第五十話 "黒衣の機械竜"(挿絵追加しました)
また、空が鳴いている。
甲高い鳴き声が幾重にも重なり、城塞の上を旋回していた。ハーピィの群れだ。その後ろを、翼竜の影が悠々と横切っていく。どれも手の届かぬ高みにいる。
儂は城壁の上から、ただそれを見上げていた。
大砲は、よく撃つ。我がハルトアイゼンの自慢の砲列は、地を這う敵であればいくらでも薙ぎ払う。城を攻める軍勢を、何度も砕いてきた。だが、空には届かん。仰角をどれだけ取ろうと、あの高みまでは弾が伸びぬ。撃てば撃つほど、無駄に火薬が減っていくだけだ。
頼みの綱は、弓兵と魔法兵だった。よく耐えている。届く敵だけを、確実に落としている。だが、それも限界が近い。敵は学んだ。射程の外、もっと高くから攻めてくるようになった。
高みから、槍が降る。
石を穿つほどの速さで落ちてくる金属の雨は、盾ごと兵を貫いた。さらに性質が悪いのは、小型の魔物を抱えて運び、頭上から放り落としてくることだ。地に落ちた魔物が暴れ、ただでさえ削れた守りを内側から食い破る。
砲は無傷だ。だが、その砲を守る兵が、日に日に減っていく。
いずれ、砲を守る者がいなくなる。そうなれば、終わりだ。
対空の策は、考えてはいた。儂とて、伊達に鎚を握ってきたわけではない。空を撃つ仕組みは、頭の中に幾つもある。だが、どれも形にならぬ。試作はできても、戦場で使える代物には程遠い。職人なら分かる。閃きと、実用の間にある溝の深さを。
だから、エルダを呼んだ。あの者の手なら、間に合うかもしれぬと。
……間に合うかもしれぬ、か。
空虚な言葉だ。儂は王だ。民を守ると誓った王が、空から降る死を見上げて、来るかも分からぬ援軍を待っている。それしかできぬ。これほど無力な王が、どこにいる。
覚悟は、もう決めていた。
助けは間に合わぬ。ならば、王は王として死ぬまでだ。砲が一門でも生きている限り、ここを守る。それが、ハルトアイゼンの王の矜持というものだ。
◇
その日の襲撃は、これまでと規模が違った。
空が、黒く埋まった。ハーピィと翼竜の群れが、視界の端から端まで蠢いている。儂が今まで見てきた襲撃が、斥候に過ぎなかったと思い知らされる数だった。本隊だ。魔国は、ここで決めるつもりでいる。
城壁の下では、遊撃の助っ人どもが動いていた。
ドラグロードから先んじて来た、レイヴンズと名乗る連中だ。少数だが、腕は確かだと聞いていた。実際、地に落ちた魔物どもを片付ける手際は見事なものだった。
だが、それだけだ。
獅子の獣人が、馬鹿でかい斧を担いだまま空を睨んでいる。落ちてきた魔物は一刀のもとに両断するが、その斧は空を斬れぬ。隣の大女が盾を構え、降る槍から味方をかばっている。守るだけだ。
精鋭と聞いた。なるほど確かに強い。だが、相手が空だというだけで、この連中ですら、落ちてきた物を始末する後始末しかできぬ。
空を獲れる者が、ここには一人もおらぬのだ。
黒い空が、傾いた。群れが、一斉に降下の姿勢を取る。
獅子の獣人が、空を見上げたまま、ぽつりと零した。
「……間に合わなかったか」
その一言で、儂は己れの覚悟が間違っていなかったと知った。歴戦の傭兵すら、もう諦めている。
儂は、声を張った。
「お前らだけでも逃げろ。雇われが、ここで死ぬ義理はない」
獅子の獣人が、こちらを見た。
「我らは最後まで戦う。それが王の務めだ。お前らは、生きて主のもとへ帰れ」
この者たちを死なせてはマキナ師匠に会わせる顔がない。
獅子の獣人が、にやりと笑った。逃げる気など、欠片もない顔だった。
「おう大女。ちょっと付き合えや」
「は?誰が大女だ犬っころ!」
「敵の頭さえぶっ殺せば、こいつら散るだろ。やってみる価値はある」
大女が、呆れたように、それでいてどこか嬉しそうに盾を構え直した。
「……面白いじゃないかい?」
無謀だ。届くはずもない。あの高みの敵に、地を駆ける足では決して届かぬ。それでも前に出ようとする。傭兵の意地というものか。
その背後で、小柄な二人がそろりと後ずさるのが、視界の隅に映った。逃げ出すつもりらしい。賢明だ。あれが正しい。勝てぬ戦から退くのは、恥ではない。
黒い空が、落ちてくる。
もう、何も間に合わぬ。
――その時だった。
◇
空が、割れた。
黒い群れの、さらに上から。それよりも遥かに大きな、もっと黒い影が舞い降りてきた。
黒衣の機械竜...そう表現するのが自然だった。
漆黒の鱗は金属の光沢を放ち、関節の隙間には歯車らしき機構が覗いている。立てば城塞すら見下ろすであろう巨躯が、たった一度だけ翼を羽ばたかせ――それきり、儂たちの眼前で、ぴたりと宙に静止した。
「黒衣の機械竜だと……? どこから現れた!?」
儂の口から、愕然とした声が漏れた。
ドラゴンだ。間違いない。だが、こんなものは見たことがない。先代の守護竜とも、伝承のどの竜とも違う。鋼でできた、異形の竜。
待て。鋼の竜。歯車の軋み。儂は、この気配を知っている。
「ま、まさか……マキナ師匠なのか!?」
あの白い幼竜が。儂と鎚を交えて笑い合った、あの小さな師匠が。これほどの――。
竜が、ゆっくりと口を開いた。
その喉奥に、青白い光が無数に灯る。雷の玉が、いくつもいくつも生まれ、竜の前面にゆっくりと撒かれていく。漂うように空間を埋めていく光の球。
「何をするつもりだ……?」
答えるように、地を揺らす声が轟いた。
「――魔国軍に告ぐ」
腹の底に響く、荘厳な声だった。
「我が名は機械仕掛けの守護竜。ドラグロードを守護する古代竜也」
「盟友ハルトアイゼンへの侵略を止め、今すぐ撤退すれば良し。さもなくば、我が力をもって貴君らを殲滅する」
告げる声に、嘘も脅しもなかった。ただ、事実だけがそこにあった。撤退すれば見逃す。さもなくば滅ぼす。それだけのことを、淡々と宣べている。
黒い群れが、一瞬だけ止まった。
次の刹那、速度を上げた。
退くどころか、加速して竜へと殺到していく。撒かれた雷の玉を器用に避け、その間を縫って突っ込んでくる。魔国は、警告を蹴った。
竜の声が、静かに落ちた。
「愚かな決断を――来世で活かすがいい」
その瞬間、周囲の空気が引き絞られた。竜が、戦場の魔素そのものを吸い込み始めたのだ。肌がひりつく。大気が竜のもとへ流れていくのが、目に見えるようだった。
竜の額――剣のごとき角が、白く発光する。放電が迸り、青い稲妻が角を這い回った。
敵の群れが、撒かれた雷の玉を避けきり、竜の懐へ飛び込んだ、その刹那。
「――ライトニング・ブラスト」呟くように言い放った竜の声を聞いた。
角から、極めて太い閃光が放たれた。
圧縮された雷の奔流が、広がりながら戦場を駆け巡る。そして、撒かれていた無数の雷の玉が、連鎖して炸裂した。
空が、雷で埋まった。
竜の前に広がる空間のことごとくが、青白い電光に呑まれる。音すら遅れて届いた。雷が落ちた激しい音が鳴り響く。世界が白く染まり、やがて光が引いたとき――
後には、何も残っていなかった。
黒く空を埋めていた大軍が、跡形もなく消えていた。範囲に在った魔物は、蒸発し、塵となって風に溶けていく。断末魔の一つも上がらなかった。
静寂だけが、残った。
儂は、動けなかった。
「……化け物か」
喉から、そんな言葉が這い出た。
あれは、味方だ。儂たちを救った。頭では分かっている。だが、肌が理解していた。あの力を前にして、湧いてきたのは感謝ではなく。恐怖。
儂が生涯足掻いても届かなかった「空への手立て」を、あの竜は、たった一撃で。
「この力、敵対する訳にはいかん……」
魔国など、問題ではない。今この瞬間、世界で最も危険な存在は、間違いなく、目の前に浮かぶこの守護竜だ。
竜が、消えた空の彼方へ顔を向けた。敵のいない、遠い一点へ。
「――どうせ、どこかで見ているのだろう?」
誰もいない空に、竜は語りかけた。
「国へ帰り、伝えるべきを伝えるがいい。」
◇
戦は、終わった。
城塞の庭に降り立った黒い巨躯が、軋みながら縮んでいく。鱗が肌へ変わり、形が畳まれ、やがて現れたのは、一人の青年だった。
白銀の短髪に、歯車を織り込んだ黒の装い。片眼に嵌めた片眼鏡。あの幼かった師匠の面影はその髪色だけ。
「お久しぶりです、アイゼン王」
声が、変わっていた。さきほどの地を揺らす声ではない。穏やかな、青年の声だ。
儂は、頭を下げた。王としての礼も忘れ、ただ、礼を言った。
「……助かった。お前さんが来なんだら、ここは落ちていた。礼を言う、師匠」
だが、言い終えた端から、別の思いが胸を塞いだ。
「……だが、すまん」
「?」
「お前さんは、魔国に存在を知られた。あれだけの力を見せたんだ。連中は、もう分かっただろう。ハルトアイゼンの背後に、何がいるかを」
喉が苦かった。
「矛先は、今度はドラグロードへも向くだろう。儂が、お前さんの国に火の粉を呼び込んじまった」
青年は、少しだけ目を細めた。怒るでも、慰めるでもない。ただ、静かに言った。
「盟友だけを犠牲にして自国を守っても、それは意味が無い」
それきり、彼は黙った。
短い言葉だった。理屈も何もない。だが、儂の負い目を、根こそぎ否み去るには十分だった。
この男の守る範囲は、国境などで区切られてはいないのかもしれない。
……いや、待て。
儂は、改めて青年を見た。さきほど大軍を塵に変えた、あの化け物が、今、目の前で穏やかに微笑んでいる。
我々は、この化け物と――盟友で、本当に良いのか。
問いは、重く沈んだ。味方であることが、これほど空恐ろしいとは。あの力が、万が一牙を剥いたなら、世界の誰が――。
「マキナ様ぁ」
思考が、断ち切られた。
声の主は、メルフィーナ姫だった。いつの間に現れたのか、腰に手を当て呆れ顔で青年を見ている。
「守護竜が敵を引き込んで、どうするんですか」
笑っていた。責めるでもなく、ただ可笑しそうに。
「うっ」
化け物が、呻いた。
儂は己れの耳を疑った。世界最強の竜が、王女の一言に言葉を詰まらせている。
追い打ちをかけたのは、あの獅子の獣人だった。斧を担いだまま、不満顔で歩み寄ってくる。
「守護竜様よォ。美味いとこ、全部持ってきやがったな。こっちは斧振る前に戦が終わっちまったぞ」
「ううっ」
二つ目の呻き声。
呆気に取られている者もいた。開いた口が塞がらぬまま、塵と消えた空を見上げて固まっている。あれは畏怖だ。儂と同じ顔をしている。
その横で、小柄な少女が俯いたまま、ぼそりと呟いた。
「……勉強に、ならなかった」
聞こえるか聞こえぬかの声だった。だが、青年には届いたらしい。
「ぬぅっ」
三つ目の呻き声とともに、おそらく世界最強の竜が、半歩後ずさった。学ばせるために連れてきた子らに、学ぶ間もなく戦を終わらせてしまったのが、よほど応えたらしい。
追い詰められた青年に、止めを刺したのは、通信機から聞こえた声だった。
「マキナ様、身も蓋も無いっすねー」
悪気など欠片もない、からりとした笑い声が聞こえる。
青年が、肩を落とした。
「……ごめん」
世界最強の守護竜が、謝った。
儂は、言葉を失った。
ついさっき、大軍を一呑みにした化け物だぞ。儂が「盟友で良いのか」と背筋を凍らせていた、あの怪物だぞ。それを、人間の娘が容赦なく突っ込み、獣人が愚痴を言い、明らかに年端もいかぬ娘までが文句を垂れ――挙句、謝らせている。
誰も、恐れていないのか?
あれほどの力を前にして、平然と軽口を叩ける連中。儂には、それが守護竜そのものより、よほど理解の外にあった。
……いや。
もしかすると、これこそが答えなのかもしれぬ。
背中に乗せていた力みが、知らぬ間に抜けていく。儂は、大きく息を吐いた。張り詰めていたものが、ほどけていく。
あの化け物を、怪物のまま恐れ続けるか。それとも――。
謝る青年と、それを囲んで笑う連中を眺めながら、儂は、柄にもなく、頬が緩むのを止められずにいた。
まったく、大した盟友を持ったものだ。
第五十話・了
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