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5. 彼らの思惑と母の守護

軽い流血描写があります。ご注意下さい。

 







 助けなくては、彼女のことを。




(助けなくては。手遅れに、なる前に……)




 寝台で眠っていた。一度死んで蘇ったからか朝起きるのが辛い。いつまでも眠ってしまう。ごろごろと寝そべって布団を握り締めて、眠っている。窓からは朝日が射し込んでいたが、見て見ぬ振りをしていた。



 まだだ。まだ眠っていたいんだ、俺は。




「ねむ。眠たい……」

「グエン様? ……大丈夫ですか?」

「リーファ様? ここはいったい、」





 薄っすらと目を開けると、心配そうな表情の彼女が覗き込んでいた。黒い瞳には優しさが滲み、その眉毛はほんのりと下がっている。



 さらりと、額にかかっていた黒髪を丁寧に払われた。青い瞳を見られたくないから隠しているけど、もうそろそろ切ろうかどうしようか。



 彼女の顔があまりよく見えないから切りたい。ぼんやりと見つめていると、彼女が甘い声で優しく話しかけてくれる。




「私の寝室ですよ、グエン様。あれから貴方は、気絶するようにばったりと眠ってしまって……」




 それは申し訳ないことをしてしまった。彼女は一体どこで眠ったんだろうと考えて、また重たい瞼を閉じる。彼女の白い指を掴んで、握り締めていた。こうして指の先だけを握っていると不思議と、心が安らいでゆく。



 まるで陽だまりの、森の中で眠っているかのようで。彼女は俺の光そのものだった。好き。大好き。





「ああ。そうだったんですね……貴女の、寝台を。占領してしまって申し訳ない…………」

「大丈夫ですよ、その。私も、はしたないことかもしれませんが」





 そこで彼女がきゅっと、俺の指先を握り締めて顔を寄せてくる。目を見開いて、その優しげな顔立ちを見つめていた。彼女の困ったような表情と柔らかそうなくちびるが見えて、そして。




「眠っているグエン様の、脇に潜り込んで。その。抱きついて眠ってしまったので」





 そこで彼女がぱっと、こちらの指先を離す。離して、焦ったように白い両手を動かしてそのまま話し続ける。




「ごっ、ごめんなさいっ! 私ったら!! グエン様が眠っていることをいいことに、そのっ、抱きついて、思いっきり甘えてしまって…………!!」





 焦ったように顔を覆って、耳まで真っ赤になって泣き出しそうな声で。





「ごっ、ごめんなさい。あのっ、私っ! グエン様の、朝餉を持ってきますねっ!? ごめんなさいっ!!」





 もう一度謝ってから、ぱたぱたと急ぎ足で去ってゆく。グエンは寝台から起き上がり、胸元を押さえて低く呻いた。




「かっ、可愛い……!! あと何で俺は本当に眠ってたの!? リーファ様のっ! リーファ様の最高に可愛い寝顔を見逃したあげくっ! 抱き締め返すこともままならずっ!! 糞がっ!! あのっ、糞親父がっ!!」





 寝台へと拳を叩きつけて、ふるふると打ち震える。




「あのっ、糞親父めっ!! もう少し睡眠薬の量を、減らしてくれたら良かったのに……!! 可愛いっ!! 死ぬほどっ!! 可愛いっ!! 俺のっ、天女様っ!」





 今日も俺の婚約者が可愛くて死にそうです。しかし、しかしながら。死にかけているのは彼女の方である。顔を上げて、ぜいぜいと息を荒げて考え込んだ。



 人はあまりにも可愛い出来事に遭遇してしまうと、息を吸うことすらままならず。心臓がどっ、どっ、どっ、と激しく脈打っていて、その生きている証拠にほっとしていた。



 母が何年もかけてこの体を保存して、蘇生の術を念入りにかけてくれたのだ。せいぜい、大事にしなくてはならない。



(出来れば。リーファ様との子供も欲しい……思いっきり、逃げられ中だけどっ!!)





 しかし耐える、耐えよう、嫌われたくは無い。傷つけたくも無い、嫌われたくもない。



 春の霞のように儚く、どの極楽浄土の花よりも美しい彼女を丁重に扱わなくては。春の朝露のようにすぅっと、儚く消えてしまうかもしれない。




「まずは。彼女の、呪いを解かなくちゃなぁ……全てはそこからだな、うん」




 顔を覆って、そのまま突っ伏して考え込む。花のような甘い香りがして、自分の臭い寝台とはまるで違うことに気が付いてしまった。思わず枕を抱えてそのまま何度も深呼吸している内に、また眠ってしまったらしい。



 もう一度目が覚めたら俺の朝餉を置いて、椅子へと座って、居眠りをしているリーファ様がいた。途轍もない幸せを感じる。




「大丈夫ですよ、リーファ様」




 眠っている彼女の手を取って、ぎゅっと握り締める。




「貴女のことは何が何でも絶対に、この俺が助け出しますからね? ……待ってて下さい。一緒に。この屋敷から逃げ出しましょうね…………」























「そうなの。リーファが私に、会いたいの…………」

「そうは言っちゃあ、いませんけどね。でも、ここいらで潮時じゃないですか?」

「そうね。迂闊だったわ。まさか。可愛いあの子に婚約者が出来るだなんて」





 男が黒い布を────それまで顔を覆い隠していた黒い布を手で払いのけ、茶を飲み始める。香が焚きしめられて白い煙が漂い、紫色の間仕切りが翻る。はたはたと薄暗い室内にて、紫色の布が揺れていた。



 天井には異国から取り寄せたシャンデリアが吊り下げられ、男と女が向かい合わせで茶を飲んでいる。かたんと湯飲みを置いて、男がにやりと笑った。




「中々の美男子でしたけどね。今頃はもう、かなり()()()なっているんじゃないですか?」

「嫌だわ、汚らわしい…………お兄様もお兄様で、意地の悪いこと」

「まぁねぇ~……嫌、なんでしょうねぇ」






 そこで低く笑って、茶を含んで一気に呷る。それを見つめて女が美しい眉を顰めていた。その瞳は黒々と美しく、白い顔はいつも辛そうに歪められている。



 金と紫色の刺繍が施された旗袍(チーパオ)を身に纏った女は、黒髪を結い上げて金色の簪を挿していた。



 一方で向かいに座った男は全身黒尽くめである。腕も足も覆い隠し、その黒い袖と丈は長くゆったりとしている。



 赤いテーブルの上には自身の剣を置き、のんびりと肘を突いて寛いでいた。ぼりぼりと、男が鎖骨を掻き毟る。




「どうします? お嬢様。浚ってきますか? 流石に無傷で、は。無理かもしれませんけどね」

「やめて頂戴。そんなおぞましいこと。私がお兄様とあの子に嫌われてしまうではないの」

「…………お兄様の件については。手遅れのような、気もしますけどねぇ~」





 そこで女がだんっと、男の手の甲に。一本の美しい小刀を突き刺した。浮き出た蔦柄に龍が絡み合った、美しい金と緑色の小刀を。


 男が低く呻いて、真っ赤な血が嘘のようにだくだくと溢れ出す。溢れ出してはその黒い袖を濡らし、テーブルへと血が広がってゆく。





「っは! そんなにあの男が好きなら、いっそもう、殺してしまえば良かったのに……!!」

「駄目よ。あの子が、私の息子の子供を産んでからよ。それは」




 女が強く、その柄を握り締める。慣れているのか男は額に汗を掻いたまま、息を荒げてそれを眺めていた。女が、ぐっと。思いっきり小刀を引き抜く。




「っぐ……!! 本当に相変わらずですね、スイラン様は」

「黙って頂戴。お前に意見など、何も求めてはいないの」




 ぴっと女が赤い血を払って、美しい小刀へと自身の舌を這わせる。虚ろな黒い瞳が、こちらを眺めていた。ひび割れた赤いくちびるが開き、白い歯が覗き見える。




「お前の母の、命が惜しくないというの? あんな年齢の、下働きの女なんぞ。肺病を患えば死にゆくだけということを。どうやらあまり、よく理解していないようね?」

「っだったら! 俺の母を返してくださいよ!? 治療なら、こちらでいくらでも出来て…………!!」

「黙れ」






 そこでぴたりと、男が青ざめて口を噤む。血の流れ出た手をそのままテーブルの上へと置いて、顔色を失くしている。だくだくと、真っ赤な血が溢れ出ていた。



「とにかく。お前はそのまま、あの屋敷を見張っていて頂戴。……ああ。あとそれから」




 そこですっと、女が優雅に立ち上がる。立ち上がって羽根の扇をざらりと広げ、汚らわしいものを見るような目つきで一人の男を見下ろしていた。




「リンファを、殺してきて頂戴。あの子はもう用済みだわ。こちらの言う事も、何も。聞かないし」

「あれは本当に。俺としても予想外でしたよ? 中々の、自信作だったのに……」

「流石は可愛い、リーファだわ。お兄様の血を引いているだけあって」





 するりと衣擦れの音を立てつつ、女が背を向ける。背を向けて、扇の下で歪んだ微笑みを浮かべていた。




「とても美しく、優しいの。ああ。きっと。私の息子もさぞかし。あの子のことが気に入るでしょうね…………」





 女がいなくなった後の部屋でぽつりと、手に包帯を巻いた男が呟く。




「狂っている。どうにか。どうにか、しないと……」




 でも、どうやって?と。声にもならない呟きを漏らして、そのまま自分の顔を覆っていた。ひらひらと風に、紫色の間仕切りが揺れていた。





















「ぐぐぐぐぐ……!! 頑張れっ、俺っ! 頑張れっ!!」

「グエン様! どうか、お怪我などはなさらぬよう…………!!」

「大丈夫ですよ、リーファ様! 俺は貴女の愛で何度でも蘇って、」

「いいから早く、その子猫を助けなさいよ!? 姉さんも姉さんでそう心配しないの! あの男のおつむがもっと緩くなるだけじゃないの!」

「そ、そんな! リンファ」





 ぐっと腕を伸ばして、毛を逆立てている子猫へと触れる。冷たい鼻先がちょんと当たって、ひげがひくひくと動いて俺の爪の先を嗅いでいる。こちらとしてはそろそろ限界なので。




「うぉーっ!! 早くぅっ! 俺っ、そこまでさぁ!? 体も頑丈じゃないから早くって、うおおおおっ!?」

「グエン様!?」

「私達の頭上に降ってこないでよね!?」

「糞がーっ! この糞呪具がーっ!! リーファ様を見習えーっ!! へぶぅっ!?」





 子猫がばっと、こちらの顔に飛びかかってきてそのまま体勢を崩し、ばさばさと木の枝と葉が揺れる。



 咄嗟に子猫を引き剥がして腕に抱えて、木の枝に掴まる。気分は小猿を抱えた母猿だ。




「っはー! 助かった!! 良かった!」

「グエン様っ! 大丈夫ですか!? 待ってて下さい、今、私がそちらに……!!」

「ねっ、姉さん!? 駄目よ、そんなことをしたら!」





 慌てて呪具のリンファがリーファを止める。肩を掴まれたリーファ様はぷくっとむくれていた。可愛い、木から落ちてしまいそう。




「もう恋には落ちてるからなっ!! あとは木から落ちるだけなんだよっ!!」

「グエン様っ!? 落ちないようにして下さいね!?」

「はーい、リーファ様! 大丈夫ですよ、今降りますからねー! っとと」




 ふしゃーっと、大声に驚いた子猫に噛まれる。指にぷつっと穴が開いてしまった。



 痛みに顔を歪めながらもきちんと抱えて、ざっと飛び降りる。驚いた顔の二人の前にとっと優雅に着地して、彼女に微笑みかけるとぼんっと顔を赤くしていた。



 可愛い、死んでしまいそう。





「さぁて。どこから迷い込んできたんですかね? この子猫ちゃんは?」

「どこからでしょうね、グエン様。見たところ、首輪などはしていないようですが……」





 優しく撫でられて、白い子猫がうっとりと青い瞳を細める。野良猫にしてはやけに綺麗だ。どこからか逃げ出してきたのだろうか?


 そこでグエンはすんと、鼻を鳴らした。




(……女物の。香水の匂い? 薔薇、みたいな。異国の貴婦人がつけるみたいな?)





 嫌がる子猫の背に鼻を押し付けて、ふんふんと匂いを嗅いでみる。向かいに立ったリーファ様が、不思議そうに首を傾げていた。





「グエン様? どうなさったのですか?」

「あんたはいちいち行動が気持ち悪いのよ、行動が」

「黙れ、呪具。……いや、リンファ様」





「意外と律儀なのね」と呟いて、眉を顰めて唐紅の衣を擦る。呪具のリンファはいつもと同じ派手な紅を引いて、黒髪を結い上げていた。



 一方の天女のように可愛いリーファ様は薄紅色の衣をふわりと纏って、潤んだ黒い瞳に淡い紅を引いている。可愛い、今すぐ口付けしたい。



 食い入るように凝視していると、彼女が困ったような表情で後退る。




「あっ、あの。グエン様……? 一体、どうなさったのですか?」

「ああ、申し訳ありません。リーファ様」




 白い子猫を抱えたまま、彼女の手を持ち上げる。



 そのまませめてものと考えて指先にちゅっと口付けると、ぼんっとまた一層顔が赤くなる。ほんの僅かに震えている指先に、男としての自尊心も何もかもが満たされていった。



 自然と笑みが浮かんだ。獰猛な笑みが。




「貴女に、ついうっかり見惚れてしまって。どうかこの愚かな俺をお許し下さい。俺だけの愛しいリーファ様…………!!」

「へっ? はっ、はい……?」

「私の前であまり、姉さんにべたべたしないでくれる!?」

「あだっ!? てめぇっ、呪具っ!! この野郎っ!!」

「ふっ、二人とも! ほらっ、猫ちゃんが困っちゃうから…………!!」






















 新しく始まった日常はとても穏やかで。



「うっ、うえぇ~……まっ、不味いです。グエン様…………!!」

「がっ、頑張って飲み干してください、リーファ様! これを飲めば少しはそのっ、体も楽になると思うんで!」





 呪具に削り取られた生命力と運気を、俺特製の薬湯で回復させる。妖魔の爪やら何やら、その他にも決して言えないようなおどろおどろしい真緑色の液体を飲ませるのは気が引けるが。





(ああっ。代われるものなら。俺が代わってあげたい……!!)





 それでもリーファ様は気丈に黒い瞳を潤ませて、きっと素焼きの器に入った真緑色の液体を睨みつけると、ぐいっと一気に飲み干した。思わず口元に手を当てて感激してしまう。




「リーファ様! しゅきっ! 格好いい……!!」

「っぷは! まじゅっ、まじゅかった…………!!」

「すっ、好きーっ! 好きですっ、リーファ様っ!」

「わぁっ!? ぐっ、グエン様!?」





 そのまま勢い良く抱き締めると、後ろの寝台へと転がってそのまま二人で抱き合って笑う。彼女の黒い瞳がきらきらと輝いている。



 なるべく呪具に近付けないようにして、毎日薬湯を飲ませて食事にも気を使って。庭で散歩してよく動くようにして、襲いかかってくる式からもちゃんと守って。



 夜にはズハンと呪具と一緒に飯を食って、まったりとお茶を飲みながら話したりして。彼女は少しずつ元気になってゆく。




「リーファ様……幸せですか、今は?」

「グエン様?」




 彼女の黒髪頭を撫で、思わずそんなことを聞いてしまう。呪具のリンファから聞いたのだ。彼女はにこやかに笑ってはいても、どこか常に憂鬱そうで。美しい、美しい父親にそっくりであったと。



 生きていく気力も沸かないのだと、そう常に笑っていたらしい。



 リーファ様が黒い瞳を瞠って綺麗に笑い、こちらの脇へとしがみついてくる。そのまま香りの良い黒髪頭を、こちらの胸へと押し付けて両手でぎゅっと胸元を握り締めてきた。




(抱き締め返したい!! がっ、ちょっと我慢!! ちょっとだけ我慢っ!!)




 彼女なりに多分、言いたいことがあるのだ。それなので激しく震えつつも耐える。ひたすら耐える。彼女の肩に手を添えるだけ。添えるだけにする!



 そんな葛藤も露知らず、リーファ様が静かな声で呟いた。




「私。……確かにずっと、死にたいと思っていました。だって生きていても何の意味も無いから」

「リーファ様…………」






「そんなことはありませんよ」とお伝えしたかった。でも彼女にとっては多分、かつての話だろうから何とかその言葉を飲み込んだ。





「でも。今はもう違います。だって私の側には、グエン様がいてくださるから!」

「リーファ様…………!!」





 その言葉を聞いて、彼女をぎゅっと強く抱き締める。もう、抱き締めてもいい頃だろうから。ここで抱き締めないと、悲しませてしまうような気がしたから。彼女が笑って、こちらを初めて抱き締め返してくる。初めて。





「わっ、わ~……なんか、感動です。俺、今」

「ふふっ、そうですか? 良かった。グエン様に、そんなに喜んで頂けて…………」





 幸せだった。




(だから、この幸せを失くさないように。ちゃんと、気を付けなくては…………)





 窓の外には満月がぽっかりと浮かんでいる。彼女の幸せを守るためなら何だってしよう。





(母さんに。また、明日にでも。相談してみても、いい。かもしれないな……)





 うつらうつらと眠たくなってきて、しばし彼女とまどろむことにした。腕の中の彼女も瞼を閉じている。額に口付けて、あと五分後には立ち去ろうと思った。理性を保てる自信が無いから。




















「あらっ? 知らないの? 母が最強だってことをさ!」




 女が月下で剣を振るう。外で起きている事態も知らず、グエンとリーファは眠っていた。



 ぴっと赤い血を払うと、目の前の男が怯えたように後退さる。その顔は「予想外だ」と言わんばかりに苦しく歪んでいた。



 腕も足もすっかり黒く覆い尽くした男は剣を持ち上げて、鋭い剣先を不敵に笑う女へと向けていた。





「俺は、お嬢様に用は無いんだ。だだあの部屋に。呪具もいる筈だと、そう思ってね?」

「どっちにせよ、ここは通さないよ。あたしは何もね、息子を守るだけがぁ、目的じゃねぇんだよ」





「分かるだろう?」と、機嫌良く呟いた女は美しかった。青く煌く瞳に、夜風にたなびく髪は闇を溶かしたかのように黒い。その真っ直ぐな黒髪を結んで、後ろで高く結い上げている。



 身に纏った黒い衣も、手に持った銀色の薙刀も何もかも。見るものが見れば「死霊使いだ」と、口々にそう言うことだろう。



 にやりと笑った女がその赤い口元を歪めてこちらへと迫り、一閃振るう。咄嗟に避けて、はらりと男の黒髪が切れる。女は獰猛に笑い、薙刀で肩をとんとんと叩いていた。




「諦めたらどうだい? あの呪具のお嬢ちゃんも何もかも、殺させはしないよ?」

「ったかだか、死者のくせに!! 出しゃばりやがって…………!!」

「あらあら。そんなことは言いっこなしだよ、あんた!!」




 そう言って踏み込んで踊るように身を翻して、男と激しく剣を打ち合って獰猛に笑ってとうとう。





「っぐ!!」

「死人が生者を助けちゃいけないだなんて、いつ、どこの誰が言ったんだよ?」

「狂ってるだろう!? このっ、化け物め!!」

「そうさね。この身は禁忌を犯した身。これから先もあたしはずっとこんなもんだろうよ。さて」




 女は気にした様子も無く、男の上から退いてぱんぱんと砂埃を叩き落とした。




「そんじゃあ、帰って寝るんだよ。坊や。あんたみたいなくっそ弱いガキは、こんな夜中に出歩いてちゃあいけないんだ」





 ひゅっと薙刀を振るって男の腕を切ると、男が低く呻いてその二の腕を押さえる。男は地面へと尻餅をついたまま、声を張り上げた。




「くそったれ!! 今日の俺は、こんな役回りかよ!?」

「それじゃあ。たまには違う役回りも演じてみることだね。気の狂った女に、その人生を台無しにされたいのかい?」





 がっと踏み込んで、女が腰に手を当てる。地面に座った男は怯み、その黒髪が揺れて女を見上げる。



 神々しい満月を背負ったまま、女が腰に手を当てて妖艶に笑った。肩に担いだ薙刀が銀色に光り輝いている。





「あんたはまだ、利口に立ち回れる方だろう? さぁて、さて。どっちの味方になった方がいいのか。よっくよく、考えることだね。まだ時間はたっぷりあるんだからさ?」

「あんた。……一体、俺の何を知っているんだ?」

「魂は三千里をゆく。知らないのかい?」




 男は舌打ちをして黒い懐を探って白い紙を取り出す。それを地面へと勢い良く投げつけると、ぼふんと白い煙が上がった。



 そこにはカラスが佇んでいて、男はその腕にカラスを止める。




「どちらにせよ。俺は主人の命に従ってあの女を殺す。……呪具を、殺す。それが術者としての務めだ」

「偉そうになんかかんか。言ってるけどさーあ? 要するにあの女の犬ってことじゃないか? ええ?」

「うるさい。黙れ。…………次に会った時は、絶対に殺してやる」





 そんな呟きと共にぶわりと、男の姿が白く掻き消える。グエンの母親はぽりぽりと自分の首筋を掻いて、困ったように呟いていた。





「やれやれ。あの子の初恋も、前途多難なもんだねぇ~。まったく。私はいつになったら、ゆっくり眠れることやら」





 見上げると、ぽっかりと眩しい満月が浮かんでいた。



 暗闇に沈む屋敷も広大な庭園も、何もかも静まり返って、後に残るはただただ踏み荒らされた芝生ばかりで。










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