第七十三話 ”炎の竜”
その女はまるで燃え盛る炎の様に赤く、情熱的に見えた。
謁見の間に通されたその女を、王たる私は玉座から見下ろしていた。緋色の髪が床につきそうな程長い。まとう衣も深い紅で、窓から差す午後の光を受けて、髪も衣も燃え立つ炎のように揺らめいて見えた。
初めて会う女で、私の記憶には無い。しかしこの女をここへ通した衛兵によれば、古き友と言っていい人物だった。
「マルキウス王、お久しぶりでございます」
そう言って美しく挨拶をするこの女の声に、私はどこか懐かしさを感じた。
こんな事はあり得ないのだが、頭ではなく心が彼女に反応している様だった。会ったことのない女に、旧い友と再会したような、そんな心地がした。
「まさか、フィーオなのか」
フィーオ。その名を呼ばなくなって、数年が経つ。今は亡き妻フィオーラが、契約した火竜に付けた名だった。
「先代守護竜フィーオ。始祖竜様の命の下、我が身と我が軍団をもってマルキウス様にお仕えする様仰せつかり、参上いたしました」
女が、深く頭を垂れた。
◇
私は、しばし言葉を失っていた。
フィーオ。妻が契約していた、あの火竜。私は一度も彼女が人の姿になった所を見た事が無かった。妻の語る話の中にだけ、この竜は人の姿でいた。大きな猫のようで、強情で、義理堅い。妻はいつも、そう言って笑っていた。
その竜が今、人の姿で、目の前にいる。
私は玉座を降り、女に歩み寄った。
近くで見ると、その姿はいっそう際立った。緋色の瞳の奥には、人にはない悠久の時を超えた光がある。長く生きたものだけが持つ、静かな威厳。だがその面立ちは若く、美しく、どこか儚げでもあった。竜が化けた姿だと分かっていても、私はただ、美しいと思った。理屈ではない。素直に、そう思った。
「そうか。……そうか、あなたが、フィーオか」
私は、それだけを繰り返した。
妻が、いつも話していた竜。妻が自分の名を削って与えた竜。私は妻の言葉を通してしか、この竜を知らなかった。その竜と、今、初めて向き合っている。会ったことのない相手なのに、長く隣にいた友のように思えるのは、きっと、妻がそれほど深く、この竜のことを私に語っていたからだろう。
「顔を上げてくれ、フィーオ殿。畏まる相手ではあるまい。妻の友なのだから」
女が、顔を上げた。
その瞳が、わずかに揺れたように見えた。だが私は、それを久方ぶりの再会の情だと受け取った。私とて、同じ気持ちなのだろう。
◇
フィーオの申し出は、私の想像を超えていた。
「陛下。わたしは身一つで参りましたが、陛下がお許しくださるなら、わたしの配下をこの国に加えることができます」
フィーオは、静かに告げた。
「ドラゴノイドの兵、五千。ワイバーン五十頭。そして、鎧竜を三頭」
私は、思わず息を呑んだ。
竜人の兵が五千。ワイバーン。そして竜が三頭。それがどれほどの力か、私にはすぐに分かった。この山がちの小国が、13年ものあいだ守勢に徹してきた。それが今、一足飛びに、大国と変わらぬ戦力になる。望むなら、他国を攻めることすらできる国へ変わると言う事だ。
「そのような力を、なにゆえ、我が国に」
私が問うと、フィーオは静かに答えた。
「ドラグロードが、力と信仰を取り戻したからです」
その言葉の意味を、私はすぐには掴めなかった。フィーオは続けた。
「守護竜マキナ殿のお力で、この国は復興いたしました。道は安全になり、民は富み、竜への信仰も取り戻しつつあります。人々が竜を敬い、始祖竜様を讃える。その祈りの力が、始祖竜様のもとへ注がれております」
私は、その理を、ゆっくりと呑み込んだ。
竜信仰の総本山たるドラグロード。この国が栄え、民が竜を敬うほどに、始祖竜のもとへ信仰の力が集まる。そして始祖竜は、その力をもって、我らに戦力を与えることができるようになった。フィーオの率いる軍団は、その顕れなのだ。
「では、この力は」
「ドラグロードが自ら取り戻した力にございます。守護竜マキナ殿が国を復興させ、民が始祖竜様を讃えた。その果実を、始祖竜様が、この地にお返しくださったのです」
私は、胸が熱くなるのを感じた。
そうか。これは、施しではないのだ。マキナ殿が礎を築き、民が祈りを捧げ、その積み重ねが、めぐりめぐって、この国に竜の軍団という形で戻って来た。ドラグロードが自らの手で、竜の加護を、再びこの地に呼び戻したのだ。竜信仰の民として、これほど誇らしいことがあろうか。
愚王を名乗り、13年、ただ守り抜くことに徹してきた私だ。攻める力など、夢にすら思った事がない。だが今、目の前に、その力が差し出されている。始祖竜の御心のもとに。妻の契約した古き友の手によって。
断る理由は、どこにもなかった。
「フィーオ殿」
私は、まっすぐにフィーオを見て言った。
「その力、ありがたく頂戴しよう。ドラグロードのために。そして、竜への信仰のために。そなたには是非我の隣にあってこの国を共に支えてくれれば、亡き妻も喜ぶだろう」
フィーオが、深く頭を垂れた。
「ありがたき、幸せに存じます。わたしの事はフィーオとお呼びください」
◇
話が済むと、私はフィーオを近くに招き、茶をもてなした。
妻ゆかりの竜だ。粗略にはできぬ。私たちは、フィオーラのことを話した。まだ国が穏やかだった頃のこと。妻がこの竜を「大きな猫」と呼んで、フィーオのほうがむしろ困っていたという話。フィーオは多くを語らなかったが、妻の話をするとき、その目は、遠く懐かしいものを見るような穏やかな目をしていた。
この竜は、妻を深く慕っていたのだろう。そして、妻が愛したこの国を、契約が解けてなお、守り続けてくれた。神聖国が「山に籠もった無能」と嘲ったその陰で、この竜はずっと、王都を守っていたのだ。私は、そのことに、遅まきながら礼を言った。
フィーオは、静かに首を振った。
「守るのは、守護竜の務めにございます。友との約束に契約の有る無しは、関わりございませぬ」
その言葉に、私は、この竜の芯を見た気がした。儚げに見えて、その義は、鋼のように硬い。妻が惚れ込んだのも、道理だった。
「メルフィーナを覚えておるか?そういえば、そなたがあの子を見たのは、まだ襁褓の頃であったな。あの戦から、もう17年になる」
フィーオの目が、わずかに見開かれた。
「フィオーラの遺したメルフィーナも、今では立派に、マキナ殿の契約者を務めておる。母によう似た、気丈な娘に育った。近いうちに、会ってやってくれ。母の友に会えば、あの子も喜ぼう」
「……あの、小さかった御子が」
フィーオの声に、初めて、柔らかな揺らぎがあった。畏まりでも、威厳でもない。母親のような響きだった。
「そうですか。フィオーラ様の娘御も、もう、そのように大きく……。時が経つのは、早いものにございますね」
フィーオは、遠くを見た。膝の上で、その指が、そっと何かを抱くように動いた。かつて腕の中にあった、小さな重みを、確かめるように。
「これからは」
フィーオが、杯を置いて言った。
「今代の守護竜殿と力を合わせ、この国にお仕えする所存にございます。機械仕掛けの守護竜殿の工学と、我が竜の軍団。二つが揃えば、この国を脅かせる者は、もはや大陸におりますまい」
私は、頷いた。
先代の守護竜と、今代の守護竜。火竜のフィーオと、機械仕掛けのマキナ。二頭の竜が、共にこの国を守る。かつて一頭の竜さえ得られず、山向こうの砂塵に怯えていた小国が、今や二頭の竜を戴く国となる。
窓の外、城下には、守護竜殿の据えた鉄の巨人が、いつものように立っていた。その隣に、これから竜の兵が並ぶのだと思うと、私は、17年ぶりに、胸の奥が沸き立つのを感じた。
頭の片隅では、もう算段が始まっていた。鎧竜が東、南、西の三方を固めてくれるなら、これまで王都の守りに割いていたサイクロプスに、余裕が生まれる。マキナ殿から預かった10基は別の拠点の防衛に回せる。あるいは、いざという時に動かせる、機動戦力としてマキナ殿の手元に残せる。守りが厚くなれば、それだけ、他へ手が伸ばせるのだ。
我ながら、現金なものだ。妻ゆかりの友と再会した、その同じ席で、私はもう戦力の割り振りを勘定している。だが、それが王の性というものだった。
もっとも、と私は思い直した。あの鉄の巨人は、守護竜殿の命で動いている。据える場所を変えるにも、守護竜殿の手を借りねばなるまい。私が勝手に動かせるものではない。
ならば、一度、守護竜殿にこの王都へ来てもらう必要がある。サイクロプスの据え直しを頼み、そして――フィーオを、引き合わせねばならぬ。先代の守護竜と、今代の守護竜。二人が力を合わせるというなら、まずは顔を合わせるのが筋というものだ。それに、あの子も連れて来よう。母の友との対面を、あの子とて、望むに違いない。
私は、フィーオに、その旨を告げた。近く、マキナ殿とメルフィーナに、この王都へ来てもらう、と。
フィーオは、静かに頷いた。
◇
良い日だった。
妻ゆかりの友と再会し、竜の加護がこの地に戻り、国は新たな力を得た。フィオーラよ、と私は、亡き妻に語りかけた。そなたの遺した国は、こんなにも豊かに、強くなったぞ。そなたの娘も、そなたの友も、皆、達者にしておるぞ、と。
傍らのフィーオが、静かに微笑んでいた。
その横顔を、私は、良いものを見た心地で、眺めていた。
◇
この国を、強くする。二頭の守護竜と、竜の軍団と、人の兵。それらを束ね、さらに増やしていく。もう、他国の侵略に怯えて眠れぬ夜は、終わりにする。攻められて、奪われて、大切なものを失う――そんな思いは、二度としない。
誤解してくれるな。私は、攻めたいのではない。奪いたいのでもない。ただ、守りたいのだ。過ぎたる力は自己の破滅を呼ぶと言うが、自衛も出来ない国では他国の言いなりになり搾取される一方なのだ。
だから、強くなる。守るために。
それが、17年守り抜いてきた私の、たどり着いた答えだった。
フィーオの率いてきたドラゴノイドたちは、戦士であると同時に、よく働く農夫や工夫であった。竜の膂力は、鍬を握れば人の何倍もの土を耕す。彼らは兵として立つかたわら、荒れ地を拓き、田畑を広げていってくれた。
鎧竜たちも、その巨躯で開拓を手伝った。あの温厚な草食の竜は、戦のないときは、のっそりと畑に出て、その巨大な体で荒れ地を踏みならし、大岩を退け、人では動かせぬ切り株を難なく引き抜いた。子供らは、畑を耕す竜の背によじ登って遊んだ。鎧竜は嫌がりもせず、されるがままに、ゆっくりと大地を均していく。守りの要たる竜が、こうして民に親しまれ、田を拓く姿は、竜信仰のこの国にふさわしい、穏やかな光景だった。
守るための力が、そのまま、民を養う力にもなる。兵が増え、田が広がり、実りが増える。人口が増え町が大きくなり、国が強くなりながら、豊かになっていく。
こうして、王都ドラグロードは、人の兵七千に、竜の軍団を加え、さらに強き国へと歩み出した。
第七十三話・了
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