第五十六話 ”|恐怖《けが》の功名”
母とは、何のことだ?
そんな騒ぎが、試験場を出た通路で起きている。
「では、妾の娘でもあるわけだな。苦しゅうない、妾を母と思うて、いつでも挑むがよい」
三姉妹を従えて鷹揚に頷くカルミナへ、メルフィーナが食ってかかった。
「何であなたが母なんですか……ッ!」
「我が主に妾は負け、女になると誓った。ならばこの男の娘は、妾の娘が道理であろう」
「ど、道理じゃありません! 母は……母は私です! だ、だって契約者というのは、その、夫婦のようなもので……ッ」
目をぐるぐると回しながら、メルフィーナが何か途方もないことを口走った気がする。僕は聞こえなかったことにした。
「だいたい、何で会って間もないマキナ様に、その、いろいろしちゃうんですか!」
「勝負に負けたのだ。命を取られても文句の言えぬ立場でな。自分で口にした約束を、反故になどできるものか」
カルミナは平然と言ってのける。彼女の中では、あれは色恋ではない。負けた者が果たす、ただの義理だ。
「それにな」
カルミナが、こちらをちらと見た。
「主様は妾にこう言ったぞ。これで貴方は私のものです、とな」
……言ったな。
正確には、言ってしまった、だ。あのとき僕は、彼女の詠唱の組み立てに気を取られていて、半ば上の空で口が動いていた。よもや、こんな形で蒸し返されるとは。
「マキナ様ぁ!」
ほら、こっちに来た。
◇
その騒ぎを、少し離れた回廊から眺めている三人がいた。
「すごい……」
ヴィが、ぽつりと漏らした。半妖精の耳が、こころなしか前を向いている。睨み合うカルミナを、まばたきも忘れて見ている。
「ヴィっち、ガン見っすね」
「だ、だって……あんなふうに、誰にでも、思ったことをまっすぐ言えるの、すごいです……」
声が、だんだん小さくなる。ヴィはいつもそうだ。盤面を読ませれば、この子の右に出る者はいない。敵の動きの先を、糸を手繰るように見通す。なのに、人に向かって一言を発するだけのことが、この子にはできない。
「本当に凄い。メルフィーナ様が押されて劣勢になってる。戦術展開が早いんだ。」
「話かけてみたら、どうっすか?」
「で、でも、なんてお声がけしたら……」
また、しぼんでいく。セラが、ふふ、と笑った。
「じゃあ、お食事にでもお誘いしてみます? 口実があると、話しかけやすいでしょう」セラはいつでも正攻法。安全確実だ。
「あーしらが隣にいるっすよ。ほら、行くっすよヴィっち」
二人が、ヴィの背をそっと押した。
◇
ヴィの視点に、舞台は移る。
近づくほどに、足が重くなった。
カルミナは、メルフィーナをあしらい終えて、ひとり佇んでいた。間近で見ると、いっそう作りものめいて美しい。黒い髪に走る白銀。退屈そうに細められた目。私とは、何もかもが違う。
「か、カルミナさま……」
声が、喉の途中で消えた。
届かない。カルミナ様は、こちらに気づきもしない。マキナ様から頂いた装備を眺めてはニヤニヤと笑っている。やっぱり駄目だ、と踵を返しかけたとき、横からターニャが口を開いた。
「あ、カルミナっち。ちょっといいっすか?」
カルミナの視線が、ようやくこちらを向く。
「……たしか、ナビゲーターのターニャと言ったか。妾に対して不遜な娘だが、マキナ様の僕なれば許そう。何の用だ」
ターニャが、私の肩をぽんと叩いた。あなたの番、というように。
「ヴィっちが、お願いがあるんだそうなんすよー」
「ほう。願いとな」
カルミナ様の目が、まっすぐ私に向く。それだけで、息が詰まった。
「妾は、主たるマキナ様の計らいで生き延びた小娘に過ぎん。願いを聞くような身ではないがな」
「そ、そんな事ありません!」
気づいたら、大きな声が出ていた。自分でも驚いた。カルミナが、ほんの少し目を見開いて、こちらを見る。見られた。睨まれた、と言ってもいい。緊張が、一気に背筋を駆け上がった。
「か、かるみにゃ様は、すごく自信たっぷりで……わ、私なんかとは、全然違ってて……」
「それで。何が望みだ」
悩んで、悩んで、私はやっと、それを口にした。
「どうやったら……自信を持って、話せるように、なりますか」
カルミナ様は、きょとんと首を傾げた。
「言いたい事があったら、言えばいい。それだけではないか?」
駄目だ、と、隣でセラさんが小さく息をついたのが分かった。
「わ、私なんて、全然ダメダメで……」
うまく言えなくて、つい、いつもの口癖が出た。
次の瞬間、胸倉を掴まれていた。
軽々と、引き寄せられる。カルミナ様の顔が、間近にあった。笑っていない。
「では何か。我が主たるマキナ様の目が、曇っていたとでも申すつもりか」
「えっ……」
「妾は貴様のことを、何も知らん。だがマキナ様が選んだ。ただそれだけで、貴様は信用に値すると、妾は考えておる」
息が、できない。
「いいか、貴様。今後、僅かでも自分を卑下することを許さぬ。それは、マキナ様への冒涜と知れ」
こくこく、と頷くしかなかった。
「妾の言に、復唱もせぬとは。いい度胸だ。少し、恐怖を感じてみるか?」
背後で、セラさんとターニャさんが固まる気配が伝わってきた。(恐怖ならもう感じてます)
引きずる様に連れられて試験場の真ん中に、私は立たされていた。
カルミナ様は、ずいぶん離れた所にいる。
「そこから妾に声が届いたら、終わりとしよう」
言うが早いか、彼女の周囲に魔法陣が広がり始めた。
「え……? え?」
「ほれ。急がぬと、詠唱が完成してしまうぞ?」
魔法陣が、じわりと赤く染まっていく。意味が、分からない。声を、と言われても、喉が凍りついて、何も出ない。何て言えばいいのかも分からない。
「あー……死んだっすね、ヴィっち。いい子だったっす」
ターニャさんの、間延びした声が耳に届いた。弔われている。
「ああ。詠唱が、終わったぞ?」
キュン、と高い音が鳴った。
赤い光が、私の頬をかすめて、背後で弾けた。どぉん、という衝撃が、背後から前へと吹き抜ける。私は成す術無く地面を転がった。
「ほれ。早くせんと、次が行くぞ?」
声にならない悲鳴が、喉の奥で鳴った。
あんなものが当たったら、死んでしまう。死ぬ? 声が出せないだけで、私は、死ぬの?
また、爆風が来た。髪が乱れ、服が塵にまみれる。
兄さんと二人、辛い暮らしを生き延びてきた、あの頃でさえ。こんな恐怖は、知らなかった。
「ヴィと言ったか。妾が考えるに」
キュン、と音が鳴り、また体が転がる。
「そなたは、考え過ぎなのじゃよ。何も考えるな。目的には、まっ直ぐじゃ」
必要以上は無意味だ、と彼女は言った。過ぎたるは及ばざるがごとし、と。
展開していた魔法陣が、撃ち尽くされる。
「さあ、声を出せ。考えるよりも早く、声を出すことだけに集中せよ。生まれも、過去も、関係ない。お前は——どうなりたい?」
どうなりたい。
「妾のようになりたいのであろう?」
その問いに、答える前に。
「それでも声すら出せぬと申すなら」
ぶわり、と魔法陣が、一気に周囲を埋め尽くした。
「ここで果てるがよい。何、安心せい。マキナ様には、妾から伝えておくゆえ」
魔法陣が、一斉に真っ赤に染まっていく。
嫌だ。嫌だ、嫌だ。せっかく、マキナ様のお役に立ちたくて、ここまで来たのに。こんな理不尽で、死にたくない——!
光が、解き放たれた。
間に合わ、なかった。
それでも。
「マキナ様ああああああああ——ッ!!」
喉から、かつてない大きさの声が、飛び出した。
ああ。声って、こんなに出るんだ。いろいろ気にせず、もっと早く、気づけばよかった。
そう思った私の目には、もう、真っ赤な光しか映っていなかった。
◇
激しい爆音と、衝撃が、周囲を駆け抜けた。
でも、私は、どこも痛くなかった。
そっと目を開ける。目の前に、マキナ様が立っていた。
「カルミナ。やり過ぎです」
カルミナ様が、からからと笑い美しく礼をつくす。
「何をおっしゃいますか。ずっと、見ていらしたではないですか」
(……そりゃあ、見ていた。心配で、気が気でなかった。僕が割って入らなければ、ヴィは今ごろ消炭だ。)
「やれやれ、来て早々イベントが豊富ですね」
マキナ様が、こちらを振り返る。
「ヴィ、大丈夫ですか? ——あなたの声、私に届きましたよ」
その一言で、目の奥が、熱くなった。
カルミナ様も、マキナ様の横に並んで言う。
「うむ。妾にも、届いたぞ」
膝から力が抜けて、その場にへたり込む。
遅れて、恐怖が襲ってきた。全身が、がくがくと震え出す。歯の根が合わない。今になって、死が、すぐ傍にあったことを、体が理解していた。
「おお。それだそれだ、それが、恐怖だ」
カルミナが、満足げに頷いた。
「どうだ? それに比べたら、大抵のことは、些細なことだろう?」
「カルミナっち、シンプルに怖えッス」
ターニャさんの呟きに、誰も反論できなかった。
「意識が、飛びそうになりました……!」
駆け寄ってきたセラさんが、めずらしく声を荒げて、カルミナに食ってかかる。
「ヴィは非戦闘員ですし、まだ子供と言える歳なんですよ……!」
「セ、セラさん」
震える声で、私は、それを止めていた。
「大丈夫、です。私が、教えてほしいって、言ったんですもん。これは、当然の結果です」
不思議だった。
言葉が、するすると出てくる。胸につかえていた何かが、すとんと取れたみたいに。さっきまで、名前を呼ぶだけで噛んでいたのに。
「マジかー。この方法、有効なんすね?」
ターニャさんが、おどけて肩をすくめる。
「こーゆーのを……恐怖の功名って、言うんですかねっ?」
セラさんが、毒気を抜かれた顔で、そう言って笑った。
カルミナ様は、もう私たちを見ていなかった。
メルフィーナ様と言い合っていた中庭の方を、なんとなく眺めている。その横顔が、何を思っているのかは、私には分からなかった。
ただ私の中に恐怖が強く刻み込まれたのを感じていた。
第五十六話・了
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