第七十二話 ”最前線(フロントライン)”
その荷が届いたのは、よく晴れた昼下がりのことだった。
ドラグネストは、三つの都市のちょうど真ん中に据えられた拠点だ。王都からも、ドラグナートからも、前線のドラゴノートからも等しく遠く、等しく近い。だから方々からいろいろな物が届く。鉱石も鋼材も書状もそして人も、金属を削る音が朝から晩まで鳴り止まぬこの場所へ集まってくる。
その日、私宛ての荷が届いたと聞いても、はじめは何かの部材だろうと思っていた。
届いたのは、王都の父上からの荷物だった。
包みを解くと、絹が零れ出た。新しいドレスが幾つも入っている。どれも仕立ての良い上等な品で、深い青の一着を広げると光の加減で緑がかって見えた。私の目の色によく合う色だ。父上が選んだのか、選ばせたのか。どちらにせよ、私の顔を思い浮かべて誂えたものだと一目で分かった。
包みの底に、文が二枚あった。
一枚目は父上らしい格式ばった文だった。新しきドレスを幾つか贈る、救援の物資と思うて受け取るがよい、武運を、と。
救援の物資。武運を?
思わず笑ってしまった。父上はドレスを送るのにまで戦の言葉を使う。娘の日々を、まるで戦線でも案じるように書く。相変わらずの人だ。いったい何と戦えと……。
笑ったあとで二枚目を見て、私は少し黙った。
二枚目には、たった三文字だけ書いてあった。
『頑張れ』
日付も署名もない。一枚目をあれだけ格式ばって書いておいて、二枚目にこれを添える父上の姿が目に浮かんだ。一度は封をしようとして、もう少し何か伝えたかったのだろうか。用紙の真ん中に3文字だけ書かれた一言は私の心に深く染みていった。
私は二枚目をしばらく手にして父上を思い出していた。
父上は何かを案じている。国のことではない。国のことなら父上は文になど書かず、手を打つだけだ。文に、しかも三文字で「頑張れ」と書くのは、父では手の打ちようがないことについてだ。父上が案じ、なお手を打てぬこと。心当たりはあった。
私は青のドレスを胸に当てて、姿見の前に立った。
父上。ご心配には及びません。私は、負けるつもりはありませんから。
◇
ドレスを改めて、私は部屋を出た。
まず向かったのは、カルミナとリーディアのいる一室だった。本命のところへ行く前に心の支度がしたかった――というのは建前で、本当はただ、新しいドレスを誰かに見てほしかったのだと思う。
二人は卓を囲んで茶を飲んでいた。私が入っていくと、カルミナが顔を上げて、私の頭から爪先までをゆっくりと眺めた。この娘のこういう不躾なところは、いつまで経っても慣れない。
「ほう。悪くないのう。その色、お主に合っておる」
褒められた。この、苛烈で傍若無人で、私の心をかき乱してばかりのカルミナに、よりにもよって。
「……あなたに褒められても、嬉しくありませんわ」
半分は照れ隠しだと、自分でも分かっている。だが認めるわけにはいかなかった。
カルミナが、むっと頬を膨らませた。
「何じゃ。せっかく褒めてやったと言うに」
国を一つ失ったとは思えぬほど、この娘は時々幼い。
「まあまあ、お二人とも」
取りなしたのはリーディアだった。立ち上がって、私のドレスをそっと検分するように見る。神官の衣とは違う、女らしい仕草だった。
「……でも、本当に、素敵な色ですわね」
その一言には棘がなかった。ただ素直に、素敵だと言っている。私は毒気を抜かれた。カルミナに突っかかった手前、素直に礼も言いにくく、けれどリーディアの言い方には突っかかりようがない。
「……ええ。父が、贈ってくれたのです」
それからどういうわけか、三人でそのドレスの話になった。この色は何に合うだの、この仕立てはどこの職人だの、袖の形がどうだの。気づけば私もカルミナもリーディアも、卓を挟んで身を乗り出していた。
おかしなものだ。私は今朝、この二人を打倒すると心に決めたばかりなのに、その当の二人とこうしてドレスの話できゃっきゃとしている。敵愾心は胸の底に確かにあるのに、女三人が綺麗な布を前にすると、それはどこかへ引っ込んでしまうものらしい。
「妾も、新しいのを一着、仕立てるかのう」
ふと、カルミナが言った。
来た、と思った。この娘がドレスを新調すれば、当然それを着てマキナ様の前に立つ。私が父上から支援を得たように、この娘も装備を整えようとしている。放ってはおけない。
だが、その警戒をよそに、
「……わたくしも、少し、欲しいかもしれません」
と、リーディアまでが呟いた。
私とカルミナが揃ってリーディアを見ると、彼女は決まり悪そうに目を伏せた。
「い、いえ。お二人が楽しそうですから、つい」
この人もか。凛として気品があって、いつも一番大人びているリーディアが、ドレスの話になった途端これだ。私はなんだか力が抜けてしまった。打倒するも何も、こうしていると、ただの年頃の娘が三人集まっているだけだ。
だが、それはそれ。これはこれ、だ。
私は胸の内で父上の三文字を思い出した。頑張れ。ええ、父上。頑張ります。まずはこの二人に、後れを取らぬように。
◇
ドレスの品評会をひとしきり済ませて、私はようやく本命のところへ向かった。
マキナ様の工房だ。
新しいドレスを見ていただこうと思っていた。せめてカルミナやリーディアより先に。父上の支援を無駄にすまいと、意気込みは十分だった。工房の扉の前で、私は一度襟元を整えた。
扉を開ける。
「マキナ様」
あの方は作業台に向かっていた。人化した背中がこちらを向いている。白銀の短い髪、歯車を思わせる長い外套。その背中が、何かに没頭していた。
私は少し声を大きくした。
「マキナ様。あの、父から、ドレスが」
「ああ、メルフィーナ」
あの方は、こちらを振り向かなかった。作業台の上の何かを覗き込んだままだ。近づいて分かった。銃だ。ハルトアイゼンから届いたという新しい火器を、部品ごとに細かく分解している。台の上には、ばらばらになった金属の部品が几帳面に並べられていた。
「見てください、これ」
あの方の声は弾んでいた。
「輪胴と銃身の継ぎ目に、実に面白い仕掛けがしてあるんです。撃つ瞬間だけ輪胴が前へ滑って隙間を塞ぐ。よく考えられている」
「あの、マキナ様。ドレスを……」
「アイゼン殿たちの仕事は、いつも私の斜め上を行く。ゲパルトの設計も堅実だし、エルダの回路は繊細だ。この一挺だけで、何日でも遊べそうです」
嬉しそうに部品を一つ手に取って、光にかざしている。
私のドレスは、一度もあの方の目に入っていなかった。
私は扉の前に立ち尽くしたまま、その背中を見ていた。カルミナに突っかかり、リーディアに毒気を抜かれ、父上の頑張れを胸に来たのに。その新しいドレスを、当のマキナ様は見もしない。分解した銃の方が、よほど大事らしい。
そういう方だと知ってはいたけれど。
私は小さく息を吐いて、あの方が嬉しそうに口にした三つの名前を、胸の中で並べてみた。
アイゼン王。ゲパルト殿。それから、エルダ。
あの髭じじぃども……。
カルミナでもリーディアでもない。マキナ様の心をこうも容易く奪っていくのは、あの髭じじぃどもだ。私がドレス一枚で気を揉んでいる間に、あちらは鉄の塊一つであの方を丸ごと攫っていく。
……いえ。エルダは髭じじぃではなかった。あれは確か、女の職人だった。
だが、そんなことはもうどうでもよかった。髭であろうとなかろうと、まとめて私の敵だ。
父上。ご心配、痛み入ります。ですが、どうやら私の戦う相手は、ご想像より少しばかり多く手強いようです。
マキナ様は、まだ銃の部品を並べ替えている。私の新しいドレスは、深い青の緑がかった綺麗な色のまま、見て貰う事もできずそこに佇んでいた。
第七十二話・了
――――――――――――――――
後日談
数日の後。カルミナのドレスが仕立て上がり、リーディアのドレスも新調した。私のものと合わせて、三人揃って新しいドレスに袖を通した。
今度こそ、と思った。一人でダメなら三人がかりなら、いくらあの方でも気づかぬはずがない。
髭じじぃ共も3人、こちらも3人。数の上では対等に持ち込んだ。戦略的には正しいだろう。
私たちは連れ立って、マキナ様の工房へ向かった。
扉を開ける。
「ああ、いい所へ来ましたね、三人とも」
マキナ様が振り向いた。今日は、振り向いた。その手には、あの銃があった。ただし数日前より一回り大きく、いかつくなっている。
「見てください。ナガンライフルを改造した、対物リボルバーライフルですよ!」
嬉々として、あの方はその物騒な鉄の塊を掲げた。
私は隣を見た。カルミナが半眼でそれを見ていた。
「……あー。ダメじゃな、これは」
「ですわね」
私も即座に同意した。もう慣れたものだった。
リーディアだけが、まだ状況を確かめるようにマキナ様と銃とを見比べていたが、
「……タイミングが、悪かったですね」
と、静かに結論した。
三人揃って、揃いの新しいドレスのまま、深々とため息をついた。
マキナ様は対物リボルバーライフルとやらを掲げたまま、私たち三人を見て、
「ん?」
と、心底不思議そうに首を傾げた。
第七十二話・了(後日談)
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