第八十一話 "フェイク"
勇者としての責務を果たす。そう言って出て行った滝川がボロボロになって戻って来て数日、私は彼に会うことすら出来ないでいた。彼は帰って来るなり治療もせずに部屋に閉じ篭ってしまっていた。
彼の教育係を引き受けてから随分と経つが、ここまで明確に拒絶されたのは初めての事だ。ヴィル騎士団長の話では報告書には無様にして残酷にも相手にもされなかったと言う事だった。
報告書には勇者の事より相手の女騎士の凄
まじさについてが大半と言う状況が滝川の引き篭もりの原因なのだろうと予測できた。
その娘は今までに出てきた事が無い新戦力であり、嘘か誠か剣一本、ドレス姿で勇者だけでなく神官騎士複数名も同時に相手して抜刀する事なく余裕で叩き伏せたそうだ。
滝川の部屋の扉には、内側から閂が掛かっていた。声をかけても返事は無い。木の扉の向こうに、人の気配だけがある。生きてはいる。それを確かめて、私は引き返した。
声をかけたところで、生きて帰れとしか言えない。あの言葉を、彼は結果として守ってしまったと言える。
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呼び出しは、その翌日に来た。
教皇庁からの遣いだった。教皇ザルカニス猊下が、直々に私に会いたいと言う。
私は、遣いの言葉を二度聞き返した。一士官に過ぎない私が、直々の謁見を賜る。私は王室派だ。教皇派の頂点に立つ猊下とは、立つ側からして違う。その猊下が、名指しで私を呼んだのは余りに信じられなかった。
滝川の件か、と思った。指南役の責を問われるのなら、筋は通る。ただ、それだけでは説明のつかない何かが、呼び出しの言葉にはあった。
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謁見の間は、静かだった。
高い天井に、女神の意匠が延々と刻まれている。その下、一段高い椅子に、痩せた長身の男が座っていた。深く窪んだ眼が、入ってきた私を捉えた。
教皇ザルカニス。
私は床に片膝をついた。
「ロロル・ヴェント、参上いたしました」
「面を上げよ」
低い、よく通る声だった。上げた先の眼は、何を見ているのか読めない。
「単刀直入に言おう」
猊下は前置きを置かなかった。
「そなたを、勇者育成の任から解く」
責を問われるとばかり思っていた私は、一拍、言葉を失った。
「代わりに」
私の反応を待たず、猊下は続けた。
「天使兵の、召喚訓練を受けよ」
天使兵。その言葉が、臓腑の底に落ちた。
聖都で、それが何かを知らぬ者は居ない。神官騎士団が新たに募り始めた、女神の御使いを我が身に降ろす術。栄誉として語られ、信の篤い者から順に列を成した。そして聖騎士団長ヴィルフリート殿が、団ごとそれを拒否した禁咒でもある。あの人が拒否した力の名を、今、猊下は私に授けようとしている。
「あの勇者では、通用しない事はわかっていた。聞けば竜どころか、どこぞの小娘にいい様にやられて帰って来たそうだ」
猊下の声に、感慨は無かった。
「それより先の召喚の儀式にて、ロロル殿には強力な天使が降臨した気配がある」
あの儀式か、と思い当たった。天使は私に降りたと、周りの者たちは言った。滝川ではなく、指南役の私に。歴代最弱の勇者、と滝川が笑われる因になった一件だ。だが、私自身には何も自覚が無かった。
「……恐れながら」
私は面を伏せた。
「私には、何も感じられませぬ。天使の気配というものを、我が身に覚えた事が一度もございませぬ」
実感が無いのは、本当だった。得体の知れぬ力に我が身を明け渡すなど、という思いは口には出さない。王室派の一士官が、猊下の御前で言える言葉ではなかった。
猊下は、私の言葉を最後まで聞いた。それから静かに言った。
「未だ感じられぬのは、方法を知らぬから故」
辞退の理由を、猊下は正面から認めた。認めた上で、続けた。
「訓練すれば、その力はそなたとゴッテスベフェールに、強大な力を与えるだろう」
感じられぬのは知らぬからだと言われれば、否定できない。その事実の上に、国のため、と乗せられた。私の辞退は、根を断たれた。
「それにな」
付け足すように、猊下は言った。
「あの勇者は、潰れてしまったからな。代わりが必要なのだよ」
潰れた。惜しむでも蔑むでもない、平坦な声だった。壊れた道具を、新しい道具に替える。その程度の話として、猊下は滝川を口にした。
私が、生きて帰れと言い続けた男だ。その男が、潰れた、の一言で片付けられるのは少し悲しい気がする。
「これはな、そなたにとっても、良い話ではないか」
猊下の声が柔らかくなった。
「勇者となれば、望めなかったモノも、手に入れられよう」
一瞬、彼女の泣き顔が脳裏を掠めた。
「王室派にとっても、悪い話ではない」
それで、終わりだった。
私は眼として、この国の中枢に残ると決めた者だ。ミカル殿が去り、王が黙し、残ったのは私だけだった。その私に、猊下は王室派のためだと言う。断る理由は、一つも残っていなかった。
「下がってよい」
私は床に手をつき、深く頭を垂れた。言葉は出なかった。頭を垂れる、それが返事だった。
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謁見の間を出ると、廊下は静まり返っていた。女神の意匠が、壁に沿って延々と続いている。
滝川の、閂の掛かった扉が頭をよぎった。あの扉の前に、私はもう立つ事も無いのだろう。
猊下の言葉に、嘘は一つも無かった。
「次は私が偽勇者か...」今はどこか遠くの空の下にいる彼女はこんな私をどう思うのだろうか?
第八十一話・了
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