第五十四話 ”狂乱の王女”
客が来ている、と聞いたのは昼前のことだった。
守護竜にではない。マキナという男に会わせろ、と名指しで来たという。話を取り次いだ兵の顔には、困惑がそのまま貼りついていた。その話が来たと同時にレイヴンズの二人がこそこそと部屋を出て行ったのを見かけた。あいつら絡みか。
曰く、亡国の王女が傭兵として雇われに来た——口上だけ聞けば、整いすぎていて逆に 胡乱だ(逆に怪しい)
通された広間で、その娘は待っていた。
黒髪に一筋、白銀の流れが差している。棘を思わせる暗色の冠。裾の長い喪服のようなドレスは、明らかに戦うための仕立てではない。だというのに、背筋の伸び方と、腰に提げた一振りの剣だけが、この娘の本職を静かに告げていた。
彼女は雇われに来たと言うのに、なぜか紅茶と軽食が出され当然の様にヴェルディを控えさせている。
僕が入ると、娘は嗤った。値踏みするような、どこか舌なめずりする飢えた獣のような笑み。
「貴様が、あの機械鎧を造った男か?」
返事を待たずに、娘は続けた。
「気に入った。我の身を捧げてやる。だから我にも、鎧を作れ」
言い草が、頭から爪先まで上からなのが見事だ。雇われに来たはずの人間の口ではない。施しを与えてやる側の顔で、そこに座って紅茶を嗜んでいる。
「——お待ちなさい」
声を上げたのはメルフィーナだった。守護竜の契約者として、巫女として、その口上を聞き流せるはずもない。捧げる、という一語が、よほど障ったのだろう。
だが娘は、メルフィーナを一瞥して、それきりだった。
「小娘が契約者か。今は控えておれ」
取り合う気すら、ない。メルフィーナの格を、一段どころか二段下に見ている。
娘の視線が、再び僕に戻る。
「我の力を見たいか?なら、相手をせよ」
雇ってくれ、ではなかった。認めさせてやる、という筋の通し方だった。頭を下げて装備をねだるのではなく、力を見せて対価を寄こせと言う。たちの悪い矜持だ。だが、一本通ってはいる。
メルフィーナの顔が、見る間に強張った。守護竜に手合わせを挑む——その不遜が、もう許容の外にあるのが見て取れる。
娘は、そこへ被せた。
「囀さえずるな、小娘。程度が知れるぞ」
僕は、笑いそうになるのを口角が上がる程度で堪えた。
怒る気には、ならなかった。むしろ——目の前に、得体の知れない素材が一つ、転がり込んできた。そういう感覚に近い。これは何だ。どこで、どう鍛えられて、こんな歪な形に成った。観察したい欲が、先に立っていた。
「いいでしょう」
僕が言うと、メルフィーナがこちらを向いた。信じられない、という顔で。
「お相手させて頂きましょう。エスコート致します、どうぞ」
「マキナさまっっっ……!!」
裏切られた、とでも言いたげな声だった。当然だ。守護竜を侮辱した相手を、当の僕が面白がって受けてしまった。庇うどころか、乗ってしまったのだから。行き場をなくした憤りが、全部こちらに向いてくる。
その傍らで、リーディアが右往左往していた。誰を止めることも、誰に与することもできず、ただ陰で狼狽えている。剣呑な空気そのものが、この姫には向かない。
◇
ドラグネストの試験場に、人が集まっていた。
見学席には、面白がったレイヴンズの面々。国境でこの娘と渡り合ったという連中だ。あの黒い鴉たちが、そもそも娘にアーマードパックを焦がれさせた張本人でもある。実力を知る者の品定めと、ただの野次が、半々で混じった掛け声が飛んでいた。
主立った面子も揃っている。そして最前列に、メルフィーナ。怒りながらも、見ないわけにはいかなかったらしい。煮えたまま、こちらを睨んでいる。リーディアもメルフィーナの横でハラハラとしているのが遠目にも分かる様だ。
娘と、向かい合う。
「レディファーストです。お先にどうぞ」
僕がそう言うと、娘は一瞬、目を瞠った。それから、可笑しくてたまらないという風に、唇の端を吊り上げた。
「いいな、貴様。私に勝てたなら——貴様の女になってやろう!」
言い放つと同時に、詠唱が奔り出した。
速い。
ただ速いだけではなかった。言ノ葉の連なりに、淀みが一つもない。措辞の選びも、区切りの呼吸も、徹底して磨かれている。この域に届くまで、いったいどれだけの刻を、この娘は剣と詠唱に費やしてきたのか。攻撃を前にして、僕がまず読み取ったのは、その努力の総量だった。
そして——詠唱が、二つに割れた。
主旋律が奔り、わずかに遅れて、もう一つの声がそれを追う。片方を遅延させ、上へ重ねる。一人でありながら、主だった声と、それに和する声とを、同時に編んでいる。遅延詠唱重奏——咄嗟に、僕はそう名づけていた。
美しい、と思った。
一人で歌っているのに、二重唱に聞こえる。声部が綺麗に噛み合って、互いを高め合っている。
——その時だった。
何かが、僕の中でインスピレーションが繋がりかけた。
形には、ならない。ただ、この声の重なりを、僕はどこかで欲していた気がした。二つの異なるものが一つに溶け合う、その寸前の揺らぎ。手の届かない遠い場所で、長いこと探していた何かに、指先が触れた——そんな感覚。
意識が、そこへ沈んだ。
娘が、腰の剣を抜いた。
ゆっくりと。詠唱を止めぬまま、焦りもせず。速い手と、悠然たる剣。その緩急すらも、計算の内にある。
そして、二つの声が、同時に終わった。
周囲に、魔法陣が高速で展べられる。一つ、二つではない。放射状に幾つも花開き、その中心から、高出力の光が奔った。赤い閃光が、束になって僕へ伸びてくる。
同時に、娘の身が沈んだ。身体強化が完成している。遠くを塞ぐ光と、近くを断つ剣。遠近を同時に閉じる攻め——これが、二つの声の答えだった。片方で撃ち、片方で間合いを詰める。剣を悠然と抜いていたのも、この一撃へ繋げるためだ。
理には、適っている。
身体は、勝手に動いた。
爆風の、中心。
片手の杖で、娘の剣を受け止めていた。空いた手で、その腰を抱き寄せる。光も剣も、見えていた。捌ける範囲だった。
「これで——貴方は、私のモノですね」
娘が言った賭けを、そっくり返す。さっきまで散々挑発してきた当人が、自分の啖呵で搦め捕られた格好だ。
娘の手から、剣が離れる。地に落ち、切先が土へ突き刺さった。戦うための得物を、手放す音。それが、答えだった。
——だが。
僕の意識は、まだ半分、遠い場所に沈んでいた。指先が触れた、あの何かを、追いかけたままだった。
だから、唇が触れるのに、気づくのが一拍、遅れた。
娘が、口づけてきた。
見学席で、リーディアが真っ赤になっていた。見ていられない、という赤だ。陰で狼狽えていた姫が、今度は別種の動揺で茹で上がっている。
その隣で、メルフィーナが、別の意味で真っ赤だった。怒りと屈辱の赤。震えながら、言葉にすらならず、席を蹴って走り出していた。
駆けてくるメルフィーナに気づいて、娘は唇を離した。
慌てて、ではない。自分の間で、静かに離れる。そして二人へ向けて、裾を|つまみ、膝を折った。寸分の隙もない、美しい礼だった。
「——先程は、大変失礼致しました。メルフィーナ姫。そして、我が主、マキナ様」
声の質が、別人のように変わっていた。囀るな、と吐き捨てた口が、今は最上級の礼節を紡いでいる。乱暴なだけの戦闘狂ではない。礼を叩き込まれた王族の顔が、そこにあった。
「私の名は、カルミナ・す……」
一音、言いかけて、止まる。
「——我が国は既に滅びました故、家名はございません。どうか以後、お見知り置きを」
美しく、頭を垂れた。
「——避けなかった」
メルフィーナだった。震える声で、誰に言うともなく。
「そう、避けなかったのです。マキナ様が、こんな小娘の口づけを、避けられぬはずがない。あれは——あれは、受けて差し上げただけ。慈悲です。余裕の証。断じて、後れを取ったのではありません……!」
誰も、頼んでいない弁護だった。本人は、大真面目だ。顔を真っ赤にして、拳を握り締め、避けなかった、避けられなかったのではない、と繰り返している。
レイヴンズの誰かが、小さく噴き出した。
僕は、何も言わなかった。
言えば、藪蛇になる。それに——半分は、本当のことだったからだ。
ただ、残り半分。
あの時、指先が触れた何かは、まだ形にならないまま、胸の奥で微かに脈打っている。
カルミナ、と名乗った娘を、もう一度見た。
面白い拾い物をした。素直に、そう思った。
第五十四話・了
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