第四十二話 ”勇者の|矜持《きょうじ》”
俺の名前は滝川勇人。十七歳。そして——勇者だ。
我ながら、まだ慣れない響きだと思う。半年前まで、俺はただの高校生だった。教室の隅で、誰とも喋らず、昼飯を一人で食ってるような。そういう、何者でもない人間だった。
それがある日いきなり光に包まれて、気づいたらこの世界にいた。神聖国。女神を奉る、正義の国。神官たちは俺を見て跪いた。勇者様、と。
正直、最初は信じられなかった。俺が、勇者。誰からも見向きもされなかった俺が。
でも、そういう運命だったんだと思う。きっと、向こうの世界で報われなかったぶん、こっちで報われるようになってるんだ。俺はそう思うことにした。
「勇人殿、また考え事ですか」
声をかけてきたのは、先生だった。
ロロル先生。神聖国が俺につけてくれた、指南役だ。歳はそう離れていないはずなのに、纏う空気がまるで違う。背筋が伸びていて、無駄がなくて、何というか——本物の匂いがする人だった。
「いや、ちょっと、これからの戦いのこと考えてたッス」
俺は慌てて言った。
本当は、教室の隅で一人だった頃のことを思い出していた。でも、そんなのを先生に言うわけにはいかない。勇者が、過去のことでうじうじしてるなんて、格好がつかないからな。
「初陣ですからね。気負うのは分かります。ですが」
先生は、淡々と続けた。
「気負いは、視野を狭めます。今日は勝つことより、生きて帰ることを覚えて下さい」
「……っす」
生きて帰る、か。
先生はいつもこうだ。派手なことは言わない。「敵を薙ぎ払え」とか「世界を救え」とか、勇者にふさわしい言葉は、ひとつもくれない。地味で、堅実で、現実的。
でも、それが本物なんだろうと思う。俺みたいに浮かれてないってことだ。だから俺は、先生についていくと決めていた。この人から、全部盗もうと。
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神聖国では大掛かりな作戦の準備がされていたけど、今の俺じゃまだ力不足なんだろう。
その作戦には参加できないと言う話だった。
代わりと言ってはなんだけど魔国の連中が、国境の村を襲っているという。
ゴブリンの群れだった。それを率いる、一回り大きな個体——ゴブリンロード。それから、痩せた狼のような魔物が幾つか。数にして、百は超えていないだろう。小規模な襲撃、この討伐任務が俺達に与えられた。まあ、どんな勇者だって最初はゴブリンとか倒して経験値を貯めなきゃいけないしな。当然だろう。
俺たちのほかに、神聖国の兵が何人か来ていた。でも、主役は俺だ。勇者の初陣を、皆が見ている。そう思うと、胸が高鳴った。
丘の上から村を見下ろすと、煙が上がっていた。家が焼かれている。畑を逃げ惑う、村人の姿が小さく見えた。
胸が、締め付けられた。
あの人たちを助けなきゃ。俺が、勇者なんだから。
「先生! 行きましょう! あの人たち、助けないと!」
「待ちなさい」
先生の声は、低かった。
「まず地形を見ます。狼系の魔物は、群れで側面に回る習性がある。正面のゴブリンに気を取られて飛び込めば、横から食われます。焦らないで」
「でも、その間にも村の人が——」
「貴方一人が死んでも、村は救えません。勇者が倒れれば、士気が崩れる。順序です」
正しいことを言ってるのは、分かってた。
頭では、分かってたんだ。
でも、目の前で人が苦しんでるのに、地形がどうとか、順序がどうとか——そんなの、待ってられるか?
俺は、勇者なんだ。
足が、勝手に動いていた。
「ユウト!」
先生の呼ぶ声を背に、俺は丘を駆け下りていた。
手には教皇様から頂いた聖なる剣トゥルーセイバー。
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最初は、うまくいった。
正面のゴブリンに斬り込むと、面白いように倒れた。やっぱり俺は勇者だ。チートってやつだ。剣を振るうたびに、緑の体が吹き飛んでいく。村人たちが、俺を見ている。
「勇者様だ!」
誰かが叫んだ。
その声に、胸が熱くなった。これだ。これが、俺の求めていたものだ。誰かに必要とされること。認められること。向こうの世界では、一度も——
横から、影が来た。
気づいた時には、痩せた狼が宙に跳んでいた。牙が、俺の喉を狙って——
間に、何かが割り込んだ。
先生だった。
剣の柄で狼を打ち落とし、返す刃で喉を裂く。一連の動きに、無駄がなかった。
「下がりなさい」
先生は、俺を庇うように前に立った。
見れば、狼の群れがいつの間にか俺を囲もうとしていた。正面のゴブリンに夢中になっている間に。先生が、言った通りになっていた。
神聖国の兵たちが、遅れて駆けつけてくる。先生の指示で、手早く陣を組み直していた。
戦いが終わったのは、それから間もなくだった。
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村は、焼けた。半分ほど。
それでも、村人の多くは無事だった。死者も、出るには出たが、思ったより少なかったらしい。先生が早く陣を立て直したからだ、と兵の一人が言っていた。
俺は、焼け跡の前に立っていた。
助けられた、と思う。俺は、たくさんのゴブリンを倒した。村人を守った。勇者として、やるべきことをやった。
——なのに、なんでだろう。
胸の奥が、すっきりしない。
「ユウト」
先生が、隣に来た。
「貴方は、前に出過ぎていますね。今日は、運が良かった。次は、庇いきれません」
「……すいません」
「謝罪は要りません。覚えて下さい。それだけで充分です」
俺は、頷いた。
先生の言うことは、正しい。分かってる。でも——納得は、できなかった。
「でも、先生。困ってる人がいたら、助けるのが筋っスよね。目の前で人が死にそうなのに、地形がどうとか考えてる方が、俺には間違ってる気がするんスよ。勇者って、そういうもんじゃないッスか」
言ってから、少し得意になった。我ながら、いいことを言った気がした。正義ってのは、こういうことだろ。
先生は、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「……そうですね」
俺は、嬉しくなった。
先生も、分かってくれた。やっぱり俺は、間違ってなかったんだ。先生みたいなすごい人に認められた。そう思うとさっきまでのもやもやが、少し晴れた気がした。
「ありがとうございます、先生! 俺、もっと強くなって、先生に追いつくッス! いつか、先生を守れるくらいに!」
「……ええ」
先生は、それだけ言って背を向けた。
その横顔が一瞬、何かを堪えるように見えた。疲れているのかもしれない。戦いの後だし。
俺は、空を見上げた。
向こうの世界では、何者でもなかった。友達もいなかった。誰にも期待されなかった。
でも、ここでは違う。
俺は、勇者だ。
きっと、報われる。これまでのぶん、全部。
——その時、胸の奥で、何かが小さく軋んだ気がした。
気のせいだろう。戦いの疲れだ。そう思って、俺は先生の背中を追った。
第四十二話・了
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