《33》魔王の妻②〈ガルシュダッド〉
転移した先では、長身で、筋肉の塊の様な男。獣王が待っていた。
獣界に転移する前に、一応連絡はしていたが、それは、ガルシュダッド達が転移する数分前の事。出迎えは間に合わないだろうから、出迎えは不要だと送ったはずだったのだが。
一応表向きは、ガルシュダッドの出迎えではあるが、実際はデルタの事が心配だったのだろう。
獣族は、成獣族となるのこそ、産まれて10年前後ではあるが、獣族の成獣族とは身体の成長、つまり子を成せる身体になった時の事で、独り立ちは、産まれて1年でほどで行う。
その為、親達は子が産まれて1年経てば、子を世話する事も、意見する事も、注意する事も、ほぼ無くなる。
だから、本来ならばあまり心配をしないのだが、魔界へ来る前のデルタは、次期獣王として、現獣王の側に常に居て、獣王としての勉強をしていた。いくら獣族が1年で独り立ちするとは言っても、突然いなくなられては、心配するに決まっているし、次期獣王にほぼ決まっていた身だ、身辺整理や新たな次期獣王の選定など、話すことがあるだろうと、ガルシュダッドは獣王と挨拶を交わし、獣王にヴィオレットを紹介すると、デルタに会話を譲った。
一応譲った・・・たとえ、会話を譲るきっかけが「変態」だったとしても、一応譲った。
そこから、獣王とデルタの、どうでも良い話がはじまったが、ガルシュダッドにとっては、久々にヴィオレットを腕に抱え、側に居られる事の方が重要だった。
だからこそ、デルタと獣王の話がひと段落つき、獣王がヴィオレットに向かい、改めて挨拶をした時。挨拶返す為とはいえ、一瞬ヴィオレットを腕の中から下ろすのは嫌だと思ってしまった。しかし獣王は、ヴィオレットを『魔王の妻』と呼んだ。
魔王の妻・・・
ガルシュダッドの妻・・・・。
妻に恥をかかせるわけにはいかない。
そう思い、そっと床に降ろすと、ヴィオレットは丁寧に人族の貴族風の挨拶をした。しかも、ヴィオレットの口から『魔王陛下の妻となりました』と言う言葉を聞けたのだ。
ガルシュダッドは、緩む頬を必死に引き締め、ヴィオレットが獣王と話すのをおとなしく見守る事にした。
見守っていた・・・・おとなしく、ヴィオレットと獣王が言葉を交わすのを見守っていた。
見守っていると、何故か獣王がヴィオレットに、自分の略称を教えている。しかも、ヴィオレットも殆どためらう事なく獣王の略称を口にしている。
まだ、夫であるガルシュダットの名を、まともに呼んだ事も無いのに、獣王の名を略称で、しかも親しげに呼んだのだ。
ガルシュダッドは、堪らずヴィオレットを腕の中へと戻すと、「うぎゃ」という可愛らしい声と共に、ヴィオレットの温もりが腕の中に戻りホッとするが、不満が消えることは無い。
「何故、獣王を略称で呼ぶ。」
不満の色を隠さずに告げると、ヴィオレットは恐縮し、謝ってきた。
謝って欲しいわけではない。もっと親しげに呼んで欲しいだけだ。
それなのに、次にヴィオレットの口から出たのは
「魔王様?」
陛下が様になっただけだ、ガルシュダッドにとっては、どちらも一緒だ。
同じ部屋に居る獣族達が、必死に笑うのを我慢している声が、届くが今はそんな事どうでも良かった。
それよりも重要な事がある。
「・・・・何故、名で呼んでくれんのだ・・。」
夫婦になった筈なのに、名さえ呼んでもらえない。本当は、ヴィオレットが考えた略称で呼んでもらいところだが、その辺は折を見て、ゆっくりで良いだろう。一先ずは、名を呼んでもらう事の方が重要だ。
ヴィオレットが名を呼んでくれる事を期待して、待っていると、ヴィオレットの頬がみるみるうちに赤く染まり、目が潤みはじめ、落ち着かない視線が床を泳いでいる。
・・・可愛い
「あの・・えっと・・・ガ・・・・ガ・・・るシュ・・・ダッと・・様・・・。」
・・・可愛い
一瞬にして、思考が真っ白色に染まり、ガルシュダッドの様子をうかがう様に見上げたヴィオレットと、目が合った瞬間、花柄に塗りつぶされた。
「・・・ふっ・・・ふぬぅ・・。」
一言で言うなら、『可愛い。』
文章で言うのなら、『このまま結界を張って、このまま魔界に帰らず、このまま二人で暮らしたい。いや、俺はヴィオレットの夫だ、やろうと思えば・・・・いや、無理に引き離せばヴィオレットが悲しむ、ここは我慢だ・・・我慢・・・しかし、この愛らしい表情を、自分だけのものにしたい。誰にも見せたく無い。しかし、そうするには、やはり結界を張って・・・。』
名前を呼ばれただけでこれでは、身がもたない。
嫌なわけでは無い。全く嫌なわけではない。嫌なわけがない。しかし、毎回そんな表情で、しどろもどろになりながら呼ばれては、心臓がもたない。
名ではない何かで、夫を呼ぶ方法・・・
「ヴィオレット・・・名を呼ぶのが難しければ、旦那様でも良いぞ。」
『旦那様』とは、人族が自分の主人を敬って呼ぶ言葉であるが、それと同時に、夫の事をそう呼ぶ者もいると本に書いてあった。
ならば、一先ず旦那様でも良いかもしれないと思った。勿論、主人に対しての『旦那様』では無く、夫に対しての『旦那様』だ。
もしかしたら、ヴィオレットは勘違いをしてしまうかもしれないが、どちらのつもりで言ったのだとしても、言葉は同じ『旦那様』だ。
「旦那様?」
可愛い・・
不安げにこちらを見つめるヴィオレットが、可愛い・・
本当にこのまま・・・
そう思った時、デルタの冷めた声が届いた。
「ど変態・・。」
今回は否定しない。いや、出来なかった。ガルシュダッド自身も最近思考が少し・・・少し危ない方向に向かっている自覚はある。
認める事は簡単だが、この件に関しては、デルタときちんと話し合う必要があるだろう。
ガルシュダッドは、ヴィオレットをそっと床に下ろし、それと同時に、デルタ以外の者に声が聞こえない様に、音を遮断する結界を張った。
これは、他の者達には聞かせられない、重要な話なのだ。
結界を張れば、こちらの音が外に漏れ出す事は無いが、それと同時に外の音も聞こえなくなる。ヴィオレットの事が心配ではあるが、部屋には獣王も居るのだから、大丈夫だろう。
ガルシュダッドは、デルタの方を真っ直ぐに向き、堂々と言い放った。
「何を言う。俺はヴィオレットの夫なのだから、旦那様と言われる権利がある。」
「それは、本人の意思で言うものであり、勘違いさせて言わせるモノでは無いと思うのですが?」
デルタが呆れを含ませた声色で言葉を返しすが、ガルシュダッドは怯む事は無い。
「俺は、名前で呼ぶのが恥ずかしいそうだったから、気を使ったのだ。」
「気の使い方を間違っていると思います。そんなんだから、ミルビーさんに残念と呼ばれるのですよ。」
「だが・・・デルタよ。お前は番いに旦那様と呼ばれたいと、思わないのか?」
途端にデルタは押し黙り、強く拳を握りしめた。
「そんな事は・・・名で呼ばれる方が・・・・ですが、偶になら・・・旦那様・・くっ・・。」
「そうであろう。仕事を終えた後に『お疲れ様でした。えっと・・・あの・・・旦那様』とか、はにかみながら言われたいだろう?」
ヴィオレットが魔王城に来てからガルシュダッドは、ヴィオレットの育ってきた環境や、好みを知る為に、ヴィオレットが今まで暮らしていた屋敷に置かれていた人族の書物を読んでいた。その中には、人族の歴史書や、冒険物語、絵本と様々な物があったが、しかし、女心を知るならば、やはり恋愛小説だろうと、時間を見つけては読み進めていた。そしてデルタも、女心の参考になるならばと、一緒になって恋愛小説をよんでいた。
そして、ガルシュダッドは昨日、デルタは一昨日読んでいた恋愛小説の最後に、色々あって、やっと結ばれ、夫婦となった二人が、新婚生活を始めた最初の日、仕事を終え、疲れて帰って来た夫に、妻が可愛らしいエプロン姿で、照れながら『お疲れ様でした。えっと・・・あの・・・旦那様。』と言うのだ。
今まで名を呼んでいたのに、結婚という固い絆を結んだ事を、夫に実感させるために、妻があえて『旦那様』と呼ぶ。その可愛らしさに、ガルシュダッドは身悶えしたものだ。
同じ本を読んだデルタならば、ガルシュダッドの気持ちが分からない筈がない。
「クッ・・・なんと恐ろしい・・・」
『恐ろしい』と言いながら、その顔は赤く染まり、拳は何かに耐える様に強く、強く握りこまれていた。




