《21》悲しい湯たんぽ
俯くヴィオレットに、魔王陛下の優しい声が聞こえる。
「俺は、最初に言っただろう。『貰いたいところではあるんだが、そう簡単にくれるとは思えないからな、時間をかけてゆっくり説得して貰う事にする』と、俺が欲しいと思ったのはヴィオレットだ。」
そう言って、ヴィオレットの身体がふわりと浮いて、魔王陛下の膝の上に載せられ、力強い腕が優しく包んでくれ、心地良い香りが鼻をくすぐり、暖かな温もりに、鼓動が早くなる。
本当ならば恐れ多いと恐縮すべき所なのだろうが、少しだけならと自分に言い聞かせながら、そっと身体の力を抜いた。
愛だの恋だのといった事は、まだよく分からないが、もしかしたらコレが恋の始まりかもしれない・・・
「ヴィオレットは俺にとって、誰にも渡したく無い、最高の湯たんぽだ。」
湯たんぽ・・・・
ヴィオレットの知識は人族のモノだと言っていた・・・もしかしたら人族と魔族では、違うのかもしれない。
「湯たんぽって・・・。」
「湯たんぽを知らないのか?人族が、冬場によく使う物だぞ。」
冬場によく使う・・・湯たんぽ。
「金属や陶器で作られた容器に、お湯を入れて蓋をした後、布団の中に入れ暖をとるやつだ。勿論、ヴィオレットはただの湯たんぽではない。最高の “湯たんぽ” だ。」
数秒前に考えてしまった事、思ってしまた事を全て消し去りたい。
自分は何を思った??
魔王陛下にとって、自分は少女ですら無く、物でしか無かった。
婚約が結婚になろうと、互いの間にあるのは、対価であり、契約でしか無いはずなのに、夢見てしまった自分が恥ずかしい。そして、湯たんぽに見えていたのなら、目覚めてから、今までの魔王陛下の行動にも納得できた。
湯たんぽだから、一緒に寝ていた。
湯たんぽだから、抱き抱えていた。
湯たんぽだから、今も抱えている。
湯たんぽだから・・・・
勘違いしてしまった恥ずかしさと、物として見られていた悲しさが押し寄せ、気付けば頬をポロリと小さな雫が頬を伝っていた。
契約的な結婚だから、頼りにしてはいけないと思っていた。甘えてはいけないと分かっていた。それでも、少しなら、いざとなったら、助けてくれるかもしれないと、心の中で思ってしまったいた。
しかし、誰が物を助けるのだろう。
「え? ヴィオレット??泣いてるのか???どうした???」
突然泣き出したヴィオレットに、魔王陛下は何故泣いているのか分からない様で、オロオロとするばかりだ。
「すみません・・・何でもありま・・。」
その時突然、部屋の扉からバキッという音が聞こえ、あり得ない物が視界の端から端へと飛んでいった。
宙を舞う木製の大きな扉、それと同時に舞う埃達。
「ガルシュダッド!!!!ヴィオレット様を泣かしたわねえええええぇぇぇ。」
壊した扉の向こう側から現れたのは・・・
「ナティシャ???」
先ほど先頭に立って、魔王陛下を攻めていたナティシャが、仁王立ちをして、鬼の形相でこちらを睨みつけていた。
「ガルシュダッド!!私だけでは無く、ヴィオレット様まで泣かせるなんて、どういう事なのかしら!!」
怒りに震える怒鳴り声が、部屋の中に響き渡り、それと同時に部屋の中にゴロゴロと鈍い低音が響き渡る。
何の音だろうと、顔を上げれば、部屋の中だというのに、天井に黒くどんよりとした雨雲が出来ていた。
天井を覆う雨雲・・・何故こんな所に雨雲が?そう思った瞬間、雨雲の中から光る槍が飛び出し、魔王陛下へと一直線に落ちて来た。
危ないと思うと同時に身体が勝手に動く。
ヴィオレットと、比べるべくもなく大きな身体に、魔素だって魔界で一番強い。そんな魔王陛下を守ろうと思うなんて、痴がましい事だとは分かってる。それに、ヴィオレットの事を “湯たんぽ” としてしか見ていなかった失礼な相手だ。しかし、勝手に身体が動いたのだから仕方がない。
気付くとヴィオレットの身体は、魔王陛下の頭に覆い被さり、魔王陛下の頭をギュッと強く抱えていた。
耳には、ゴロゴロ、バリバリ、と凄まじい音が響いていて、来るであろう衝撃と激痛に身体震えている。
・・・しかし来ない。
確かに凄まじ音が耳に届いているのに、何も起こらない。
恐る恐る顔を上げれば、ヴィオレットの顔の横で何かがブンブンと動き、光を散らしていた。
「な・・・に・・?」
状況を確認しようと、魔王陛下から身体を離そうとしたが、ヴィオレットの背には大きな魔王陛下の手が添えられていて。強くも痛くも無いが、その手は全く動かず、そうなるとヴィオレットの身体も動かない。
「ガルシュダッド!!ヴィオレット様から離れなさい!」
振り向く事は出来ないが、この怒り狂う声はナティシャで間違い無いだろう。
そう思うと、ヴィオレットが抱き抱えている頭から声が聞こえてくる。
「今、離したら、ヴィオレットにまで当たるだろう。ナティシャが先にコレを止めろ。」
「ヴィオレット様に当てるわけないでしょ!!悪の権化だけに当てるわよ!!てか、当たりなさいよ!!」
怒り狂うナティシャとは対照的に、魔王陛下はいたって冷静だ。というか、呆れている様にも聞こえる。
よく見れば、落ちてくる光を散らしているのは、魔王陛下の片手だ。まるで虫でも払うかの様に、パシパシと軽い音を立てながら、手で払い除けている。
「いや・・・自分からわざと当たりに行くのはどうかと思うぞ・・・。」
「私だけでは飽き足らず、ヴィオレット様にまで酷い事をする様な、悪人は、正義の鉄槌の前に自分からその首を差し出しなさい。」
「いや・・・首を差し出したら、流石に死ぬ。それに、ヴィオレットの事は怒られても仕方がないにしろ、ナティシャの事は、俺のせいでは無いだろう。」
「ガルシュダッドのせいでなければ、誰のせいだと言うの!!あんなに愛してあげたのに、ある日突然私を置いて行ってしまったくせに!!!」
最初はヴィオレットが泣いている事を、怒っていたはずが、気付けばナティシャと魔王陛下との話に変わっている。
これは・・・世に言う痴情のもつれというヤツだろうか??
「突然置いて行ったって・・・・俺の魔素にあてられて、体調を崩していただろう?」
「だから何よ!!!あんなに・・・あんなに愛していたのに・・・私を捨てるなんて・・・。」
「いや・・・捨ててないからな。そもそも、そんなに言うのなら会いに来れば良かっただろう?」
「いやよ!!何で捨てられた相手に、わざわざ自分から会いに行かなきゃいけないのよ!!」
話の最中にも、ゴロゴロバリバリ聞こえているが、何故だか話はハッキリと聞こえてくる。
話を聞く限り、互いに愛し合っていたが、魔王陛下の方は、体調を崩してしまうナティシャを思って別れ。ナティシャは、それを捨てられたと思っている。という事だろうか?
それならば、今なら・・・ヴィオレットが居る事で、魔素の制御が出来るようになった、今なら・・・
二人は・・・
胸がギュッと苦しくなった気がする。
「ナティシャと、魔王陛下は・・・もしかして、お付き合いをしていたのですか?」
ヴィオレットの言葉に、ナティシャと魔王陛下が固まった。
それと同時に、部屋の天井を覆っていた雲が、溶け出す様に消えていき、ヴィオレットの背を押さえていた、魔王陛下の手から力が抜けていく。
ヴィオレットは、スルリと魔王陛下の腕の中から抜け出すと、絨毯の上に立ち、いまだに固まったままのナティシャと魔王陛下を交互に見据える。
「ナティシャ、私と魔王陛下の結婚は、利害関係と偶然が重なった結果です。私は・・魔王陛下にとっての・・・湯たんぽ・・・物でしか無いのです・・・・ですから・・・よりを戻しても・・・。」
ゴーン
ヴィオレットが言い終わる前に、重い音が部屋の中に響いた。
その音は、間違いなく拳を握りしめているナティシャと、頭を抱える魔王陛下から聞こえてきていた。




