第九話 メカヲタ、初陣を制す
街はまだ、寝静まっていた。
あと10分。その静寂は、続くはずだった。
◇
街外れの廃屋。男は、床板の一枚を剥がしていた。
軋んだ木の下から、油紙に包まれた何かを取り出す。13年、誰の目にも触れていなかった短剣だ。かつてドラグロード王国の兵士だった頃、腰に下げていた一振り。神聖国にこの街を奪われた日、彼はこれを床下に隠した。
「父さん、それ……」
娘が布団の上で、目を見開いていた。寝ていなかったらしい。
「父さん、それ、なに」
「……剣だ」
「剣?」
「父さんが昔、持ってた剣だ」
男は油紙を丁寧に解いた。鞘からわずかに刃を覗かせる。13年経っても、油を切らさず手入れしてきた。鈍い、だが確かな光が、ロウソクの炎に応えた。
「父さん、お仕事って」
「……ちょっとな」
娘の目が、見開かれた。
「……明日の朝、父さん帰ってこなかったら」
「うん」
「お母さんと同じ場所だ。そう思ってくれ」
「……父さん」
「だが、たぶん帰ってくる」
男は自分でも驚くほど、穏やかに言った。
「今夜のは大事な仕事だ。母さんが死んだあの日から、父さんがずっと待ってきた仕事だ」
「父さん、お父さん——」
「でな」
男は短剣の鞘を、腰帯に差した。13年ぶりに。重みが、骨に馴染んだ。
「父さんは今夜だけ、また兵士だ」
娘は何かを言おうとして、結局何も言えず、父の手を握った。男は娘の頭を一度撫で、テーブルの発火装置を懐にしまう。戸を出る前に、一度だけ振り返った。
「明日の朝な。父さんが嘘みたいに大きな声で、お前を起こすかもしれない」
「……うん」
「その時は笑え。父さん、本気で帰ってくる気でいる」
戸が閉まった。腰の短剣が、夜気の中で確かに揺れた。
◇
僕は街の上空にいた。
4枚の翼で、ゆっくり旋回する。背後には、王都から運んできた物量の全てがある。インベントリの中に、97機のアイアンゴーレム。白騎士3体。突撃車3両。予備の油樽、矢、剣、盾。
城門から少し離れた森の縁では、ドラグロード騎士団300が、息を殺して待機している。指揮はあの時の若い騎士だ。城塞都市奪還の作戦を、紙の上に描いたその本人。机上の空論と笑われ、それでも諦めず、何度も書き直し続けた。その絵空事が、今夜、現実になる。
僕の隣には、誰もいない。メルフィーナは王都に残してきた。留守を任せ、戦場には連れてこなかった。マルキウス王と相談して決めたことだ。契約者と離れているのは、本来、守護竜にとってリスクが高い。だが今回は、彼女を戦場に置く方が、もっとリスクが高い。
メルフィーナ、成功を祈っていてくれ。
街の中の3箇所——聖堂裏、兵舎側、物見塔の足元。それぞれの油樽の山へ、ぽつり、ぽつりと小さな影が近付いていく。草が、配置についた。
東の空が白むには、まだしばらくある。深夜、2時。
◇
聖堂裏の路地で、男は発火装置のスイッチを押した。
ボッ——
一瞬の遅延。そして、次の瞬間。
ゴウッッッ!!
聖堂の壁際の油樽10個が、同時に火を噴いた。炎は壁を駆け上がり、女神を象る塔の足元を一気に舐める。
ほぼ同時刻、兵舎の側でも、物見塔の側でも、同じことが起きていた。街に、3本の火柱が立つ。軍事施設、3点。それだけが燃えていた。住宅街には、火の粉ひとつ飛んでいない。
◇
副将ミカルは、自室の寝台で酔いを残したまま眠っていた。
ガラガラガラッ——!!
2階の窓ガラスが、爆風で内側に砕け散った。頬に、ガラスの破片が降り注ぐ。
「……ぐっ、何だ、何が——」
寝ぼけた頭で、上半身を起こす。窓の外が赤い。眠気が一瞬で吹き飛んだ。
「敵襲か!? 報告! 報告はどうした!」
廊下を、慌てた足音が駆け抜けていく。誰かが叫んでいる。「火事! 火事です副将殿!」「兵舎が燃えています!」「聖堂も!」「物見塔の魔法装置が——!」
副将は寝間着のまま剣を掴み、廊下へ飛び出した。3箇所、同時。これは火事じゃない。攻撃だ。
「魔術師団を集めろ! 城壁の上の警備兵に、外を見させろ! 何かが来るぞ!」
彼の判断は、正しかった。ただ、命令が現場に届くまでに、わずかに時間がかかった。そのわずかな時間が、致命的だった。
◇
森の縁で、若い騎士は火柱を確認した。3本。同時。
「……合図だ」
低く、しかし確かに、彼は呟いた。紙の上では、何度もこの瞬間を描いた。3本の火柱が立ったら、突撃車を出す。だが、紙と現実は違う。膝が震えていた。
「突撃車、前へ!」
声は、震えなかった。それだけは誇っていいと思った。
魔力回路の唸りとともに、3両の破城槌型突撃車が、ゆっくり動き出す。鉄の車軸が軋み、後輪の凸凹が地面を噛む。前方の重量が、加速とともに破壊力へ変わっていく。御者は要らない。中身は空。全身に魔力回路が走る、自走する鉄塊だ。
「騎士団、後続! 突撃車に続け! 城門を破ったら、即座に展開!」
300の騎士が、一斉に走り出した。
守護竜様。あなたが、僕の絵空事を生かしてくれた。
平原を駆ける。城塞都市ドラゴノートの東の城門が、近付いてくる。城門の上では、警備兵がようやく異変に気付き、声を上げ始めていた。だが、もう遅い。
ドゴォオオオオオン——!!
先頭の突撃車が、城門にぶち当たった。鉄の補強がなされた重量級の車体が、13年前から閉ざされていた城門を、根元から引き裂く。木片と鉄の破片が夜空に舞い、門の上に詰めていた警備兵が2人、巻き込まれて転がり落ちた。
「突入ぅぅぅ!!」
若い騎士の号令とともに、2両目、3両目の突撃車が続けざまに突入する。後続の騎士団が、雪崩を打って城門の中へ流れ込んでいった。
「ドラグロード!」
「ドラグロォオオオオド!!」
13年。13年、待った瞬間だ。紙の上の絵が——今、肉と鉄の音を立てていた。
◇
僕は上空で、それを見ていた。
行ったか。
戦況をざっと把握する。火柱3本、健在。住宅街への延焼、無し。突撃車、突破成功。騎士団、城門内へ展開中。神聖国側の対応、まだ混乱の最中。
頃合いだ。
僕は空属性インベントリを開いた。ただし今度は、街の中央上空。屋根すれすれ、高度およそ15メートル。何も無い空間に、突然——
100機近いアイアンゴーレムが、出現した。
◇
副将ミカルは、廊下から中庭に出たところで、それを見た。
夜空に、何かが現れた。大量の、人型の何か。それが、降ってくる。
ドゴン——ドゴン——ドゴンッ——
最初の一機が、中庭の石畳に片膝をついて着地した。石畳が割れる。そのまま、立ち上がった。兜の中に顔は無い。ただ、隙間からぽつぽつと砂が漏れていた。
「……何、だ……」
副将の背筋が凍った。
2機目、3機目、10機目、50機目——鉄の雨は続く。一機が街路に、一機が屋根に、一機が広場に、一機が兵舎の屋根に。100機が、街の三角形の防衛網の内側へ降り注いだ。
「上を、上を見ろぉ!」
「魔術師団、集まれ! 詠唱開始!」
「歩兵、盾を構えろ、近付くな!」
副将は怒鳴った。無能ではない。指揮官として、まだ機能している。だがその声は、街中の悲鳴と鉄の足音と火柱の唸りに、半分掻き消されていた。
その時、彼は空を見上げた。火柱が照らす夜空に——4枚の翼を広げた、黒い影。ゆっくりと旋回している。小さい。ふわふわとした輪郭。
「あれが——」
彼の喉が、鳴った。
「あれが、『生まれたての赤子』だと……?」
◇
廊下の隅で、ロロルは剣を握ったまま立ち尽くしていた。
中庭で叫ぶ副将が見える。降り注ぐ鉄の騎士が見える。3本の火柱——だが、よく見れば燃えているのは聖堂、兵舎、物見塔。それだけだ。住宅街には、火の粉ひとつ飛んでいない。気付いて、ロロルは息を止めた。
狙っている。我々の防衛拠点だけを、正確に。あの軍勢は、この街の民を傷付ける気が最初から無い。
それが何を意味するか。彼らはこの街を奪い返しに来たのではなく——取り戻しに来た。彼らにとって、ここの民は敵ではない。我々だけが、敵だ。
ロロルは剣の柄を握り直した。そして、踵を返す。中庭で叫び続けている副将の元へ。
「副将殿!」
走りながら、声を張り上げた。
「副将殿、進言します!」
「ロロル、貴様、こんな時に何を——」
「撤退を、進言します!」
副将ミカルの動きが止まった。血走った目が、若い士官を睨み付ける。
「正気か、ロロル」
「正気です、副将殿。火災は軍事施設の3点のみ。住宅街は無傷です。これは制圧戦ではありません、奪還戦です。彼らは、無駄な血を流すつもりが最初から無いのです」
「だから何だ」
「副将殿、聞いてください」
ロロルは、剣を握り直した。
「今ここで戦って死ぬ兵に、神聖国は何を返してくれます。我々は本国から遠く、補給線は細い。防衛拠点は3つとも燃え、空からは古代竜の軍勢が降り注いでいる。この戦はもう、終わっています」
「……」
「西門はまだ、我々の手の内です。兵をまとめて、西へ抜けましょう。古代竜の存在、新型の兵器、その情報を本国へ持ち帰ることこそ、今夜の我々にできる唯一の貢献です」
副将は答えない。中庭の石畳に、新たな鉄の騎士がまた一機降り注いだ。その音が、二人の間に響く。
ロロルは、もう一度頭を下げた。
「……ご決断を、副将殿」
◇
その時、僕は上空で異変に気付いた。
街の北側——住宅街のある一角。そこへ、神聖国の兵が5人、走り込んでいた。混乱に乗じて軍規を破った連中だろう。指揮系統から外れた、いわゆる暴走だ。人質を取る気か。撤退の時間稼ぎか、ただの八つ当たりか。どちらにせよ——まずい。
僕は空属性インベントリに手をかけた。だが——白騎士の出現位置をイメージする、そのコンマ数秒の間に。路地の角から、一つの影が走り出ていた。
40代の、痩せた男。腰に古い短剣。聖堂裏で油樽の最後の点検をしていた、草の男だ。発火を確認した後、本当ならそのまま身を隠し、帰路につくはずだった。だが、彼は走っていた。兵たちが住宅街へ向かうのをその目で見て——走り出していた。
あの人——。
男は、神聖国の兵5人と住民たちの間に走り込んだ。そして、短剣を抜く。
「——下がれ」
声は震えていた。だが、刃の先は震えていない。
「ここはドラグロード王国の街だ。お前達が踏みにじっていい場所じゃない」
兵たちが嘲笑った。当然だ。屈強な兵5人と、痩せた中年の男が一人。短剣一本。答えは見えていた。
「……邪魔だ、おっさん」
兵の一人が剣を抜いた。男は短剣を構え直す。逃げない。背後の住民たちを護る位置から、動かなかった。
死ぬ気か。
男は笑っていた。震えながら、笑っていた。
「妻の所に行くなら、それも悪くない。だがその前に——お前達の、最低でも一人は連れていく」
兵が剣を振り上げた。
その瞬間。
ドゴンッ——!!
白い巨体が、男の眼前、僅か一歩先に降ってきた。石畳が割れる。深紅のマントが、舞い上がった砂塵に揺れた。男は目を見開いた。振り上げた兵の剣の軌道の先に、白い装甲が立ち塞がっている。
ドゴンッ——ドゴンッ——
2体目、3体目が続けて降り立つ。身の丈2メートル半。両手にグレートアックス。神聖国の兵5人を、三方から囲んでいた。
兵たちが絶句した。剣を構え直す間もない。
白騎士の一体が、グレートアックスをゆっくり振った。横薙ぎの一閃。兵2人がまとめて吹き飛ばされ、鎧ごと壁に叩き付けられて崩れ落ちる。2体目が、別の兵に振り下ろした。受け止めようとした剣が、根元から折れる。兵は悲鳴を上げて転がった。3体目が、最後の2人の前に立ち塞がる。兵たちは剣を捨て、両手を上げて地面に膝をついた。
——終わっていた。僅か、数秒だった。
◇
男は短剣を構えたまま、立ち尽くしていた。震える腕で、刃を握ったまま。
白騎士の一体が、ゆっくりと彼のほうを向いた。身の丈2メートル半の、白い巨人。兜の奥に、顔は無い。そして——その白い巨人はグレートアックスの石突きを地面に立て、男に向かって深く頭を下げた。
男の息が、止まった。
これは——。
男は即座に理解した。これは、守護竜様のお遣わしだ。この夜、自分の前に立ちはだかった無名の元兵士の前に。あの小さな、ふわふわの守護竜様が、見ていたぞと伝えてくれている。
男は短剣を地面に置いた。両膝をつく。そして、額を石畳につけた。
「……勿体無き、お遣わし……」
肩が震えていた。涙が、石畳を濡らしていた。
戸を開けて駆け寄った住民たちが、その光景を見ていた。白い3体の巨人が、そこに立っている。跪いた痩せた男が一人。神聖国の兵が、地面に転がっている。
◇
「……白い、騎士、様……」
誰かが、震える声で呟いた。それは、すぐに広がった。
「白い騎士様」
「白い騎士様が……」
「白騎士様が、ドラグロードの兵士を守ってくださった……!」
声は住宅街全体へ広がっていく。戸が次々と開き、住民たちが外に出て、白い3体を見上げた。火柱の赤と夜空の黒の中で、白い装甲と深紅のマントが、際立って見えた。
——後年、この夜のことは「白騎士物語」として、吟遊詩人たちが好んで歌うようになる。3体の白い巨人、深紅のマント、グレートアックス。その傍らに跪く、無名の元兵士。ドラグロード王国の救済の象徴として、その姿は大陸中に語り継がれることになる。
◇
副将ミカルは、その光景を廊下の窓から見ていた。そして、長く息を吐いた。
「……西門だ」
絞り出すように、彼は言った。
「ロロル、西門の確保に走れ。残存兵に伝えよ、戦闘を打ち切り、西へ。負傷兵は、できる限り運び出せ。古代竜の特徴、新型兵器の様式、見たもの全てを頭に焼き付けて帰れ」
「は——!」
「行け」
ロロルは敬礼し、駆け出した。
副将はもう一度だけ、空を見上げた。4枚翼の小さな影は、まだ旋回している。ふわふわとした輪郭。
「……生まれたて、か」
彼の口元に、僅かに苦い笑みが浮かんだ。
「次に会う時、お前はどれだけ大きくなっているのだろうな」
◇
神聖国軍の撤退は、夜明け前に完了した。西門から抜けた残存兵は、約半数。若い騎士の指揮するドラグロード騎士団は追撃せず、彼らを行かせた。血の流れは、最小限で済んだ。
街の中央広場には、住民が集まっていた。解放された街の、最初の夜明けを待っている。広場の中央には、白い3体が並び立っていた。グレートアックスを地面に立て、深紅のマントを揺らしながら、ただ、護るように。
「白騎士様……」
「ドラグロードの、白騎士様……」
人々は涙を流して、白騎士を見上げていた。
◇
僕は上空で、それを見ていた。
上手くいった。
ふわふわの体を夜風に任せ、ゆっくり旋回する。白い3体は、ただの大きなサンドゴーレムだ。中身は、他の100機と何も変わらない。本気で殴られれば、十発も持たないだろう。だが今夜、彼らは英雄になった。それでいい。本来の役目を、果たしてくれた。
僕は黒いふわふわのまま夜空に溶けて、誰の視界にも入らず、上空を回り続ける。それでいい。僕は、夢で十分だ。英雄譚は、彼らに任せる。
——その時。
藁の小屋の隙間から、小さな影が駆け出してきた。白騎士のほうではない。住民たちが集まる広場のほうでもない。路地の隅、空の見える、人気の少ないほうへ。
女の子だった。
兄の手を引き、息を切らして、空の見える場所まで走ってきた。そして、空を見上げる。火柱に照らされた夜空に——黒く塗られた、ふわふわの小さな影。他の誰にも見えていないその影に、彼女は両手を振った。
ぶんぶん、と。小さな手で、力一杯。
僕は、空気が止まったように感じた。
兄が何か囁いた。誰に手を振っているの、と訊いたのかもしれない。女の子は答えない。ただ、空に向かって振り続けた。
ばれてる。完全に、ばれてる。
僕は4枚の翼を、僅かに傾けた。少しだけ、ほんの少しだけ、彼女のほうへ降下する。それから、小さな前足を一度だけ、空中で振り返した。
女の子の顔が、ぱっと輝いた。
それで、十分だった。
◇
街の広場では、まだ「白い騎士様」の声が続いている。吟遊詩人たちは明日から、この夜のことを歌うだろう。深紅のマント、グレートアックス、3体の白い巨人。完璧な英雄譚だ。
だが、藁の小屋の女の子だけは知っている。本当の救い主は、空にいた、と。真っ黒でふわふわの、夜中に毛布を持ってきたわんちゃんが、空にいた、と。
明日、彼女がそれを話しても、誰も信じてはくれないだろう。
それでいい。
尻尾が、ゆったりと揺れていた。
第九話・了
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(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク




