第八十話 ”QET”
カルミナが見せてくれたお陰で、手付かずな状態の詠唱がどんなモノなのか理解できたのがでかい。低レベルの呪文では簡略化する必要が少なく、段階を踏んでいたら時間が数十倍かかっていただろう。かと言って命の危険に晒してまであんな超高位魔法で見せなくてもと思わないでもないが、ここは素直に感謝すべきだろう。
カルミナがやったのは、最も何も手を入れてない非効率な術式を、僕に読ませて理論構築をしろということだった。地球で言えば、他人の書いたコードを読んで、同じ出力のまま消費を落とす。これはデバッグというより、最適化だ。やり直しが高コストで、ログも残らない。マゾ仕様だ。
カルミナを抱きながら考えるには、内容が複雑すぎる。彼女には申し訳ないが、一度降ろさせて貰おう。周りを見回して、少しはマシな場所に彼女を寝かせた。
そこからは、術式に深く深く潜ってゆく。
一節。二節。四節。ルーニィが刻んで見せた段。そこにカルミナの百花繚乱を重ねて、どこが積み上げで、どこが保持かを、頭の中で並べ替えていく。積む工程、抱える工程、放つ工程。工程ごとに、消費の性質が違う。違うなら、削り方も工程ごとに違うはずだ。意味の最適化、言葉のチョイス、重複と簡略のバランス。
どれくらいそうしていたか、分からない。
顔を上げると、カルミナがメルフィーナの膝に寝かされていた。リーディアが、水で絞った手ぬぐいを、その額に宛がっている。三人が、静かにそこにいた。僕はそれを視界の隅に入れただけで、まだ半分、術式の続きにいた。
「ルーニィ」
魔女に声をかける。目は合わせていない。頭の中の図を、まだ見ている。
「呪文の基礎構造は、形となる器の大きさ・精度による具現化・脳内イメージによる物質の変容であっていますか?」
ルーニィが、帽子の下で目を細めた。
「ふむ」
答えるまでに、一拍あった。
「なるほど。根っからの技術屋らしい考え方じゃな。だが逆じゃ逆。理解・構築・形成が基本じゃよ」
理解・構築・形成。
その三語で、ずれていた歯車が噛んだ。
僕は結果から言った。出来上がった魔法を見て、そこから遡って分解した。だから末端の「変容」から喋り出して、順番が反転していた。何を起こすかを理解し、それを術式に構築し、そして形成する。作る順は、解析する順の逆だ。さっき、カルミナの術式を結果から逆算して割った。あの成功のやり方を、そのまま基礎の把握に持ち込んだ。だから、逆になった。
「なるほど、ありがとうございます。師匠」
礼を言い終わる前に、頭はもう次に動いていた。
理解・構築・形成。この三工程が正しいなら、次は実践だ。低レベルで、実際に組んで、形成まで通して確かめる。
そこまで考えて、方針を変えた。
既存の呪文を再構築して最適化する。それも一つだ。だが、最適化の原理はもう手の中にある。解けた問題を丁寧になぞるより、この機に新しく作った方が価値が高い。三工程を、なぞりではなく、ゼロからの構築に使う。
作るなら、自分の得意分野で構築するのが正しいのでしょうね。僕の属性は雷・地・空。複合は大抵ハイレベルになり過ぎるから、最初は単属性で。
とすれば、空属性か。
インベントリと飛行程度にしか使っていなかった。レアな属性で、僕自身、真価を引き出せていない自覚がある。だから面白い。
空、で何をイメージする。青い空。あれは飛行だ。大型の倉庫。あれはインベントリ。もっと深く。前世で「空間」という言葉から連想したのは、宇宙。真空。何もないはずの、その中身。
――QET。
思い出した途端、手が動いていた。
足元の石を一つ拾い、いつもカルミナが腰掛けている岩の上に、おもむろに置く。そして、そこから50mほど離れた。
石の在る場所に、意識を向ける。空っぽに見えて、あの一点は空っぽではない。何もない空間ほど、底に汲み出せるものを溜めている。前世で学んだ、零点エネルギー。
その底に、手を掛ける。あの一点が今どういう均衡で保たれているか、そこを崩さないよう、慎重に掛かりを探っていく。乱暴にやれば均衡が逃げて、何も掴めずに終わる。過ぎたるは及ばざるがごとし。強く握るほど、零れる。
掛かりを、見つけた。
そこから、溜まっているものだけを、向こう側で起こす。こちらから魔力を飛ばすのではない。飛ばせば、道筋に流れが残る。向こうの底のものを、向こうで、そのまま立ち上がらせる。
大きなエネルギーが、僕から抜けた。
――石が、シュッと消えた。
音もなく。閃光もなく。ただ、岩の上の石が、そこにあった痕跡ごと無くなった。
「――貴様……、今、何をした……」
ルーニィの声が、変わっていた。
さっきまでの、面白がる余裕がない。帽子の下の目が、石のあった場所と、僕の立っている場所を、何度も往復している。
「魔力の流れが無かった。貴様と、あの石の間に、一筋も流れておらん。なのに、あの地点でエネルギーが弾けた。どうやってこの地点にエネルギーを送り込んだ!!」
僕は、消えた石の跡を見て、頭をかいた。ポリポリ。
「ふむ、この程度じゃ余り実践的価値がありませんね」
送り込んではいない。エネルギーは、この50mを移動していない。だから流れがない。向こうの点で、その場の真空から引き出しただけだ。移送ではなく、現地調達。ただし、引き出せた量は、僕が注いだ量に対して、笑えるほど小さい。石一つ消すのに、この消費。燃費が悪すぎる。
「いや、マテ、マテマテマテマテ! 貴様、マテ!」
「ちょっとエネルギーの前借をしただけですよ」
ルーニィの顔から、血の気が引いていた。
そして、くるりと踵を返した。
「カルミナぁああ! 早く起きろ、貴様!」
魔女が、メルフィーナの膝で寝ているカルミナに向かって、ずんずん歩いていく。
その間に、僕はもう次の実証実験に入っていた。
引き出せた量が小さいのは、繋いだ二点の噛み合わせが粗いからだ。もっと正確に噛ませるには、向こうの点の状態を、もっと細かく捉えなければならない。捉えて、計算して、確定させる。捉える手と、計算する頭。今は、その二つが足を引っ張っている。ここを詰めなければ、取り分は上がらない。
引き出しとは、逆の方向もある。真空から引き出すのではなく、真空を欠けさせる。一点の空間を、足りない状態に落とす。落ちた空間は、埋まろうとする。だが、埋めるのは何でもいいわけではない。決まったものでしか埋まらない。それが来るまで、空いた穴は空いたまま、周りを引きずり込んで広がっていく。
遠ければ遠いほど、埋まるまでの時間が伸びる。伸びた分だけ、穴は居座り、広がる。近くなら小さく閉じるが、遠くに撃てば、僕の手を離れて被害が育つ。止められない。
負のエネルギー状態を利用した攻撃と言うのは出来なくはないが、与えるダメージも甚大な上に制御が効かない。
実戦では、使えないな。
そこまで組んで、その線を頭の棚に上げた。制御できないものは、道具にならない。
「なんじゃあいつは! 発想が次元をこえておるぞ!」
ルーニィが、ゲッソリしたカルミナの肩を掴んで、がくがくと揺すっていた。
意識がまた飛びかけているカルミナが、揺すられながら、ボソッと一言。
「我が主様だからな」
言うだけ言って、ポスッとメルフィーナの膝枕に戻り、また寝た。
僕は、消えた石の跡と、自分の手のひらを見比べていた。捉える手と、計算する頭。この二つさえ詰めれば、前借りの取り分は跳ね上がる。何を使えば、あの一点をもっと細かく捉えられる。計算を、今よりもっと下の階層で回せれば――
「おい、またあいつ何か言ってるぞ! 全く意味が分からん!」
ルーニィの空虚な叫びが試験場にこだましていた。
第八十話・了
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