第十話 西へ向かう夜
夜が、二度目に深くなった頃。
国境を越えた小さな丘の麓に、神聖国軍の残存兵は野営を張っていた。
焚き火が、十数箇所。傷病兵の呻きが、夜気の中に細く混じる。
正確な点呼はまだ済んでいなかったが、おおよその数は出ていた。
出陣時の兵力の、ほぼ半数。
ドラゴノートの西門を抜けて、そのまま神聖国領内へ——一度の停止も無く、半日駆け続けた末の野営だった。
追撃は無かった。
あの古代竜が攻撃に出なかった事と、ドラグロード騎士団が城内の制圧を優先した事。それだけが、半数を生かした理由だった。
ロロルは焚き火の一つから少し離れた場所で、副将ミカルと向かい合っていた。
二人の間に、酒は無い。
食料も乏しい。
焚き火の僅かな炎が、ミカルの顔の片側だけを照らしていた。
「ロロル」
ミカルが、口を開いた。
声は、低かった。だが既に、ドラゴノートで命令を下していた時のあの声とは違っていた。
何かを既に決めた、男の声だった。
「お前を、本国に推す」
ロロルの呼吸が、止まった。
「……副将殿」
「俺は責任を取る、それは確定だ」
「ドラゴノート喪失の責任者として、本国に戻り次第、何らかの処分が下る」
「処刑にはなるまい。俺は古代竜を直視した数少ない指揮官の一人だ。連中は俺を完全には捨てられん」
「だが、前線指揮官には戻れんだろう。良くて諮問役、悪ければ降格、引退」
「その時——お前を、王室派の眼として本国中枢に残す」
ロロルは、暫く言葉が出なかった。
そして、首を振った。
「副将殿、お待ちください」
声が、震えていた。
「副将殿が前線を離れる事は、神聖国の損失になります」
「あの古代竜と戦った経験を持つ指揮官は、貴方しかいない」
「ゴーレムという新しい戦争形態を見た者も、貴方を含めて数えるほどしかいない」
「教皇派の都合で副将殿が消えれば、本国は対竜戦の指針を失います」
「私を本国に推すよりも、副将殿が前線で指揮を執り続ける方が——」
「ロロル」
ミカルは、ロロルの言葉を、低く遮った。
「お前の言う事は、軍事的には正しい」
「だが、政治的には間違っている」
ロロルの口が、閉じた。
「教皇派は今、揺れている。あの召喚の事もあって、王室派の影響力を削ぎたがっている」
「俺がそのまま前線に残れば、連中はそれを『敗北を許した王室派の軟弱さ』として攻撃材料にする」
「俺一人が責任を取って降りる事で、王室派全体が守られる」
「お前を本国に送り込めば、対竜情報は途切れない、王室派の発言力も保たれる」
「軍事的合理性だけでは、神聖国は救えん」
ロロルは唇を噛んだ。
理解は出来た。
だが受け入れがたかった。
「……副将殿が居ない前線で、誰がゴーレム軍と戦うのですか」
ミカルは、長く息を吐いた。
焚き火の炎が、揺れた。
「……それは、俺にも答えがない」
ロロルは、目を伏せた。
「だが、俺一人が前線にしがみついた所で、教皇派が指揮系統を握れば結局同じ事だ」
「連中は神話で戦おうとする。古代竜には神話が通じる、と本気で信じている」
「俺がそれを止められない以上、いっそ俺は引き、お前を中枢に送る方がいい」
「お前なら、現実を伝えられる」
ロロルは、しばらく黙っていた。
そして、低く言った。
「……承知しました」
その一言が、彼の運命を変えた。
彼自身、その瞬間にそれを感じていた。
二人の間に、長い沈黙が落ちた。
焚き火が、爆ぜた。
やがて、ミカルが言った。
「ロロル。お前は何を見た」
ロロルは顔を上げた。
副将は、彼の見識を求めていた。
「……ゴーレム、です」
ロロルは、慎重に言葉を選んだ。
「あの空から降ってきた鉄の騎士、中身が無く、隙間から砂が漏れていました。倒されても止まらず、痛みも示さない。関節の動きも、人のそれではありませんでした」
「あれは、ゴーレムです」
ミカルは、頷いた。
「破砕槌型の突撃車も、馬に引かれず、御者もいなかった」
「あれもゴーレム、もしくはその技術の応用と見ます」
ミカルは、また頷いた。
そして、待った。
ロロルが、本当に伝えたい事を、自分から語り出すまで。
ロロルは、焚き火を、見つめた。
「副将殿。問題は、あれが『ゴーレムだった』という事ではありません」
「『ゴーレムを兵器に出来る』と、誰かが思い付いてしまった、という事です」
ミカルの目が、僅かに、細くなった。
「兵は、育てねばなりません。十年、十五年。家族も、訓練も、装備も」
「だがゴーレムは、設計が確立すれば、後は材料と時間だけの問題です」
「今夜、我々は百体のゴーレムを見ました。一年後、それは千体かもしれません。三年後、一万体かもしれません」
「死を恐れない、士気が崩れない、給与も家族も要らない」
「そして、神聖国は、この発想を持っていません」
「我々のゴーレムは儀礼用、装飾用、せいぜい個人の魔術師の従者です。軍事的に量産する、人型として戦列に並べる、突撃兵器に変える——その発想は、無かった」
ロロルは、ミカルの目を、見た。
「副将殿。これは『古代竜が現れた』という話ではありません」
「『戦争の在り方そのものが変わる』という話です」
ミカルは、暫く動かなかった。
焚き火の炎が、彼の顔の片側で、揺れ続けていた。
そして、低く言った。
「……それを、本国に持って帰れ」
「それが、お前の最大の仕事だ」
「俺の代わりに本国に入って、それを上に伝えろ」
「は」
ミカルは、付け加えた。
「だが——伝わるかどうかは、別の問題だ」
ロロルは、目を伏せた。
それは、彼自身も、既に予感していた事だった。
「教皇派、ですか」
「連中は『古代竜』にしか興味がない。神話的な強敵として扱えるからな。神話で勝てる物は、神話で迎え撃てる、それが連中の論理だ」
「だが『戦争の在り方が変わる』という話は、連中の論理に乗らない」
「ゴーレムは神話じゃない、技術だ。技術の前では、女神信仰は何もしてくれん」
「だから連中はその真実を直視しない。お前の報告も歪めるか、葬るだろう」
「では、どうすれば」
「王室派に伝えろ」
「連中なら、現実を見る目を持っている」
焚き火が、また一つ、爆ぜた。
夜風が、二人の間を、通り過ぎた。
ロロルは、しばらく言葉を探していた。
そして、ようやく、口を開いた。
「副将殿」
「ああ」
「あの召喚騒動の事ですが」
ミカルは、答えなかった。
ただ、目で先を促した。
「教皇庁は『成立した』としていますが——」
「過去に、召喚に失敗した例は、無い」
「ああ」
「無い」
短い沈黙。
焚き火の音だけが、続いた。
「失敗、では無いのかもしれません」
「……かもしれんな」
二人は、それ以上、語らなかった。
それ以上、語る必要が無かった。
お互いに、どこまで疑っているかが、伝わっていた。
「収穫まで待つ、と本国は言っていた」
「ですが、あれは表向きの理由でしょう」
「ああ」
「真の理由は、別にある」
「……我々は、嘘の上に立っていた」
ミカルが、呟いた。
ロロルは、頷くしか出来なかった。
そして、その嘘の上で——今夜、駐留軍は崩れた。
本国は、二重の失策を抱える事になる。
召喚に失敗し、駐留軍を失った。
明日からの政争は、苛烈なものになるだろう。
長い沈黙の後、ミカルが、低く言った。
「ロロル」
「は」
「あの方も、お前の帰りを待っておられるだろう」
ロロルの肩が、僅かに、動いた。
ほんの僅かに。
焚き火の光の加減で、それは見えたか、見えなかったか。
ミカルは、それ以上、何も言わなかった。
ただ、自分の杯を持ち上げる仕草をして——だが杯は無かった——苦笑し、降ろした。
ロロルは、空を見上げた。
雲が、少しずつ、流れていた。
その雲の隙間に、星が、いくつか、瞬いていた。
ドラゴノートの夜空にも、同じ星が、見えていたはずだ。
(……あの方)
ロロルの心が、一瞬だけ、本国の方角へ、向かった。
聖都ゴッテスベフェールの、王宮の、奥の間。
白い壁、長い廊下、図書室の窓辺。
そこに、いつもの位置で、本を開いているだろう、あの方の姿。
幼い頃、彼女は本ばかり読んでいた。
ロロルも、彼女の傍で、護衛として控えていた。
言葉は、少なかった。
だが、視線は、いつも交わっていた。
彼女は、自分の運命を、知っていた。
勇者の妻となる、その定めを。
そして、それを口にした事は、一度も無かった。
ロロルもまた、口にした事は無かった。
口にしてはならない事を、抱えていた。
彼女もまた、抱えていただろう事を。
——あの召喚は、失敗した。
——それは、二人にとって、何を意味したか。
ロロルは、その問いから、目を逸らした。
答えてはならない問いだった。
答えは、罪だった。
(……あの方)
(あの方の傍に、戻れる)
その想いが、心の片隅で、ほんの僅かに、温かかった。
そして、その温かさを抱いてしまう自分を、彼は許せなかった。
神聖国の若き王女、勇者の伴侶となるべき方。
その方の傍に「戻れる」と、自分が安堵してはならない。
だが、安堵していた。
ロロルは、目を閉じた。
そして、短い祈りを、捧げた。
何に祈ったのか、自分でも分からなかった。
ただ、許しを、求めていた。
ミカルは、何も言わなかった。
全て察していた。
若い士官が抱えているものを、若い士官が口にしないという事を、若い士官が口にしない事こそが彼の誇りだという事を。
だから、ミカルも、口にしなかった。
代わりに、ミカルは、別の事を呟いた。
「……本国に戻ったら、変わるぞ、ロロル」
「は」
「お前は、もう若手士官じゃない」
「王室派の眼として、中枢に立つ事になる」
「お前の言葉は、これからは、重みを持つ」
「軽々しく口にするな、だが、必要な時は躊躇するな」
「お前の判断が、神聖国を、左右する事になる」
ロロルは、深く、頭を下げた。
「ご教導、忘れません」
ミカルは、ふっと、笑った。
最後の、苦い、笑みだった。
「俺の代わりに、お前が、戦争の形を見続けろ」
「俺はもう、見られなくなる」
「お前が、俺の眼だ」
「……は」
焚き火が、また、爆ぜた。
東の空は、まだ、暗かった。
夜明けまでは、まだ、長い。
二人は、それ以上、何も話さなかった。
ただ、焚き火を、見つめていた。
明日から、二人の道は、別れる。
ミカルは責任の道へ。
ロロルは、本国中枢への道へ。
そして、ロロルが本国に戻った時、彼を待っている人がいる。
言葉に出来ない関係のまま、ただ、待っている人が。
夜が、深くなった。
第十話・了
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(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク




