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4. 死霊使いの願いとおぞましい新事実

軽い流血表現があります。ご注意下さい。

 







「何だかなぁ~。これ。術者見つけて殺すほうが手っ取り早い気がするんだけどなぁ~」




 そんな間延びした声と共に一閃。襲ってきたカラスのようなものを、手に持った剣でグエンが斬り捨てる。



 咄嗟に抱き寄せられ、息が止まった。真っ赤な血が降り注いで、私の頬にもいくつか生温かい血が飛び散る。





「ああ。駄目だ。折角の綺麗な頬に、血が」




 優しい声がふってきたかと思うと、ごしごしと手の甲で拭われる。ふと見上げると、冬の海のような青い瞳がこちらを見下ろしていた。にっこりと笑うとその顔立ちに飛び散った鮮血が、何故かとても美しいものに見える。




「散歩はここまでにしておきましょうか、リーファ様?」

「は、はい……グエン様」




 そう返すしかない、そう言われてしまうと。



 少しだけ残念な気持ちになりつつも手を引かれて、美しい庭園を歩く。辺りには梅の木が咲き誇っていて、春らしい麗らかな天気だった。



 今日は二人だけでのんびりと庭園を歩くことにしたのだが。薄紅色の襦裙を纏って、風にふくらむ裳を揺らして前のめりで歩く。



 早く屋敷に入ろうと思っているのか、その足取りはどこか荒っぽくて。いつもの黒い後ろ姿に伸びきった黒髪が美しい。手に持った剣からは先程のカラスの、真っ赤な血が滴り落ちていた。



 それはてんてんと地面に染み込んでは、彼の足跡のように刻まれてゆく。心臓がやたらとうるさかった。




「私……グエン様?」

「どうかしましたか、リーファ様? もしかして、歩くのが早かったですか?」




 不思議そうに振り返って、彼が尋ねてくる。異国の青い瞳に優しい微笑みがよく似合う顔立ちを見て、何も言えないような気がしたが。



 生まれて初めて湧いて出てきた、この感情を伝えたかった。




「私。初めて…………生きて行きたいと。そう思ったような気がします」





 驚いたように青い瞳を瞠ってから、彼が嬉しそうに笑う。少年のような笑顔はとても、三十五歳には見えない。彼は十八の時に一度死んだのだ。私と同じ十八歳の時に。





「それじゃあ。これからも。そう思ってて貰わないと」

「わっ……!!」




 ぐいっと腕を引っ張られ、耳元で甘く囁かれる。




「なにせ、俺との結婚式も控えているんでね。……貴女の呪いが解けたら結婚しましょうか?」





 思わず頬が熱くなる。真っ赤になった私を見て、彼もまた嬉しそうに笑う。その耳も頬も心なしか赤い。恥ずかしくて恥ずかしくて全身から汗が出てしまいそうな、そんな気持ちだった。



 だからようやく、何とか。こう言って頷くのだけが精一杯だった。




「は、はい。グエン様……楽しみに、待っていますね? 私」

























「はー、可愛い……!!  死にそう、もう、俺っ!! リーファ様が可愛くって、もう一度だけ死んじゃいそうっ!!」

「グエン殿…………ここは、俺の部屋なんですが?」

「いいじゃねぇか、別に。お前の寝台ぐらい、借りても」

「良くないです……退いて下さい」




 横向きで寝そべって頭を支えて、ばりばりと自分の腹を掻いていると。とても渋い顔つきのズハンに退いてくれと、そう頼まれてしまった。



 お嬢様付きの護衛だからか部屋はそれなりに広く、書き物机まである。黒いタイル床の上を歩いて、ズハンが溜め息を吐いて、寝台近くの椅子を引いて座った。



 いつもの額に巻いてある、黒い布をしゅるりと解く。その黒い布を取ると、二十代らしい青年さが漂う。





「……リーファ様のことについて。話があるのでしょう?」

「そうだなぁ~、このまんま、惚気てもいい?」

「私の惚気話を聞いてくださるのならば。遠慮なく、どうぞ?」

「うっげ!! メイリンなんぞといちゃついた話なんぞっ、俺はごめんだねっと!」





 渋々と寝台から起き上がる。ズハンの一人称が「私」になる場合は、真剣な話しかしないぞといった意思表示だ。その黒い瞳もどこか真剣な光を帯びている。グエンは空中を眺めつつ尋ねた。




「術者。術者ってのは女だろ? リーファ様の、叔母の仕業なのか?」

「流石ですね、グエン様。式を殺しただけで性別が分かるのですか?」

「ある程度はな。はぐらかすのはよせよ、ズハン」





 膝を立てたまま、不敵に笑って問いかける。観念したようにズハンがその目を閉じて、静かに語り出した。




「ええ。……そうです。リーファ様の、叔母上が術者なのでしょうね」

「何だ? その言い方は? 言っちゃ悪いが、ある程度は有名だ。…………この家のことも、リーファ様のことも」




 分かりきっていることだ。




(実の叔母が呪っていることなど。それなのに、どうしてこうも言い渋るんだ?)





 他にも何かが隠されている。都合の悪い、何かが。ズハンが一つ深い溜め息を吐く。




「それではその、叔母上が。お嬢様を、リーファ様を呪った理由をご存知で?」

「いんや。口さがない連中とは付き合わねぇんだ、俺」

「それは良い心がけですね、グエン様。お嬢様もさぞかしほっとなさることでしょう」

「いいから、早く! 本題に入れって!! さぁっ!」




 べしべしと寝台を叩いてみると、ズハンが渋い顔つきで「せっかちな方ですね、貴方は」と呟いてようやく語り出す。





「そもそもの始まりは。旦那様にあるのですが…………」





















 ああ、胸糞悪い。




(ここまで気分が悪いのは、実に初めてのことかもしれないな)




 グエンは夜の廊下をひたすらに歩いていた。



 黒い大理石の床に白い壁は虚ろで、朱塗りの透かし窓からは月光が射し込んでいる。美しい装飾の丸い窓の向こうにはきっと、静かな庭園が広がっているはずだ。




(ああ、胸糞が悪い。この家の奥様とやらも、狂っている理由が分かった)





 全部全部、何もかも。この家の当主が悪い。




(あの呪具を一人。殺したところで何になる? 術者が生きている限り呪い続ける。呪われ続ける)




 おかしいとは思った、二十歳になった時に死ぬだなんて。まるで嫌がらせのような呪いだ、即効性は無い。




(今のお嬢様は十八。猶予はまだ二年もある。今すぐ殺す必要はないさ、あの呪具を)





 妹のようにリーファ様を慕っている呪具は、俺に呪を施した美しい小刀を手渡して。あの艶々とした、黒い瞳でこちらを見据えていた。




『いざとなったら貴方が私を殺して、グエン殿。…………二人で生きる道なんて無いの』




 果たして呪具がこんなことをするだろうか。受け取った小刀を見つめ、あの時の俺はそう考え込んでいた。




(いいや。そもそもの前提が間違いなのかもしれない。もし、呪具を。呪具に手を加えて愛するように、そう、指示をしていたら?)




 どこまでもどこまでも、粘りのある悪意が付き纏ってくる。




(カラスの式も、食事に盛られた下剤も、茶に入っていた神経毒も何もかも)





 殺すつもりはない、と言っているかのようだ。そしてあの奥様は、リーファ様の母親は娘のことなど愛していない。




(他に可愛がっている娘が一人だけいて、そちらにかかりっきりだそうだ)




 それなのに、その娘は呪われてなんかいない。執拗に執拗に、長女であるリーファ様だけがしつこく狙われ続ける。他にも側妻が産んだという、腹違いの娘も息子もいるというのに。



 呪われているのも、命を狙われてるのも。たった一人、リーファ様だけだった。胸糞悪い。




(奥様を苦しめるのが目的じゃない。それなのに、リーファ様のことを殺さない)




 はっと息を荒げて、目的地に辿り着く。



 すぐさま主人の寝室を守っていた護衛二人が顔を顰める。顔を顰めて、鞘に収められたままの黒い剣をこちらへと押し付けてきた。



 胸元に押し当てられた黒い剣を何となく見下ろす。二十代前半とおぼしき若い男が、歪んだ笑みでこちらを見つめていた。




「これは、これは。死霊使いのグエン殿ではないですか。どうなさったのですか、このような夜更けに」

「話なら明日になさってください。旦那様は疲れて眠っておられます」

「リーファ様の未来の。花婿だと言ってくれた方が嬉しいな、それは」





 俺が軽口を叩くと、護衛二人が嫌そうな顔をする。ズハンと同じ黒い胡服姿の男二人は、中々に腕が立ちそうだ。


 が、しかし。




(ここで騒ぎを起こすつもりは無い。出来るだけ穏便に事を済ませたいところだが)




 黒い懐を探ってぴっと、一枚の白い紙を取り出す。それは人の形をしていて、護衛二人がさっと青ざめる。




「もしや。旦那様を狙って、この家に……」

「呪い殺すおつもりですか? 我々を?」

「おいおい。寝ぼけたことを言うのはよせよ、お二人さん」





 にやりと笑って、その白い紙を床へと投げつける。ぼふんと白い煙が上がり、一人のとある死霊が姿を現した。




 虚ろに開かれた口に、青白い顔には真っ黒な血がこびりついている。ぼろぼろの包帯を巻いて、腕も胸元も、白い包帯で覆われた若い男は。



 駆け出しの商人のような、粗末な青い衣を身に纏っていてこちらを振り返る。





「恨みますよ、グエン殿……俺はまだ、眠っていたいのに?」

「いいからこいつらを追い払ってくれ。そしたらお前の骨も、青い海とやらに散骨してやる」

「それを言い出してから一体、何年が経ちましたか?  はーあ…………」




 それでも仕事をする気になったのか、こほんと一つ咳払いをすると。


 青ざめて硬直している護衛二人に向き直って、わざとらしく髪をささっと口にくわえ両手を前に出して垂らし、目を虚ろにさせておどろおどろしい雰囲気を出す。




「貴様ら、子々孫々。祟ってやろうかあぁぁ~…………!!」

「「うっ、うわああああああっ!?」」





 悲鳴を上げて、屈強な男二人は一目散に駆け出した。真夜中の暗い廊下にて、死霊がぽつりと残念そうな声を出す。




「残念、折角。ここからが良いところだったのに……案外腰抜けどもでしたね、案外」

「中々に良い演技だったぞ、今のは。ほら、戻れ」

「グエン殿って、中々に姑息と言うか。卑怯なところがありますよね……?」

「俺を罵るのはやめろ。いいから早く戻れって、紙の姿にさ!?」




 そこでぼんやりとこちらを見つめた、元友人の死霊が。主人の命令を聞く気が無いのか、軽く笑って話を続ける。




「とは言っても、俺。人なんか呪えないんですけどね……良い死霊なんで」

「死霊に、良いも悪いもあるか?」

「ありますよ、グエン殿。俺はせいぜい、女湯しか覗かない死霊です」

「その話は聞かなかったことにしてやろう。そんじゃあ、戻れ」

「はぁーい……俺、いいように使われてるなぁ」





 しゅるしゅるしゅる、とその姿が白く縮んで。先程のようにまた一枚の紙に戻る。そこには俺の文字で“享年二十七歳 友人のハオラン”と記されていた。





「はー……そんじゃあ、お義父様?」





 どうせ聞き耳を立てているに違いないと、そう思って声をかける。しかし、何の反応も見せない。物音一つしない。




「あんたが孕ませた、妹とやらの話をして貰いましょうか? リーファ様を救うためにもね?」





 そこでようやく扉が開いた。



 桃の花と龍が施された、扉の美しい絵は全て魔除けの文様だった。ふてくされた表情の、黒目黒髪の気の弱そうな美男が顔を出す。ふてぶてしく笑って、グエンは一歩踏み出した。



 義理の父親であろうとも遠慮する気は無い。敬意を払うつもりなど無かった。




















「確かにあれは大きな間違いだった。無理に堕ろさせるんじゃなかった」






 むかむかと、吐き気と嫌悪感が込み上げる。腕も首筋も、怒りなのか焦りなのか寒くてひりひりとする。




(この男は……!! 何の悪びれもなく口にするな、本当に)




 あれから渋々と、この俺を寝室へと招き入れて。白い夜着の上から交易で手に入れたという、派手な金銀の花柄ガウンを羽織って男は俯いていた。




 その少しだけ伸ばされた黒髪も憂鬱そうな黒い瞳も、娘によく似て美しい。こうしてみると、リーファ様は父親にそっくりだった。



 儚げな雰囲気はどうやら、父親から受け継いだものらしい。




 丸いテーブルの上にて、注いだ熱い茶を「どうぞ」と言って勧めてくる。それを警戒しながらも手に取って、用心深く啜ってみた。



 テーブルの上には美味しそうな蒸し饅頭も並べられている。それを一つ手に取って齧り付く。



 その途端にふんわりした酒の匂いと、じんわりとした餡子の甘さが舌に染み渡ってゆく。そのままふかふかと、甘くてふんわりとした生地を噛み締めて楽しんでいた。




 白い壁紙に青い龍と蓮の花の絨毯が敷き詰められた寝室には、無数の書物が置かれ壁際にも本棚がずらりと並んでいる。



 真夜中の寝室は薄暗く、テーブルの上にはゆらりゆらりと燭台の炎が揺れて舞い踊っていた。



 向こう側に佇んでいる男の、美しい顔が炎に照らされて浮かび上がっている。



 憂鬱そうに俯いた男はやはり、どこか得体が知れなくて不気味な雰囲気だった。闇に浮かび上がる白い肌に美しい顔立ちの男は、のろのろと顔を上げてこちらをじっと見つめてくる。




(あくどい金貸しと聞けば。ぶくぶくに太った男を思い浮かべるもんだが、この男は違う)





 四十過ぎの優男といった風情で。目元に刻まれた皺もくたびれたような雰囲気も、中年の男と言えば中年の男だが。



 やはりどこか、その線は細い。はらりと落ちた黒髪も長い睫も色っぽい。




(ああ。リーファ様も……年を重ねたらさぞかし。円熟した美貌を持つ、思わずよだれの出そうな、とても色っぽい貴婦人になるんだろうなぁ…………いやいや)





 思考が思わず逸れてしまう。いつだってこの心は美しくて優しいリーファ様と共にあるのだから。これはもう、仕方が無いことなのだが。



 こちらが妄想にふけっている間にも、憂鬱そうに顔を伏せて義父が語り始める。




「間違いだった。最初から何もかも。乞われるがままに枕など、交わすのではなかった……」

「そんで? その妹さんやらは、今一体どこに?」




 追加で饅頭を手に取って、ふかふかと食べ進める。わざとぐいっと無作法に熱い茶をあおって飲み干してみれば、歪んだ微笑みを浮かべてゆるゆると首を振った。





「さぁ…………それは、僕も知らないんだ。それに君は一体。どうするつもりなんだい?」

「殺す。リーファ様を狙い続けるのならば殺す。……殺すしかない」




 その言葉にさっと青ざめる。気の弱そうな顔に初めて焦りが浮かんだ。




「それだけはやめてくれ……両親も亡き今、僕の家族はあの子だけなんだ」

「じゃあ、居場所だけでも教えてくれ。絶対に知ってるだろ、あんた」




 どうやらこのお義父様は妻も子供も、側妻も家族扱いしていないらしい。聞けば他の娘とやらも、あの奥様とやらが他の男と密通して産んだ子らしく。




「俺の子供はリーファだけなんだよ」とそう、困ったように笑っていた。妻の実家が裕福な貴族で、商売の後ろ盾になってくれているから離婚しないそうだ。



 吐き気がする。何もかも、決定的に何かが歪だ。




(うえっ……本格的に何か、吐きそうになってきた)





 それとも酒饅頭を一気に三つも食ったからか。聞いた話全てを要約すると、こうだ。



 この男は実の妹と関係を持って、数十年前に妹が身篭ったため、嫌がるのを無視して無理矢理堕胎させた。



 その一方で自分は、貴族の美しいお姫様と結婚して子をもうける。それを恨みに恨んだ妹が、リーファ様が二歳のお誕生日を迎えたその日に今回の呪いをかけたのだと。




 驚くことに実の子供はリーファ様だけで、あとは皆よその男の子供らしい。だからその妹とやらはリーファ様だけを狙っているのだ。



 この男の血を引く、唯一の子供だから。



 それを知っているから()()()()()()、新しく子供を作る気にもなれず、側妻が密通の末に産んだ息子を跡継ぎに据えるつもりらしい。



 狂っている、何もかも。




「申し訳ないが、本当に知らないんだよ。がっかりさせて悪いね、グエン君」

「このままじゃあ、ジリ貧だ。いずれ絶対にリーファ様は呪い殺される」

「あの子は優しいから、そんなことはしないよ。それに」




 優しい? 優しいだって?



 その言葉に噛み付こうと思った瞬間、視界がぐらりと傾く。ぐわんぐわんと揺れる視界の中で、湯飲みを力なく落として腕を伸ばしていた。




「あの子は、リーファのことを愛しているからね。呪っても殺しはしないだろう」




 腕を伸ばして、饅頭を掴んでいた。ぐっとそれを握りつぶして、中から黒い餡子があふれ出してくる。




「狂ってるだろ、あんた…………!! おかしいだろ、全員さ!?」

「君はどうやら、まともで健やかな人間のようだ。おかしいね。一度死んで蘇った、忌まわしい身の君のほうが」




 静かな声が響き渡る。瞼はもう開かなかった。




「健やかで、愛されて育っただなんて。…………つくづく、僕の娘とお似合いだよ」





 他人事なのか。あんたの娘だろう。そのまま揺れる意識に任せて、重たい暗闇へと引き摺られてゆく。





(リーファ様……!! 俺が絶対に絶対に、貴女を救い出してみせる。何がなんでも絶対に絶対に貴女を、この歪な屋敷から連れ出して、逃がしてみせる…………!!)




 彼女をここに置いていては。その身も心も擦り減ってゆくばかりだ。




(リーファ様……ああ、会いたいな。俺が、死ななかったらの話だけど)




 毒を盛られていないといいが。


 しかしこれはおそらく、ただの眠り薬のような気がする────────…………。

























「グエン様……ありがとう、ズハン。私を起こしてくれて」

「申し訳ありません、お嬢様。お止めしたのですが一向に聞かず……」





 手を振って、その謝罪を制する。彼のことだからそうするだろうとは思っていた。寝台に横たわったままの彼は顔色も白く、まるで美しい蝋人形のようだ。



 リーファは白い夜着に身を包んで、椅子に座って寝台上のグエンを見つめる。寝室の扉近くでは、あまり私に近付かないようにしているリンファが佇んでいた。



 その黒髪は下ろして白い夜着を身につけている。そうしていると本当に、私にそっくりだった。




「姉さん……やっぱり私がその叔母様とやらを、」

「馬鹿な考えはよして頂戴、リンファ。……貴女まで、何をされるか。お父様に」





 そう、父が一番の敵だ。



 へらへらと困ったように笑いながらも、実の娘も望んで迎え入れた美しい側妻にも、お母様にもただひたすらに無関心で、商いと金にしか興味を示さない。




 病気なのだ、あの男は。きっと、自分の事しか考えられない病気なのだ。そのくせ、実の妹を愛しているという。おぞましい父に吐き気が込み上げる。




「ごめんなさい。ズハンに、リンファも……二人きりにしてくれるかしら、グエン様と」




 二人がいなくなった後の寝室で、グエンの額にかかった黒髪を払いのける。涙が出そうになった。睡眠薬を盛られたぐらいで済んで、本当に良かった。





「もう少し。ちゃんと、お伝えしておくべきでしたね、グエン様……」





 彼が愛おしい。私のために怒ってくれた彼が愛おしい。




「恋心と言うには、まだほど遠いけれど」




 それでも大事な存在なのだ。初めて会った日の、彼の姿が目蓋の裏に蘇ってくる。美しい顔立ちを歪めて、その細い片腕だけでリンファの首を締め上げていた。



 紅い梅の花が舞って、どこか浮世離れした春の庭園にて、恐ろしくも美しい死神に見えた。青く美しい瞳がこちらを見て、驚いたように固まっていた。




 やけに硬直しているな、と思ったら。あの一瞬で私に惚れたのだと言う。それから「婚約者になる」と言い出して、ズハンに言われるがままに荷物を纏めてやって来た。



 そして私の足元に跪くと、うやうやしくこの手を取って。




『ご安心下さい、リーファ様。今日からこの俺が、貴女の味方です。何が何でも絶対に貴女を守り抜きます! 貴女を傷付けたりなど、絶対にしませんからね? 心から愛しています!!』





 安っぽい愛の言葉よりも、その言葉の方が嬉しかった。味方になって守ると言われたことが何よりも嬉しかった。



 あの時あの瞬間から、彼は私の大事な存在になってしまった。自分でもあの言葉だけで、驚くほど単純だけれど。



 出会ってからまだ日も浅くて過ごした時間も少なくて、恋心と言うにはまだ遠すぎるけど。





「それでも貴方のことが、大事なんです。グエン様……」





 手を握り締めて呟くと、弱々しく握り返される。驚いて見つめると、うっすらとその青い瞳が開いていた。彼が口を開け、弱々しく発する。




「そこは……愛しい、好きな人だとか。そう、言って欲しかったな…………」

「グエン様! 目が、覚めたのですか?」




 泣きそうに歪んだ私の目元を、乾いた指先で拭ってくれる。彼がその乾いた指先を見つめ、ゆったりと優しく微笑んだ。




「ああ。良かった……貴女が泣いてしまう前に、目を覚まして」

「グエン様…………!!」




 その言葉で一気に涙ぐんでしまう。その体に縋って布団を握り締めて、苦しく吐き出す。




「ごめんなさい、私の父が……!! 貴方に、貴方に、こんな酷いことをしたりして!」

「ああ…………どうぞ。お気になさらないでください、リーファ様」





 体がまだ辛いだろうに、むくりと寝台の上で起き上がる。頭を優しく撫でられ、また泣きそうになった。温かい手はどこまでも優しく、そのまま布団を強く強く握り締める。




「あの父が嫌なら、どうぞ。私とは婚約破棄して下さい。貴方まであんな、父の餌食になることはない……」

「どうか早まらないでください、リーファ様」




 その柔らかな声にのろのろと顔を上げる。そこには穏やかな微笑みを浮かべた、一人の美しい男性がいた。



 吸い込まれそうな青い瞳が近付いてきて、こちらの頬に手を添える。息を飲み込むと、こちらの怯えを感じ取ったのかふっと困ったように笑う。



 笑ってその顔を近付けて、こちらの額にそっと口付けをしてくる。



 それは幼い子を宥めるような母のような、そんな優しい口付けだった。思わず額を押さえて俯いてしまう。




(待っていて、くれるんだわ。ちゃんと。……私の、心の準備が整うまで)




 申し訳ないやら、恥ずかしいやらで。見限られはしないだろうかと、そんな不安と恐怖が一瞬頭を過ぎる。腕を伸ばして彼の手を握り締めると、随分と冷たかった。



 薬の影響か、それとも。彼が一度死んで蘇った人だからか。




「リーファ様?」

「グエン様。どうぞ私の傍にいて下さい。私は、私は……浅ましいと、そう思われるかもしれませんが」






 両親と、この屋敷から逃げ出したい。呪具のリンファもいずれは死ぬ気だ。



 私を一人残して。



 お父様に雇われている護衛の、ズハンに頼れる筈が無い。彼はきっと私の監視役も務めているだろうから。お父様は密かに私を見張っているのだ。



 私を見張っていたら叔母様が、自分の妹がひょっこり現れるとそう信じている。愚かにも、程がある。





「私は。逃げ出したいのです、この屋敷から……貴方と二人で、生きて行きたいのです」

「それは何よりも。嬉しい言葉ですよ、リーファ様」




 グエンがにこやかに笑って、リーファの手を握り締める。潤んだ瞳で見上げると、ごくりと生唾を飲み込んでいた。



 そして勢い良くがっしりと、こちらの両手を強く強く握り締めてくる。




「安心なさってください、リーファ様!! 俺が問題の何もかもを解決してみせるので、そしたら二人きりでどこかに、新しくこぢんまりとした家でも買って幸せな新婚生活を送りましょうね……!!」

「やっ、やだ。グエン様ったらそんな、新婚生活だなんて……」

「はー、可愛い。天女みたい。これだけであの男に睡眠薬を盛られた甲斐があったな!! はー、可愛い。可愛い。好き」

















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