第六十九話 ”異世界行ったら本気出す”
地球にいた頃、俺は本気を出していなかった。
そう思っていた。
成績が悪かったのも、体育で人より遅かったのも、誰も俺の名前を覚えていなかったのも、全部そのせいだ。本気を出す理由が無かっただけだ。出す場所が無かっただけだ。
だから、勇者として呼ばれた時、俺は心のどこかで安心した。
やっと来た、と思った。
環境が揃えば俺は違う。物語の主人公みたいに、いや、主人公より上手くやれる。何しろ俺は知っている。修行の意味も、試練の意味も、全部読んで知っているからだ。
本気を出す。心に誓った。
そして、本当に出した。
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訓練は苦しかった。
朝から晩まで剣を振って、走って、術式を刻まれ、薬を飲んで、また振った。息が上がって吐いた事もある。夜中に脚が攣って泣いた事もある。
それでも歯を食いしばった。今まで生きてきた中で、あんなに歯を食いしばった事は無い。
そして、変わった。
持ち上がらなかった剣が持ち上がった。走れなかった距離が走れた。
神官達が驚いていた。
「勇者様、また速くなられました」
「先週とは見違えるようです」
本気の声だった。目を丸くして、記録板に何かを書き込んで、また俺を見る。
神官達の驚いた顔が、俺の証明だった。
やっぱり俺は、本気を出せばやれるんだ。その感覚に心から酔いしれた。
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いつからか、神官達の顔が変わった。
はっきりした日は無い。ある日、木剣を振りながら、ふと横を見た。
神官が2人、記録板を持って立っていた。
暇そうだった。
俺の視線に気付いて、慌てて笑った。
「さすが勇者様です」
同じ言葉だった。同じ声だった。
でも、まるでずっと遠くに立っている様だったのを覚えている。
俺は振り続けた。振りながら、慌てて貼り付けた笑みの事をずっと考えていた。俺のために浮かべた笑みじゃない。自分の仕事のために浮かべた笑みだ。
心が、折れそうになった。
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ロロル先生が教官に付いたのは、その頃だ。
王室派の軍士官で、若い。俺と5つも離れていないと思う。それで、めちゃくちゃ強い。10回打ち込んで、1回も掠らない。
最初の日、俺は少し実力を見せようとした。
先生は、俺の3本目で止めた。
「踏み込みが浅い」
それだけ言った。
俺は傷付いた。神官達なら、褒めてくれた場面だ。
次の日も、先生は同じ事を言った。その次の日も。何日か経って、「今のは良い」と言った。
その瞬間に、分かった。
——この人は、俺を見ている。
見ていなければ、浅いとは言えない。「さすが勇者様です」は誰にでも言える。踏み込みの深さは、見ていないと分からない。
先生は、無駄に褒めない。
だから、褒められると嬉しかった。
一日に数回、今のは良い、と言ってくれる。俺はまた頑張れる様になった。
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しかし最近、褒められる回数が減って来ている気がする。
先生にも諦められてしまうのだろうか。
俺には、戦う才能が無いのだろうか。
本気を出しても、こんなものだっただろうか。
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「勇者様、本日は先週より数値が向上しております」
神官が、記録板を見せてくれた。
覗き込んで、俺は気付いた。目盛りが変わっている。先週まで粗かった刻みが、細かくなっていた。細かくすれば、動かない針も動いて見える。
何も言わなかった。
言えなかった。
——この人達は、俺を褒める仕事をしている。
そう思ってしまったからだ。仕事だから、褒める材料が無くなれば、作る。責める気にはなれなかった。
「そうっスか。ありがとうございます」
俺は笑った。神官も笑った。誰も心から笑っていない悲しい笑いだった。
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ある夜、思い付いた。
剣が伸びないのは、剣が俺の道じゃないからじゃないか。
俺は魔法を、まともにやっていない。軍団魔術は装置が代わりに撃ってくれる。俺は立っているだけだ。詠唱の訓練も、形だけ習って終わっている。
本当は、そっちに才能があるんじゃないか。
翌朝、先生に訊いた。
先生は、少し黙った。それから、俺の目を見て答えた。
「滝川殿の魔力量では、魔術を戦いの基本に据えるのは厳しいかと」
「……厳しい、って」
「数値は既に測ってあります。お見せしましょうか」
俺は、首を振った。
見たくなかった。見たら、終わってしまう。
先生は、それ以上何も言わなかった。木剣を渡して、いつも通り構えた。
その日、良いとは一度も言われなかった。
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兵舎の裏で、聞いた。
歴代最弱の勇者だそうだ、と。
足は止めなかった。止めたら、聞いていた事になる。角を曲がってから、振り返った。
誰も俺を見ていなかった。
若い兵が3人か4人、並んで水を飲んでいる。俺の方など見てもいない。話が続いているのかも、もう分からない。
歴代、と言った。
この国に、過去の勇者を見た人間なんて1人もいない筈だ。適当に出てきた言葉だろう。
でも、弱いのは本当のことかもしれない。
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それから、笑い声が怖くなった。
食堂で誰かが笑うと、心臓が跳ねる。俺の事じゃない。分かってる。分かってるのに、確かめられない。確かめに行った時点で、俺の負けだ。
ため息はもっと駄目だ。
聖騎士の訓練で、隊列の後ろにいた誰かが息を吐いた。それだけだ。それだけなのに、俺はその音を1週間覚えている。
俺が遅いから、あの人はため息をついた。
そうかもしれないし、違うかもしれない。訊けない。訊けるわけがない。
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聖騎士団の団長に会ったのは、その3日後だ。
練兵場の門で、たまたますれ違った。ヴィルフリート団長。竜と2度戦って、2度とも兵を連れて帰った人だ。敗戦の将と呼ばれているらしい。
俺は、呼び止めていた。
呼び止めてから、何を訊きたいのか自分でも分からなくなった。それでも口が動いた。
「団長。俺、伸びないんスけど、なんでですかね」
団長は立ち止まって、俺を見た。
「そりゃ、俺に訊く事か」
「ロロル先生は、焦るなとしか言わないんスよ」
「そうか」
「だから、その」
言うつもりは無かった。本当に無かった。
「先生の教え方が、俺に合ってないんじゃないかって」
団長の顔が変わった。
怒った訳じゃない。目の焦点が、少しずれた。俺を見ているのに、俺を見ていない。
そして、鼻で笑った。
短く、1回だけ。
「お前、トビアスとやったら勝てるか」
「……誰スか」
「うちの若手だ。3年前まで剣もまともに握れなかった、坊ちゃんだよ」
答えられなかった。
団長は、それきり何も言わなかった。歩き出して、3歩ほどで止まった。
「勇者様よ」
振り返らずに言った。
「教える側を疑うのは、自分のやるべき事が尽きてからだ。お前がしている程度の努力はここの騎士団なら皆当たり前に行う。と言うか何なら少ないくらいだ。」
彼はそれだけ言って、門を出て行った。
俺は、そこに立っていた。
尽きたのか、と訊かれて、答えられない。俺は毎日振っている。休んでいない。薬も飲んでいる。それ以外に何が出来るのか、俺は知らない、分からない。
知らないという事は、まだ尽きていないという事なのか。
それとも、知らないまま尽きたという事なのか。俺の努力は人並み以下だったのか。
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神官騎士団の詰所へ行ったのは、その足だった。
教皇直下の騎士団だ。2500人しかいないが天使を召喚して戦うらしい。聖騎士団から移った者が多いと聞く。
門を叩いた。
出てきた男は、俺の顔を見て、跪いた。
驚いた。誰も俺に跪いた事がない。教皇聖下の前でだって、跪くのは俺の側だ。
「勇者様。よくぞお越し下さいました」
中は静かだった。20人ばかりが白い床に座って、目を閉じている。誰も俺を見ない。見ないが、無視しているのでもない。俺が入ってきた事に気付いて、そのまま祈りに戻った、という感じだった。
案内してくれた男が、椅子を勧めた。
「何をお知りになりたいのですか」
「その、天使召喚っていうのは」
「はい」
男は、少しも渋らなかった。
禁忌の筈だ。誰に訊いても濁される話だった。この人は、俺が訊いた瞬間に答えようとしている。
「魂を女神に捧げ、その魂の力の分だけ天使を降臨させる事ができます」
そう言った。
「捧げた魂は戻りません。減った魂で、残りの生を生きる事になります」
「……死ぬんスか」
「死にません。ただ、存在が薄くなります」
薄くなる、という言葉の意味は分からなかった。分からなかったが、男の顔は嘘をついていなかった。
「代わりに、天使が降りその身には力が与えられます」
「誰にでも?」
「望んだ者の魂が女神に受け入れられれば」
男が、俺の目を見た。
「そして——降りる天使の階級は、その者の魂の質によって決まります」
耳の奥が、鳴った気がした。
「質、って」
「高潔さ、とでも申しましょうか。神学局はもっと難しい言葉を使いますが、我々はそう呼んでおります」
俺は、椅子の上で手を握っていた。
剣は駄目だった。
魔法も駄目だった。
でも、魂なら。
「勇者様は、女神に選ばれた御方です」
男が、静かに言った。
「降りる天使の位も、我らとは比べ物にならぬでしょう」
俺は、笑った。
笑って、それから、怖くなった。
魂が削れる。減った分は戻らない。薄くなる。
俺は、まだ18歳だ。
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「本日はこれにて。またお越し下さい」
門を出た時、日が落ちかけていた。
帰り道を歩きながら、断る理由を数えた。怖い。減る。戻らない。まだ18だ。先生は止めるだろう。団長は絶対に止める。
理由は、いくらでもあった。
だから、断ろうと思った。
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その夜、寝床で天井を見ていた。
ため息を思い出した。食堂の笑い声を思い出した。細かくなった目盛りを思い出した。跪いた男の背中を思い出した。
それから、神官達の貼り付いた笑みを思い出した。
さすが勇者様です。
同じ言葉。同じ声。繰り返される。
——先生は、違う。
そう思った。
思った次の瞬間に、別の声がした。
——本当に?
俺は、寝返りを打った。
先生は褒めない。だから本物だと思っていた。
でも、褒めるところが無ければ、誰だって褒めない。
魔力量を訊いた日、先生は良いと一度も言わなかった。
——もし先生も、陰では。
打ち消した。
——もし先生も、陰では、俺を。
打ち消した。
打ち消しても、また戻ってきた。何度でも、同じ場所から問い詰める。
勇者は、苦境を乗り越えて勇者になる。物語では、いつもそうだ。だからこれも試練だ。乗り越えれば、俺は勇者になるんだ。
そう思おうとした。
思おうとして、思えなかった。
俺が本気を出していないだけだと信じていた頃には、いくらでも思えた事だ。
---
朝、目が覚めた時、俺は決めていた。
顔を洗って、木剣を持って、練兵場へ行った。先生が既に立っていた。俺を見て、いつも通り軽く頷いた。
「おはようございます、滝川殿」
「おはようございます」
俺は、木剣を構えた。
第六十九話・了
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