第四十三話 "布石"
その報せが城に届いたのは、リーディアの処遇を巡って話している最中だった。
ドラゴノートの一室。一度は失い、奪い返したこの城は、今は僕たちの守るべき前線だ。
「マキナ様。やはりリーディア様は、王都へお移し頂くべきかと思います。ここはまもなく、戦場になります」
メルフィーナの言うことは、筋が通っていた。客分として遇すると王が決めた以上、いずれは王都へ送り、陛下に直答して頂くのが筋だ。前線に留め置くのは、あくまで仮の措置に過ぎない。
僕が黒板に何か書こうとした、その時だった。
伝令が、転がり込むように部屋へ駆け込んできた。
「申し上げます! 神聖国軍、進軍を開始! 数、およそ一万から一万二千! ドラゴノートまで、早ければ一日、遅くとも二日の距離に迫っております!」
部屋の空気が、張り詰めた。
来たか。思ったよりも、早い。
前回持ち帰った恐怖におののくことなく攻めてくるとは、よく鍛えられた兵の様だ。
「マキナ様、急ぎリーディア様を、王都へ移して頂きますか」
メルフィーナが、リーディアを案じる目で僕を見た。
僕は首を横に振り、黒板を引き寄せた。
[間に合わない。王都までは往復できる距離じゃない。敵は一両日でここに来る]
メルフィーナの顔が、強張った。
そうだ。もう、送る時間がない。今から発たせれば、道半ばで戦が始まる。護衛もろとも、野ざらしの街道で敵と鉢合わせしかねない。
[それに、彼女には追っ手がかかっている可能性が高い。亡命した高位神官で第一王女だ、神聖国が放っておくとは思えない]
[動かす方が、危ない。今は護衛に割ける戦力もない]
[ここで、僕とメルフィーナと共に守る。それが一番安全だ]
書き終えて、僕はメルフィーナを見上げた。
彼女は唇を結んでから、小さく頷いた。
「……分かりました。リーディア様には、私からお伝えします」
賢い子だ。理屈を言えば、すぐに呑み込む。
リーディアを前線に置くのは、彼女のためでもあり、こちらのためでもあった。情報を持つ者を懐に置き、なおかつ守る。合理というやつだ。たまたまそれが、優しさのような形をしているだけで。
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僕たちは、攻める側ではない。守る側だ。
ならば、することは決まっている。この城を背にして、待ち受ける。
敵が来るであろう城の前面、開けた平野に向かって、僕は空間から黒い騎士たちを取り出していった。
黒騎士。鎧の内に砂を満たした、物言わぬ歩兵だ。城から遠い側――迎撃の最前となる地点から始めて、城へ戻りながら、目測で50mごとに一体ずつ据えていく。目分量だが、構わない。弓の届く距離から逆算すれば、凡その間隔は体が覚えている。
数にして約50体。
それだけ並べれば足りる。敵の懐まで踏み込んで据える必要はない。測りたいのは敵が放つであろう、軍団魔法の及ぶ果てだ。城の前に等間隔で伸びる黒い列は、戦の布陣には見えないだろう。むしろ、物差しだ。目盛りを刻んだ、長い定規。どの目盛りで騎士が止まり、どの目盛りで動いているか。それを読めば、術の境界が分かる。
要所には、白い騎士を混ぜておいた。黒の列の中で、三つの白は目印になる。遠目にも、どこが基準の点か見分けがつく。
淡々と、据えて、戻る。据えて、戻る。
戦の前だというのに、僕のしていることは測量だった。
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配置を終え、僕は翼を広げて空へと上がった。
上空から見下ろすと、地平の彼方に、土埃が帯のように立ち上っているのが見えた。神聖国軍だ。まだ豆粒ほどの距離だが、確かにこちらへ向かって動いている。
一万二千。
――多くはないな。
それが、率直な感想だった。前の生で僕が見てきた戦の規模は、こんなものではなかった。鉄と火薬が渦巻く、桁の違う殺戮の景色。それに較べれば、一万二千の人と馬の群れは、まだ目で数えられる範囲にある。
だが――それでも、大群ではあった。
この世界の尺度では、一万二千は国を傾けるほどの軍だ。地平を埋める甲冑の列、翻る旗、土を踏み鳴らす地鳴り。侮ってはいけない。数とは、それ自体が一つの暴力だ。前の生で、僕はそれもよく知っていた。
侮らず、飲まれず。
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遠目にも、敵の動きには淀みがなかった。
進軍の隊列が乱れない。先頭と後尾の間延びがなく、全体が一つの意思で動いているように見えた。やがて来る平野で、どう展開するつもりか――その算段が、行軍の形そのものに透けて見えるようだった。
――いい指揮官がいるな。
僕は、素直にそう思った。
前の戦とは、違う。あの時の将も、決して凡庸ではなかったはずだ。ただ、あの老いた将は、変わってしまった戦の形に付いてこられなかった。長く生きた武人ほど、積み上げた常識が足枷になる。あり得ない間合いから矢が降る戦場を、彼の経験は知らなかった。
古いタイプの将だったな。柔軟性には欠けるが、剛健だった。でも――それだけだった。
だが、今敵を指揮する誰かは、どうやら違うらしい。
この行軍は、前の敗北から何かを学んだ者のものだ。焦らず、崩さず、様子を窺いながら近づいてくる。変わった戦の形に、食らいつこうとしている。
手強い。
そう思うと同時に、奇妙な期待が胸に湧いた。
賢い将であってくれ、と。
僕は別に、皆殺しがしたいわけではない。城の前に黒い物差しを並べ、届くはずのない距離から矢を放ち――その一連の異様な構えの意味を、向こうの将が正しく読み取ってくれるなら。
「この戦、勝てない」と、引いてくれるなら。
それが一番いい。
愚かな将は、意味が分からないまま突っ込んで死ぬ。賢い将は、盤面を読んで退く。僕が欲しいのは、後者だ。
――さて。
僕は地平の彼方の、顔も知らぬ将に向かって、胸の内で呟いた。
――こちらの意図を、読んでくれると助かるんだがね。
風が、城の前に並んだ黒い騎士たちの間を吹き抜けていった。
戦は、まだ始まっていない。
第四十三話・了
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