第四十八話 ”芽”
ドラグネストの朝は、金属を削る音でけたたましく始まる。
砥石の回る低い唸り、丸鋸が鋼を裂く甲高い音。高圧の水が金属を切り拓き、吹き付けられた砂が表面を磨いていく。鉄を打つ槌の音も混じってはいるが、もうこの拠点の主役ではない。
その音の中心には、大抵エルダがいる。新しい工具を見つけては子供のように目を輝かせ、今朝も丸鋸の刃を回しながら何かを叫んでいた。「これはハルトアイゼンにも導入せなあかん!」と。親方の玩具が、また一つ増えたらしい。この拠点だけで産業革命が起きてて笑えない。
育成機関の演習場からは、号令と足音。研究と育成を兼ねたこの拠点は、設置から一月ほどで、もう独自の脈を打ち始めていた。
僕は人手を見繕いに来ていた。
通信網は敷いた。物も揃いつつある。だが、それを動かす人がまるで足りない。セラ一人に管制を背負わせている現状は、長くは保たない。前へ出る僕に代わって采配を執る者、流れ込む報せを捌く者、前線で機体を生かし続ける者──要るものは多い。
育成機関で伸びてきた者から、見繕う。そのつもりで来た。
◇
演習場の一角で、ヴェルディが盤面を囲んでいた。
卓の上に簡易の地形図。駒を並べ、候補生たちに状況を読ませている。指揮官代行を兼ねる彼は、こうして座学でも手を動かすようになっていた。叙勲され、部隊を任され、今は次を育てる側に回っている。よく伸びた。
「──この配置で、敵の主力はどこを衝く?」
ヴェルディの問いに、候補生が次々と駒を指す。右翼が手薄だ、いや中央突破だ、と声が飛ぶ。それぞれに筋は通っているが、どれも一手か二手で行き詰まる読みだった。
その輪の端に、小柄な少女が一人いた。
俯き気味で、手は卓の縁を握ったまま動かない。だが、目だけは違った。盤面の上を、誰よりも速く、何度も往復している。見えているのだ。他の候補生がまだ目の前の一手を探している間に、その子の目は、もう三手も四手も先を辿っている。
ヴェルディが、その子に声をかけた。
「ヴィは、どう見る?」
少女の肩が、びくりと反応する。
「……あ、いえ。その……」
声が、小さい。視線が盤面と、自分のつま先の間を行き来する。せっかく見えているものを、喉のあたりでせき止めているような、そんな顔だった。
「……わ、私なんかが、言っていいのか……」
言葉が、しぼんでいく。
ヴェルディは急かさなかった。だが、それ以上の言葉も出てこない。少女はうつむいたまま、ただ卓の縁を握っている。
僕は、つい口を開いていた。
「今、何が見えました?」
少女が顔を上げた。見知らぬ青年が立っている、と思ったのだろう。それから、隣のヴェルディが慌てて姿勢を正したのを見て、目を見開いた。
「ま、マキナ様……?」
「ええ。今のあなたの目は、盤面の先を見ていた。──どこを衝くと、読みました?」
少女は、僕とヴェルディと盤面を、何度も見比べた。そして、消え入りそうな声で、駒の一つに指を伸ばす。
「……ここ、です。右翼は……囮で。本命は、左の補給線。ここを断たれたら、中央は……二日で、干上がります」
卓の周りが、静かになった。
ヴェルディが、ゆっくりと駒を動かしてみせる。少女の言った通りに。右翼は崩れたふりで敵を引きつけ、その間に左の補給線が断たれる。中央の主力は、戦わずして孤立する。
詰んでいた。
他の誰も、左の補給線など見ていなかった。皆、右と中央の駒の衝突しか見ていなかった。この子だけが、駒の無いところを──線を、見ていた。
「……正解です」
少女は、褒められたことに戸惑うように、また俯いた。喜ぶより先に、身を縮める。そういう癖が、体に染み付いている子だった。
ふと、僕の口から、音が漏れた。
「あぎゃ」
少女が、顔を上げた。
僕は、何でもない顔で、ヴェルディに向き直った。
◇
あの子の名はヴィ。ドラゴノートから兄と二人で来た半妖精の少女だった。
半妖精は、目立つ。長命種の血が混じる者は実年齢より幼く見え、そして、人の世では忌避されることが多い。この地に来て三年、そうした風当たりは減ったというが、育成機関にも、心ない者が少なからずいるらしい。
道理であれだけ見えていながら、自信を持って言えなかった訳だ。答えを知っていても、口にしてあざけられた記憶が、言葉を喉で止める。息が苦しい思いをずっとしてきたのだろう。
惜しい、では足りない。あの目は、得難い。
采配を執る者が足りないと嘆いていたところに、あのレベルの目を持つ者は放っておけない。
あれはタクティカルヴィジョンの持ち主だ。僕の様な教育で学んだ知識とは違って盤面がはっきりと見えている。流れを読み、機を知る。そういった類の才能だ。彼女は是非抑えておくこととする。
◇
次に彼女の兄が居ると言う事もあって、工房へ顔を見せにいく。
金属を削る音と、魔導回路の検証の火花が、同じ屋根の下で混じり合っている。エルダ親方を筆頭に、ドワーフの技師たちが忙しなく動いていた。人族のクラウスは相変わらずメモを取り、イーリスは何かの合金を溶かして覗き込んでいる。
その片隅で、一人の少年が、分解した機構の前に屈み込んでいた。
ヴィの兄でディと言うそうだ。
手元を覗くと、駆動部の軸を組み直している。手つきに迷いがない。コアの座りを直し、魔導回路の端子を繋ぎ、機構の噛み合わせを確かめる。一つの部門に留まらない、幅広い知識を感じる。
「ディは、皆に育てられたんやで」
いつの間にか隣に来ていたエルダが、鼻先を擦りながら言う。
「コアはワシが、鍛冶はドワーフ衆が、素材の目利きはイーリスが、回路はブルーノが。誰の弟子にもせんと、全員で少しずつ仕込んだ。前線で、一人で全部直せる手にする為にな」
なるほど。後方の工房なら、専門家が分業で深く作ればいい。だが前線は違う。何が壊れるか分からず、専門家を何人も連れて行けない。その場で、全部、一人で直すしかない。
広く、全部。それが、前線で機体を生かす手だ。
ディが、組み上げた駆動部を試し回した。滑らかに回る。だが、少年の表情は晴れない。
「……まだ、甘いです」
ぽつりと、ディが言った。
「親方たちなら、もっと精度を出す。ブルーノさんなら、回路はもっと綺麗に。俺は、どれも中途半端だ」
醒めた目だった。この年で、自分の至らなさを、正確に測っている。妹が「言えない」子なら、兄は「足りない」と己を裁く子だった。優秀な兄妹が、二人とも、自分を認めきれずにいる。
そこへ、イーリスが顔を上げた。手元の坩堝から目を離さないまま、軽く言う。
「ディ。戦場での修理の基準はね、完璧なんかじゃないよ」
ディが、振り向いた。
「使えるかどうか。それが生死を左右するの。撃たれてる最中に、綺麗な修理なんて誰も待っちゃくれない。動けばいい。それで、味方が一人死なずに済む」
イーリスは、理屈を感覚に落とし込んで形にする質の職人だ。その彼女が言うと、妙な説得力があった。
ディは、何も言わなかった。言わなかったが、手元の駆動部を、もう一度今度は違う目で見ていた。
この兄妹は二人ともいい素質を持っている、今後が楽しみだ。
◇
最後に、管制室を覗いた。
セラが水晶版の前で、通信の流れを捌いている。その隣で、金髪の娘が一人、必死の形相で何かと格闘していた。
美しい顔立ちの娘だった。だが、その顔は今、盛大に歪んでいる。
先日のセラの依頼を受けて配置したバックアップオペレーターだ。
「あー! また送り先間違えた! なんで! なんでっすか!」
「ターニャ、落ち着いて。宛先のコアを先に確認、ね」
セラが溜め息交りにも丁寧に教えている。手は止めずにターニャのしくじりを拾い直していた。
まるで姉妹の様な関係を感じさせる。
僕に気付いて、ターニャが跳ね起きた。
「うわっ、マ、マキナ様!? あ、あーし、今盛大にやらかしてて……」
「見ていましたよ。──何度、やらかしたんですか?」
「えっと……今日、10回からは覚えて無いっス……」
正直な子だ。隠さない。
「18回よ、ターニャ」画面から目を外さずに淡々と答えるセラ。
はぅっと息がつまった顔をするターニャに思わず笑いそうになる。
「疲れませんか。周りを見れば、楽な道もありそうなものですが」
僕が言うと、ターニャは不思議そうに首を傾げた。それから、からりと笑った。
「あーし、馬鹿だから色々見てらんないんすよー。効率的にって言われても、よく分からないもんでー。どんな絶壁でもまっ直ぐ上がって行ったら最短じゃないですかー?」
僕は、思わず手を止めた。
馬鹿だから、と本人は言う。周りを見渡して楽な道を探す器用さが無い、と。だが違う。この子はシンプルに一直線なんだ。辛いとか苦しいとかそう言った事より、単純な答えを信じてる。
ただまあ、そんなやり方じゃ初速が遅いのは当然だろう。18回間違えて、18回立ち上がる。脳筋と言っていいシンプルさだ。だけど、やり遂げたなら、面白い結果が見れるかもしれない。
もっとも、セラからしたらヘルプ頼んだら余計大変になった感じだが。
「ターニャ、でしたね」
「は、はいっす!」
「セラ、彼女でいいですか?私は良いと考えますが。」
セラは今やっていた彼女の後始末を終わらせ振り向いた。
「彼女がいいです。私はこの子に負けたくありませんから。」
ふんす!っと音が聞こえる様な勢いだった。
セラも彼女の特性、そして伸びしろが見えている様だ。彼女にとっても良い刺激になるだろう。
ターニャは理解できず、目を丸くした。それから、顔中で笑った。
「えっ、ほんとっすか!? あーし、ポンコツっすよ!?」
「知っています。だから、採るんです」
セラが、横で小さく肩を竦めて小さく微笑んだ。後輩が一人、正式に増えた。今はまだ手のかかる後輩だ。だがセラの目には、この子がいつか自分を追い越す日を脅威に映っていた。
◇
帰り際、演習場の脇を通った。
陽が傾いていた。訓練を終えたヴィがターニャと、それからセラに何か話しかけられて、困ったように笑っている。半妖精の耳を気にする様子も無く、ターニャが肩を組み、セラが呆れ顔で何か言っている。
ヴィが、声を上げて笑った。
演習場では、あざけりに肩を縮めていた子が楽しそうだ。
生まれで人を分ける者のいない場所で、あの子は、ようやく普通の娘の顔をしていた。
お互いがお互いの刺激になって成長できる環境を作ってあげなきゃいけませんね。
新たなメンバー候補を迎え、僕自身も目標新たに努力していこうと心に誓った。
やる事は、まだ山ほどある。
とりあえずは、メルフィーナとリーディアに対するフォローから始めよう。
第四十八話・了
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