第12話:壊れた道具は小屋の宝になる
ぼくは、壊れた結界灯を木箱の上に置いた。
作業台と呼ぶには低い。天板もがたつく。だが、床に直接広げるよりはずっとましだ。
結界灯は、手のひら二つ分ほどの古い灯りだった。外枠は歪み、魔石を受ける台座が斜めにずれている。中の銅線は一本切れ、反射板には黒い煤のような汚れがこびりついていた。
普通に見れば、もう使えない。
けれど、芯は折れていない。
灯りを作る仕組みそのものは、まだ死んでいない。
「まずは、これから直します」
ぼくが言うと、入口近くに座っていたガルスが片眉を上げた。
足首には、セラさんが巻いた布が当てられている。本人は平気そうにしているが、さっき荷車を動かした時にも少しかばっていた。今夜は無理に歩かせない方がいい。
「本当にそれを使うのか。町じゃ、修理に出すより新しい安物を買った方が早いって言われる代物だぞ」
「新しいものは、ここにはありませんから」
「まあ、そりゃそうだ」
ガルスは喉の奥で笑った。
セラさんは小屋の隅で、保存食を温める準備をしている。鍋と呼ぶには心細い古い容器に水を入れ、慎重に火の気を見ていた。
ヴェルは扉のそばに腰を下ろしている。
本人は警戒しているつもりなのだろう。けれど、赤い目はちらちらとこちらの結界灯を見ていた。
「そんな小さい灯りで何ができるの?」
「灯りとしては、あまり明るくならないと思う」
「だめじゃん」
「でも、入口に近づくものに気づきやすくするくらいなら、できるかもしれない」
「気づきやすく?」
「止めるんじゃなくて、気づくための灯りだよ」
ヴェルは納得していない顔をした。
小屋の棚が、きし、と小さく鳴った。
まるで、先を急かしているようだった。
「はいはい。順番にやるから」
「おじさん、小屋と会話し始めてない?」
「してない」
「今、返事したじゃん」
「古い家には、話しかけた方が調子がいい時があるんだよ」
「なにそれ」
ヴェルが呆れる。
ガルスは楽しそうに目を細めた。
「いや、分からんでもない。古い荷車も、声をかけながら使う方が長持ちする気がするからな」
「ガルスさんまで」
「道具商人だ。売り物には愛想よくするさ」
ぼくは苦笑しながら、木箱の中身を広げた。
壊れた結界灯が二つ。
ひび割れた魔石ランタン。
口の欠けた浄水瓶。
古い蝶番。
銅線。
釘。
防水布の端切れ。
低級魔石。
板材。
古い毛布。
保存食。
どれも立派な品ではない。
むしろ、町の店なら奥の棚に押し込まれて、そのうちまとめて処分されるものだろう。
だが、今のぼくたちには違う。
結界灯の枠は入口灯に使える。反射板は磨けばまだ光を返す。ひび割れた魔石ランタンは、魔石受けだけなら使える。浄水瓶の口は危ないが、中の濾し材は生きている。
蝶番と釘は、扉と棚に使える。
防水布は寝床の下に敷ける。
板材は、床の湿気を避ける台になる。
古い毛布は、今夜の命綱だ。
「普通は捨てる順番だぞ、それ」
ガルスが言った。
「まだ使えるところが残っています」
「あんた、壊れ物を壊れ物として見てねえな」
「壊れているところと、まだ使えるところを分けて見ているだけです」
「それが普通じゃねえって話だ」
ガルスは笑った。
「商人としては、そういう目は嫌いじゃねえ」
ぼくは返事をしながら、結界灯の外枠を外した。
錆びた小さな留め具を緩める。外枠を戻しすぎると割れる。だから、叩く場所を選ぶ。反射板を外し、乾いた布で煤を拭く。魔石受けは斜めにずれていたので、古い蝶番の薄い板を切って噛ませる。
銅線は切れている。
ガルスからもらった細い銅線を通し直す。
新品の線ではないが、魔力を通すには十分だ。ただし強く流せば焼き切れる。だから、明るく照らすためではなく、入口の空気を少しだけ整える程度に絞る。
「セラさん」
「はい」
セラさんが、鍋のそばから振り返った。
「この魔石、少しだけ澄ませてもらえますか。強くなくていいです。濁りを落ち着かせるくらいで」
「やってみます」
セラさんが近づき、結界灯の魔石にそっと指を添えた。
淡い光が、指先から魔石へ染み込む。
割れたわけではない。濁りが全部消えたわけでもない。ただ、ざらついていた魔力の流れが少しなめらかになった。
「これで、いかがでしょう」
「十分です。助かります」
セラさんはほっとしたように微笑む。
ヴェルが横からじっと見ていた。
「あたしは?」
「試験役」
「何それ。なんか嫌な予感する」
「入口に吊るしたら、少し乱暴に近づいてみて」
「あたしを罠にかける気?」
「本気で止められるほど強くないよ。たぶん」
「たぶんって言った」
ヴェルは不満そうにしたが、立ち上がった。
ぼくは直した結界灯を小屋の入口に吊るした。もともと釘の跡がある場所だ。古い小屋にも、昔は似たような灯りがあったのかもしれない。
低級魔石に魔力を流す。
小さな光が灯った。
明るくはない。
けれど、扉の周りだけ、夕方前のように薄く見える。風の通りが少しだけゆるむ。壊れた扉の隙間が、ふっと息を整えたように静かになった。
床が、こつん、と鳴る。
セラさんが目を細めた。
「小屋が喜んでいるみたいです」
「たぶん、気のせい」
「おじさん、まだそれで通す気?」
ヴェルが扉の外に出て、肩を回した。
「じゃ、行くわよ」
彼女はわざと乱暴に、扉へ向かって踏み込んだ。
結界灯が、ちか、とまたたく。
ヴェルの足元の影が、一瞬だけ黒い糸のように揺れた。鎖が反応する前に、彼女の足が半歩だけ止まる。
「……弱っ」
ヴェルはすぐに足を引き抜いた。
「これ、あたしを止めるには弱すぎ」
「本気で止めるものじゃない。気づくための灯りだよ」
「敵が来たら?」
「止められない。でも、近づいたことには気づける。寝ている時にそれがあるだけでも違う」
ガルスが腕を組んだ。
「境界道の小屋なら、それだけでも値がつく」
「値をつける話では」
「いや、値はつく。夜に近づくものに気づけるだけで、商人は金を払う」
そういうものだろうか。
いや、たぶん、そういうものなのだ。
ぼくたちは昨日の夜、小屋に入れただけでずいぶん救われた。扉があり、壁があり、敵意ある獣が入ってこなかった。それだけで眠れた。
それに灯りが加わる。
小さなことだが、小さすぎることではない。
「次は水です」
ぼくは口の欠けた浄水瓶を手に取った。
欠けた口は鋭く、飲み水を注ぐには危ない。瓶そのものもひびが入っている。水を溜めておけば、夜のうちに漏れるだろう。
だが、中に詰められた濾し材はまだ使えた。細かな砂、白い石、魔石片、炭のような黒い粒。それらが布で包まれて層になっている。
「瓶は使わないんですか?」
セラさんが聞く。
「水を入れるには危ないです。でも、中身は使えます」
ぼくは小屋に残っていた小さな壺を出した。
昨日は、ただ古いだけの壺だと思っていた。底にひびはない。口も欠けていない。内側を軽く洗えば、水を受けるには使える。
浄水瓶から濾し材を取り出し、壺の中に移す。布を重ね、魔石片を間に挟む。セラさんの澄ませる力が通りやすいよう、銅線を細く巻いて、壺の縁に留めた。
「これで万能、とはいきません」
「万能じゃないの?」
ヴェルが覗き込む。
「泥水をそのまま飲める水に変えるほどじゃない。森の水や雨水を、少し安全にするくらい」
「十分じゃない?」
「十分かもしれない」
ぼくが水を注ぐと、壺の底で小さく泡が立った。
セラさんがそっと触れる。
水の濁りがゆっくり落ち着いていく。さっきより、セラさんの光の負担が軽い。道具が、水の荒さを先に受け止めている。
「これなら、わたしだけが水を澄ませなくてもよくなりますね」
「セラさんに頼りきりにしないための道具です」
言ってから、少し照れくさくなった。
セラさんは、目を丸くしたあと、胸元のチョーカーに指を添えた。
「ありがとうございます。シュウ様は、いつもそういうふうに考えてくださるのですね」
「いや、道具の話で」
「おじさん、そういうところで女の子を落とすのずるい」
ヴェルがじとっと見てくる。
「落としてない」
「落としてる」
「落としていません」
「顔赤いし」
「これは、火のそばだから」
まだ火はちゃんとついていない。
自分でも苦しい言い訳だった。
ガルスが笑いをこらえているのが見える。見ないことにした。
次は寝床だ。
古い毛布は、薄く、ところどころ擦り切れている。だが、乾かせば使える。床に直接敷くと湿気を吸うので、板材を下に置く。
板材のささくれを削り、防水布を敷き、その上に毛布を重ねる。
簡易寝台というより、床から少し浮いた寝床だ。
「なんで客の寝床から作るの」
ヴェルが不満げに言う。
「怪我人だから」
「あたしたちも硬い床で寝たんだけど」
「だから、あとで二人の分も作る」
「あとで?」
「材料が足りる範囲で」
「やっぱり足りないじゃん」
ヴェルはぶつぶつ言いながら、板材を持ち上げた。
「どこ置くの」
「入口から見えすぎない場所。だけど、何かあった時に逃げやすい場所」
「面倒な注文」
そう言いながら、ヴェルはぴたりと良い位置に板を置いた。
入口からは少し隠れ、窓からは遠く、扉までは真っ直ぐ行ける。見張りの位置としても悪くない。
「黒髪の嬢ちゃん、気が利くな」
ガルスが言った。
「嬢ちゃんって言うな」
「じゃあ、ヴェル」
「急に呼び捨てにするのも腹立つ」
「難しいな」
ガルスは肩をすくめる。
ヴェルはそっぽを向いた。だが、寝床の板の位置は直さなかった。
セラさんは毛布を丁寧に畳み直している。擦り切れた面を外側へ、まだ柔らかい面を内側へ。保存食を温める手も止めない。水の壺も、火の近くに置きすぎない場所へ移している。
気づけば、彼女の周りだけ小屋の中が少し整っていた。
ヴェルは入口を見ている。
セラさんは中を整えている。
ぼくは道具を直している。
まだ決めたわけではないのに、役割のようなものが生まれ始めている。
「セラさん、無理しないでください」
「大丈夫です」
セラさんは微笑んだ。
「わたしにも、できることがあるのですね」
その言い方が少し寂しくて、ぼくは返事に迷った。
「あります。かなりあります」
「かなり?」
「水と食事と毛布の扱いは、ぼくよりずっと上手いです。ぼくがやると、たぶん全部工具の横に置きます」
「それは少し困りますね」
セラさんが小さく笑う。
ヴェルが鼻を鳴らした。
「別に、あたしは宿屋を手伝ってるわけじゃないし。おじさんが倒れたら面倒なだけ」
「うん。助かってる」
「……素直に礼を言わないでよ」
ヴェルは赤くなった顔をそむけた。
ガルスが、そんな二人を見ている。
「ここはもう、ただの避難小屋じゃねえな」
「まだ、ただの古い小屋です」
「灯りがある」
ガルスは指を折った。
「水が飲める。怪我人を床に寝かせなくていい。壊れた道具を見てもらえる。境界道じゃ、それだけで客は来る」
「そんな大げさな」
「商売の価値は、足りない場所にあるんだよ」
ガルスの声は軽いが、目は笑っていなかった。
「町なら当たり前のものでも、境界道じゃ金になる。屋根、水、灯り、修理。どれも足りねえ」
「金にするつもりで作っているわけでは」
「今はな」
その言い方が、少し引っかかった。
だが、反論する前に、小屋の棚がまたきしりと鳴った。
見ると、壁際に少しだけ空きができている。
いや、空きができたように見えた。古い木箱が、いつの間にか半歩ほどずれている。
「そこに置けばいいのかな」
ぼくは板材と木箱を組み合わせた。
小さな修理台だ。
木箱を二つ重ね、上に板を渡す。釘で軽く留め、銅線で揺れを抑える。片側の足りない高さは、古い蝶番と木片で調整した。
まだがたつく。
工房にはほど遠い。
それでも、床に膝をついて作業するよりはずっといい。
ぼくが工具を並べると、小屋の壁がかすかに鳴った。
棚の奥の食器も、こつんと答える。
「この小屋、客を選ぶだけじゃなく、仕事場も選ぶのか」
ガルスが笑う。
「選んでいるわけでは」
「あるだろ、これは」
「……古い小屋なので」
「その言い訳、便利だな」
ヴェルと同じことを言われた。
ぼくは修理台の上を軽く叩いた。
「入口灯、浄水壺、簡易寝床、修理台」
「名前を付けると売り物っぽくなるぞ」
ガルスが言う。
「売り物ではなく、小屋で使うものです」
「今はな」
「その言い方、気になります」
「商人だからな」
ガルスは悪びれない。
夕方が近づいていた。
森の影が濃くなり、窓の外の緑が暗く沈み始める。入口の結界灯にもう一度魔力を通すと、小さな光の輪が扉の周りに生まれた。
強い光ではない。
それでも、昨日の夜とは違う。
暗闇が、扉のすぐそばまで押し寄せてこない。
セラさんが、ほっと息を吐いた。
「少し、安心します」
「こんな小さい灯りで?」
ヴェルはそう言いながら、扉の近くに座り直した。さっきより肩の力が抜けている。
「小さい灯りほど、暗いところではよく見えるもんだ」
ガルスは簡易寝床に腰を下ろした。
「境界道でこの灯りは目印になる」
「目印になるのは、いいことばかりじゃないですよね」
「そうだな。客も来るが、面倒も来る」
ガルスは足首の布を押さえ直した。
「ただ、隠れて何もないよりはましだ。ここは、見つけてもらう価値がある」
ぼくは返事をしなかった。
見つけてもらう価値。
それは、少し怖い言葉だった。
町から追い出されたばかりのぼくたちに、目立つ場所を作る余裕があるのか。人間側にも魔物側にも居場所がないのに、誰かを受け入れる場所なんて作れるのか。
けれど、扉のそばにはヴェルがいる。
鍋のそばにはセラさんがいる。
ガルスは怪我をした足を休めている。
修理台の上には、まだ使える道具が並んでいる。
少なくとも、今夜はこの灯りが必要だ。
その時、森の奥で、小さな音がした。
枝が鳴ったのか。
獣が走ったのか。
それとも、もっと小さなものが葉の陰を通ったのか。
入口灯が、一度だけ淡くまたたいた。
ヴェルが顔を上げる。
「何かいる?」
「近い敵意ではないと思う」
ぼくは結界灯を見た。
強い反応ではない。警戒するほどではないが、何かが光に触れたような揺れ方だった。
ガルスが窓の外へ目を向ける。
「そういや、この森、最近少し変じゃねえか」
「変?」
「道具商人は森の専門家じゃねえ。ただ、境界道を往復してると分かることもある。鳥の声が減った。枝の落ち方が増えた。古い木が、妙に乾いてる」
セラさんの表情が少し曇った。
「木が、乾いている……」
「まあ、気のせいかもしれん」
ガルスは軽く言った。
けれど、入口灯はもう一度、ほんの小さく揺れた。
小屋の奥で、食器がかたりと鳴る。
怯えているのか。
何かを知らせているのか。
まだ分からない。
ぼくは、修理台と、入口灯と、浄水壺と、簡易寝床を見回した。
昨日より、水がある。
灯りがある。
寝床がある。
直すための台がある。
まだ宿屋とは呼べない。
それでも、昨日より少しだけ、ここは人がいられる場所になった。
「少し、家のようになりましたね」
セラさんが言った。
ヴェルがすぐにそっぽを向く。
「小屋でしょ」
「はい。小屋です」
セラさんは微笑んだ。
「でも、昨日よりずっと、あたたかいです」
ヴェルは何も言わなかった。
ただ、入口灯の下で、黒い鎖の巻きついた腕を抱え直した。
ガルスが寝床に腰を沈める。
「明日の朝、荷車の様子を見てくれ。ついでに、この小屋の使い道も考えようぜ」
「考えるだけなら」
「そう言う奴ほど、だいたい手を動かす」
「……否定しづらいですね」
小屋の奥で、また食器が鳴った。
まるで、もっと直して、と言っているように聞こえた。




