへ向く。


「あなたは、土に刺さった古い釘を抜いてくれる人の匂いがします」


「それは、褒め言葉ですかね」


「とても」


 分かるような、分からないような。


 けれど悪意がないことだけは伝わってくる。


「フィオさん。この大樹が、あなたの本体なんですか」


「はい」


 フィオさんは幹に手を添えた。


「この木は、わたしです。わたしは、この森の長……と呼ばれることもあります。でも、偉いわけではありません。森のみんなが迷子にならないように、根っこで手をつないでいるだけです」


 森の長。


 御神木の精霊。


 ガルスさんが言っていた境界の森の異変は、この木に関わっていたのだ。


「根は、土と水と魔力の流れを整えています。森の子たちが乾きすぎないように。小さな獣が道を失わないように。境界の道が、少しでも崩れにくいように」


「境界道まで?」


「はい。あの道は、人間の方も、魔物の方も、通りますから」


 フィオさんは微笑んだ。


「どちらの道でもありません。だから、どちらの足も沈みすぎないようにしていました」


 ぼくは大樹を見上げた。


 ただ大きな木ではない。


 この木は、境界の土地を支える柱のようなものだ。


 倒れれば、森だけでなく、小屋の周りにも影響が出る。


 小屋の扉や柱が落ち着かなかった理由も、たぶんそこにある。


「それで、誰がこんなことを?」


 ヴェルが幹の杭跡を睨む。


 フィオさんは困ったように首をかしげた。


「黒い杭を持った方たちです。森のみんなは、怖がっていました。わたしの根に杭を打って、魔力を抜いて、枝を選んでいました」


「選んで?」


「はい。よく乾いたところは薬に。魔力が多いところは杖に。幹は、軍の道具に使えると話していました」


 ヴェルの顔が険しくなる。


「やっぱり素材狩りじゃない」


「皆さんにも事情がありますから」


 フィオさんが、のんびり言った。


 ヴェルが目を剥く。


「そういう話じゃないでしょ。あんた、切られかけてるのよ」


「はい。とても困っています」


「困ってる顔じゃない」


「顔に出すのが、少し遅いのかもしれません」


 フィオさんは真面目に答えた。


 セラさんが思わず小さく笑いかけ、すぐに心配そうな顔に戻る。


 たしかに、のんびりしている。


 けれど、弱っているのも本当だ。


 姿の輪郭は薄く、話しているだけで、幹の光が少しずつ弱まっている。


「フィオさん。少し見せてもらってもいいですか」


「はい。切らないのでしたら」


「切りません」


 ぼくは大樹の周囲を歩いた。


 根元に残る杭跡。


 黒く変色した幹。


 魔力が抜けて乾いた土。


 傷は深い。けれど、一気に切り倒すための傷ではない。先に魔力を抜いて、木としての力を弱めている。そこへ刃物を入れれば、普通に切るよりずっと楽に倒せる。


 ひどいやり方だ。


 ただ壊すのではなく、壊れやすくしてから持っていく。


「どうですか、シュウ様」


 セラさんが不安そうに聞く。


「すぐ完全に直すのは無理です」


 フィオさんの瞳が少し伏せられる。


 ぼくは続けた。


「でも、持たせることはできるかもしれません」


「持たせる?」


「魔力が漏れているところを抑える。根元を支える。杭跡を塞ぐ。入口灯に使った仕組みを応用すれば、近づいてくる異物に反応する簡単な灯りも作れると思います」


 ぼくは幹に手を当てた。


「倒すか守るか、ではなくて。傷んだところを直して、もう少し踏ん張れるようにする」


 フィオさんが、ぼくをじっと見つめた。


「わたしを、木材ではなく、木として見てくださるのですね」


「木というか、生きている相手ですよね」


 自然にそう答えていた。


 フィオさんは、少しだけ目を見開く。


 それから、とてもゆっくり微笑んだ。


「はい。わたしは、生きています」


 幹から細い蔓が伸びた。


 それはぼくの手首にそっと触れる。


 弱々しい蔓だった。


 指で払えば切れてしまいそうなくらい細い。けれど、どこか温かい。


「戻ってきてくださいますか」


「戻ります」


 ぼくはすぐに答えた。


「小屋に材料を取りに行きます。銅線、低級魔石、布、板材、支柱にできる木材、水。あと、入口灯の余り部品も持ってきます」


「おじさん、本当に木を修理するつもりなのね」


 ヴェルが呆れたように言う。


「できるかは分からない。でも、何もしないよりはいい」


「そういうところ、ほんと……」


 ヴェルは言いかけて、口を閉じた。


 その代わり、フィオさんの蔓をじろりと見る。


「あと、木のくせに距離近すぎ」


「ヴェル」


「本当のことでしょ」


 セラさんも、なぜか少しそわそわしていた。


「フィオさんは、弱っていらっしゃいますから」


「セラ、それかばってるようで、ちょっと違わない?」


「えっ」


 フィオさんは二人のやりとりを不思議そうに見ている。


「距離が近いと、いけないのでしょうか。森では、根はよく絡まりますが」


「絡まるとか言わない」


 ヴェルが即座に言った。


 ぼくは少し顔が熱くなるのを感じて、慌てて咳払いした。


「と、とにかく、まずは材料を取りに戻ります」


 その時だった。


 森の外側から、枝を踏む音がした。


 ひとつではない。


 金具が触れ合う音も混じっている。


 ヴェルがすぐに振り向き、腕輪の鎖に手をかけた。


「来る」


 セラさんがフィオさんの前に立つ。


 大樹の光が、弱く震えた。


 遠くから、粗い声が聞こえる。


「今日こそ根元まで抜くぞ。御神木材は高く売れる」


「軍の連中が欲しがってるんだ。枝一本でも残すなよ」


 フィオさんの輪郭が薄くなる。


 蔓が、ぼくの手首にすがるように触れた。


 ぼくは工具箱の取っ手を握り直す。


 怖い。


 相手は複数いる。武器も持っている。ぼくは戦える人間ではない。


 奴隷商人の馬車の陰で、護衛の剣を見上げた時と同じだ。


 足はすくむし、喉は乾く。


 けれど、この木を見てしまった。


 ここに生きている相手がいると、知ってしまった。


 戦いに来たんじゃない。


 直すための時間を、これ以上壊されないようにするために来た。


「まずは、切らせないところからだ」


 ぼくはそう言って、大樹の前に立った。


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