第三十六話 ”鉄を打つ音”
王都ドラグロード。
マキナはマルキウス王に呼ばれ、謁見の間ではなく王の私室に来ていた。
マルキウス・フォン・ドラグロードは、卓の上に広げた一枚の紙を見ていた。草から届いた報せだった。
「草からの知らせが入った。神聖国で、大規模な部隊編成が行われている様だ」
王が言った。声に力みは無く、真剣な面持ちではあったが、心配している様子もない。
紙には、聖都周辺の兵の動き、物資の集積、徴発の規模が記されている。マルキウス王は、情報の重要さをよく理解した王だ。情報とは生モノで、時間が経てば腐ってしまう。だから彼は13年間、神聖国に草を送り続けてきた。今回の情報はその網が拾い上げた、戦の前触れだった。
マキナは報せに目を通している。やがて、黒板に文字を書いた。
[勇者召喚がされたっていうのは、本当なんだろうか]
「分からん」
王はもう一枚の紙を指で示した。
「勇者が立った、と聖都では言われているそうだ。女神が遣わした、と。だが、それが本当に勇者なのか、戦の前に民を煽る為の作り話なのか──草にも、そこまでは掴めなかった」
マキナはしばらく黒板を見ていた。それから、書いた。
[本当なら厄介だな。本物かどうか分からない以上、本物として備えるしかない]
「そうだな。居ないと断じて居るよりずっといいだろう」
王は、紙を無造作に卓に置いた。二人は、しばらく思考に旅立ち、黙っていた。
私室の窓から、王都の街並みが見える。煙突から、細い煙がいくつも立ち上っていた。工房の煙だった。鉄を打つ音が、遠くから途切れずに届いている。
「マキナ殿」
王が口を開いた。
「神聖国が、どれほどの兵で来ると思う」
マキナが黒板に書いた。
[万単位の兵を持つ神聖国だが、敵も多い。備えに兵は残すだろう。サイクロプスを公開していない現状なら、3000から5000というところだろう]
王は頷いた。それから、なぜそう思った、と口にしかけて、窓の外へ目をやった。
「マキナ殿が言った様に、神聖国は我が国だけを神敵としているのではない。魔国もまた、神敵として公に認定している。あの国は、常に二つの方角に備えねばならん。全ての兵を、ドラグロードだけに向ける事はできん」
[だから、出すなら圧勝できる最低限の数ってことだね]
「そういう事だ」
マキナは、黒板に短く書いた。
[前哨戦だな]
「ああ」
王は、静かに答えた。
「これは、前哨戦だ。神聖国の本気は、この戦いの後になるだろう」
言葉にすると、改めて重かった。
5000。それだけでも、13年前の王にとっては、絶望の数だった。あの時、神聖国は国境を越え、ドラゴノートを奪っていった。為す術が無かった。富国強兵を成し得なかった自分の咎だと、王は今も思っている。
だが、今はマキナがいる。
「マキナ殿」
王は、卓の上の竜を見た。
「今の我が国は、5000程度であれば、正面から戦って退けられる。違うか」
[違わない]
マキナは王の自信に、ニヤリとしながら書いた。
[騎士団、弓兵、魔導師団。それにゴーレム。今の戦力なら、5000が正面から来ても捌ける。新しい兵器を出すまでもなく、ね]
王は、ゆっくりと息を吐いた。
13年、待ち続けた言葉だった。5000を、退けられる。正面から。その一言を、王はどれほど聞きたかったことか。あの夜、ドラゴノートが落ちる報せを受けた時から、ずっと。
王は、それを表に出さなかった。ただ、頷いた。
「ならば、なぜ量産を急がせている。捌けるのであれば、今ある物で足りるだろう」
マキナは前足を止めた。それから、黒板に書いた。
[5000は捌ける。だが、本番は数万だ]
「うむ」
[その時、兵が新しい兵器に慣れていなければ意味がない。配って、すぐ使えるものではない。慣れるには、経験が要る。だから、5000との戦いで慣れさせる]
王は、その文字を見ていた。
[勝てる戦いだからこそ、新しい兵器を使う。被害を減らしながら、兵を育てる。次の数万は、それでは済まない]
「……そなたは」
王は、言いかけて止めた。そなたは、もう次の戦を見ているのか、と言いかけた。それは、マキナにとって当たり前の事なのだろう。決して少なくない目の前の5000ではなく、その向こうを見て手を打っている。
王が見ているものの、その先を、この竜は見ていた。
13年前、王は一人だった。国の行く末を、誰とも分かち合えなかった。重荷は、王の肩にだけ載っていた。今は、友と呼べる守護竜が隣に居る。
もっとも、こんな事を言うと、またメルフィーナがヤキモチを焼いて話してくれなくなりそうだが。
「分かった」
王は言った。
「量産は、続けさせる。前線への配備も、急がせよう。──運ぶのは」
[僕がやる。工房で作った物を収納して、前線へ運ぶ。行軍は要らない。作った端から、ドラゴノートへ届ける]
王は、小さく笑った。
国の端から端まで、物資を運ぶのに、本来なら幾日もかかる。山を越え、谷を渡り、その間に兵は疲れ、物は目減りする。それをこの竜は一息で片付けてしまう。神聖国には、できない事だった。
「ティーガーには、私から伝えておく。前線は、あの者が守っている。配備の受け入れは、任せられる」
[頼む]
マキナは黒板を消し、卓から下りた。床に降りると、ぶるりと一度身を震わせた。
「マキナ殿」
王が呼び止めた。何か言おうとして、言葉を探した。礼を言うべきか、頼むと言うべきか。だが、どちらも違う気がした。結局、王はこう言った。
「……頼りに、している」
マキナはしばらく王を見ていた。それから、黒板に一言だけ書いて、見せた。
[任せろ]
王は、声を立てて笑った。久しぶりに、腹の底から笑った気がした。
竜は、私室を出ていった。
王は、一人になった卓の上で、草の報せをもう一度手に取った。
神聖国が、来る。13年前と同じ報せ。だが、王の胸にあるのは、あの時の絶望ではなかった。
窓の外で、鉄を打つ音が、まだ続いている。その音を、王はしばらく聞いていた。
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