《42》想像と現実は全くの別物
爽やかな風が、頬を優しく撫ながら、スルリと髪を通り抜けていく。耳には一定のリズムを刻む羽音が心地よく聞こえ、手には少し冷たく、しっとりとした硬い感触。そして眼下に見えるのは、作り物の様に小さくなった街達。
ワイバーンに乗るとは、そういう事だと思っていた。
現在、ヴィオレットは・・
痛いほどに吹き付ける強風に、目を開ける事もままならず、身体は寒さに震え、自分の意思とは関係無く急旋回する感覚に、吐き気を催しながらも、掴みどころの無い、ゴツゴツとした物体にしがみついていた・・・いや、縛り付けられていた。
「グハハハハハハハ。」
狂気じみた笑い声を聞きながら・・・
「し・・・死ぬ・・・。」
「グハハハハ・・・おや? 何か言ったかの?」
「も・・・もう・・。」
「グハハハハハハハもっとかの!」
更に急旋回する視界と、激しい風と、押し潰されそうな感覚に、ヴィオレットの意識は限界だった。
「む・・・・無理・・。」
自分の意識が遠のいていくのを感じる・・・。
ワイバーンもとい、モドゴロムに乗る直前、ガルシュダッドが『本当に乗る気か?嫌ならハッキリと言った方が良いぞ。墜落の心配は無くとも、決して楽しいものではないぞ。』と言ってくれていた時に、やめておけば良かった。
ワイバーンもとい、モドゴロムに乗る時、何故だか長い布でぐるぐる巻きにされ、モドゴロムの腹に縛り付けられた時、『やめたいです。』とはっきり言えば良かった。
しかし、後悔してももう遅い、空の上では・・・というか、モドゴロムに縛り付けられている状態では、ヴィオレットに出来る事など、吐き気を我慢する事と、出来るだけ早く意識を飛ばして、現実から逃げ出す事くらいしか無いのだから。
《ヴィオレット大丈夫か?》
遠のいていく意識の中で、心地良い声が頭の中に響く。
耳からは今だに、モドゴロムの狂気じみた笑い声が聞こえているのに、その声はハッキリと頭の中に響いた。
「あぁ・・・神様の声が聞こえる。」
ヴィオレットが読んでいた本達の中では、多くの神様が、主要人物の頭の中に直接話しかけていた。
だから、この声はきっと神様の声だと思ったのだが・・
《何を言っている。大丈夫か?》
「神様・・私、まだ死にたくありません。」
《分かった、モドゴロムの腹から降りたいのだな。そうだな?》
「はい・・降り・・・」
言い終わる前に、先程まで聞こえていた激しい風音がピタリと止み、直ぐそばで聞こえていたはずの、モドゴロムの笑い声が、遥か遠くから聞こえてくる。
そして身体は、硬くゴツゴツとした感触から、心地良い温もりに変わり、身体はふわふわと浮いている様だ。
「あぁ・・・ここが死後の世界・・・」
「何を言っている、まだ死んでなどおらんぞ。」
先程まで、頭の中で響いていたはずの声が、すぐ側からハッキリと聞こえているが、ヴィオレットは自分が死んだからだと思っていた。
「だって・・・ほら、身体がふわふわしていますよ。」
「それは、先程までモドゴロムに振り回されていたからな、その感覚が抜けていないだけだ。」
「だって・・・こんなに心地良いのに・・・」
「グハッ・・・うっうむ。そうか・・そんなに心地良いか?」
身体が僅かにガクンと揺れたが、モドゴロムの腹に縛り付けられていた時と比べれば微かな揺れだ。
そんな事よりも、この場所を堪能したくてスリスリと頬擦りする。
「はい、とって温かくて、心地良くて、安心できます。」
「ウグゥッ・・・あっ・・ありがとう。」
「あはは・・・神様がお礼なんて・・・。」
「俺は神様では無い・・・ヴィオレットの夫だ。」
その瞬間、ヴィオレットは大きく目を見開いた。
モドゴロムの腹に縛り付けられている時、自分の視界が目まぐるしく回転する事に耐えられず、目を閉じ・・・その後もずっと目を閉じていた。
そして、目を開いたヴィオレットは、何故、途中で開かなかったのかと、激しく後悔した。
目の前に見えるのは、真っ赤な顔をしたガルシュダッドである。
「なっ・・。」
先程の言葉に、嘘は無い。嘘は無いが、本人に言うかどうかは、別問題だ。
「大丈夫だ、ヴィオレット。俺は大丈夫だぞ。」
何が大丈夫なのか分からないが、とにかく大丈夫を繰り返すガルシュダッド。
真っ赤な顔で、目を泳がせているヴィオレット。
・・・遠くで叫んでいる、モドゴロム?
「ヴィオレットおおおぉぉぉ どこじゃあぁぁああ。ワシ落としてしもうた!!調子に乗って落としてしもうた!!どうしよう、どうしよう、ヴィオレットおおぉぉぉぉ。」
空を見上げれば、モドゴロムが空中で、あたふたと旋回している。
それは、そうだろう。自分のお腹に居たはずのヴィオレットが、急に居なくなっているのだから。
「ガルシュダッド様、私がここに居る事を、早く教えてあげた方が・・・」
ヴィオレットは、モドゴロムには申し訳ないと思いつつも、自分のせいで、自分より動揺しているモドゴロムを見ていると、少しだけ落ち着きが戻ってきた。
「無理だな。教える方法が無い。」
ガルシュダッドの方も、落ち着いてきたのか、顔から赤みが引いている。
「さっき、私にやった様に、頭の中に直接話しかければ良いのでは?」
「アレは、魔族の夫婦間だけで使える魔法だ。他の者相手には使えん。」
「そうなんですか?」
「ああ、それに、万が一誰でも、誰に対しても使えたなら、俺の頭は今、ヴィオレットの声が聞こえないほど大騒ぎだろうな。」
魔王として、皆に頼られているからなのだと一瞬思ったのだが、ガルシュダッドの乾いた笑みが、何かもっと具体的な何かを思い出している気がして、ヴィオレットはそっと話題を元に戻した。
「どうやって、伝えましょうか。早く伝えてあげないと。」
心配そうにモドゴロムを見上げるヴィオレットとは対照的に、ガルシュダッドは
「伝える手段が無いのだし、別にあのままでも良いと思うが?」
と、首を傾げている。
「でも、私のせいであんなに・・・」
「だが、ヴィオレットは無事なのだし、別に伝えずとも、そのうち諦めると思うぞ?」
「それでは、モドゴロムさんがずっと心配し続けます。」
「心配では、死なんだろう?」
「死ぬ死なないの問題ではありません。」
思わず声を大きくするヴィオレットに、ガルシュダッドは少し考え込むと、足元に落ちていた石コロに目を向けた。
なんて事ない、普通の石・・・
しかし、ヴィオレットは嫌な予感がした。
「ガルシュダッド様・・・何をする気ですか?」
そっとその石を手に取り、数回手の上で跳ねさせるガルシュダッド。
「その石を、どうするんですか?」
「ん?モドゴロムに、無事な事を知らせたいんだろう?」
石を握り込むガルシュダッド。
「それは、そうですが・・・。」
「うむ。分かった。」
ヴィオレットを抱き上げたまま、片腕を上げ・・・勢いよく振り下ろすガルシュダッド。
その手から、勢いよく石が飛び出して・・・・
ボコッ・・
「ウゴッ・・」
鈍い音と共に、モドゴロムの呻き声が聞こえてきた。
「ガルシュダッド様!!!なんて事してるんですか!!」
ヴィオレットが、ガルシュダッドの襟を掴み怒鳴るが、ガルシュダッドは相変わらず、何を怒っているのか分からないとばかりに、首を傾げていた。




