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6. 呪具の願いと木の小箱

 













 にゃあと子猫が鳴く。首輪も付けておらず、ふわふわの白い毛並みに青い目の子猫が気に入ったのでリーファ様が飼うと言い出したのだ。




「俺はな~、猫はそう、得意じゃないんだけどな~」

「にゃ~」





 適当にむしってきた猫じゃらしを、ちょいちょいと動かしてやると白いお尻をふって飛びついて、猫じゃらしを抱えて噛み千切る。



 それを見て思わず頬が緩んだ。どうも子猫ならいけるらしい。




「それともお前が。リーファ様のお気に入りだからかなー?」

「んんー」




 それまで遊んでいた子猫を抱き上げると、不満そうな声を漏らした。床に置いてある猫じゃらしを見ているので、まだまだ遊び足りないのだろう。



 グエンは呆れたように笑って、子猫をそっと床に置いてやる。




「リーファ様はまだかな~、待ち遠しいな~」

「にゃっ、にゃっ」




 ふんふんと鼻歌を口ずさみながらも、自分の部屋で子猫と遊ぶ。黒いタイル床の上で、子猫が小さな鈴を追いかけて、ちりんちりんと音が鳴る。



 まるでふわふわの白い毛玉が飛んで跳ねてとしているようだ。そこへ、扉の外から声が響いてくる。





「グエン様? 入ってもよろしいでしょうか?」

「勿論。ああ、ほら。お前は逃げ出したら困るから、ここにいようなー?」

「みゅっ」





 それまで走っていた子猫を抱き上げて、黒衣に白い毛が付きそうで嫌だなと思いつつ扉を開く。扉を開くと、そこには茶髪に茶色い瞳の青年が立っていた。




 ルイはリーファ様が新しく雇った使用人で、子猫の世話係にするそうだ。




 年は二十五。西方の血が混じっているからか背も高く、珍しい茶髪と茶目でどうやらいい働き口が見つからなかったらしい。



 猫は実家で飼っていて、お産に立ち会ったこともあるそうなのでその場で雇うことにした。



 一応は俺の使用人扱いで、最初は女性を雇う話もあったそうだがリーファ様が照れ臭そうな顔で「嫉妬しちゃうかもしれないから」と言っていたので死にそうになった。可愛い、好き。




(そこまで心配しなくとも、俺は。浮気なんて一生、するつもりがないんだけどな~)




 この心は常にリーファ様とあるので。脱線しそうになった思考を正し、目の前の穏やかそうな青年を招き入れる。



 するとそれまで腕の中にいた子猫がぴょんと飛んで、ルイの腕の中へ飛び込んだ。





「おっと! どうしたのかなー? お腹でも空いたのかなー?」

「悪いな、ルイ。俺は子猫の世話にはとんと、慣れていなくて。農園でも鼠避けに飼っていたが」

「大丈夫ですよ、グエン様。むしろ、俺にとっては美味しい仕事ですから」

「そういうもんか?」

「そういうもんですよ。猫好きからしたらね」





 飛びついた白い子猫を抱え、ルイが嬉しそうに笑う。別に気にしなくてもいいと言ったのだが、主人を差し置いて明るい色の衣は着れないと言うので、ルイも俺と同じく黒い衣を着ている。




 何かと律儀な青年だ。子猫の世話も上手いし、気が利くし真面目な性格である。そこでちりり、と胸に不快なものが走った。




「……なぁ? ルイ?」

「はい? どうかしましたか、グエン様? あっ、そうだ。リーファ様がそろそろ、」

「お前。リーファ様と絶対にいい仲になるなよ?」

「えっ? えーっと、あの。俺にも恋人がいます……」

「そうか。ならいい。ならいいんだ」




 そこで子猫を抱えたルイが愉快そうに笑って、こちらを見つめてくる。




「意外ですね? グエン様。グエン様も、やきもち焼いたりするんですか?」

「常に嫉妬してるよ、俺は。その子猫にも嫉妬している、俺もお膝で眠りたい」

「はぁ。お膝で、ですか…………?」




 今いちよく分からない、といった顔をされて。居心地が悪くなって、首の裏を掻きながらも急いで話題を変える。




「そんで? リーファ様が何だって?」

「ああ、そうそう。リーファ様がですね。グエン様にお会いしたいと。どうやら準備が出来たみたいですよ」




 部屋の奥にある鏡台を覗き込んで、引き出しから耳飾りを取り出して付けているとルイがじっと見眺めてくる。まだ名前も付けていない子猫は、遊んですっかり満足したのか喉を鳴らして眠っていた。




 その視線に気まずくなって、耳飾りを付けつつ振り返る。




「何だ? ……何を、じろじろと見てやがる?」

「ああ、すみません。グエン様。いえね、貴方様も」




 眠る子猫を覗き込んで、その白い顎をくすぐっている。子猫は満足げに両目を閉じ、白いふわふわの毛並みを上下させていた。




「そうやって身だしなみに気を使うんだなぁと。リーファ様との街歩き。楽しんできて下さい」

「……ありがとう。もう、やめようかな。この耳飾り」

「何でですか? つけてったらいいじゃないですか。折角よくお似合いなのに」

「いい。もうやめる…………」





 金色の房飾りと青い玉が付いた上品な耳飾りを置いて、気まずさに背筋を震わせる。ルイに「十代の少年じゃあるまいし」と笑われ、ますます不機嫌になって背中へと荷物をくくりつけた。



 眠っている子猫を乱暴に撫でると、ふしゃーっと威嚇されてしまった。当然か。




「行ってくる! よろしく頼んだ、留守番!」

「はい。行ってらっしゃいませ。子猫の世話はどうぞ任せてください。あとそれから」

「あ? 何だ? まだ何か言い足りないことでもあるのか?」

「子猫の名前。今日中に決めていただけませんか? 可哀想です、名前がないと」





 その言葉に面食らって、ルイの顔を見つめ返した。茶色い瞳は真剣そのもので、何をどう言えばいいのかちょっとよく分からなくなる。




「白いの。とかでは駄目なのか? ってか、可哀想って何なんだよ?」

「だって可哀想でしょう? 呼ぶ名前がないと。折角の美人さんなので、良い名前を付けてあげてくださいね?」





 ごろごろと喉を鳴らす子猫の顎を、優しく掻いてやっている。その甲斐甲斐しい様子にいたたまれなくなって目を逸らし、何とか言葉を返す。




「あっ、ああ。分かった。それじゃあ、リーファ様につけて貰おうかな?」

「ああ。それがよろしいですね。グエン様は何となく、その。思いつきそうにないですもんね?」




 俺に喧嘩を売っているのか、こいつ?



 でも到底、いい名前も思い浮かばなかったので。その通りだなと思いつつ、気まずい思いで部屋を後にした。



 これからはルイがあの子猫をたっぷりと可愛がってくれることだろう。その心理はあまり、よく理解できないもんだが。

























「グエン様! 迎えに来てくださったのですね?」

「リーファ様ーっ!! 好きっ! 可愛いっ!!」

「わっ!? グエン様っ!?」





 驚いた表情の彼女を抱き上げて、くるくると回っていると桃の花が舞う。ここは彼女の部屋にほど近い庭園で、湿った地面には桃の木が咲き誇り、彼女の纏った淡い水色の襦裙が美しい景色に溶け込んでいる。




 照れ臭そうな彼女と目が合った。その黒い瞳に吸い寄せられて、我慢が出来なくなって白い額へと口付ける。



 ぎゅっと両目を瞑ったリーファ様に堪らない気持ちとなり、何百回か「可愛いなぁ」と唱えつつ地面へと下ろした。そう、この心は常にリーファ様と共にあるのだ。




「グエン様? ……置いてきたのですね。あの耳飾りは」

「あー、折角。貴女に贈って貰ったものですが」




 自分の耳たぶに触れて、不思議そうな表情の彼女から目を逸らす。




(まさか、ルイにからかわれたから付けなかっただなんて。口が裂けても言えないよな、そんなこと)





 三十五歳。その事実が重たくのしかかっている。




(十八歳で死んで。二十四歳で蘇って俺は……)




 泣き出しそうになってしまう、心がまだ追いついていない。




(あのおぞましい夜を乗り越えて。母の命を踏み台にしてまで、俺は)




 あれから何年も経ったというのに、この心はまだ追いつかないままで。いつまでも十八歳という年齢を引き摺ってそこから抜け出せない。




 成長、出来ない。そのことが重たく心にのしかかってくる。





「グエン様? 急に黙り込んで一体、どうなさったのですか?」

「リーファ様…………俺は」





 彼女がこちらの手を握り締めて、心配そうな表情で見上げてくる。その柔らかな温度と優しい表情にほっとして、自然と笑みが浮かんで彼女の黒髪を梳かす。



 さらりと指通りの滑らかな黒髪が流れ落ちて、彼女が照れ臭そうに口を噤んでいる。可愛い、死んでしまいそう。




「グエン様……貴方が何かを抱えて、何かを酷く気にしているのは。見ていてよく分かります」

「リーファ様……あの、俺はですね?」

「勿論、話したくないのなら無理に聞き出しなどしません。でも」





 そこで彼女が眉を下げて困ったように、責めるようにこちらを見上げてくる。黒真珠のような瞳に吸い込まれてしまいそうだった。可愛い、好き。




「私はそんなに、頼りない女ですか? 確かに、私は。呪われていて体も弱いけど」

「ああ。ちょっと待ってくださいよ、リーファ様」




 彼女の言いたいことも分かる。分かるが。両手を上げて彼女を制する。手を振りほどかれたと思ったのか、少しだけ悲しそうに見上げてきたのでもう一度その手を握りしめ、優しく微笑んで見下ろす。



 彼女に「大丈夫だよ、好きだよ」と話しかけるように。




「俺だってね、ある程度。貴女の前ではいい男ぶっていたいんですよ。ほら。年齢も? 三十五だし?」

「そのことを気にしてらっしゃるのですね? グエン様。あの意匠はそこまで、その。はしゃいだようには見えませんが……?」





 隣を歩くリーファ様が「よくお似合いだと思いますよ!」と拳を握って力説しだしたので、あまりの可愛さに涙が出そうになった。




 今日も俺の婚約者が可愛い。辛い。もう一度だけ死んじゃいそう。




 桃の花が舞って、薄曇りの空に淡く淡く青空が透けている。二人で穏やかな空を見上げて微笑んで、のんびりと歩いていた。頭上ではぴちぴちと鳥が鳴いている。




「……俺はね、リーファ様」

「どうなさったのですか? グエン様?」




 柔らかな手を握り締めて呟くと、彼女が不思議そうな顔で見上げてきて笑みが浮かぶ。大事に守っていこう、この安らぎを。




「一度死んで蘇ったんです。だから母も咎を背負って、償う羽目となった」

「でも。グエン様は、生き返りたくなかったんでしょう? 違いますか?」

「リーファ様」




 その言葉に何も言えなくなる。




(黄泉の道を歩いて、俺は。転生するはずだった。次の人間に)




 この魂を壷に封じ込められて、何の意識も無いまま封印され続けていきなり。




『グエン? …………グエンなの?』





 奥様が俺に問いかける。


 辺りに悲鳴やら泣き声が飛び交う暗闇の中で、強く強く抱き締められていた。



 その日の内に母が死に、葬儀と俺の蘇りを祝う食事会が行われて、何が何だかよく分からないままに随分と成長した弟妹に抱きつかれ、結婚したのだという兄や姉からも続々と手紙が届いて。




「俺の部屋にね。埃が積もっていたんです。何でかそんなことで、死んだ自覚が湧いてきてしまって」

「それは……驚いたでしょう? それに」




 そこで彼女がこちらの手を握り締め、弱々しく笑う。薄紅色の桃の花が舞って、艶々の黒髪が春の陽射しに煌く。春もそろそろ終わってしまいそうだが。





「お辛かったはずです。いきなり十八歳から、二十四歳になって」

「そうですね……辛かったと思います」





 俺が知らない話題、新しく出来た義理の姉と兄に、少しだけ変わってしまった街の風景と俺が死んでいる間に起きていた問題。



 その問題も解決していて、蘇った俺はただただ馬鹿みたいに頷いて聞くしかなかった。ひたすらに。





「昨日までの俺は。十八歳で寝込んでたけど。一応、明日の予定とかもあって」

「ですよね……風邪、でしたっけ?」

「はい。自分でもまさかそんなことで、あっさり死ぬとは思いもよりませんでした」




 笑って「また明日」と眠りに就いて、そのまま起き上がらなくなった俺を見て家族は衝撃を受けたらしい。




「蘇ってからはね。みんな、気味が悪いほど優しくて」

「ふふっ、心配だったのでしょう。皆様、グエン様をとても愛しておられるのですね?」





 その言葉にむず痒くなって、背中を震わせながらも頷く。隣で彼女が愉快そうに笑っていた。




「いや~。まぁ。大事にされてきたなぁってのは。思いますけどね~」

「ふふっ。素直じゃないのですね、グエン様は。その、とても可愛らしい人ですね?」






 あー、可愛い。俺なんかよりも彼女のほうが数億倍も可愛い。好き。



 柔らかな手を握り締めて歩けば、花の甘い香りと春らしい煌いた陽射しに胸が弾む。あのおぞましい夜を思い出すこともない、彼女の手を握り締めて歩く。




(いいや。……また話そう、母さんとは)




 また紙から抜け出してぷらぷらと遊んでいるようだが、仕方が無い。母の術には到底敵わない、俺はまだまだ未熟者だ。



 俺の未熟な術では、元死霊使いの母を封じ込めておくことが出来ない。元友人の魂などは逃げ出さないよう、しっかりと封印出来るのだが。




「リーファ様。今日はどこに行きますか?」

「そうですねぇ。この間、行った市場が楽しかったから。また一緒に行きたいです! グエン様と」

「可愛い~…………行きましょう。どこにでも。お連れしますよ? ほら」





 上を見上げて、この歪な屋敷の黒い門をくぐって、振り返って手を差し出すと。彼女が優しげな笑みを浮かべて俺の手を握り締める。



 辺りには桃の花が舞っていた。薄く広がってゆく青空と桃の花が美しい。まぁ、一番美しいのは彼女の笑顔だったが。




「はい! 行きましょう、グエン様。私も貴方もきっともう少し、人生を楽しむべきなんでしょうね?」

「それは言えてますね、リーファ様。忌まわしい身の俺ですが、これからも貴女の傍にずっといたいです」





 ぽろりと本音を零すと彼女が驚いた表情を浮かべ、ふんわりと花のような微笑みを見せる。




「それはお互い様ですよ、グエン様。私だって呪われた身だけど。貴方の傍にずっとずっといたいです」





 返事はしなかった、出来なかった。その穏やかさに胸の奥が詰まって。グエンは薄っすらと笑ってリーファを見つめ返していた。リーファもにこにこ笑顔でグエンを見上げている。




「そうですね。……それじゃあ、行きましょうか?」

「はいっ! 楽しみですねっ、わくわくっ」

「可愛いが過ぎる……!! 心臓が破裂しそう、もう一度だけ死んでしまいそう…………!!」

























「情報を寄こせってんだよ。酒を寄こせと言っている訳じゃない」





 かんっと、赤い杯をテーブルへと置く。目の前の太った男を睨みつければ、汗を掻いて必死に言い募り始めた。




「いいえ。しかし、これは。お客様の個人情報で、こちらの商会としても信用に関わる問題で、」

「くどくどとうるさい。今すぐその口を閉じな。この業突く張りの爺め」





 苛立って舌打ちをして、それなりに良い酒で喉を潤す。舌先がちりりと燃え上がるように熱くなって、げっぷを吐き出す。




「あの女は? あたしのことを知っているのかい? ええ?」

「い、いいえ。ご存じない筈ですが……」

「ああ。あたしときたら。まったく。馬鹿なことを聞いたもんだね」





 とぽとぽと、白い徳利から赤い杯に酒を注ぎいれて頬杖を突く。




(まったく。こんな所で酒を飲んでいる場合じゃないのに)




 ぐいっと呷ってもう一度大きくげっぷをすると、目の前の男が縮こまった。



 ぶくぶくに肥え太った商人の男は、そのハゲ頭に不似合いな紺色の帽子を乗せて、青い衣と金色のズボンを身に付けて先程からちらちらと眺めてくる。



 派手な金銀の調度品に豪勢な花々は、ここが商人の屋敷であることを告げている。頭上には華美すぎる、金色のシャンデリアが光り輝いていた。



 グエンの母親は大きく椅子へとのけぞって、黒い衣の下でぞんざいに足を組む。




「あの女のことだからどーせっ、あのつばめもどきみたいな若い犬に色々探らせてるんだろうが。へっ、けったくそ悪い」

「しょっ、ショウリン様……!! どうぞ、どうぞ! もう少しお声を潜めてくださ、」

「っああ! まったくもう! あんたときたらさっきからぐだぐだぐだぐだと、本当にうるさいねぇ! もう少しあたしのことを敬えないのかい? あんたのあこぎな商売のせいで一体。何人が犠牲になったことか、」

「お待たせしました、ショウリン様」

「ああ、やっときたかい。遅かったねぇ」




 部屋の扉を開けた男は甘い微笑みを浮かべ、栗饅頭が入った皿を持っていた。薄墨色の衣を纏った男は額に赤い布と黒い布を巻いており、滑るようして近付いてくる。



 商人の男が「でっ、では。私はこれで」とそそくさと退室してしまい、二人きりとなる。向かいの席に座った男は茶杯を持ち、ふんわりと微笑んだ。




「相変わらずですね、ショウリン様は。あの男をいじめて楽しいですか?」

「ああ、楽しいねぇ。そういうあんたも相変わらずだね? 一体今、いくつなんだい?」

「おや。今日はそのような、無駄話をなさりにきたので?」

「はっ。そいつもそうだね。今のは聞いたあたしが悪かったよ。許しておくれな」





 男がふんわりと、少女のような甘い微笑みを浮かべる。年齢不詳の美しい外見に少女のような甘さが加わって、薄墨色の衣が神秘的な雰囲気を醸し出す。



 男は薄墨色の袂を探って、とある木の小箱を取り出した。ことりとテーブルの上に置かれた小箱を見つめ、ショウリンが首を傾げる。




「これはなんだい? あんたらしくもないものを出してきたね? え?」

「若者の恋愛を成就させるには。この道具が一番かと、そう思い立ちまして」





 甘く微笑んで首を傾げる(かし)と、ショウリンも笑った。




「そうさね。まぁ、結婚祝いには丁度良いだろう。いや、婚約祝いかな?」

「グエン殿にはまた、俺もお会いしたいものですね。どうも嫌われてしまっているようで」

「あんたの口説き方が悪いんだろうよ。あの子は繊細だし、照れ屋だしね」

「今、誘っても。無駄でしょうか?」

「無駄だろうね、それは」




 ショウリンはその木の小箱を掴んで、呆れたような笑みを浮かべる。



「あの子はもう、婚約者一筋だろうからね。あんたん所で働く気はないだろう」

「残念です。グエン殿は、育てたら良い術師になりそうなのに」

「死霊使いだよ。あの子はずっとね。占いにも興味がないし、さてと」




 がたんと椅子から立ち上がる。向かいに座った男が不思議そうに、黒い瞳を丸くする。




「よろしいのですか? 情報は? 出来る限り掻き集めてきましたけど?」

「ああ。いいんだよ。情報なんてあっても無駄だから。相手の気が狂ってるとね」

「貴女は相変わらず……気紛れな方ですね?」

「気分屋のババアって所を。綺麗に言い換えてくれてありがとうよ、スオウ」





 ショウリンは小箱を片手に、青い瞳をぱちんとつむってみせる。それを見てスオウも笑って、椅子から立ち上がった。




「お見送りしましょう。ショウリン様。貴女は嫌がるかもしれませんが」

「よく分かっているじゃないか、スオウ。そんじゃあ、また。あんたの弟子にもよろしく」

「はい。ショウリン様もどうぞ。お元気で」

「死者になんて嫌味を言うんだい。あんたは、まったく」





 がしがしとその黒髪頭を撫でてやると、嬉しそうに微笑んで体を屈めている。昔拾った子供だが中々の美男子に成長した。




「まぁ。とは言っても。うちの息子のほうが可愛いけどね」

「ショウリン様もショウリン様で。中々の親馬鹿ですね?」

「あんたも子供を持つと分かるよ。子猫でも弟子でも何でも、育ててみるといい」




 困ったように笑って、ゆるゆると首を振る。




「俺は。子猫も幼い子供も苦手なんですよ。どこを見ているのかよく分からなくって」

「まぁ、それはしょうがないね。あんたも人間じゃないからね。さてと」





 名残惜しいがそろそろ帰る時間だ。背を向けて、豪華絢爛な客間から退出する。いいと言ったのに見送る気満々で、スオウが戸口に立って一礼をする。




 その深々とした頭の下げ方に、ちょっとだけ背筋がむず痒くなった。一本に結い上げた黒髪を揺らして、ショウリンは振り返りもせずに歩いてゆく。



 まだ他にやるべきことが沢山あるのだ、この自分は。

























「ほらほらっ、見て見て? リンファ! これね、全部。グエン様と選んで買って来たものなのよ」

「姉さん……随分と沢山、買ってきたのね? 腕が痛くならなかった?」




 そう尋ねると、嬉しそうな笑顔をにっこりと浮かべて首を横に振る。あの忌々しい男が現れてから、姉に笑顔が増えた。喜ばしい、喜ばしいとは思う。が。




「何だか淋しいわね。ずっとずっと、姉さんには私だけだったのに」

「リンファ……」





 綺麗な簪を手に取ると、その滑らかな感触と翡翠色に笑みが浮かんだ。



 黒いテーブルの上には色とりどりの玉が付いた簪に髪飾り、美しい植物柄が浮き出た櫛に何故かオルゴールと、虎のぬいぐるみとアヒルのぬいぐるみと、赤い紐飾りの小さな太鼓まで置いてある。



 吸わないくせに美しい水煙草まで置いてあって、きっとこれは「美しいから」と言って二人で買うのを決めたのだろうなと思いを馳せて笑う。




 淋しい気持ちになったけど笑えてきたのだ。そこで心配そうな表情のリーファがやってきて、そっとこちらの肩に手を添える。



 呪具のリンファは目を丸くさせ、白い夜着姿のリーファを見上げた。




「リンファ。お願い、待っていて。……お願いだから私を残して。死ぬだなんて言わないで?」

「姉さん……でも、私は呪具なのよ? 貴女を、呪い殺す物なのに?」






 そうだ。この身は人を呪うために存在している。



 産み出されてから今の今までずっとずっと、彼女の生気を吸い取ってきたというのに。あの暗い夜に会いに来た、男の顔が蘇る。



 あれはグエンなんかよりも腹が立つ男だ。




「姉さん…………!! 私は死ぬべきなのよ、最初から。こんなことになると分かっていたら。さっさと自害でも何でも、してしまえば良かったのに」

「仕方ないわ。貴女だって。自分が呪具だって、知らなかったんでしょう?」

「知らなかったわ、姉さん。どこからか迷い込んできた、みなしごとして。ずっとずっと貴女の傍に、姉さんの妹として。いれたら良かったのに……」





 困惑しているリーファを抱き締めて、強く強く願う。




(どうか彼女が、幸せでありますように。…………私がちゃんと無事に、死ねますように)




 大事な大事な彼女を、もう傷付けたくはないのだ。今こうしている間にも、この身は彼女の生命力を吸い取っている。




(ああ。そのことを考えるだけで。気が狂ってしまいそうだわ……)




 でもいいのだ、あの男がいるから。腹の立つ死霊使いの男がいるから。




「姉さんに。首ったけの。……あの、馬鹿な男がいるから。姉さんも一安心ね?」

「リンファったら! グエン様は馬鹿なんかじゃないのよ? とっても優しくて素敵な人なの」




 白い指を合わせて、姉さんがうっとりとした表情で語る。ようやく私が呪った彼女が幸せになりそうで、ほっとして深い深い溜め息を吐く。




「さっ。姉さん。私はもう、帰るわね? ばいばい。…………また明日」

「ええ、また明日! リンファ、私のとっても可愛くて大事な妹」





 姉さんが満面の笑みで、こちらの額に口付けて黒髪をさらりと梳かしてくれる。同じ顔立ち、同じ背丈の姉さん。



 沢山の人に「まるで双子のようね」と言われ続けて、この身は徐々に彼女の顔を真似ていつしか、どこからどう見ても双子のような姉妹になってしまった。



 それでも傍にいたいと。願ったけど、それをやんわりと押し潰した。自分の幸せよりも彼女の幸せの方が大事だから。



 この優しい思い出を胸に抱えて生きていけるから。




「また明日。おやすみなさい、姉さん」

「ええ、おやすみ。リンファ。良い夢を。また明日ね?」




 手と手を組んで握り締めて、白い額を突き合わせて彼女の幸せを願う。




(ああ。呪具の私がこう、願うことで。少しでも何かが、運命が。変わってくれますように…………)




 とても滑稽かもしれないけど、呪具の私がこんなことを願うのは。それでもずっとずっと願っていたのだ。何かが胸の奥で解けてゆくように、ずっとずっと胸の奥で強く。


 彼女の幸せを願っていた。




















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