第七十話 ”慈悲”
報せを持ってきたのは、トビアスだった。
「ここ数日勇者様が、神官騎士団の詰所へ通っておられるようです」
ヴィルは、書き物の手を止めた。
「あの若造が? 神官騎士団に何の用があるって言うんだ?」
「祈りの座に加わっておられるそうです」
「勇者は女神の祈りを習っている筈だ。あそこの祈りは別物だったか?」
「別物です」
トビアスは、言葉を選ばずに続けた。
「あの座は、天使を降ろす前の前提儀式です。天使召喚を準備する為に行っているはずです」
ヴィルは、筆を置いた。
「他には」
「詰所で禊の支度が始まりました。それと、教皇庁の奥に神学局の術者が入りました」
「今日、やるつもりか!」
「恐らくは」
ヴィルは、椅子の背にもたれた。
天使召喚は、魂を削って捧げる術式だ。捧げた分の魂は戻らない。神官騎士団の連中はそれを栄誉と呼び、いずれ燃え尽きる前提で教皇に仕えている。
そこへ、勇者が祈りの座に加わった。
先週、あいつは伸びないのは教官のせいではないかと言ってきた。ヴィルは鼻で笑い、努力が足りないと言ってやった。正しい事を言ったつもりだった。しかし言われた人間が次にどこへ行くかまでは、考えていなかった。
「……あの馬鹿」
ヴィルは、額に手を当ててため息をついた。
「どこまでも楽な道を進みたがる。異世界人と言うのは堕落してるのか?」
「止めに行かれますか?」
「放っておく訳にも行くまい。至急、ロロルを呼べ!」
◇
呼び出されたロロルは、司令部の机の向こうに立っていた。
日は、まだ高い。
「滝川が神官騎士団の元で天使召喚に手を出そうとしている。貴殿はこの事を知っていたのか?」
ロロルは、目を見開いて声を上げる。
「まさか! 今朝も通常通りに訓練を行ったところですよ」
そう言いながらも、最近滝川の様子がおかしい事は分かっていた。実力が伸びないのに、打開策が無い。これ以上の強化薬の使用は返って身体を壊す可能性があった。魔術的な補強にも限界がある。ロロルとしても手の打ちように悩んでいたところではあったのだ。
「いや、責めている訳ではないのだ。俺も先日彼に会った際に、言わんでいい一言を言ったからな」
二人とも滝川には思うところがあったのは、事実だった。
「このまま天使召喚を受けさせる訳にはいくまい。あれが戦力として使えなくとも、他に利用する価値はあるのだしな」
ヴィルらしい割り切った意見だった。ロロルはまた違った考えを持っていたが、それでも天使召喚を受けさせるつもりはなかった。
「勇者は修行中の身だ。半年前に教皇庁が自分で布告したのだしな。修行中の勇者の身に万一があれば、責は教皇庁が負う事になるだろう。それでも天使召喚に使う理由は何だ」
ロロルは、多角的に可能性を考え始めた。偽の勇者。姫は不在。戦力としての利用価値。政治的なカード。
「天使召喚に異世界人の魂を使い、高位の天使を召喚する……。やつら、滝川を魂の抜けた傀儡にするつもりなのでは?」
二人の見解は、どうやら一致した様だ。
「今から異議申し立てをしたところで、強行されれば後の祭りだ」
そう言いながら、聖都の地図を広げるヴィル。ロロルは、地図を見ていた。詰所と、その北にある教皇庁の建物が、線で結ばれている。
「突入し、滝川を物理的に連れ出す他ありません」
「お前が儀式の間へ行って、あの坊主の腕を掴んで引き摺り出せ。俺はそこに通じる通路を塞ぐ」
ロロルは、地図から目を上げた。
「分かりました。しかしこれでは、団長もただでは済みません」
「分かっている」
ヴィルは、地図を巻いた。
「天使召喚がこの国の主力となれば、どの道俺はお払い箱だ。数こそ未だ1万を超える聖騎士団だが、あの竜に対して有効な手段を持ち合わせておらんからな。いいとこ都市防衛にレギオンマジックを張るだけの守護部隊に格下げだろうさ」
ロロルは、ヴィルの言い様が自身の事の様に感じて仕方なかった。
「王室派の私などに比べれば、ヴィル団長のお立場はいかようにもなるでしょうに」
そう言われて、ヴィルは手を広げ、おどけたポーズをとって見せる。
「何、最悪はとある姫様を見習って、騎士団全員で彼の竜の元で雇って貰うさ」
ハハハと笑う彼の言う事が本気にしか見えなかったが、冗談であって欲しいと願うロロルだった。
◇
詰所の門は、開いていた。
ヴィルは、供を連れずに歩み寄る。
門番が2人。ヴィルの顔を見て、姿勢を正した。跪きはしない。聖騎士団長は、彼らの上官ではない。
「アイヒホルツ団長。何用でしょうか」
「責任者を呼べ」
奥から、白い外套の男が出てきた。四十がらみで、痩せている。目に力の無い、不気味な男だ。
「聖騎士団長殿。何か御用ですかな」
「こちらに勇者滝川が来ておるな」
前置きは省いた。
「教皇庁が半年前に布告した通り、勇者は修行中の身だ。修行中の勇者の身に万一があれば、責は教皇庁が負う事になる。違うか」
「そうですな」
「では訊く。今日の天使召喚で、勇者の魂を捧げるつもりか」
「ホホホ、それは勇者様のご意思しだいでございます」
「捧げた者はどうなる」
「存在が希薄になりますな」
「その様な勇者に、竜が討てるのか」
男の目が、初めて動いた。
「どちらにしても、あの勇者に竜など討てませぬでしょうに」
「貴様、女神が選びし勇者に対して、その物言いは不遜ではないのか」
男が、黙った。
ヴィルは、ここで自分が計算違いをしていた事に気付いた。神官騎士団は、滝川に何も期待していない。戦力とも、勇者とも見ていない。魂を注ぐ器としてしか見ていない。守れという理屈が、端から噛み合っていなかった。
「聖下は、この儀式を命じられたのか。それとも、お前達の独断か」
「聖下の御心は、我らが最もよく存じております」
「命令ではないのだな」
男は、答えなかった。
ヴィルは、門の中央へ歩いた。
「勇者は連れて帰る。これは聖騎士団団長としての判断だ」
門番の手が、槍にかかった。
かからせて、ヴィルは動かなかった。
日が、傾いていた。
◇
滝川勇人は、白い床の中央に座っていた。
床には、大きな六芒星が描かれている。六つの角の一つ一つに、白い外套の術者が座っていた。全部で六人。目を閉じて、低い声で何かを唱え続けている。
その星の真ん中に、滝川はいた。
案内の男が、耳元で囁いた。
「望むものを、強く念じて下さい。魂が女神に届けば、それに応じた力が降ります」
滝川は、目を閉じた。
強くなりたかった。竜を斬れる力が欲しかった。誰も最弱と呼べなくなる力が欲しかった。訓練場でため息をつかれず、食堂の笑い声を怖がらず、記録の目盛りを細かくされずに済む、本物の力が。
そして、認められたかった。貼り付けた笑みではなく、心から、さすが勇者様だと言われたかった。跪かれたかった。この国の誰もが自分を見上げる、そういう場所に立ちたかった。
力と、権威を。
滝川は、それを念じた。生まれて初めて、心の底から、何かを本気で願った。
低い声が、速くなった。
床の六芒星が、光り始めた。角から角へ光の線が走り、六つの角が繋がって、一つの輝きになっていく。滝川の体が熱を帯びた。何かが、外側から入り込もうとしている。
その時、儀式の間の扉が開いた。
「滝川殿!」
ロロルだった。
止められていた廊下の男を振り切ったのか、押し通ったのか。ロロルは光の中に踏み込み、滝川の腕を掴んだ。
「立ちなさい! ここを出ます!」
滝川は、腕を引いた。
今ではない。今、来るのだ。半年間いや生まれてからずっと待っていたものが、今、自分の中に来る。それを、この人が止めようとしている。
「離して下さい!」
滝川は、全力で腕を引き剥がした。その勢いで、ロロルの体が六芒星の外へ弾き出された。
光が、爆ぜた。
白い光が部屋を満たした。その中で、滝川は見た。
陣の外へ倒れたロロルの、背後。
何かが、降りてきた。
天井を突き抜けるほどの、巨大な姿。人の形に近いが、人ではない。幾重にも重なった翼が、光そのもので出来ている。強大だった。滝川が念じた力そのものが、形をとったようだった。
それが翼を広げ、ロロルを包み、たたんだ。
滝川は、動けなかった。
自分が呼んだ。力と権威を、心の底から望んだ。それが降りてきた。自分の魂が、あれを呼んだのだ。
なのに、なぜ先生に降りている。
光が収まり、天使の姿が消えた。
後には、床に膝をついたロロルが残った。何が起きたのか分からない顔で、自分の手を見ている。ロロルは背に降りたものを見ていない。何も感じていない。
滝川には、見えてしまった。
胸の底で、何かが煮えた。滝川はそれを飲み込み、唇を噛んだ。
◇
廊下の方で、大きな音がした。
儀式の輝きが消え、座を守っていた術者の縛めが解けた。その一瞬を突いて、押し合っていた門が破れた。
先頭は、ヴィルフリートだった。剣を抜いている。その後ろから、白い外套の神官騎士団が次々と儀式の間へ雪崩れ込んでくる。
だが、儀式は既に終わっていた。
ヴィルが飛び込んだ時には、もう全てが済んでいた。
誰かが叫んでいる。何が起きた、と。誰が入った、と。六人の術者が座を解いて、滝川とロロルを交互に見る。混乱が部屋を満たしていく。
その中で、一つだけ、静かな声がした。
「よい」
高いところから、声が降ってきた。
儀式の間の二階。手すりのついたテラスに、白と金の衣をまとった人影が立っていた。
教皇ザルカニス。
いつからそこにいたのか、下の誰も知らなかった。教皇は手すりに手を置き、下を見下ろしていた。滝川を、ロロルを、雪崩れ込んだヴィルを。全てを、静かに見下ろしていた。
「誰も咎めるな。今宵の事は、不問とする」
ざわめきが、止まった。
「勇者は修行の途上にある。教官も団長も、勇者の身を案じての事であろう。案じぬ方が、罪深い」
教皇の声は穏やかだった。怒りも、驚きもない。
「ヴェント殿。今後も、勇者の育成に励むがよい」
ロロルが、床に膝をついたまま、頭を下げた。
滝川は、その様子を見ていた。
不問。
魂を捧げようとした事も、ロロルが飛び込んできた事も、自分の力がロロルに奪われた事も。全てが、無かった事にされる。
滝川は、唇を噛んだ。血の味がした。
見上げた先の教皇と、一瞬、目が合った気がした。
教皇は何も言わず、ゆっくりとテラスの奥へ消えていった。
第七十話・了
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