《19》魔族としての知識
「落ち着いたか?」
魔王陛下に顔面でクッションを受け止められ、落ち着きを取り戻すというより、冷や水を浴びた気分のヴィオレットは、力が抜けた様にボスンと音を立ててソファーに崩れ落ちた。
「・・・申し訳ありませんでした・・・。」
「いや、俺の言い方が悪かった。あの言い方では誤解されても仕方がない。子供扱いされたと思ったのだろう??」
何が誤解だと言うのだろう。魔王陛下は、何も間違ってはいない。ヴィオレットは子供だ。
大人だと思っているのはヴィオレットだけで、つい最近まで言葉は舌足らずで、何度も聞き返される事もよくあった。小さ過ぎる身体は、普通の椅子やソファーに座る事すら、よじ登る事から始めなければならず、何も無い廊下でさえ、少し急げば躓いて転んでしまっていた。
数多くの本を読み、知識を蓄えていても、皆見た目の幼さから、いつもヴィオレットの事を幼女として扱っていた。
屋敷の者達や両親でさえそうだったのだから、まだ会って間もない魔王陛下だってそうに決まっている。
少し成長したから、勘違いしてしまった。
分かっているつもりだったのに・・・ただ、婚約の儀の時、魔王陛下がヴィオレットに、どうしたいのか聞いてくれたから、『君の考えを尊重しよう』と言ってくれたから、少しは大人扱いをしてくれているのだと、勘違いしてしまった。
自己嫌悪に沈み、自然と俯いてしまう。
魔王陛下は、そんなヴィオレットの隣に腰を下ろすと、優しく話はじめた。
「俺は、ヴィオレットを子供扱いしている訳では無い。ただ、ヴィオレットの知識の出所が間違っているだけだ。」
何を言われているのか分からない。
知識の出所・・・?
慰めてくれているつもりなのだろうが、意味が分からない。
眉間に皺を寄せながら顔を上げれば、思いのほか近くに魔王陛下の顔があり、その瞳が憐れむ様に揺れていた。
「はっきり言えば、君は、魔族でありながら、魔族の知識がほぼ無い。」
「・・・・は?」
言われている意味が分からないかった。
ヴィオレットの両親は魔族だし、屋敷で働いていた者達も魔族だった。むしろ城に来て、デルタと会った時が、初めて、魔族以外の種を見た時だった。
「ヴィオレット、君の両親であるラルグランとイライザは、君が産まれる数年前から、人族の上流階級の事を学び、人族の貴族と同じ生活を送っていた。」
「・・・・はぁ・・・。」
気の抜けた言葉しか出なかった。
両親が人族の貴族と同じ生活を送っているから、何だと言うのだろう。
「当然、屋敷の者達はそれに合わせ働いていた。」
合わせて働いていた?
両親が人族の貴族なら・・・屋敷の者達は、当然メイドや執事、庭師に料理人・・・使用人として。
だから何だと言うのだろう?
それでも魔族は、魔族のはずだ。
「ヴィオレット、もしも床に水が溢れたらどうする?」
何故そんな事を聞かれているのか、分からない。分からないが、何か意味がある事なのだろう。魔王陛下の目はとても真剣で、冗談を言っている雰囲気では無い。
「誰かを呼んで拭いてもらいます。」
「そうか、そうだな。では、その誰かは、どうやって拭く?」
「布を持って来て拭きます。」
「どうやって?」
「手で・・・?」
「何故?」
何を聞かれているのか分からない。溢れた水をそのままにしておけば、滑って転げたり、服が濡れたり、シミになってしまうかもしれない。だから拭く。そこに疑問など湧きようが無いと思う。
「魔法を使えば一瞬で終わるのに?」
一瞬何を言われているのか、分からなかった。
「え?」
「魔法を使えば、手が汚れる事も無ければ、乾かす手間も無いのに?」
よく考えれば、そうだ。本の中に出てくる魔族達も、魔法を使い一瞬で様々な事をしていた。
ヴィオレットは、魔素が無かった為に、魔法は全く使えなかったが、普通の魔族なら、手で拭くよりも魔法を使う事を真っ先に思い付くはずだ。
なら・・・この知識は・・・・
簡単に出てくるこの知識は・・・・
・・・全て本の中と同じ・・・
本の中では、偶に他の種族の話も出てきていた。獣族の話、魔族の話・・・・そして勿論、人族の話。
自分は、その話しをいったい、どの種族の立場で見ていたのだろう・・・
そう思うと、身体が勝手にカタカタと震え出した。
自分が今まで普通だと思っていた事が、全て間違ってる?
ヴィオレットは、物語が好きだった。家から出られなくとも、何処か遠くの異国を見る事ができる。幼い姿でも、恋や冒険をしたり、数多くの主人公や脇役の心情を知る事のできる。物語が好きだった。
そして、それらの物語の中で紡がれる、生活や人との関わりに、違和感を感じる事が無かった。
三つの種族は、似ているが違う特徴を持っている筈だ。それは、見た目だけでは無い。生活習慣や、モノの考え方、生活環境・・・全く違う訳では無いが、全く同じでは無い。
その事を当然理解していた、理解していると思っていた・・・
「ヴィオレット、多少動揺・・・・かなり動揺しているようだが、深く考える必要は無い。」
深く考える必要が無い???
今まで生きてきて、今まで普通だと思っていた事が、常識だと思っていた事が、間違っていると言われたのだ。足元がガラガラと音を立てて崩れ落ちる様な感覚に、目眩がする。
「よく考えるのだ、君は魔族だ。これから、今まで生きた時間の50倍は生きる。ゆっくりと知っていけば良いだけだろう。」
「え?」
50倍・・・・産まれてから今まで、20年の時を生きてきた・・・
えっと、50×20は・・・
「100年も生きるのですか?」
「何を言っている。計算くらい出来るだろう。50×20=1000だ。」
「えっと、100年ですよね?」
「だから1000年だ。何故0を一つ消そうとする?」
魔王陛下が嘘を言っているとは思ってはいない・・・だが、それはヴィオレットにとって、受け入れ難い事だった。
ヴィオレットはつい最近まで、自分の命は後数年で終わるだろうと思っていたし、そうでなくとも、100年生きられれば長生きだと思っていた・・・しかしよく考えれば、それも、そんな事さえも本の中の知識・・・人族の知識が元となっている。
人族の長寿のとされる年齢が、100歳前後・・・
魔族は、1000年・・・
100に0を一つ足しただけなのに、その一つの0が重く、途方も無く感じる。
「1000年・・・・」
「あぁそうだ。だから、ゆっくりと学んでいけば良い。それに、しばらくはこの城も、人族風にする事にしたからな、戸惑う事は少ないはずだ。」
そう言って大きな手がヴィオレットの頭に乗り、ゆっくりと髪を滑っていく。
「それに、俺の事もゆっくり知ってほしい。俺は、ヴィオレットの夫なのだから。」
魔王陛下の優しい声、頭を撫でてくれる優しい手、心配しながらも安心させようとする、優しい笑顔。
そのどれもが、今のヴィオレットには、痛みと共に深く突き刺さっていた。
夫・・・
それは、ヴィオレットが儀式の最中に余計な一言を言ったからだ。魔王陛下が望んだ事では無い。
分かっている。分かっているが、自分の知っている事、知っていると思っていた事のほとんどが違うと言われ、暗闇に突き落とされた気持ちのヴィオレットは、すがりたかった。
魔王陛下の “夫” という言葉に甘えたかった。
しかし、それは出来ない。魔王陛下をこれ以上利用してはいけない。
魔素を分けて与えてもらって、守ってもらっている。寂しいから、不安だから、怖いからと、甘えていい相手では無い。
ヴィオレットは、自分のスカートを強く握りしめた。
「申し訳ありません。」
「どうした突然?」
「婚約のはずが・・・私が余計な事を言ったせいで結婚になってしまって・・・。魔王陛下に好きな相手が出来ましたら、直ぐに離婚いたします。いえ、今から離婚していただいても、大丈夫ですから。」
その瞬間、何故だか魔王陛下の頬が赤く染まった。




