第六十八話 ”本音”
練兵場の風は乾いていた。
ロロルは丘の縁に立って、下の平地を見ていた。滝川勇人が木剣を振っている。神学局の神官が2人、離れた場所から数を数えていた。丘の上までは声が届かない。
型は悪くない。半年で、そこまでは仕上がった。踏み込みの足も、腰の入れ方も、教えた通りに動いている。
問題はそこではなかった。
滝川の剣は速くならない。強くもならない。ふた月前から、数値が動いていない。強化薬の量を増やしても、身体改造の術式を足しても、木剣の速さは同じ位置で止まっている。神学局はそれを認めたがらず、記録の取り方を変えた。単位を細かくすれば、動いていない針も動いて見える。
ロロルは、その記録を読んでいる。
3日前、兵舎の裏で若い兵が話しているのを聞いた。歴代最弱の勇者だそうだ、と。誰が言い出したかは分からない。過去の勇者を見た者など、この国に1人もいない。それでも噂は「歴代」を語る。根拠を持たない言葉ほど、当人には正確に届く。
滝川の耳に入るのは、時間の問題だった。
「見ているだけか」
背後から声がした。
ロロルは振り返った。丘を登ってきた男が1人。黒に近い濃紺の外套。中の胴当ては野戦のもので、装飾は無い。聖騎士団団長、ヴィルフリート・フォン・アイヒホルツ。
ロロルは礼を取った。
「用があるから来たのだが、その前に見ておきたいと思ってな」
ヴィルは丘の縁まで来て、平地を見下ろした。腕を組んで、そのまま黙った。
滝川が木剣を振っている。1回、2回、3回。神官が数を数える。
ヴィルは30ほど数える間、何も言わなかった。
「あれで、どのくらいだ」
「一般騎士でしたら、2、3人までは」
「聖騎士相手は?」
ロロルは答えなかった。
ヴィルは笑わなかった。「そうか」とだけ言った。
「教皇庁の触れ書きでは、勇者の武は聖騎士8人分に相当する事になっている」
「存じております」
「お前が書いたのか」
「まさか、私は書きません」
「だろうな」
ヴィルは腕を解いた。丘の斜面に生えた草を、爪先で軽く踏んだ。
「本題だ。聖騎士団に打診が来た」
ロロルは黙って続きを待った。
「天使召喚。器を出せと。神学局が儀式の目処を立てたそうだ」
風が丘を横切った。下の平地で、木剣が空を切る音が細く聞こえた。
「禁忌の筈では?」
「禁忌は教皇庁が定める。教皇庁が要ると言えば、要る事になる」ヴィルは平地を見たままだった。「新兵器は形にならん。装甲車両は動力で止まっている。防御幕は術者が保たん。あの竜には届かんのだ。届かせる手が他に無いなら、人間を辞めるしかない、という話だ」
「団長は」
おどけた様に両手を開き、何かをポイっと投げる仕草。
「使わんよ」
短い返事だった。
ロロルは、ヴィルの横顔を見た。
「理由をお訊きしても」
ヴィルは首をゆっくりと回して、ロロルの方を向いた。「魂を燃やして力を出す。使えば減る。減った分は戻らん。ここまでは神学局も認めている」
「は」
「では訊くが、竜と何度戦う」
ロロルは答えなかった。
「1度で終わるなら、燃やす価値もあるかもしれん。だが1度で終わらんだろう。要するに使い捨てだ」
「……」
「それに、1度使えば2度目を断れん」ヴィルは草を踏んだ足を戻した。「有効だと分かれば必ずまた要求される。俺は臆病者だ。訳が分からんまま磨り減っていくのが、一番怖い」
ロロルは頭を下げた。「本質を見ていらっしゃるのですね。さすがです」
「褒めるな。断り方を考えている最中だ」
ヴィルは再び平地を見下ろした。滝川が休憩に入っている。神官が水を運んでいく。滝川が何か言い、神官が笑って頷いていた。
「1人に全部を背負わせるのが、そもそもおかしいのだ」
ヴィルが低く言った。
「勇者を否定はせん。歴代の勇者が国を救ったのは記録の通りだ。だが戦の要を1人に括る仕組みが、まともな筈が無い。その1人が折れたら、後に何が残る」
ロロルは、下の滝川を見た。
木剣を杖のようにして、肩で息をしている。半年前より、確かに強くはなった。強くなったところで、届かない場所がある。その事実を、本人はまだ知らない。
ヴィルが、外套の前を直した。
「もう1つある」
声の調子が変わった。低いままだが、少し軽い。ロロルは、その軽さの意味を知っていた。この男は核心を刺す時に軽くなる。
「第二次で、俺の団が使う軍団魔術が読まれていた」
ロロルの指が、外套の裾に触れた。
「あの竜はただの竜ではない。戦術、戦略、開発から生産まで幅広く知識を持っている。だがレギオンマジックへの対応の速さは異常だ」ヴィルは平地から目を離さなかった。「あれは魔術師団の切り札だ。触れられる人間は限られる。団の中と、神学局と、それから」
言葉が切れた。
「王家の女は、神官として習う事になるだろう」
風が止んだ。
「王女殿下は、どこへ消えた」
ロロルは、丘の下を見ていた。滝川が立ち上がり、木剣を構え直している。神官が数を数え始める。
「私は存じません」
「そうか」
ヴィルは頷いた。それ以上は聞いてこなかった。
しばらく、2人とも黙っていた。
「偽物に嫁ぐのは嫌だわな」
ヴィルが、そう言った。
平地を見たままだった。声には、嘲りも同情も無かった。ただ事実をそこへ置いただけの言い方だった。
ロロルは答えなかった。
答えないという事が、答えになると分かっていた。ヴィルもそれを分かっていて訊いた。
丘を、また風が渡った。
「団長」
「何だ」
「今の話を、どちらへお持ちになりますか」
ヴィルは、ようやくロロルの方を向いた。
「どこにも持って行かん」
「何故で御座いますか」
ヴィルは口の端を少し上げた。「俺が先に、天使を使わんと言った。あれは教皇庁への叛意と取られても文句が言えん。お前はそれを聞いた。俺の首はお前の手にある」
ロロルは、ヴィルを見た。
「そして俺は、王女の行方に見当がついた。お前の首も俺の手にある」
「……」
「持って行けんのだ。互いに」
ヴィルは丘を下り始めた。3歩ほど行って、足を止めた。
「ロロル・ヴェント」
「は」
「あの勇者を見捨てるなよ」
ロロルは、ヴィルの背中を見た。
「見捨てません」
ヴィルはニヤッと笑って歩き出しながら言う。
「なら、いずれ恨まれる。覚えておけ」
外套の裾が斜面の草を掃いて、男は丘を下りていった。
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ロロルは、しばらく丘の縁に立っていた。
平地では滝川が木剣を振り続けている。1回、2回、3回。神官が数を数える。成長限界と言う言葉が脳裏に浮かぶ。正直、滝川に武術の才能は無いと言っていい。思ったよりも真面目に頑張って来たからこそ、人並みには強くなったと言える。だが、それも薬や魔術による補助あっての話だ。
やがて滝川が丘の上に気付いた。
木剣を持ち上げて、大きく振った。
「先生ー! 見ててくれたんスかー!」
声が届いた。
ロロルは彼を見返し力無く片手を上げて答え、静かに息を吐いた。
第六十八話・了




