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7. 泥人形との戦いと一筋の光

気持ち悪いシーンがあります。ご注意ください。

 











「これも嫌がらせの一つか? なぁ? っとと!」




 体を低く伏せて剣を振るって、背後に誰かの気配を感じて振り返る。振り返ってみるとズハンがばっと背を向けて、こちらを守るようにして佇んでいた。




「そうでしょうね。何かと陰湿です」

「お前っ、早いな!? リーファ様は!?」





 剣を一閃。手際良く泥人形を斬り捨ててしまうと、剣にこびりついた泥をぴっと振り払って。




「ご無事です。今は、ルイと子猫がお嬢様を守っています」

「そいつはっ! 頼もしいこって!!」





 こちらへと襲いかかってきた泥人形を蹴り飛ばして、もう一度鋭く踏み込んで相手の黒い腹にずぶりと剣を沈み込ませる。



 すると驚いたように痙攣して、こちらへと虚ろな両腕を伸ばして両肩を掴んできた。べったりと重たくて冷たい泥が染み込んでくる。



 その衣服ごしの感触に眉を顰めながらも、グエンは呟いた。




「悪いな。燃やすぞ、お前らのことを」

「燃やしたら。凄いことになりません? ねぇっ?」

「っ無駄口を叩いてないで、戦え! ズハン!!」




 ぼうっと燃え上がる泥人形から離れて、黒い懐を探って白い紙をぴっと取り出す。




「これで燃えるってこたぁ。ただの泥人形じゃないな? お前ら?」

「グエン様こそっ、無駄口叩いてないで戦って下さいよ!? くそったれ!!」

「お前っ、いつにもまして口が悪いな!? いいよ、もうっ! 助っ人を呼ぶから!!」






 これはおそらく、同業者が出した泥人形だ。次から次へと、愛しいリーファ様の部屋近くの庭園からぼこりぼこりと虚ろな泥の両手を出し、ぽっかりと口を開けて腹這いになって起き上がってくる。



 奇妙な呻き声を「あ、あ、あ」と上げて、ただひたすらにこちらへと近寄ってくる。



 事の発端は数十分前。



 いつものように庭園を歩いて彼女の部屋へ向かっていると、途端に「きゃああっ!?」という可愛い悲鳴が聞こえてきて、胸がきゅんとしながらも慌てて彼女の方へ向かったのだ。



 息を荒げて到着すると、そこには信じられない光景が広がっていた。



 涙目のリーファ様に後ろから泥人形が抱き付いて、羽交い絞めにしていて、彼女は腹へと回された手を振りほどこうと必死に身を捩っていた。



 あまりの出来事に汗ばんで、突っ立っていた俺に声を張り上げる。



『っ助けて下さい!! グエン様っ! このっ、泥人形をどうにかして下さいっ!!』





 気が付くと剣を抜き放っていた。あまりの怒りと衝撃に冷や汗を掻いて、その泥人形の顔を剣の柄で殴り飛ばした。



 拘束されている彼女に怪我をさせないように。半泣きの彼女がぎゅっと両目をつむって、嫌そうに顔を顰めていた。白い頬に泥と涙がこびりついている。



 それを見てまた頭が真っ白になって、気が付くと仰向けになった泥人形の虚ろな顔を何度も何度も踏みつけていた。すると、彼女が泣きながら抱きついてきた。




『っグエン様! 怖かったです、グエン様……!!』

『あああああっ! すみません、リーファ様! 守りきれなくて、怖い思いをさせてしまって!!』





 慌てて彼女を抱き寄せて、守るように強く強く抱き締めていると。周囲からぼこりぼこりとまた泥人形が起き上がってきて、腕の中の彼女が青ざめて震え出す。




『ずっ、ズハンが、わたしに。にっ、逃げて、グエン様を呼びに行くようにと。彼も、彼もっ、どこかで戦っていて。助けて、グエン様! ズハンが、ズハンが、』

『落ち着いて下さい、リーファ様。俺が貴女のことも、ズハンのことも助けて守ります』




 そこで彼女が鼻を啜って、気丈に「はい」とだけ答えた。好き。可愛い。ひとまずは彼女を安全な場所に避難させようと、ひょいっと持ち上げて抱きかかえているとどこからかズハンがやって来て。




『グエン様! こいつらっ、腹か心臓部分を突くとっ! 一応は崩れ落ちます! 止まります!!』

『でかした、ズハン! 怪我は無いか!?』

『顔だけは死守してますよ! メイリン殿に嫌われたくないんでね!?』




 そう叫んで、泥人形に飛び蹴りをして横に吹っ飛ばすと、勇ましく剣を構えて俺達の前に立った。




『っさあ! 早く! リーファ様を中へ!!』

『おうっ! 分かった! 行きましょうか、リーファ様!』

『はい、グエン様! それでっ、あの』

『どうしましたか? 俺への愛の告白ですか?』




 しっかりと彼女を抱えて見下ろしてみると、照れ臭そうに黒い瞳を潤ませて首を横に振る。好き、可愛い。



『いいえ! あのっ、いやっ、そうなんですけど! あのっ』

『すみませんね、俺がふざけたことを言ってしまって。どうしましたか? 不安ですか?』




 彼女を抱えてなるべく早く走って、白い回廊へと向かう。彼女が俺の肩にしがみついてその黒髪をたなびかせながらも、懸命に声を張り上げる。



『リンファがっ! どこにもいないんですっ! 一緒にっ、朝餉を食べようと思って探しているのにっ』




 関係あるのか? この騒ぎと。




(この泥人形を呼び出したのはまさか。いや、ただの推測だ)





 それよりもまず、するべきことがある。そこで背後から低い呻き声が聞こえてきたので思わず立ち止まって振り返ってみると、大きな小屋ほどもある泥人形がその体を起こしていた。



 ひっそりと彼女の黒髪を撫でながら、口を開く。



『申し訳ありません、リーファ様。ズハンを死なせないためにも、あちらへ戻っても?』

『私なら平気です、グエン様! 走って安全な場所へ逃げ込みます! だからおろして、』

『いや、このまま向かいましょう。俺の私利私欲ではなく、その方が安全だからです』




 物陰に刺客が潜んでいるかもしれない。ただまぁ、確実に下心もあったが。そうとは露知らず、彼女が勇ましく頷く。




『それもそうですね、グエン様! それではお願いしてもよろしいでしょうか?』

『すみません。俺の心が、汚れ切っていて…………!!』

『へっ!?』




 彼女の明るく澄んだ声に罪悪感が湧いた。つらい。




(それでも少しぐらい触ってたい……!! つらい!!)




 彼女を大事にしたくて。怖がらせないように、怖がらせないようにと。




(適切な距離を保ってはいたが。そろそろ限界。もう無理。これぐらいしたって罰は当たらんだろ)




 彼女が早く、俺のことを好きになってくれるといいのに。きりりと真面目な表情で下世話な妄想を繰り広げつつ彼女を抱えて、その良い香りを堪能しながらもズハンの下へ向かう。



 苦戦していたズハンを助けて「ここは俺に任せて、先に行け!」と憧れの台詞を口にし、不安そうな彼女をズハンに預ける。




 そして、話は冒頭に戻る────────…………。



















「手助けって! どなたのことですか!? もしやご母堂を呼び出すので!?」

「まさか! あの人はそういう用途で使っちゃあ、いけねぇんだよ! 俺が閻魔大王に怒られちまうからな! ほらよっと!!」

「おわっ!?」




 ぼふんと白い煙が上がる。そこには黒い長髪を揺らした、妖艶な美女が立っていた。これは上位の妖魔で、男を誑かして生き血を啜るのが趣味なのだが。



 生憎と派手な外見は好みではない。黒いレースを張り巡らせた、真っ黒なチャイナドレスを身に纏ったヨウリンがこちらを振り向き、にっこりと微笑む。



 元の姿がウシガエルなので見惚れはしなかった。数年前に調伏したあと、便利に使っている。




「ヨウリン。ここの泥人形。全部燃やしてくれないか?」

「あら、つれないこと。最近呼んでくれないと思ったらそんな、無粋なお願いで」




 背後のズハンが険しい表情で話しかけてくる。その物騒な気配だけで表情が読み取れるというもんだ。




「グエン様。その女性は一体、どなたですか? 貴方の恋人ですか?」

「生憎とズハン、俺は今もこれからもリーファ様一筋なんだが!?」

「ふふっ、つれないこと。たまには寝台に呼び出してくれたって良いのに」

「カエルと添い寝をする趣味は無い。無理」

「カエルなのですか? あの女性は?」




 そこでヨウリンが振り返って、きっと睨みつけてくる。おお、怖い怖い。



「そういうことは言わない約束でしょう? ご主人様?」

「いいから早く燃やしてくれ。俺は一刻も早くリーファ様の下に行きたいんだ、早く!!」

「まったくもう、つれないんだから!」




 白い手をかざして、今もなお地面から続々と起き上がってくる泥人形を見て獰猛に笑う。




「私の敵ではないわね。こんな土くれ」




 物騒な甘い声と共にぼうっと、赤い炎が燃え上がる。咄嗟に振り返って、戦っている最中のズハンの腕を引っ張る。




「っ何ですか!? 危ないでしょう!?」

「危ないのはお前だ!  悪いっ、こいつ!  加減を知らねぇんだ! 辺り一体、焼け野原になっちまうぞ!?」

「どうしてそんなものを呼び出したんで!?」

「忘れてた。つい、うっかり」

「忘れてたぁ!? ついうっかりでこの屋敷が全焼したらどうするんですか!?」

「あら、大丈夫よ?」




 そこで黒い長髪を揺らして、ヨウリンが振り返る。




「流石の私もそんなことはしないわ。でも、ほら? 見て?」

「おわっ、くっさ、気持ち悪っ、おえっ」

「確かに、これは。凄い臭気ですね……」





 流石のズハンも鼻を摘まんで辛そうにしている。俺もつられて鼻を摘まんでいると、ヨウリンもその白い鼻に皺を寄せていた。





「嫌な匂いがするわ。悪意の。術者が、近くにいるわね?」

「つきっ、突き止めれりゅか? ヨウリン? くっさ!!」

「あら。私が臭いみたいな言い方。やめて貰えない? でも、そうねぇ……」





 ぼうぼうと燃え盛る炎の中心で、黒い毛先が熱に煽られて頬がちりりと熱くなる。ぶわりとまた火の粉が舞って、死にやしないかと不安に思った瞬間。



 ヨウリンがその白い手を振り、じゅわっと赤い炎を掻き消した。瞬く間に美しい庭園がその姿を取り戻す。



 雑草もろくに生えていない地面に、所々植えられている草花に低木の茂み。辺りには桃の木が咲き誇って、漆黒の屋敷が静かに佇んでいた。




「こんなもんでどお? 私のご主人様?」

「頼むからヨウリン。リーファ様の前で俺のことをそう呼ぶなよ?」

「嫌だわ。これだから恋に狂った男は。一丁前に純粋ぶっているのかしら?」

「ヨウリン殿。いや、ヨウリン様」




 ズハンがうやうやしい口調で話しかける。それに気を良くしたのか、にっこりと微笑んでヨウリンが振り返った。




「あら。なぁに? 私に何か、聞きたいことでもあるのかしら?」

「術者の居所を突き止めて貰えませんか? これは気高い、上級妖魔の貴女に頼むことではありませんが」




 しれっと、無表情でおだてやがる。




(こいつ……。案外、いい性格してるよなぁ)




 気を悪くした様子もなく、ヨウリンは微笑んで黒髪を払いのける。



「いいわ。私としてもこんな、美しくない仕事は嫌いなの。術者が若い男だといいんだけどねぇ。吸いでがありそうな」

「おいおい、やめてくれよ? 問答無用で殺すなよ? 頼むからさ?」

「そうですね。肝に銘じておきます」

「お前。実は。本気で腹を立てているのか……?」





 殺気立っているズハンを「どうどう」と言って、宥めながらも上機嫌なヨウリンを先頭にして歩く。


















「お前っ…………!! 最初から。これが目的だったの? 命令に従わない、私を殺すために?」

「悪いな。スイラン様から。殺すように、そう、指示されているんだ」

「命令じゃなくて? それは? お前はあの女に。いいように操られて……!! ぐっ」

「黙れ、呪具。口を開くな」






 自分の黒い衣を血で汚すのは嫌なのか。無慈悲に首を締め上げられ、低く呻いた。汗の浮かんだ額で考え込む。




(あの男も。そう言えば私の首を絞めていた)




 それでもその青い瞳には、美しい何かが宿っていた。やるせない憤りとこちらを気遣うようなものが宿っていて、哀れむような青い瞳を見て知った。




(本意ではないと知った。だから殺されてもいいと思った、あの男に)




 姉さんを一人、残して逝くのは心配だったけど。でも、私は。




(死んだほうがいい。死んだほうがいいんだ。私は、私は……!!)




 そう、分かっているのに。この身は生きるためにもがき始める。




(それでもいい、それでもいい。いつかは死のう。欲を言うのなら、あの男に殺して欲しかったけど)




 小刀を渡した、呪を施した美しい小刀を。私を殺すのならあの男しかいないと思っていた。グエンは途方に暮れたような表情で受け取って、それをじっと見下ろす。



 そしてぼそりと「これはまだ、使えない」とだけ言ってから、丁寧に突き返してきた。言葉が出かかった私を制して、あの青い瞳で告げてくる。




『どうしようもなくなったら。俺がお前を殺してやろう、リンファ。だからそれまではこれを。持っていてくれ、リンファ』




 そう言って背を向けた、律儀な男だった。涙ぐんでその小刀を握り締める。問いかけられているかのようで「お前もまだ、生きていたいんだろう?」と、黙って。




(そうだ。生きていたい。でも私は)




 ここで死ぬのが正解だと考えて、どうして一息で殺してはくれないのかと思って男を見下ろすと。甘い顔立ちを歪め、苦しそうに吐き出す。




「大丈夫だ。お前は、人間だから。極楽浄土にいけるだろうよ」

「えっ? お前は一体、何を言って……?」

「俺が術を施したからだ、お前に」




 涙が滲み出てくる。何の意味も無く。




「まさか成功するとは思わなかったんだ。あの御方の思いつきだったが。思いの外、上手く行ってしまった」

「ちょっと待って。お前は一体。何を言っているの!? 私は誰なの!? ねぇっ!?」

「奴隷商人から買ったみなしごだよ。二歳のお前に呪いをかけた。呪具になる呪いを」




 そこで合点がいった。言葉が自然と溢れ出る。




「じゃあ、私が姉さんと成長したのも? 自分が呪具だって、知らなかったのも? 全部?」

「そうだ。お前が人間だからだ。俺は生身の人間を…………呪具にしたんだ、成り代わりの」





 辻褄が合って、あまりの事態に硬直して目を見開いていた。生まれて初めて生きていたいと、強く願う。




「っ私だって! 姉さんの傍にいたいの!! それならお願いっ、どうか私を殺さないで、この術を解いて────────…………!!」

「よく言った、リンファ!!」

「グエン!?」

「ぐっ!?」




 そこで男が横に吹っ飛んで、暗い部屋に光が射し込んでごほごほと咳き込む。




「大丈夫!? リンファ!!」

「姉さん!? 駄目でしょう!? こんな所に来ちゃ!!」




 涙ぐんで駆け寄ってきた姉さんに強く強く、抱き締められる。呆然と床に座り込んだまま、泣いていた。生きていたい、切に。



(始めから、呪具でないのなら)



 生きていたい、私も。震える姉さんの淡い紅色の襦裙をぎゅっと握り締め、とうとう大声で泣いてしまう。




「生きていたいの、私も! 私もっ!! 私だって姉さんの傍に、隣に、堂々といたいの、立っていたいの、姉さん……!!」

「リンファ! 大丈夫、大丈夫よ。きっと!」





 誰も傷つけたくは無い、死ぬことで愛する人を幸せになんてしたくない。生きて隣に、傍にいたいのだ。人間なら。




 震えながらも強く強く、抱き締められて。こうしている間にも生命力を吸い取っているのに。それでも平気だった、どうにかして人間に戻る方法を探さなくては。




 そしていつかはこの屋敷を抜け出して、世界中を旅してみるのだ。自分にもまだ道が残されている。そのことを考えると気持ちが明るくなった。




「さて! 随分と趣味の悪い、同業者殿?」

「くそっ…………!! 案外。お早いご到着でしたね? 泥人形との戯れはどうでした?」




 尻餅をついた男が首元に剣を突きつけられ、愉快そうに笑う。グエンと同じ黒衣を着ていたが、その袖はゆったりとしていて埃っぽい床へと広がっている。



 グエンは獰猛に笑って剣を持ち直すと、黒髪を搔き上げてらんらんと輝く青い瞳を向けた。




「ああ。至れり尽くせりな歓迎だったよ? さて! 色男のあんたの、お名前を聞かせてもらおうか? ん?」

「……偽名でよければ」

「ご主人様? その男、私に任せてくれない?」

「ヨウリン。あんまりべたべた引っ付くなよ。粘液が付いたらどうする」

「付かないわよ!! 今は人間の姿なんだからっ!」

「おい。ちょっと待て? ……その妖魔は」





 そこでさぁっと、男が青ざめる。どうやら見ただけで分かるらしい。グエンは獰猛に笑って首を傾げ、男を見下ろしていた。



 背後には上機嫌のヨウリンが佇んでいる。




「このカエルの餌食にされたくなくば。解呪方法と気の狂った女の居所を教えろ。いいな?」



 男は低く呻き、がっくりと肩を落として自分の顔を両手で覆う。そして埃の積もった客間は、ふたたびその静寂を取り戻した。


























「はぁっ!? 何だって!? 分からないだって!?」

「っ俺としても初めてだったんだよ、そんな術は! まさか、成功するとは思わなかったんだ!!」

「おっ前な~……!! 開き直れる立場かよ!? このっ、くそったれが!!」




 そこで苛立って、男の胸倉をがっと掴んで締め上げて揺らしていると。慌てたリーファ様がこちらの背中にそっと手を添えて、首をふるふると横に振る。



 可愛い、何でも言うことを聞いてしまいそう。締まりの無い笑顔を浮かべて、グエンはぱっと疲れきった表情の男を解放した。




「リーファ様は。さすが。お優しいですね、こんな敵にも慈悲をかけて……!!」

「ぐっ、グエン様……だって彼が、リンファの解呪をして下さるんでしょう?」

「悪いが、お嬢様。俺は了承したつもりはない。そしてその解呪方法とやらも知らない」




 こちらが彼女の両手を握り締めて恍惚としていると、縄で縛られた男が不貞腐れたように声を上げる。



 後ろを振り返ってきっと睨みつけてやれば、一応は「ユウロン」と名乗った男がこちらを強く睨み返す。



 そこへ白い子猫がやって来て、楽しそうにちょいちょいと黒い衣を引っ掻き始めた。




「ああっ、ほらほら? 駄目でちゅよー? ファファちゅわ~ん?」

「んにゅ~」

「おい、ルイ? アホ臭い声を出すのはやめてくれないか? なぁ?」

「俺としては信じられませんよ、グエン様!」




 縛られた男をあっさり無視して、ルイが子猫を抱えて憤慨した表情でずいっと突き出す。ファファと名付けられた子猫が、嫌そうな表情でその白い前足を動かしていた。




「こんなにも可愛い子猫ちゃんをっ! あっさり邪険に出来るだなんて!! 可愛くないんですかっ? ねぇっ? この白いふわふわの子猫ちゃんがっ!」

「もう分かったからどっかに行ってくれよ? 頼むからさ~」




 これでは真剣な話が出来ない。それなのにルイは不満そうな表情で押し付けてきて、ちゅっと冷たい鼻が当たる。



 仕方が無いので柔らかな腹に顔を埋めて堪能しつつ、腕に優しく抱える。それを見て床に座り込んだ男が、呆れた表情で見上げてきたが無視する。切りが無い。




「さて、ユウロンと言ったか? 本当に。解呪方法が分からないのか?」

「分からない。俺だって知りたいぐらいだよ……くそっ」




 失言だったのか、ばつが悪そうにそっぽを向く。




(もしかしたら完全に。敵ではないのかもしれないな、この男も)




 すぐさま呪具のリーファを殺さず、使われていない客間に呼び寄せて首を締め上げていたのも。お前は呪具ではないと真実を告げたことも。


 色々とおかしい。


 どうしてすぐに殺さなかった? わざわざあんな、殺意の無い泥人形を出してまで。彼女をすぐには殺さずちんたらしていた。



 本当に殺す気があったのか?




(どうもこの男は。頭のおかしい叔母に、心酔している訳では無さそうだ。もっと、こう、何か)




 そこまでを考えてファファの白い頭を撫でていると、くいくいと遠慮がちに袖を引っ張られた。振り返ってみるとそこには、何やら困った表情のリーファ様が佇んでいる。



「リーファ様? 一体どうなさったのですか?」

「あのう、グエン様。お話の、その、邪魔をしてしまってすみません」

「ああ。全然構いませんよ。俺にとって貴女は、いつだって優先すべき存在ですからね」

「目の前でいちゃつかないでくれるか? いたたまれない」

「黙れ、ユウロン。俺とリーファ様の邪魔をするんじゃない!」





 邪魔されたことに苛立って声を上げると、彼女が怯えたようにびくりと肩を震わせてその手を離した。




「っああ!  申し訳ありません、リーファ様! それで? お話とは?」

「あの。あちらの。女性がちょっと……」

「ウシガエル、違った。ヨウリンがどうしたんですか?」

「酷いわ、貴方ったら」





 その甘い響きに嫌な予感が這い登る。見てみるとリーファ様の寝台へと座って、その黒髪を妖艶に搔き上げていた。




「私と貴方の仲じゃない? ねぇ?」

「あ~っ……!! そういうことか、くそっ!! 余計なことをしやがって!!」




 とっとと早く紙に戻せば良かった。いい脅しの道具になると思ったのだが。隣に佇んだリーファ様が、今にも泣き出しそうな表情で顔を歪める。



「グエン様…………!! 恋人が、いらしたのですか? 私というものがありながら? それとも私は後からきた女で、」

「わーっ!? リーファ様!? 誤解しないで下さいよ!? あいつはただの式神で、俺は今もこれからも貴女一筋ですからね!?」




 思わず子猫を床に置いて、泣き出してしまった彼女を抱き締める。一体、何を吹き込みやがったのか。


 苛立って見てみると、にっこりと甘く微笑みかけられる。



(腹立つなぁ、も~! カエルのくせに!!)




 彼女がくすんくすんと鼻を鳴らして、こちらの黒い胸元をぎゅっと握り締めた。可愛い、心臓がばくんと高鳴る。




「り、リーファ様? あのう?」

「グエン様は。あのような。色っぽい女性がお好きなのですか?」

「えっ、ええ~? いや、俺は、貴女が好きなんですけど……? 儚げな美少女が好みです」

「でも。だって。私は子供っぽいし。ぜんぜん、グエン様と。釣り合ってない…………!!」

「ええっ!? そんなことはありませんよ!? むしろ俺にとっては貴女が高嶺の花です!!」




 ひしっとその両手を握り締めると、拗ねたような表情でこちらを見上げてきた。




「本当ですか? ちゃんと私のことが好きって……そう言ってくれますか?」

「すっき!! 好きです、何億回でも言いますっ!! すっき!!」

「グエン様にリーファ様?」




 そこでとうとう、我慢しきれなくなったのか。熱い茶を載せた盆を片手にズハンがやって来る。その黒い瞳には呆れが浮かんでいた。




「恋人同士の語らいは。そこまでにして頂けませんか?」

「一つ訂正しておくぞ、ズハン?」




 真っ赤な顔で恥らっている彼女の肩を抱き寄せ、いつになったら夜を共に過ごせるのかなとそう考えつつ愛想良く答える。




「恋人同士じゃなくて。婚約者同士だぞ? 俺らは」

「……どちらでも構いませんので。そろそろ始めてみませんか? 尋問を」




 そこで床に座った男を見下ろして、ズハンが全ての表情を打ち消した。どうやらこの男は、思ったよりも腹を立てているらしい。



 リーファ様の細い腰に手を回しつつ、そう考える。辺りには呑気な子猫が「にゃあ」という声と、ちりんちりんという鈴の音が響き渡っていた。


 どうやら今日は長い一日になりそうだ。
















この世界は色んな国を混ぜています。だから中華風・・・・?ということになるんですかね?だからアオザイもチャイナドレスも登場します。これからもそんな感じです。

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