《13》婚約の儀
静かな部屋の中で、魔王陛下のボソリとした小さな声が響いた。
「やっぱり、嫌なのだな・・・」
何故か、魔王陛下がお菓子を取り上げられた子供の様に見え、一瞬可愛いと思ってしまった。
しかし、今はそんな事より魔王陛下の誤解を解く方が先だ。
「いえ、嫌なのでは無く・・・何を言ってるのか、分からないので・・・」
魔王陛下は、一緒に言ってほしいと言っていたが、意味の分からない言葉の羅列を聞きつつ、それを間違えずに一緒に言う事は、ヴィオレットには無理だ。というか、そんな事を出来る者が居るのだろうか?
「分からないとは?」
「えっと、もっとゆっくり言ってもらえれば・・・」
言い終わらないうちに、魔王陛下は何故か、目を見開き驚愕の表情で、父の顔を見た。
それにつられて、ヴィオレットも父の顔を見ると、父は何故か目を合わせない様に、天井に目を向けていた。
「ラルグラン、お前、娘を手放す気が無かったのか?」
魔王陛下の呆れ声に、父はゆっくりと視線を上から下へと移すと、ボソボソと小声で話始めた。
「だって・・ヴィオレットは、成長がゆっくりで・・・成魔族になれるか、分からなかったし・・・それなら、教える必要は無いかなって・・・。」
いつもの父の堅い口調は崩れ、指先をもじもじとしている。
初めて見る父の様子に驚きながら母を見れば、苦笑いを浮かべていた。
「ごめんなさいね、わたしが教えてあげれば良かったんでしょうけど、コレは父親の役目だって言われてしまって。」
何の事を言われているのか分からず、視線をキョロキョロと動かしていると、魔王陛下が大きな溜息を漏らした。
「さっきの言葉は、婚約をする為の言葉だ。魔族の子供は、親か親代わりの者から教えられるはずのもので、コレが出来ないと、普通の魔族では婚約が出来ない。」
何故だろう。婚約はヴィオレットを守る為に、魔王陛下の好意でするだけのはずなのに、出来ないと言われると、少し寂しい気がする。
それが表情に出ていたのか、魔王陛下はヴィオレットの左手を両手で優しく包み、微笑むと、ヴィオレットにそっと顔を近づけた。
最初に見た時には、鋭く冷たい印象だった黒瞳が、今は柔らかくて感じられ、その瞳に映っているのが自分だと思うと、何故か気恥ずかしくなり、自分の鼓動が少し速さを増すのを感じる。
「ヴィオレットは、俺と婚約したいか?」
内緒話をするように、そっと言われた言葉は、優しくヴィオレットの鼓膜を揺らす。
「でも・・・・出来ないのですよね?」
「出来るか、出来ないかではない。したいか?と聞いている。」
婚約は、ヴィオレットが他の者達に害される事の無いようにと、形だけの婚約のはずだ。それに先程、婚約すると答えたのに、何故今更そんな事を聞かれているのか、分からない。
分からないのだが・・・何故か魔王陛下の言葉に、ただの形だけの婚約では無い、もっと違う何かを感じる気がする。しかし、それが何なのか分からない。それでも答えは決まっている。
「はい・・・したいです。」
まだ聞き慣れない、舌足らずではない自分の言葉が、戸惑いながらもハッキリと答えていた。
魔王陛下は、ヴィオレットの返事に、優しく微笑む。
「では、これからは、俺が君を守ろう。俺のヴィオレット・・・。」
途端に、足の先から頭の先まで、急激に体温が上昇した。自分では見る事は出来ないが、きっと真っ白肌は、隠しようも無いほど赤みを帯びている事だろう。
これは、この言葉には、愛だの恋だのは全く無い事は分かっている。そもそも、見た目が人間の6歳ほどの少女なのだ、そういう対象には、なりえない。それでも20年という月日を生きてきて、精神だけは歳を重ね、数多くの物語を読みふける毎日を送っていた為に、魔王陛下の言葉が、物語の中の王子様が愛を囁くセリフと重なり、思わず心臓がドクリと大きく跳ねた。
それを見た魔王陛下は、一瞬目を見開き驚いたものの、直ぐに優しい笑みに戻ると、小さな声でブツブツと何かを唱え始めた。
魔王陛下の小さな声は、小さ過ぎて、両親の耳には届かない。
母が父を責めている声がする。
「早く教えてあげて下さいと、何度も言ったじゃないですか。」
両親は、ヴィオレットの背中とソファーの間で、顔突き合わせ話をしていて、魔王陛下とヴィオレットの手元を、見てはいない。
父が母に、反論している声がする。
「だがなぁ・・・ヴィオレットは人間年齢の2歳ほどの姿にしか、なれなかったんだぞ。そんなヴィオレットと婚約したいなど、幼児趣味の変態だけだろう。間違ってそんな変態に捕まらないためにも、教えなくて正解だったのだ。」
陛下に包まれた手がほんのりと暖かくなり、自分の手が淡く光り出した。その間も魔王陛下はブツブツと何かを唱え続けている。
「ですが、そのせいで、婚約を飛ばして結婚なんて事になったら、どうするのです。」
そんな、母の言葉を耳の端で聞いてはいたが、それよりも、自分の目の前で起きている事から目が離せなかった。
魔王陛下と繋がれている左手が、キラキラと白い光を放ち、徐々に明るさを増していく、それと比例する様に暖かな何かが流れ込んでくるを感じていた。嫌な感じはしない。魔王陛下に魔素を初めて貰った時の感覚に似ているが、それよりも暖かく、包まれる様な感覚。
「婚約なんてしなくても良いだろう。魔王陛下の住まうこの王城で、魔王陛下と私が守っていれば、何の問題も無いはずだ。」
両親は、まだ気付いていない。
魔王陛下は、ブツブツと唱えながらも、視線をそらす事なくヴィオレットを見続けている。
何をされているのか分からないのに、何故か握られている手を振り払う事ができない。
何を言っているのか意味が分からないのに、何故か答えなくてはと、思ってしまう。
でも、何を言えば良いのか分からず、代わりに握られていない方の右手を、そっと魔王陛下の手に添えた。
その瞬間、一つの言葉が口から溢れ落ちた。
「トリュシュレッド・・・・」
その言葉が何なのか知らない。
意思を持って発した言葉では無い。
ただ、口からこぼれ落ちたのだ。
その瞬間、ガラスにヒビが入る様な、メキメキという高音が響き渡り、次の瞬間パリンという破裂音と共に、重ねている手から、激しい光が発せられた。
目を開けていられないほどの閃光が部屋を包み込み、光が落ち着いた頃、そっと目を開くと・・・
さっきまでの優しい笑顔が嘘の様に、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる魔王陛下の姿があった。
「え?」
「トリュシュレッドとは、随分大胆なのだな。」
「え???」
「ともかく、これで君は私の妻だ。」
「はぁ・・・・?」
「これから、よろしくな。我妻よ。」
「えっ??はぁ??はああぁぁ??」
あの長い、意味不明な言葉の羅列が言えなければ、婚約は出来ないのでは、なかったのだろうか?
そもそも、結婚では無く、婚約だったはずだ。妻とは、どういう事なのだろう??
ヴィオレットが口から零した言葉は、意味の分からない長い長い言葉の羅列では無く、たった一言だけだ。それなのに、どういう事なのだろう?
そう思ったものの、その事を口に出す前に、耐え難い睡魔に襲われ、そのままふわりと握られていた手の方へと身体が倒れていく。
まだ気になる事がある。というか、あり過ぎるのに、意識はあっという間に暖かな闇のなかへと、引きずり込まれていった。
この世界で暮らす、魔族、人族、獣族には、それぞれ得意なものがあるように、苦手な事もある。
魔族は何かを発想する事が苦手だ。
ドレスを作る事はできても、デザインを考える事が苦手だ。
歴史書を書く事はできても、物語を書く事が苦手だ。
料理は作れても、新たなレシピを生み出す事が苦手だ。
ヴィオレットは、その珍しい見た目のせいで、屋敷やら殆ど出る事が出来ず、本を読んで生活していた。
ヴィオレットの知識の大半は、人間が人間の為に、人間の常識を元にして書いた物語。
だから、ヴィオレットは、魔族の婚約がどうやって結ばれるのか、魔族の結婚がどうやって結ばれるのか、そして、魔族にとっての結婚と婚約がどういうものなのかを、知らなかった。




