第七十四話 ”分岐”
魔導通信の呼び出しが入ったのは、朝の作業を始めて間もない頃だった。
開発室の壁に据えた結晶が、淡く脈を打つ。回線を開くと、聞き慣れた声が流れ込んできた。
『マキナ殿。近く、王都へ来てはもらえぬだろうか』
マルキウス王だった。
用件は二つあるという。
一つは、サイクロプスの再配置だった。
『王都の10基を、引き揚げてはもらえぬか。ドラゴノートなり、ドラグナートなり、貴殿の使いやすい所へ回してくれてよい』
これは僕が行くしかない。サイクロプスを始めとするゴーレムは登録制だ。動かすには登録の書き換えが要る。他者が勝手に動かせないように、そう作ってある。
問題は、なぜ今その話が出たのかという方だった。
『先代の守護竜が、王都に参った』
王の声が、少し弾んでいた。
先代守護竜。炎竜。メルフィーナの母が契約した竜だ。契約者を喪ってなお、山に籠もりつつも王都を守り続けていた——僕がこの国に来る前の話で、僕は一度も会ったことがない。
その竜が人の姿を取り、王の元へ来た。始祖竜の命により、配下ごと国に加わるという。
『ドラゴノイドの兵が5000。ワイバーンが50騎。鎧竜が3頭だ』
数を聞いて、僕は頭の中で算盤を弾いた。
鎧竜が東、南、西。王都の門の数と、頭数が合っている。北に門はない。山脈が近すぎて交通の路にならず、そもそも壁を抜く必要がないからだ。攻めるなら、門のある三方から来るしかない。その三方に、竜が一頭ずつ座る形になるのだろう。
そして王都は、国の最奥だ。ここへ攻め込まれる時は、その前にドラゴノートかドラグナートが落ちている。門番に6基、王城の四方に4基。据えた当時は他に何も無かったから、そうしただけの話だ。
竜が門に座るなら、その10基は要らなくなる。
戦力的にサイクロプスが浮くのは助かる。
そこまで考えて、僕は自分の手元を数え直した。
ドラグネストのサイクロプスは、2機だった。
あの2機で要塞を牽引し、着いたら連結を切って、そのまま戦場の目として運用してきた。
足りていないのは、分かっていた。サイクロプスが2機。アーレフのカメラを足しても3点からしか戦況を確認できていなかった。
ヴィの戦術眼がどれだけ凄いと言っても、見えていないものは読みにくい。僕が戦場で彼女に渡せていたのは、いつも切れ端になった情報だけだった。
増やす算段はずっとしていたのだが、何せコアの問題がある。
そこへ、10基。
『どうだろうか、守護竜殿』
「伺います。登録のやり直しは、僕でなければできませんから」
『助かる。それと——フィーオに、会ってやってくれ』
フィーオ。それが先代の名だ。
『メルフィーナも、連れて来てくれるか。あれにとっては、母の友だ。覚えてはいないだろうが、フィーオにとっては忘れ形見の様なモノだ』
「承知しました」
回線を閉じてから、僕はしばらく開発台の前で考えていた。
王が兵を増やしている。当然だ。13年守勢に徹してきた国が、力を得たなら使う。北西のドラゴノートは、奪われて、奪い返した街だ。あの城壁から西を見れば国境で、その向こうが神聖国になる。守りが厚くなれば、その分だけ前へ出せる。王としては、そうする以外に採る手がない。
そして王は、その厚くなった分を自分の懐に入れず、僕に返してきた。
必要な物を必要な間だけというやつだ。
妥当な判断だと思った。
僕は工具を置いて、皆を集めるために開発室を出た。
◇
広間に集めたのは、いつもの面々だった。
王都へ召還されること。用件はサイクロプスの再登録と、先代守護竜との顔合わせであること。日数はそう掛からないこと。僕はそれだけを、順に話した。
「では、私もご一緒させて頂きます」
メルフィーナが、真っ先に言った。当然だ。彼女は契約者であり、この国の王女で、そして母の友に会いに行く。
「リーディア殿は、留守番をお願いできますか。ミカル殿もいるネストの方が居心地も良いでしょう」
「ええ。お気になさらず」
リーディアは、静かに頷いた。この人は、こういう時に一度も無理を言わない。
そこで、カルミナが口を開いた。
「そうか。なら妾は、主が戻っている間に前線の視察と行って来よう」
広間が、ざわっと揺れたのを感じた。
僕も、正直なところ意表を突かれた。当然ついて来るものだと思っていた。この女は、僕の隣に居場所があると本気で信じている。
「主が言ったのではないか。全体を見る目を養えと」
カルミナは、あっけらかんとしていた。
その通りだった。僕が言った。ドラグネストの中だけを見ていても、盤面は分からない。前線がどう回っているのかを、彼女自身の目で見る必要がある。僕は彼女のそういう所が嬉しくなった。
「前線視察、よろしくお願いします」
言ってから、一つ足りないことに気付いた。
「カルミナ。あなたには、肩書があった方がいいですね」
「肩書?」
「今のままでは、ドラグネスト所属と言うだけになってしまいますしね」
僕は、皆の顔を一度見渡した。
「ちょうどいい機会です。うちの体裁を、ここで整えておきます。
ドラグネストには人が増えて来た。レイヴンズと兵士が一個中隊、後ろに開発と工房、ハルトアイゼンから来た職人たち、学徒兵が100人余り。それぞれが勝手に回っているだけで、束ねる名前がない。国の正規軍とは別建てで、王からは自由な采配を許されている。だが名乗る名前が無ければ、立場を証明できないこともあるだろう。
名前は、それだけで抑止になる。前の生でも、そうだった。所属を名乗れる者と、名乗れない者では、同じことをしても扱いが違う。
「今後このドラグネストで僕に所属する者たちを守護竜の私兵、竜の軍団とします」
口に出してから、悪くない名だと思った。
「レイヴンズは、レギオの下部組織として運用します。その他、学徒兵を除く全てのドラグネスト人員は、レギオの一員です」
ざわ、と広間が動いた。ジリオンが何か言いかけて、隣のララに肘で止められている。ミカルは腕を組んだまま、口の端だけを上げていた。
「そして、カルミナ」
僕は、彼女に向き直った。
「あなたは僕の代理です。あなたの判断も行動も、全て僕が成した事とします」
広間が、今度こそ静まり返った。
メルフィーナが、僕を見た。何か言おうとして、言葉を探している顔だった。
「マキナ様。それは……」
「ええ。そういう意味です」
代理を立てるというのは、そういうことだ。現場で判断できない組織は死ぬ。前線に出した者に一々伺いを立てさせていては、間に合うものも間に合わない。だから判断は現場に渡す。渡した以上、結果は渡した側が引き受ける。それだけの話だった。
「ですが、カルミナさんは——」
メルフィーナが、そこで口ごもった。言いかけたことは分かった。恐怖がなく、遠慮がなく、加減を知らない女だ。心配するのは道理だ。
「カルミナはいつだってカルミナです」
僕は答えた。
「これ以上、彼女を信じる理由はいりますか」
メルフィーナが、口を閉じた。
この女は一度も約束を違えたことがない。負けたら女になると言って、本当に女になった。烏合の衆だと鼻を鳴らしながら、組織を端から端まで見ていた。ヴィを試験場の真ん中に立たせた時ですら、掠り傷ひとつ付けていない。やることに一貫性がある。一本筋が通っている人物は信頼できる。
カルミナは、しばらく黙っていた。
それから、壁から背を離した。
裾をつまみ、膝を折る。寸分の隙もない、美しい礼だった。
「守護竜様の代理、謹んで拝命致します」
声が、変わっていた。
いつもの尊大さが、どこにもなかった。あるのは、礼節を叩き込まれた者の凛とした声だけだ。この女がこの声を出すのを、僕は今までに一度しか聞いたことがない。この国に来た日、初めて僕を主と呼んだ、あの時だけだ。
顔を上げたカルミナは、もういつもの顔をしていた。
「では、行ってくるぞ、主様」
「ええ。あなたはあなたの成すべき事を成してきて下さい」
「主様の期待に沿うよう努力しよう」
そう言って、彼女はフフンっと笑って先に広間を出て行った。
僕の隣で、メルフィーナが小さく息を吐いた。
◇
王都までは、半日と掛からなかった。
竜の姿で飛べば、それで済む。メルフィーナを背に乗せて、山を二つ越える。彼女は僕の背中の上でも、もう平然としている。初めの頃は、鞍の縁を指先が白くなるほど握っていたのが嘘のようだ。
上空から見下ろした王都は、明らかに変わっていた。
まず、東の丘に鎧竜と思われる巨体を見て取れた。見るからに硬そうな外骨格と甲羅にも似た生態装甲。その名の由来となったであろう、その外郭は僕であっても苦労しそうな程強靭に見えた。
その足元で、土が起きている。荒れ地だった斜面が、拓かれていた。
「鎧竜が、開拓している様ですね」
「まあ」
背中の上で、メルフィーナが身を乗り出した。
理屈は通っている。あの体重があれば、地固めに人手を割く必要がない。切り株も、あの膂力なら引き抜けるだろう。戦のない間、遊ばせておく方が損だ。
上空を、影が横切った。
ワイバーンだ。二騎。翼を広げたまま、旋回して高度を落としていく。背には人が乗っている。あの高さで、あの速度。三姉妹をレギンレイヴに乗せて空に上げるまで、うちの対空は事実上アーレフしかいなかった。それが、生身の翼で当たり前のように飛んでいる。
すれ違いざま、ライダーが僕を見た。竜の顔で見られたところで、向こうも竜だ。何とも思っていない顔だった。ただ、片手を上げて寄越した。
僕は、翼で軽く返した。
城下の広場に降りて、人の姿を取る。
立ち上がって周りを見ると、そこにも見慣れない者達が並んでいた。
背は人より頭一つ高い。鱗があり、尾がある。角は短く、翼はない。武具は人のものとよく似ているが、寸法だけが大きい。あれがドラゴノイド兵だろう。
そのうちの何人かが、鍬を担いでいた。
「兵士が、農具をもって開拓しているのですか?」
思わず、声に出ていた。
「戦の無い時は、畑に出ておるそうです」
答えたのは、迎えに出ていた騎士団の男だった。
「力が人の何倍もありますのでな。一人で何反も耕してしまう。おかげでこのひと月、王都の周りの荒れ地が随分と減りました」
山岳民族だと考えていたが、農作にも知識が有る様で驚いた。
僕は、東門に立つサイクロプスを見上げた。2機。据えた日のまま、動いていない。その足元を、鱗を持つ兵が行き交っていた。
風景が、変わっていた。
田は広がり、兵は増え、民の顔つきは明るい。国が強くなり、豊かになっている。
僕は、サイクロプスの脚に手を当てた。
「では、始めましょうか」
◇
作業を終えたのは、日が傾いてからだった。
三つの門から2機ずつ、王城の四方から4基。10基すべてを降ろして、空属性へ収める。登録の書き換えと、動作確認と、基礎命令の入れ直し。手順そのものは単純だが、四箇所を回って10基だ。
最後の1基の動作を確かめて顔を上げると、メルフィーナが立っていた。
その後ろに、王がいる。
そして、その隣に美しい赤いドレスを着た女がいた。
緋色の髪の、若い女だ。歳の頃は二十歳そこそこに見える。
だが、竜の目で見れば、そんなものは意味がない。人の形の内側に、炎がある。深く、静かで、長く燃え続けている炎だ。古い。僕よりも遥かに長く、この世界にいる。
炎竜だ。古代種ではないが火竜の上位種だな。
「マキナ殿」
王が、口を開いた。
「紹介しよう。先代の守護竜、フィーオだ」
女が、こちらを見た。
緋色の瞳が、僕を捉える。ほんの一瞬、その目が細くなった。値踏みされたのだと分かった。竜が竜を見る時の目だ。僕も同じことをしている。お互い様だった。
「ドラゴ・エクス・マキナと申します」
僕は、頭を下げた。
「今代の守護竜を務めております。以後、お見知り置きを」
「先代守護竜フィーオにございます」
女が、深く頭を下げ返した。
「マキナ殿。お名前は、かねがね伺っております。この国を復興させ、民に竜への信仰を取り戻させた御方と。私にはできなかったことです。」
「僕は工学をやっただけです。信仰は、民が勝手に取り戻しました」
言ってから、少し正直すぎたかと思った。
フィーオが、わずかに目を見開いた。それから、口の端を上げた。
「……そうでございますか」
それきり、何も言わなかった。値踏みは、まだ終わっていないらしい。こちらとしても構わない。先代がどういう竜なのかは、これから見ればいい話だ。
その横で、メルフィーナが一歩前に出た。
僕は、彼女を見た。
この場で最も緊張していい立場のはずだった。母を知る竜。母が名付けた竜。彼女は母を知らずに育った。母のことを話せる者は、この世に数えるほどしかいない。その一人が、目の前に立っている。
だが、メルフィーナの顔に迷いはなかった。
「フィーオ様」
彼女は、まっすぐにその竜を見上げた。
「メルフィーナ・フォン・ドラグロードと申します。今代守護竜マキナ様の契約者とさせて頂いております」
フィーオが、口を開いた。
何も出てこなかった。
先ほどまで僕を値踏みしていた目が、そこで完全に止まっていた。どこか懐かしいものを見る様な優しい目で彼女はメルフィーナを見ていた。
「……はい」
やっと出てきた声は、それだけだった。
その一言に、この竜が何十年かけて積んだものが乗っているのが分かった。
僕は二人の邪魔にならぬ様、黙って一歩下がった。
第七十四話・了




