第七十七話 ”Loony”
謁見が終わったのは、日が落ちる少し前だった。
王が席を立ち、僕とメルフィーナも立った。フィーオが、先に立って歩き出す。
城の廊下を抜けて、外へ出る。夕暮れの城下は、昼間とは違う音がしていた。畑から戻ってきたドラゴノイド兵が、鍬を担いで通りを歩いている。その脇を子供が走り抜けて、兵の一人が体をよじって避けていた。
「随分と、馴染んでおられますね」
「あの者達は、元より人と暮らす種にございます」
フィーオが答えた。
「山では、あまり働く場所も無く。ようやく体を動かせて、喜んでおるかと」
その時だった。
「ずいぶんと成長しておるでないか」
声がした。
門の柱の陰から、人が出てきた。
──女だった。
つばの広い、大きな帽子をかぶっている。裾の長い外套。腰には鎖が下がっていて、その先に分銅が付いていた。片手に、開いたままの本を持ち長い杖を持っていた。
物語の挿絵に出てくる、魔女そのものだった。
「ようやく会えたな。守護竜マキナ」
女が、笑った。
僕の横で、フィーオが止まった。
完全に、固まったと言った方がいい。
それから、額に手を当てた。
「……なぜ、あのお方がここに」
──
「フィーオ様。お知り合いですか」
「知り合い、というよりも……」
フィーオが、言葉を探していた。この竜が言葉に詰まるのを見るのは、今日で二度目だ。
「あのお方は、頭数には入っておりません。始祖竜様よりお預かりした兵の中には、居らぬはずの方です」
「あのお方も竜族なのですか?」竜の証が一つも無い。角も、翼も、鱗も無い。竜の目で見ても、人の形の内側に竜が見えない。
「では、なぜこちらに?」
「勝手についてこられたのでございます」
淡々と言うフィーオは、呆れかえっている様に見えた。
「誰の指揮下にもございません。あの方を止められる者も、おりません」
女が、こちらへ歩いてくる。
興味あるモノを見つけた猫の歩き方だ。少し速足に獲物に狙いを定めて一直線。
十歩ほど手前で止まって、女は僕を上から下まで見た。
「そうか。それが今の魂の器か」
「……はい?」
「そうだ、お主産まれて直ぐに、鑑定水晶の構造を解析して最適化しただろう?」
──息が止まった。
僕の頭の中で、複数の可能性が目まぐるしく走り回った。
鑑定水晶。あれをやったのは、この世界に来て二日目だ。産まれた直後で、まだ白い毛塊で、言葉も話せなかった頃だ。あの場に居たのは王とメルフィーナと、それから数人の側近だけだったはずだ。
「なぜ、それを」
「特殊な現象が起きていたからな。見させて貰っておった」
女は、当然のように言った。見た目の割に随分と歳をとった老婆の様な話し方をする。
「産まれたばかりの古代竜が、鑑定水晶に触れて、その場で構造を書き換えた。あんなものを見せられて、放っておける奴がおるか」
僕は、答えられなかった。
見られていた。
四年以上前から。
「良かったぞ、あれは。誰も教えておらんのに。お前は水晶を見て、仕組みを読むとって、その場で作り直した。産まれた直後にだぞ?」
女の目が、細くなった。
「なのに、なぜ魔法の改良を考えなかった?その発想力があれば、いくらでも魔法を作り直せただろう」
──
「……何を、仰っているのか」
「そのままの意味だ。お前は魔導回路とやらを扱っておるな?ゴーレムを動かしたり、通信も飛ばしたな。全部、大したものだ。認めよう」
女が、一歩近づいた。
「だが、その全部が『魔法を道具にハメ込む』話ばかりだ。魔法そのものを、お前は一度も弄っておらん」
「僕は、工学を——」
「魔法という可能性を、なぜ避ける?」
言葉が、出なかった。
避けている。
そう言われて、否定できなかった。僕は魔法を使う。空間魔法も使うし、ブレスも撃つ。だがそれは、古代竜の脳の演算でごり押ししているだけだ。仕組みを解析して、組み直したことは鑑定水晶だけだった。
工学的な発想はいくらでもしてきたが、魔法は使っただけだ。
なぜだ。
「答えられんか」
「……いえ」
「では言ってやろう。分からんからだろう」
僕は、半歩下がった。
自分で、下がったのが分かった。僕はこの女性が正直苦手かもしれないと感じていた。
「お前は非常に頭が良い。異邦人の特徴なのかもしれんが、発想力が化け物だ。だが、得意な事に集中し過ぎて可能性を潰しておる」
女が、僕の顔を覗き込んだ。
「鑑定水晶のあっぷでーとが出来て、何故そんな程度の魔法で満足しとるんだ?」
──
言い返す言葉が、無かった。
僕は、また半歩下がっていた。じわじわと追い詰められていく感覚がある。
ふと横を見るとメルフィーナの横まで下がってしまっている。メルフィーナが驚いた様に、口を開けたまま僕を見ていた。
成竜になってから、僕をここまで威圧した敵は居なかった。カルミナに剣を突きつけられても、リーディアに真意を射抜かれても、僕は笑って返してきた。まだ余裕がある状況だったからだ。
だが、彼女の言う事に僕は反論する理論を持っていなかった。
「まあそう邪険にするな、守護竜マキナ」
女が、急に声の調子を変えた。
「我の知識と技術は、間違いなくそなたの助けになるぞ?」
「……」
「貴様が使っている魔導回路とやらの改良もできるぞ? どうだ? ゴーレムの強化をしたくないか?」
「……」
「それにな? 魔法とは貴様が扱う工学にも似た要素があるのだぞ?」
「私の知るプログラムの様な言語を組み合わせて、効率化や事象を操作する部分ですね?一種のプロンプトの様な役割が見えます。」
「————」
女の動きが、止まった。
それから、目が見開かれた。ゆっくりと、口の端が上がっていく。
「……そうだ。そうだとも、くくくくく」
声が、震えていた。
「そうか。分かるか。分かるのか、お前は」
「話を聞く限り、そうとしか読めません。魔法が言ノ葉で事象を起こす現象なら、詠唱はプロンプトです。書き方で結果が変わるなら、書き方の側に規則がある。規則があるなら、最適化の余地または新しいプロンプトで強化も可能でしょう」
「くくっ」
女が、笑った。
「くははははは! そうだ! そうだ、それだ! 四年待った甲斐があったわ!」
──
「見たいか」
女が、唐突に言った。
「へ」
「魔法だ。我の最大魔法だ。見てみたいか?」
「それは——」
「見たいのだろう?」
見たかった。
この女が何を持っているのか、どういう理屈で撃つのか、どこまで組めるのか。全部見たい。
僕が答える前に、女は本を持ち上げた。
そして、詠唱を始めた。
「炎は我が怒り 天を焦がし」
空気が、変わった。
「地を焼き尽くす 無窮の業火」
僕は、それを聞いていた。
その詠唱は美しく、儚い。詠唱が魔力をどう組んでいるのか、どの順で何を積んでいるのか。僕は一節ごとに、意味の層が重なっていくのを観察していた。これはプロンプトだ。積み上げのプロンプトだ。一節が次の一節の前提になっている。
面白い。
面白い、と思った瞬間に、僕は計算を終えていた。
魔力の集まり方から、逆算した。
積算される。この詠唱は、節を重ねるごとに二乗で積まれていく。今の三節目で、既に僕のブレス一射を超えている計算だ。この詠唱文の構成から考えると後3節から4節は続く。
三節までで、この規模と魔力量の膨らみ……
——待て。
「焔龍よ、蒼穹を喰らえ虚空の果て」
四節目で、答えが出た。周囲への被害が甚大になる!
計算結果が出た瞬間に、僕は動いていた。
女の腰に腕を回して、小脇に抱え上げる。抱えた瞬間に、地面を蹴った。
石畳が割れた。
跳んだ。
「おお?」
女が、抱えられたまま口元がにやけている。
そして、詠唱を続けた。
「今、汝に我が、全力を捧げ——」
止めない。この女、詠唱を止める気が無い。
僕は、空中で竜の姿へと変体した。
人の腕が消え竜の腕へと変化する。抱えていた女を見失う前に、口で咥えた。首の後ろの外套ごとだ。
彼女は帽子を手で押さえつつ詠唱を続けていく。
何て図太い精神力だと感心したが、僕はそのまま翼を打った。
──
城下が、一気に遠ざかっていく。
眼下で、メルフィーナが空を見上げていた。その横で、フィーオが額に手を当てている。門の前の兵が、鍬を落として天を仰いでいた。
僕は、登った。
登れるだけ登った。雲の底が近づいて、抜けて、その上へ出た。
咥えたものが、だらんと下がっている。
この女は、暴れなかった。逃げようともしなかった。首根っこを咥えられて、宙にぶら下がったまま、詠唱を続けている。
「炎帝の名の下に。」
空気が、鳴った。
「世界を煉獄へと導け!」
──
女の足元に、巨大な円系の魔法陣が生まれた。
宙に、何も無い場所に、光の円の内に幾何学模様が浮いている。幾重にも重なって、回っている。円の中に文字が流れていた。読めない。読めないが、あれがさっきの詠唱だ。文字が流れる速度が、この魔法の演算速度だ。魔法陣とは一種の基盤の様なモノなのだと理解できた。
円の中心から、光の玉が産まれ出た。
小さい。人の頭ほどしかない。それが、雲の海へ向かって飛んでいく。
簡単に避けられそうな、ゆっくりした飛び方に思わず緊張が途切れそうになる。
そう思った僕の口元で、咥えられたままの女が言った。
「見ておれ」
彼女の指が、パチンッと乾いた音で鳴った。
──
ヒュッという風の収束音と共に、雲が消えた。
音が、遅れて来た。「ドンっ!!!」
僕の翼が、押された。100メートル級の体が、空で数十メートル流された。翼を打ち直して、姿勢を戻す。口元で女がひらひらと舞いながらケタケタと笑っていた。
眼下に、穴が空いていた。
雲の海に、丸く強大な穴が開いていた。直径は、王都がまるごと入る。その縁が、内側へ向かって燃えている。白い炎だ。雲が燃えている。水が燃えるはずが無いのに、燃えている様に見える。
穴の底から、光が抜けていた。
上へ。天へ。夕暮れの空に、まっすぐな柱が立っている。
それが、しばらく続いた。
やがて炎が縁から消えて、雲の穴だけが残った。ゆっくりと雲が流れ込んで、穴を埋めていく。何事も無かったように。
僕は、それを見ていた。
咥えたものが、ぶら下がったまま笑っていた。
「くくく。良い顔をしておるぞ、守護竜マキナ」
──
僕は地上に降りて、人の姿に戻った。
僕は、しばらく口を開かなかった。
開けなかった、と言うべきかもしれない。
「……あれは」
やっと出たのが、それだった。
「あれは、なんですか」
「業火滅天。天地焦土、萬物灰燼」
女が、帽子のつばを直した。
「わしの全力詠唱だ。六節。あれ以上は、我でも厳しいかのー」
「あそこまでの出力が……」
「そうだ。一節が次の一節の踏み台になる。台が高いほど、上に載るものが大きくなる。だから詠唱が長い方が出力が上がるんじゃ。ただまあ、一節増える毎に消費魔力も倍々で増えるからのー」
僕の頭が、勝手に回り始めた。
一節ごとに二乗で積むなら、積み上げた段に対して指数だ。詠唱の長さが出力を決めるなら、詠唱を短縮した瞬間に出力が落ちると言う事か。であれば、詠唱を使用していない僕の魔法は無詠唱。何も乗せていない状態で使用しているのと一緒と言う事か。
——だから僕は、彼女にとってあの程度なのか。
僕は魔法を使ってきた。無詠唱で。古代竜の脳の演算でごり押しして、それで足りていたから、それ以上を考えなかった。
「分かったか」
女が、僕を見ていた。
「そなたの脳みそは、化け物だ。その癖詠唱破棄なんていう馬鹿な事をしとるから魔力の収束もできちゃいない。アホじゃのー」
「……」
──
僕は、答えられなかった。
考えたことが、無かったからだ。
「わしが、教えてやろうか」
女が、事もなげに言った。
「我が魔法を一から教えてやる。そなたが工学をやったのと同じ手順で、魔法をやり直せ。図面を引け。仕組みを読め。組み直せ。全部、我が付き合ってやる」
「……なぜ」
「そりゃー、見たいからじゃよ」
即答だった。
「四年前、産まれたばかりのお前が鑑定水晶をあっぷでーとするのを見た。あの日からずっとお主の頭が、魔法に本気になったらどうなるかと言う結果が見たいのじゃ」
女は、笑っていなかった。
「これは我の願いだ。我の得だ。そなたの為ではない。だから遠慮するな」
僕の横で、メルフィーナが小さく息を吐いた。
「……また、女性が増えた……」
聞こえていた。
聞こえていたが、今はそれどころではなかった。
──
「一つ、伺っても」
「なんだ」
「お名前を、まだ伺っておりません」
「おお」
女が、手を打った。
すっかり忘れていた、という顔だった。ここまで喋っておいて、この女は一度も名乗っていない。
「ドラゴノイド亜種のルーニィだ。見てくれはドラゴノイドより人種に近いがの」
「……」
「昔、異邦人の男に付けてもらった名でな。我の大事な名だ」
──ルーニィ。
Loony。
僕は、その音を頭の中でスペルに落としてみた。その名を付けた人間の顔を想像した。
その男は、この女に付き合って、たぶん散々な目に遭って、それで最後にこの名前を選んだろう。
「ルーニィ……Loonyですか。ははは、良き友だった様ですね」
「分かるか?!」
ルーニィが、身を乗り出した。
「あいつはいつも我を子供扱いしおってのー。あいつにしては珍しく、我に合った名前を付けてくれてな! ”高貴”という意味なんじゃよ!」
「……そうですか、良い名ですね」
——太古の異邦人に感謝を。
ルーニィが、満足そうに帽子を被り直した。
門の脇で、フィーオがまだため息をつきながら額を押さえていた。
第七十七話・了
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