《10》魔王の待ちぼうけ〈ガルシュダッド〉
ガルシュダッドは、ふかふかのソファーに深く腰掛け、部屋の中をボンヤリと眺めていた。
目の前のソファーには、日頃見慣れているラルグランドと、殆ど会った事の無いラルグランドの妻であるイライザが腰かけているが、2人とも落ち着きが無く、ずっとソワソワと部屋の扉を眺めている。
「お前達、少し落ち着いたらどうだ?」
自分の前で、落ち着きなく過ごす者など、沢山見てきた。
この部屋は、依頼を受ける部屋でもあるため、訪れる者は願いを叶えてもらえるか、不安と緊張をかかえているのと同時に、魔王であるガルシュダッドの魔素に当てられ、居心地悪いと感じている者達だ。
しかし、今、目の前に居る2人は違う。ガルシュダッドの魔素に当てられている訳ではなく、単に自分達の願いが叶ったという報告に歓喜し、その確証を早く自分の目で確認したいと、落ち着かないでいるのだ。
依頼の成功を、この部屋で知る者は少なく、しかもそれを、ガルシュダッドがのんびりと待つ事は、まず無い。魔王の受ける依頼は、魔王で無ければ受けられない依頼であり、それほど過酷であるから、終わった後は、相手の御礼より自分の休息を優先したい。
と、いう建前で、後処理はラルグランに任せてしまっている。
「落ち着ける訳無いでしょう。私が娘を最後に見たのは、ミルビーに連れ去られる姿なのですから。」
ミルビーは、ヴィオレットを着替えさせる為に、部屋から連れ出しただけなのだが。ラルグランドには、成長した娘を真っ先に抱きしめようとしたにも関わらず、ミルビーに連れて行かてしまったと思ったのだろう。
「貴方は、良いではないですか、成長したヴィオレットを見ているのですから、私はまだ見てすらいないのですよ、聞いただけでは安心できません。」
イライザは、頬を膨らませて、子供の様に不満を表現している。
イライラし始めた2人は、ついにガルシュダッドを睨みつけると
「「まだですか」」
と、口を揃えた。
そんな事を言われても困る。ガルシュダッドだって待っている身なのだから。
ガルシュダッドは、ソファーの背に身体を預け、二人に大きな溜息を投げつけながら、待っている時間のもどかしさを紛らわす様に、ヴィオレットの事を考え始めた。
最初に見た時の印象は『小さい』だけだった。
外套を被った小さな塊が、ラルグランの背後からそっと現れた。
『これが、ラルグランの言っていた、真っ白な娘か・・・・さて、どんな者か・・・』
ただ白いだけの、小さな子供が出てくるのだろうと思っていた。
魔界では、あまり居ないとはいえ、子供を見た事はある。騒がしく好奇心旺盛で、滅多に産まれないせいで、親に甘やかされている者が多く我儘。それでいて小さくて壊れそうだ。
ガルシュダッドは、あまり子供が好きでは無かった。
だから、白いだけの子供に大した興味は無かったのだ。ただ、ラルグランに頼まれたから、会うだけ会ってみようと思っただけだ。
しかし、外套を脱いだ小さな塊を見た瞬間、全身が震えた。
“何だ、この生物は!!!”
口には出さなかったが、目は、白い塊に釘付けとなった。
この感情を何と言っていいのか分からない。ただ、欲しいと思った。側に置いて愛でていたいと。
『はじめましゅて、 えるばるしゅけ ちょうしょ うぃおれっと・えるばるす ともうしましゅ。』
“初めまして、 エルバルス家 長女 ヴィオレット・エルバルス と申します。”
辛うじて聞き取れるほど、舌足らずな声は、甘く心地良く耳に届き、ガルシュダッドの思考を塗りつぶした。
“可愛い”
今まで、思った事も無かった始めての感情に、驚き、固まっていると、ラルグランの咳払いが聞こえ、慌てて取り繕う様に
『城門は、怖く無かったか?』
と、聞いた。
聞いた後で後悔した。
自分は何て事をしてしまったのだろう。城門に全力の魔素を注ぎ込んでしまった。大人でも怯えて逃げ出す程の魔素だ。もし、少しでも怖がらせてしまっていたら・・・
そう思うと、胸がギュッと締め付けられる。
しかし、ヴィオレットの反応は意外なもので、何の事を言われてるのか分からないとばかりに、首を可愛らしくコテンと傾げたのだ。
どうやら、怖がらせる事は無かった様だと安心すべき所なのだが、何故か更に胸がギュッと締め付けられ、思わず口から何かが溢れ落ちそうになり、慌てて手で口を塞ぎ、目をそらした。
『あい、だゆじょうびゅでしゅ』
“はい、大丈夫です。”
の可愛らしい返事が聞こえ、そっと盗み見れば、顔を真っ赤にして、目を潤ませこちらを見ていた。
“可愛い・・・可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い・・・・心臓が痛い・・・”
気付けば、心臓が早鐘の様に鳴り響いている。慌ててまた視線を逸らせば
『大丈夫だ、陛下はヴィオレットの可愛らしさに、戸惑ってらっしゃるだけだ。』
慰めるラルグランの声が聞こえてくる。
間違っていない・・・間違っていないが、それを本人に伝えるのは、止めてほしい。
『陛下、引き受けていただけますか?』
ラルグランの言葉が、“断るなよ!!” と、聞こえるのは、気のせいでは無いたろう。
しかし、魔素を与えるという事は、賭けだ。
いくら城門の魔素に、恐怖心を抱かなかったからと言って、直接与える魔素も大丈夫とは限らない。傷つけてしまうかもしれない。しかし、魔素を与え無ければ、いずれ死んでしまう。
失ってしまう?
白い塊を・・・・彼女を・・・・ヴィオレットを・・・・
そんな事は耐えられない。
それと同時に、仄暗い感情がそっと湧き上がる。
失うくらいなら、いっそ自分の魔素で染めてしまいたい。
そんな自分の思考に呆れてしまい、思わず大きな溜息を吐き出すと、気を取り直し、口元から手を離して、手招きをする。
ヴィオレットを傷つけるわけにはいかない。こんな一瞬の出会いで満足できるわけがない。もっとずっと一緒に居たいのだから。
これからする事は、彼女を自分の魔力で染めるためでは無い。彼女を生かし、自分を彼女の糧としてもらうためだ。
心の中で、そう強く意気込みながら、恐る恐る目の前に近づいくるヴィオレットを見ていた。
そうして、目の前に立ったヴィオレットは、本当に小さく、今まで見てきた子供と言われる存在よりも、更に壊れてしまいそうなほど儚げだ。しかし、その瞳には力強い覚悟が見えた。
『今からお前に触れるが、キツイと思ったら直ぐに言え。絶対に無理をしないと約束しろ。』
そう言って、出来うる限り限界まで、自分の魔素を抑え込み、そっとヴィオレットの前に差し出すと、ヴィオレットは一瞬戸惑った顔をしたものの、直ぐに力強く頷き、そっと小さな手が自分の手に乗せられる。
その瞬間、身体からフッと力が抜けた。
今まで、強力過ぎる魔素を、辛いと感じた事は無い。
近くに居る者達が、自分の強力過ぎる魔素のせいで、溢れ出してしまった魔素に耐えきれず、体調を崩す事はしばしばあったが、自分自身は、何とも無いと思っていた。
しかし、ヴィオレットが触れた瞬間、ずっと息苦しさの中で生きていたのだと知り。
まるで水中から引き上げられたかの様に、息苦しさから解放され、暖かな温もりに包まれた。
それと同時に、一度知ってしまったこの温もりを手放したく無いと強く思ってしまった。
『ヴィオレット!!』
ラルグランの慌てる声が聞こえ、我にかえると、首元にヴィオレットの小さな腕が巻き付いている事に気付く。
“あぁ、温もりは、この子だったのか・・・”
そう思うと、自然と手がヴィオレットの頭に伸びて、優しく、壊さない様にと撫でていた。
暖かな温もり・・・
その心地よさをを思い出していると、部屋の扉がノックされ、現在へと引き戻させた。
思い出すよりも、本当に触れる事が出来る方が良いに決まっている。
「入れ。」
普通に言ったつもりが、その声は少し浮かれていた。しかし現在、部屋の中に居る者達が、その事に気付く事はないだろう。
なにせ、この部屋の中に居る者達は、皆ヴィオレットが来るのを待ち望み、今はノック音のした戸が開くのを、今か今かと待ち望んでいるのだから。
部屋の扉がゆっくりと開く。
選んだ服は、気に入ってくれただろか
どの服もきっと、とても似合う筈だ
早く見たい
そんな思いが駆け巡り、扉が開ききるのを固唾を呑んで待っていると、扉の隙間から、キラリと光ものが覗き、それがゆらゆらと揺れながら現れた。
・・・・
「「ちがーーーう」」
ヴィオレットの両親の叫び声が、部屋中に響いた・・・
現れたのは、金色の毛並みを持つ、デルタであった。
「急ぎの書類を持って来たのですが、どうされたのです?」
キョトンとした顔をしているが、ガルシュダッドには、分かっている。
(わざとだな・・・)
一瞬だけデルタの眉がピクリと動いていた。笑いたいのを我慢しているのだろう。
一方大声を上げたラルグランとイライザは、崩れる様にソファーに戻り、デルタを睨みつけていた。




