第八話 メカヲタ、潜入する(改訂版)
「——して、その新たな『守護竜』とやらは、結局どうなのだ?」
城塞都市ドラゴノート、駐留軍司令部の士官食堂。深夜にもかかわらず、長卓を囲む十数人の士官たちは、葡萄酒の杯を手に笑っていた。同席する数名の神官も、白い祭服の襟元を緩めて頬を染めている。
上座の中年士官——駐留軍副将ミカルが、向かいの情報官に問うた。情報官は酒を一口含んでから答える。
「斥候の最新の報告では、ごく小さな幼竜だそうです。生まれて間もない、4枚翼の——」
「4枚翼? 珍しいな」
「古代竜の特徴とされる血筋ですが、生まれたてでは何の意味も持ちますまい」
「儀礼の方は」
「省略です。継承の儀も、命名の儀も、何もかも」
長卓に、笑いが漏れた。
「ハハッ、命名すらされておらんのか」
「お披露目もなく、儀礼もなく、ただ『立った』とだけ」
「後継者が間に合わなかった訳か」
「左様で。新たな契約者の魔力で、半ば無理矢理引っ張り出したという観測です」
「『新たな契約者』とは、ドラグロード王の娘か」
「メルフィーナ王女、御年13。母親が死ぬ間際に、魔力を全て注ぎ込んだ娘ですな」
神官の一人が、わざとらしく額に手を当てた。
「ああ、女神よ。哀れなドラグロード王国に、かくも哀れな手段を執らせ給うか」
「儀礼すら満足に営めぬ国に、何ができましょう」
「神聖国に対抗するのに、生まれたての赤子を担ぎ出した。笑わせる」
「我ら勇者様の前には、どのみち塵芥よ」
副将ミカルが、酒杯を高く掲げた。
「諸君! ドラグロード王国の最後の悪足掻きに、乾杯!」
「乾杯ぃ!」
「先代の守護竜とやらは、まだ生きておるのか?」
「ええ、確認は取れております。山に引き籠もったきり降りて来ない無能ですよ。ようやく契約解除され、お役御免となった」
「ハハッ、13年前から既にお役御免だったろうにな」
「副将、そう仰るな。奴とて——」
「奴とて、なんだ」
副将が、若い士官のほうへ視線を向けた。
「ロロル、続けてみよ」
「いえ、その。先代の守護竜は契約者を失って尚、王都を守り続けた——という話を、市民から聞きまして」
長卓にまた、笑いが広がった。
「お前、酒場の与太話を真に受けるのか」
「ロロル、お前は若い。まだ伝承と現実の区別がついていないようだ」
副将が酒杯を置いた。
「現実を見ろ。あの国の現役騎士団は1000足らず、しかも先の戦で半数が消耗している。魔術師団の数は、今では100人に満たない。守護竜は世代交代の最中で、継承の儀礼すら間に合わなかった。一国を維持する三本柱、その全てが折れている」
副将が、指を一本ずつ折りながら数え上げた。
「それでもお前は、伝承の古代竜が、生まれたての状態で、その全てをひっくり返すと言うのか?」
「……仰る通り、です」
「分かれば、よろしい。まあ飲め」
ロロルは杯を口に運んだ。だが、目の奥だけは笑っていなかった。
副将の言うことは、論理的に正しい。全てが正しい。それなのに、なぜこんなにも不安なのか。
◇
雲の隙間から、月が僅かに覗いた。城塞都市ドラゴノートの上空を横切るように、何かが滑空する。
4枚の翼。尻尾の先まで黒く塗られた、ふわふわの体。夜空に溶ける、小さな影。
僕は街の上空を、ゆっくり一周していた。雲の多い夜を選んできた。黒く塗った体は、夜空に溶けている。尻尾の先まで、メルフィーナが念入りに塗ってくれた。
眼下に広がる、城塞都市ドラゴノート。13年前、神聖国に奪われた街だ。
街は寝静まっていた。だが、明らかに明るすぎる。十字路ごとに必ず一つ、等間隔に街灯が灯っている。これは民のための灯ではない、と前世の知識からすぐに分かった。逃げ出す者を見逃さないための灯。監視のための明るさだ。
街の中心に、神聖国の白い大聖堂がそびえていた。元はドラグロード王国の竜信仰の祠堂があった場所だ。今はその上に女神を象る塔が立ち、街全体を見下ろしている。
聖堂の隣の建物から、僅かにざわめきと笑い声が漏れていた。士官食堂、らしい。夜更けまで宴会が続いている。警戒が緩みきっている証だ。
僕の口元が、僅かに緩んだ。彼らが笑っていられるのは、明日の2時までだ。それまで、ご存分にどうぞ。
◇
聖堂裏手の資材置き場に、音もなく降下した。
建物の影に身を隠し、空属性インベントリから油樽を取り出す。本来なら「ドゴッ」と地面に落ちるはずの音を殺し、まるで最初からそこにあったように置いていく。インベントリを散々検証した僕にとって、この程度の微調整はもう手の内だ。
油樽、ひとつ。ふたつ。五つ。十個。
聖堂の壁際に、整然と並べていく。発火装置の起爆範囲は半径3メートル。一つで、十個すべてが同時に燃え上がる。
同じ作業を、兵舎の側でも繰り返す。2階の窓からは、まだ笑い声が漏れていた。副将らしき太い声が、また何かを自慢げに語っている。
その宴会の足元に油樽が30個並んでいることを、彼らは知らない。
物見塔の足元にも、配置完了。合計30個の油樽が、街の3箇所に分散して並んだ。これらすべてに、明日の深夜2時、火が回る。
神聖国の防衛網は、聖堂・兵舎・物見塔を結ぶ三角形の内側に集中している。三点が同時に燃えれば、彼らは消火と防御で手一杯になる。その混乱の中を、外から突撃車が城門を突き破る。空からは、アイアンゴーレム100機。
混乱する未来が、容易に想像できた。
◇
「ロロル、お前は早めに上がれ。明日も警邏だろうが」
副将の言葉に、ロロルは敬礼した。食堂の扉を閉めると、廊下の空気が急に冷えた。
古代竜。伝承。区別がついていない。副将の言葉が、頭の中で繰り返される。彼自身、副将の言うことは概ね正しいと思っている。伝承と現実は違う。古代の、遠い話だ。
だが——もし、伝承の通り古代竜が特別な存在だったら?
ロロルは、廊下の小窓から夜空を見上げた。雲の多い夜だ。月明かりはほとんど無い。何も見えない。当然だ。何も無い。無い、はずだ。
彼は首を振り、宿舎のほうへ歩き出した。
その時、彼が見上げた小窓のすぐ外を、4枚の翼を持つ小さな黒い影が、ふっと横切った。ロロルは、それに気付かなかった。
◇
街外れの廃屋。
戸を、決められたリズムで叩く。三回、二回、四回——小さな鼻先で、こつ、こつ、と。中から、同じリズムで返事が来た。
戸が内側から開く。中にいたのは、40代くらいの男だった。手は荒れ、肌は痩せ、農夫のように見える。だが目は——疲れ果てていながら、まだ生きていた。
僕がロウソクの僅かな明かりの中へトコトコと入ると、男の表情が止まった。黒く塗られた、ふわふわの幼竜。猫より少し大きい体。だが背には、見間違えようのない4枚の翼。
男が、片膝をついた。
「……守護、竜……様……」
男の目に、ゆっくりと涙が浮かぶ。小さく、頼りない、ふわふわの存在。だが間違いなく、13年待ち続けた、その方だった。
「……お待ち、しておりました……」
僕は男の前の床に、空属性インベントリから一枚の紙を取り出した。メルフィーナの筆跡で書かれた手紙だ。
『明日深夜2時、火を放ちなさい。ドラグロード王国は、貴方を、貴方の家族を、この街の全ての民を、必ず取り戻します』
男は紙を両手で押し頂き、何度も読み返し、最後に額へ当てた。肩が、震えていた。
「……生きていて、良かった……」
続けて、発火装置を三つ、テーブルへぽとん、ぽとん、ぽとん、と出す。それから、油樽の配置図をもう一枚。
男は地図を見た。元兵だ。一目見れば、作戦の意図はもう分かる。彼は無言で、深く頷いた。明日の2時、それで全てが動く。
僕は男の目を、じっと見た。言葉は無くとも、伝わるものはある。
男は紙を畳みながら、ぽつりと口を開いた。
「……妻は、3年前に亡くしました」
僕は何も言わず、ただ聞く。
「神聖国の徴収の折に。普段は物言わぬ妻だったのに、その日は、娘の食べ物をと声を上げて」
男は笑おうとして、失敗した。
「娘は、まだ生きております。まだ幼いあの子のためだけに、ここで生きてきました。……明日の朝、もしかしたら、あの子に本当のことを話せるのでしょうか」
僕は男の目をもう一度見て、頷いた。話せる。明日の朝、彼は娘の傍で、支配が終わる日が来たと告げることになる。必ず、その日は来る。
男が、深く頭を下げた。額が床につくほどに。僕はふわふわの尻尾を一度だけ、男の手に軽く触れさせて、廃屋を出た。
◇
夜の冷たい空気が、肺の奥に届いた。
作戦のためには、もうここを離れて帰投すべきだった。余計な行動は、見つかるリスクを増やす。僕は守護竜だ。感情で動いてはいけない。
——でも、足が止まった。
廃屋の裏路地。藁を積んだだけの掘っ立て小屋の、壁の隙間から、小さな声が漏れていた。
「……お兄ちゃん、寒い」
「……うん、もう少しで朝だから」
子供の声だった。僕は近付き、壁の隙間から覗き込む。
そこにいたのは、男の子と女の子だった。たぶん、5歳と7歳くらい。痩せた体を薄汚れたボロ布一枚で覆い、互いに身を寄せ合っている。家もない。毛布もない。食べ物の匂いもしない。
これが、占領された街の子供たちの夜だ。
時間がない。見つかれば作戦が破綻する。感傷で動くな——頭の中で、警告が回っていた。それでも僕は、インベントリを開いていた。
メルフィーナが詰めてくれた毛布を、2枚。乾燥果実の袋をひとつ。蜂蜜飴の小袋を、もうひとつ。
藁の影に、そっと置く。動きは静かに、足跡は残さない。ただ置いて、戻る。気付かれない、はずだった。
「……あ」
女の子と、目が合った。僕は動きを止める。息を呑んだ。
女の子は、寒さで赤くなった頬のまま、僕をじっと見ていた。怯えていない。怖がってもいない。
「……わんちゃん?」
わんちゃんではない。竜だ。だが、この街の子供にとって、ふわふわした生き物は、長く目にしていないものだったのだろう。神聖国の兵が連れてくるのは、白い軍馬と、女神の使いを名乗る冷たい彫像だけだ。
だから彼女にとって、僕は犬でいい。真っ黒で、4枚翼で、夜中に毛布を持ってくる、不思議なわんちゃんで、いい。
僕は片方の前足を、口元に当てた。シーッ、と、する仕草。
女の子は目を見開き、それからゆっくり頷いた。そして、隣で眠る兄を起こさないよう、見つけたばかりの毛布を二人の上にそっと被せる。毛布を顔まで引き上げ、その隙間から、もう一度僕を見た。不思議そうに、嬉しそうに。夢を見ているような顔だった。
僕は屋根に飛び乗る。4枚の翼を広げ、夜空に身を投じた。
最後に一度だけ、振り返る。女の子は藁の小屋の隙間から、まだ僕を見ていた。驚いた顔でも、怖がる顔でもなく——「綺麗な物を見つけた」という、ただそれだけの顔だった。
明日の朝、彼女があの出来事を兄に話しても、たぶん信じてはもらえない。夢だった、と皆が言うだろう。
それで、いい。僕は、夢で十分だ。明日の2時、街は燃え、僕達は突撃する。そしてあの少女は——夢じゃない世界を、夢じゃない場所で、夢じゃない誰かから、受け取れるようになる。
◇
街灯の明かりが、徐々に後ろへ小さくなっていく。
兵舎の2階の窓は、まだ灯りが点いていた。副将ミカルは、最後の杯を空けた頃だろうか。神官たちは、既に酔い潰れているだろうか。ロロルは、眠れずに夜空を見上げているだろうか。
どちらでもいい。どちらにせよ、彼らの「現実」は、明日の2時で終わる。
僕は夜の上空を、王都の方角へ一直線に飛んだ。尻尾が、ピシピシと風に逆らっていた。
第八話・了
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(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク




