第四十話 姫と姫
神聖国の軍が退いて、幾日かが過ぎた。
ドラゴノートの空は、すっかり戦の色を落としていた。城壁の補修の槌音と、市の喧騒が朝から街に満ちている。城壁の上から見下ろせば、畑には農夫が出て、子供が路地を駆けていた。守り抜いた、という実感が街の隅々まで行き渡っている。
僕は、既に終わった戦いのことを思い返していた。
神聖国はその数、5000。こちらの守りを精々2000に満たぬと読んでいたらしい。数で押し潰すつもりだったのだろう。
だが、戦は数だけで決まらない。
ティーガーと練った筋書きの通り黒騎士と白騎士を城壁前に並べ、籠城の構えを見せる。敵は安心して間合いを詰めてくる。通常の合戦で言えば籠城は当然の選択と言っていい、疑う余地はない。
距離2000メートル。アームズパック・アーチャーが放つボウ・ライフルの矢が、敵の頭上から降った。神聖国の兵にとって、それはあり得ない間合いだったろう。盾を構える先に敵はおらず、矢だけが空から落ちてくる。矢は盾も鎧も無かった様に突き刺さり、陣形は見る間に崩れていった。
混乱の只中敵の背後から、全高5mのサイクロプスを送り込んだ。12機の鉄の巨体が退き口を塞ぐように現れる。前から突然の矢、後ろから鉄の獣。挟まれた5000は、もう軍の形を保てなかった。
呆気ないものだった。
5000のうち、散り散りに退いていったのは2000余り。総大将の老将も、その混乱の中で落命したと聞いた。
当然の勝利だったと思う。
「相手はこちらを知らなさ過ぎた」それが神聖国の敗戦理由だ。
この戦いに僕は一つの計略をしかけた。
先陣を切って突出してきた若い敵将が居た。傷一つない真新しい鎧の、血気盛んな敵の若手だ。そいつを捕らえて、メルフィーナの名において殺さずに帰してやった。
殺してしまえばそれまでだが、生きて帰せばその男は語る。届かぬ矢のことを。背後に湧いた鉄の獣のことを。そして、自分を解き放った敵将の名を。
恐怖は、死人ではなく生者が運ぶ。実際の経験を数倍にして伝えてくれるだろう。
ドラグロード王国第一王女、メルフィーナ・フォン・ドラグロード。その名のもとに5000の兵が砕かれ、その名のもとに追撃も無く捕虜は一人残らず生かして返された。
次に攻めてくる時、神聖国の兵はこの名を思い出して足を竦ませるだろう。
これも、戦のうちだ。
幾日かが過ぎて、街は平穏を取り戻していた。神聖国は次の手をすぐには打ってこられない。傷を舐め、軍を立て直すのに時が要る。
その平穏に思いもよらぬ客が来たのは、よく晴れた昼下がりのことだった。
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ティーガーが、城の一室に駆け込んできた。
僕はメルフィーナの膝の上で、新しい装備の設計図に目を落としていた。三姉妹が壁際に控えている。
「マキナ殿、姫殿下。火急の用件にて失礼致します!」
ティーガーの顔には、戸惑いと警戒が入り混じっていた。
「神聖国の者が、門に参っております」
メルフィーナの肩が強張った。僕は設計図から顔を上げた。
「女が一人と、護衛の男が一人。女は神聖国の神官の衣を纏っております。守備隊が誰何したところ、女はこう名乗りました」
ティーガーが息を継いだ。
「神聖国第一王女、リーディア・フォン・ゼーレンハイム。亡命の意あり、と」
部屋の空気が固まった。
メルフィーナがゆっくりと立ち上がる。僕はその腕に抱き直された。
「……神聖国の第一王女が」
「ハルトアイゼンのアイゼン王の書状を携えております。マルキウス王陛下に宛てたもの、と。この場で検める類のものではございませぬゆえ、王都へ送る手筈かと存じますが、まずはいかが取り計らうべきか」
僕は尻尾を一度ゆっくり振った。
敵国の、第一王女。亡命。
——願ってもない。
神聖国の内情を最も深いところから知る人間が、自ら転がり込んできた。聖都の動き、教皇派の思惑、軍の手札。喉から手が出るほど欲しかった情報の塊が、向こうから歩いてきたのだ。会わない理由が無い。
僕は黒板を引き寄せた。
[通せ]
メルフィーナが僕の文字を見て、静かに頷いた。だがその横顔は、いつもの彼女ではなかった。
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ほどなく、女が通された。
神官の衣を纏った、凛とした立ち姿の女だった。長旅の疲れが目元に滲んでいたが、それでも美しいと評するに十分だ。気品というものが何であるか、その佇まいが教えていた。傍らに武人らしい男が一歩下がって控えている。
リーディアは、部屋に入って、僕を見た。
メルフィーナの腕に抱かれた、白い小さな竜を。
その瞳が止まった。何かを見定めるような、いや、何かに引き寄せられるような目だった。彼女の唇が僅かに動く。本人も気づかぬうちに、声がこぼれ落ちた。
「……勇者、様?」
……!
部屋が静まり返った。
リーディア自身が、誰よりも驚いた顔をしていた。自分の口から出た言葉に、自分で戸惑っている。
「……何を、私は言っているのでしょう。失礼致しました」
彼女は小さく首を振った。理由は、彼女にも分からないようだった。女神に仕える神官が、竜信仰の守護竜を、女神の遣わす勇者の名で呼んだ。意味が通らない。彼女はそれを口にしてしまってから気づいていた。
僕にも、意味は分からなかった。
だが——
「……今、なんと」
メルフィーナの声が低かった。
僕は彼女の腕の中で、空気が変わったのを感じた。
「今、この御方を、なんとお呼びになりました」
リーディアがメルフィーナを見た。
「いえ、私は」慌てて取り繕う素振りを見せるリーディア王女。
「勇者ですって?」
メルフィーナの声が震えていた。怒りで。
「女神の勇者と。マキナ様を」
まずい、と思った。黒板に手を伸ばす。だが何を書けばいい。この昂りに、文字が追いつくはずがなかった。書いている間に、言葉はとうに流れていってしまう。
「あなた方が」
メルフィーナの声が堰を切った。
「あなた方が、竜を邪なものと呼んだ。女神が、竜への信仰を邪教と断じた。だから神聖国は私達の地に兵を向けた。ドラゴノートを奪い、民を奪い——」
彼女の瞳が潤んでいた。
「私の母は、その戦の果てに、力の全てを私に遺して逝きました。私達はただ素朴に幸せに暮らしていたかっただけなのに。竜を敬い、土を耕し、それだけで良かったのに!」
リーディアは動かなかった。打たれるように、その言葉を受けている。
「その女神の、勇者ですって。よりにもよってマキナ様を、あなた方が穢れと呼んだその名で——」
僕は彼女の腕の中で身を捩った。
何か言ってやりたかった。落ち着け、いいんだ、何でもいい。だが僕の喉から出るのは、ただの鳴き声だ。
——今日ほど、話せないことを恨んだ日はない。
僕は息を吐くように一つ鳴いた。あぎゃ、と。情けない音だった。
その間の抜けた鳴き声が、かえって場の熱を断った。
メルフィーナがはっと我に返る。自分が今、何を言ったのか。腕の中の僕を見下ろし、それから目の前の客人を見た。
彼女の頬が朱に染まった。怒りとは別の色だった。
「……取り乱しました」
メルフィーナが姿勢を正し息を整える。震えていた声が、元の落ち着きを取り戻していく。15に満たぬ少女が、感情の奔流を知性で押し戻していくのが分かった。
「客人に向ける言葉では、ありませんでした。お許しください」
リーディアが静かに首を振った。
「……いいえ。当然の、お怒りです。失言でした」
罪を認める者の声だった。
僕は内心で安堵した。メルフィーナは崩れない。怒りに任せて喚き散らす子ではない。一度溢れても、すぐに己を引き戻す。それが彼女の強さだった。
だが、母のこと、奪われたもの。彼女の中にまだ消えない熱が燻っているのも、僕には分かっていた。
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その日の夕刻。
場を改めて、一室が設けられた。
僕とメルフィーナ。リーディアと、その副将のミカルという男。そして後見として、ティーガーが同席した。神聖国の側はミカルが、ドラグロードの側はティーガーが、それぞれの主の傍らに控える形だった。
書状は、開かれなかった。マルキウス王に宛てたもの、王都へ送り、王の手で検められるべきものだ。この場で問うべきは別のことだった。
僕は黒板に書いた。
[なぜ亡命を?]
リーディアは僕の文字を読み、しばらく目を伏せた。それから語り始めた。
神聖国がドラグロードに仕掛けた聖戦は、偽りであること。邪竜が地を奪い女神が勇者を遣わした、という大義は、教皇派が戦のために描いた絵空事にすぎないこと。
「女神の勇者を名乗る者も、偽りです。女神の選定を経ておりません。此度の戦に、女神の意志は介しておりません。そしておそらく14年前のドラゴノートを奪った戦いにも」
神聖国の神官が口にしてはならぬことを、彼女は口にしていた。
「神聖国は女神の聖名を掲げて、女神の意志なき戦をしております。聖名を、汚しているのです」
そして彼女は顔を上げた。
「私は、ただ逃げてきたのではありません」
その目に、初めて熱が宿った。
「今の神聖国を、聖名を汚す教皇派を、私は正したい。」
逃げてきた亡命者ではなく、目的を持った亡命者だった。
メルフィーナは黙って聞いていた。先刻の熱を抑えた、静かな横顔だった。
リーディアの言葉が途切れると、傍らのミカルが初めて口を開いた。
「姫様の仰ること、武門の者として一つ申し添えたい儀がございます」
低い、落ち着いた声だった。
「我らを信じて頂く為に、お渡しできる話です。」
僕は男に目を向けた。
「マキナ殿は、ゴーレムを操られると伺った。鉄の兵を」
[そうだ]
「ならば知っておかれた方が良い。神聖国には、そのゴーレムの動きを止める手立てがござる」
僕は尻尾を止めた。
「レギオンマジック、と申す。軍団級の神聖魔法。一たび発動すれば、その範囲のもの悉くを縛る。直径にして3㎞ほどにも及ぶと」
僕はその言葉を頭の中で転がした。ゴーレムの動きを止める。魔法で。装甲をどれだけ厚くしても、それは関係ないということだ。とすれば、魔導回路に直に作用するのか。
……厄介だな
直径3キロ。その範囲に入れば、僕の鉄の兵はただの鉄の塊になる可能性がある。
どう抗うか。考えるべきことが一つ増えた。だが、知らずに踏み込むのと知って踏み込むのとでは、まるで違う。ミカルは確かに高価な手土産を差し出した事になる。
[感謝する]
僕は短く書いた。
ミカルが軽く頭を下げた。武人の、簡潔な礼だった。
言ってみればこれは敵の敵は味方っていう話だ。
同じ国でも派閥が違えば、特に弱い側は虐げられ利用される。
聞けば偽勇者の妻として与えられるところだったそうだ。
この話にはメルフィーナも固く閉ざした感情の扉を開けていた。
分裂した敵の弱い方と強い方、強い方は手段を択ばずこちらを攻めて来る。
だったら弱い方を味方にし、相手の国の内外から楔を撃つのは間違ってはいないだろう。
彼女たちが嘘を言ってるかどうかは、余り重要じゃない。
結果は直ぐ知れる訳だし、こちらとしては一種の切り札を得た事になる。
リーディア王女にとっては、身の安全と敵国の内情を知る機会でもあるし。
或いは神聖国を王室派に取り戻す戦力の一つとして利用するつもりだろう。
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話し合いが解けた後。
僕は城壁の上に出た。
西の空に、陽が落ちかけていた。神聖国との戦いはこれからが本番と言うことだ。
考えることは山ほどある。レギオンマジックとやらへの備え。次の戦の形。次なる兵器の開発。
王都ドラグロードに早馬を走らせている。アイゼン王からの書状はリーディア姫が直接持って行くのがいいだろう。今しばらくはドラゴノートで僕の監視下に居て頂くことになる。
一つため息をついた僕の尻尾を、夜風がふわりと揺らした。
第四十話・了
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