第九話 メカヲタ、初陣を制す
街はまだ寝静まっていた。
あと十分、その静寂は続くはずだった。
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街外れの廃屋。
男は床板の一枚を剥がしていた。
軋んだ木の下、油紙に包まれた何かを取り出す。
十三年、誰の目にも触れていなかったその短剣。かつてドラグロード王国の兵士だった頃、自分の腰に下げていた一振り。神聖国にこの街を奪われた日、彼はこれを床下にこっそり隠していた。
「父さん、それ……」
娘が布団の上で目を見開いていた。寝ていなかったらしい。
「父さん、それ、なに」
「……剣だ」
「剣?」
「父さんが昔、持ってた剣だ」
男は油紙を丁寧に解いた。鞘からわずかに刃を覗かせる。十三年経っても油を切らさず手入れしてきた。鈍いがしかし確かな光が、ロウソクの炎に応えた。
「父さん、お仕事って」
「……ちょっとな」
娘の目が見開かれた。
「……明日の朝、父さん帰ってこなかったら」
「うん」
「お母さんと同じ場所だ。そう思ってくれ」
「……父さん」
「だが、たぶん帰ってくる」
男は自分でも驚くほど穏やかに言った。
「今夜のは大事な仕事だ。母さんが死んだあの日から、父さんがずっと待ってきた仕事だ」
「父さん、お父さん——」
「でな」
男は短剣の鞘を腰帯に差した。
十三年ぶりに。重みが骨に馴染んだ。
「父さんは今夜だけ、また兵士だ」
娘は何かを言おうとして、結局何も言えずに父の手を握った。
男は娘の頭を一度撫で、テーブルに置かれた発火装置を懐にしまった。
戸を出る前に一度振り返った。
「明日の朝な。父さんが嘘みたいに大きな声でお前を起こすかもしれない」
「……うん」
「その時は笑え。父さん、本気で帰ってくる気でいる」
戸が閉まった。
腰の短剣が夜気の中で確かに揺れた。
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僕は街の上空にいた。
四枚の翼でゆっくりと旋回する。背後には王都から運んできた物量の全てがある。
インベントリの中に、九十七機のアイアンゴーレム。
白騎士三体。突撃車三両。予備の油樽、矢、剣、盾。
街の城門から少し離れた森の縁では、ドラグロード騎士団三百が息を殺して待機していた。指揮はあの時の若い騎士。城塞都市奪還の作戦を紙の上で描いた、その本人だ。机上の空論と笑われ、それでも諦めずに何度も書き直し続けた、その絵空事が今夜現実になる。
僕の隣には誰もいない。メルフィーナは王都に残してきた。彼女には王都で留守を任せ、戦場には連れてこなかった。それがマルキウス王と相談して決めた事だった。
契約者と離れているのは本来、守護竜にとってリスクの高い状態だ。だが今回は、彼女を戦場に置く方がもっとリスクが高い。
(……メルフィーナ、成功を祈っていてくれ)
街の中の三箇所——聖堂裏、兵舎側、物見塔の足元。
それぞれの油樽の山に、ぽつりぽつりと小さな影が近付いていく。
草が配置についた。
東の空がまだ白むにはしばらくある。
深夜、二時。
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聖堂裏の路地で、男は発火装置のスイッチを押した。
ボッ——
一瞬の遅延。
そして次の瞬間。
ゴウッッッ!!!
聖堂の壁際の油樽十個が同時に火を噴いた。
炎は壁を駆け上がり、女神を象る塔の足元を一気に舐めた。
ほぼ同時刻、兵舎の側でも物見塔の側でも同じ事が起きていた。
街に三本の火柱が立った。
軍事施設、三点。それだけが燃えていた。
住宅街には火の粉ひとつ飛んでいない。
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副将ミカルは自室の寝台で酔いを残したまま眠っていた。
ガラガラガラッ——!!
二階の窓ガラスが爆風で内側に砕け散った。
彼の頬にガラスの破片が降り注いだ。
「……ぐっ、何だ、何が——」
寝ぼけた頭で上半身を起こす。
窓の外が赤い。
眠気が一瞬で吹き飛んだ。
「敵襲か!? 報告! 報告はどうした!」
廊下を慌てた足音が駆け抜けていく。誰かが叫んでいる。「火事! 火事です副将殿!」「兵舎が燃えています!」「聖堂も!」「物見塔の魔法装置が——!」
副将は寝間着のまま剣を掴んで廊下に飛び出した。
(……三箇所、同時。これは火事じゃない)
(これは——攻撃だ)
「魔術師団を集めろ! 城壁の上の警備兵に外を見させるんだ! 何かが来るぞ!」
彼の判断は正しかった。
ただ、命令が現場に届くまでにはわずかに時間がかかった。
そのわずかな時間が致命的だった。
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森の縁で若い騎士は火柱を確認した。
三本。同時。
「……合図だ」
低く、しかし確実に彼は呟いた。
紙の上では何度もこの瞬間を描いた。三本の火柱が立ったら突撃車を出す、と。
でも紙と現実は違う。
膝が震えていた。
「突撃車、前へ!」
声は震えなかった。
それだけは誇っていいと思った。
魔力回路の唸りと共に、三両の破城槌型突撃車がゆっくりと動き出した。鉄の車軸が軋み、後輪の凸凹が地面を噛む。前方の重量が加速と共に破壊力に変わっていく。
御者は要らない。
中身は空。
全身に魔力回路が走る、自走する鉄塊だ。
「騎士団、後続! 突撃車に続け! 城門を破ったら即座に展開!」
三百の騎士が一斉に走り出した。
(……守護竜様)
(あなたが僕の絵空事を生かしてくれた)
平原を駆ける。
城塞都市ドラゴノートの東の城門が近付いてくる。
城門の上では警備兵がようやく異変に気付き声を上げ始めていた。
だがもう遅い。
ドゴォオオオオオン——!!
先頭の突撃車が城門にぶち当たった。
鉄の補強がなされた重量級の車体が、十三年前から閉ざされていたその城門を根元から引き裂いた。
木片と鉄の破片が夜空に舞う。
門の上に詰めていた警備兵が二人、巻き込まれて転がり落ちた。
「突入ぅぅぅ!!」
若い騎士の号令と共に、二両目、三両目の突撃車が続けざまに突入する。後続の騎士団が雪崩を打って城門の中へ流れ込んでいく。
「ドラグロード!」
「ドラグロォオオオオド!!」
十三年。
十三年待った瞬間だ。
紙の上の絵が——
今、肉と鉄の音を立てていた。
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僕は上空でそれを見ていた。
(……行ったか)
地上の戦況をざっと把握する。
火柱三本、健在。住宅街への延焼、無し。
突撃車、突破成功。
騎士団、城門内へ展開中。
神聖国側の対応、まだ混乱の最中。
頃合いだ。
僕は空属性インベントリを開いた。
ただし今度は街の中央上空に。
街の屋根すれすれ、高度およそ十五メートル。
何も無い空間に突然——
百機近いアイアンゴーレムが出現した。
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副将ミカルは廊下から中庭に出たところでそれを見た。
夜空に何かが現れた。
大量の人型の何か。
それが降ってくる。
ドゴン——
ドゴン——
ドゴンッ——
最初の一機が中庭の石畳に片膝をついて着地した。
石畳が割れた。
そしてそのまま立ち上がった。
兜の中に顔は無かった。
ただぽつぽつと隙間から砂が漏れていた。
「……何、だ……」
副将の背筋が凍った。
二機目、三機目、十機目、五十機目——
鉄の雨は続いた。
一機が街路に、一機が屋根に、一機が広場に、一機が兵舎の屋根に。
百機が街の三角形の防衛網の内側に降り注いだ。
「上を、上を見ろぉ!」
「魔術師団、集まれ! 詠唱開始!」
「歩兵、盾を構えろ、近付くな!」
副将は怒鳴った。
彼は無能ではない。指揮官としてまだ機能していた。
だが彼の声は、街中の悲鳴と鉄の足音と火柱の唸りに半分掻き消されていた。
そしてその時、彼は空を見上げた。
火柱が照らす夜空に——
四枚の翼を広げた黒い影がゆっくりと旋回していた。
小さい。
ふわふわとした輪郭。
「あれが——」
彼の喉が鳴った。
「あれが、『生まれたての赤子』だと……?」
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廊下の隅で。
ロロルは剣を握ったまま立ち尽くしていた。
中庭で叫ぶ副将の姿が見える。降り注ぐ鉄の騎士が見える。三本の火柱——だがよく見れば燃えているのは聖堂、兵舎、物見塔。それだけだ。住宅街には火の粉ひとつ飛んでいない。
気付いてロロルは息を止めた。
(……狙ってる)
(我々の防衛拠点だけを正確に)
(あの軍勢はこの街の民を傷付ける気が、最初から無い)
それが何を意味するか。
彼らはこの街を奪い返しに来たのではなく——取り戻しに来た。
彼らにとってここの民は敵ではない。
我々だけが、敵だ。
ロロルは剣の柄を握り直した。
そして踵を返した。
中庭で叫び続けている副将の元へ向かって。
「副将殿!」
走りながら声を張り上げた。
「副将殿、進言します!」
「ロロル、貴様、こんな時に何を——」
「撤退を、進言します!」
副将ミカルの動きが止まった。
血走った目が若い士官を睨み付けた。
「正気か、ロロル」
「正気です、副将殿。火災は軍事施設の三点のみ。住宅街は無傷です。これは制圧戦ではありません、奪還戦です。彼らは無駄な血を流すつもりが最初から無いのです」
「だから何だ」
「副将殿、聞いてください」
ロロルは剣を握り直した。
「今ここで戦って死ぬ兵に、神聖国は何を返してくれます。我々は本国から遠く、補給線は細い。防衛拠点は三つとも燃え、空からは古代竜の軍勢が降り注いでいる。この戦はもう、終わっています」
「……」
「西門はまだ我々の手の内です。兵をまとめて西へ抜けましょう。古代竜の存在、新型の兵器、その情報を本国に持ち帰る事こそ今夜我々に出来る、唯一の貢献です」
副将は答えなかった。
中庭の石畳に新たな鉄の騎士がまた一機降り注いだ。
その音が二人の間に響いた。
ロロルはもう一度頭を下げた。
「……ご決断を、副将殿」
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その時、僕は上空で異変に気付いた。
街の北側——住宅街のある一角。
そこへ神聖国の兵が五人、走り込んでいた。混乱の中で軍規を破った連中だろう。指揮命令系統から外れた行動、いわゆる暴走だ。
人質を取る気だ。撤退の時間稼ぎに使うつもりか、あるいはただの八つ当たりか。
どちらにせよ。
(……まずい)
僕は空属性インベントリに手をかけた。
だが——白騎士の出現場所をイメージするそのコンマ数秒の間に。
路地の角から一つの影が走り出ていた。
四十代の痩せた男。腰に古い短剣。
聖堂裏で油樽の最後の点検をしていた草の男だった。発火を確認した後、本当ならそのまま身を隠して帰路につくはずだった。
だが彼は走っていた。兵達が住宅街へ向かうのをその目で見て——走り出していた。
(……あの人——!)
男は神聖国の兵五人と住民達の間に走り込んだ。
そして短剣を抜いた。
「——下がれ」
声は震えていた。
でも刃の先は震えていなかった。
「ここはドラグロード王国の街だ。お前達が踏みにじっていい場所じゃない」
兵達が嘲笑った。
当然だ。屈強な兵五人と痩せた中年の男が一人、短剣一本。答えは見えていた。
「……邪魔だ、おっさん。」
兵の一人が剣を抜いた。
男は短剣を構え直した。逃げなかった。背後の住民達を護る位置から動かなかった。
(……死ぬ気か)
男は笑っていた。震えながら笑っていた。
「妻の所に行くなら、それも悪くない」
「だがその前に——お前達の最低でも一人は連れていく」
兵が剣を振り上げた。
その瞬間。
ドゴンッ——!!
白い巨体が男の眼前の僅か一歩先に降ってきた。
石畳が割れた。深紅のマントが舞い上がった砂塵に揺れた。
男は目を見開いた。振り上げた兵の剣の軌道の先に、白い装甲が立ち塞がっていた。
ドゴンッ——
ドゴンッ——
二体目、三体目が続けて降り立った。
身の丈二メートル半。両手にグレートアックス。神聖国の兵五人を三方から囲んでいた。
兵達が絶句した。
剣を構え直す間も無かった。
白騎士の一体がグレートアックスをゆっくりと振った。
横薙ぎの一閃。兵二人がまとめて吹き飛ばされた。鎧ごと壁に叩き付けられて崩れ落ちる。
二体目が別の兵に振り下ろした。受け止めようとした剣が根元から折れた。兵は悲鳴を上げて転がった。
三体目が最後の二人の前に立ち塞がった。兵達は剣を捨てた。両手を上げて地面に膝をついた。
——終わっていた。
——僅か数秒だった。
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男は短剣を構えたまま立ち尽くしていた。
震える腕で刃を握ったまま。
白騎士の一体がゆっくりと彼の方を向いた。
身の丈二メートル半の白い巨人。兜の奥に顔は無い。
そして——その白い巨人はグレートアックスの石突きを地面に立て、男に向かって深く頭を下げた。
男の息が止まった。
(……これは——)
男は即座に理解した。
これは守護竜様のお遣わしだ。この夜、自分の前に立ちはだかった無名の元兵士の前に。あの小さなふわふわの守護竜様が、僕は見ていたぞと——伝えてくれている。
男は短剣を地面に置いた。
両膝をついた。
そして額を石畳につけた。
「……勿体無き、お遣わし……」
肩が震えていた。
涙が石畳を濡らしていた。
戸を開けて彼の元に駆け寄った住民達がその光景を見ていた。
白い三体の巨人がそこに立っている。跪いた痩せた男が一人。神聖国の兵が地面に転がっている。
——後にこの光景を見た住民達が街に伝えていく。
——「白い騎士様がドラグロードの兵士の前に降り立った」と。
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「……白い、騎士、様……」
誰かが震える声で呟いた。
それはすぐに伝播した。
「白い騎士様」
「白い騎士様が……」
「白騎士様がドラグロードの兵士を守ってくださった……!」
声は住宅街全体に広がっていった。
戸が次々と開く。住民達が外に出て白い三体を見上げる。火柱の赤と夜空の黒の中で、白いボディと深紅のマントが際立って見えた。
——後年、この夜の事は「白騎士物語」として吟遊詩人達が好んで歌うようになる。
——三体の白い巨人、深紅のマント、グレートアックス。
——その傍らに跪く無名の元兵士。
——ドラグロード王国の救済の象徴として、その姿は大陸中に語り継がれる事になる。
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副将ミカルはその光景を廊下の窓から見ていた。
そして長く息を吐いた。
「……西門だ」
絞り出すように彼は言った。
「ロロル、西門の確保に走れ。残存兵に伝えよ、戦闘を打ち切り、西へ。負傷兵は出来る限り運び出せ。古代竜の特徴、新型兵器の様式、見たもの全てを頭に焼き付けて帰れ」
「は——!」
「行け」
ロロルは敬礼した。
そして駆け出した。
副将はもう一度だけ空を見上げた。
四枚翼の小さな影はまだ旋回していた。
ふわふわとした輪郭。
「……生まれたて、か」
彼の口元に僅かに苦い笑みが浮かんだ。
「次に会う時はお前はどれだけ大きくなっているのだろうな」
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神聖国軍の撤退は夜明け前に完了した。
西門から抜けた残存兵は約半数。若い騎士の指揮するドラグロード騎士団は追撃せず、彼らを行かせた。
血の流れは最小限で済んだ。
街の中央広場には住民が集まっていた。
解放された街の最初の夜明けを待っていた。広場の中央には白い三体が並び立っている。グレートアックスを地面に立て、深紅のマントを揺らしながら、ただ護るように。
「白騎士様……」
「ドラグロードの白騎士様……」
人々は涙を流して白騎士を見上げていた。
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僕は上空でそれを見ていた。
(……上手くいった)
ふわふわの体を夜風に任せてゆっくりと旋回する。
白い三体はただの大きなサンドゴーレムだ。中身は他の百機と何も変わらない。本気で殴られれば十発も持たないだろう。
でも今夜、彼らは英雄になった。
それでいい。
本来の役目を果たしてくれた。
僕は黒いふわふわのまま夜空に溶けて、誰の視界にも入らずに上空を回り続ける。
それでいい。
僕は夢で十分だ。
英雄譚は彼らに任せる。
——その時。
藁の小屋の隙間から小さな影が駆け出してきた。
白騎士の方ではない。住民達が集まっている広場の方でもない。
路地の隅、空の見える、人気の少ない方へ。
女の子だった。
兄の手を引いて息を切らせて、空の見える場所まで走ってきた。
そして空を見上げた。
火柱に照らされた夜空に——黒く塗られたふわふわの小さな影。
他の誰にも見えていないその影に、彼女は両手を振った。
ぶんぶん、と。
小さな手で力一杯。
僕は空気が止まったように感じた。
兄が何か囁いた。
誰に手を振っているの、と訊いたのかもしれない。
女の子は答えなかった。
ただ空に向かって振り続けた。
(……ばれてる)
(……完全に、ばれてる)
僕は四枚の翼を僅かに傾けた。
少しだけ、ほんの少しだけ、彼女の方へ降下する。
それから小さな前足を一度だけ空中で振り返した。
女の子の顔がぱっと輝いた。
それで十分だった。
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街の広場ではまだ「白い騎士様」の声が続いている。
吟遊詩人達は明日からこの夜の事を歌うだろう。
深紅のマント、グレートアックス、三体の白い巨人。
完璧な英雄譚だ。
でも藁の小屋の女の子だけは知っている。
本当の救い主は空にいた、と。
真っ黒なふわふわの、夜中に毛布を持ってきたわんちゃんが空にいた、と。
明日彼女がそれを話しても、誰も信じてはくれないだろう。
それでいい。
尻尾がゆったりと揺れていた。
第九話・了
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(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク




