30 逃走
はぁ。
足裏に石畳の感触。大勢の声。食べ物の匂い。
師匠の魔法で、一瞬にして雑踏の中に放り込まれていた。
ダニエルの腕と肩に手を回して、慌てて道端に寄る。
そこに、ドンという音と共にトランクが落ちてきた。
ふぅ。
師匠って、あんなにせっかちだったっけ?
昔はもうちょっと話を聞いてくれていた気がするんだけど。
それにしても、精霊王様も師匠も、転移魔法が得意な人は相手の話を聞かないな。
「ママン。ここどこ?」
「え? ええと。そうね。割と大きな街みたいね」
……師匠。せめて街の名前とか、どの地方にあるとか、そういう情報をくれてから転移させてほしかった。
「ママン。さっきぼくがつかまったからにげたの? ぼくのせい?」
「まあ、違うわよ。元々ここに来る予定だったのよ? だからおばあさんが魔法で送ってくれたの」
「ほんと?」
「ええ! それよりもほら! こういう大きな街には、とっても素敵な部屋を貸してくれるところがあるの。さっきのおばあさんの家も広くてびっくりしたかもしれないけれど、もっと素敵な部屋があるのよ? 行ってみたいと思わない?」
「いってみたい!」
「じゃあ、しゅっぱーつ!」
「うん!」
ひとまず二、三日落ち着けるところを探そう。
奮発してゴージャスな部屋に泊まろるわよ!
◇◇◇ ◇◇◇
カフェでお腹を満たした後に情報収集するのが癖になってしまったかも。
この街でも可愛いダニエルのお陰で、「お子さん連れでも安心して泊まれると思います」と、高級宿を紹介してもらえた。
お礼はダニエルのエンジェルスマイル。ふふふ。
教えてもらった宿はさすが高級宿だけあって、受付のお姉さんが愛想よく対応してくれた。こちらの質問にも親切に答えてくれる。
それでも、恥ずかしそうに私の後ろに隠れるダニエルの可愛らしさにやられたらしく、「ごゆっくりお寛ぎできるよう、当宿の一番広いお部屋にご案内しますね」と、アップグレードしてくれた。
ゆっくり考え事がしたかったので助かる。
さすがに夕方なのでお昼寝をさせる訳にもいかない。
かといって夕食には早い時間なので、どうしようかと考えていたら、「おそとにいこう!」とダニエルに袖を引っ張られてしまった。
「今日は疲れたからゆっくりしましょう」
「だいじょうぶだもん! まだまだげんきだもん!」
「だーめ。しばらくはこの街にいるんだから、今日慌てて行かなくてもいいでしょう? 明日も明後日もお出かけするんだから」
「えー!」
「それよりも、ほら。ここのお布団はふかふかよ? ベッドもほら! こんなに弾んで!」
そう言ってベッドに座って弾ませると、「うわあ!」とダニエルがくいついた。
ベッドの上を転がっているうちに眠たくなってしまったらしい。あっという間に寝息を立て始めた。
夕食前に寝てしまうと夜なかなか寝付かないかもしれないけれど、今日は色々あって疲れたものね。三十分だけ寝かしてあげよう。
――さてと。
何の当てもなく、ただ一欠片の記憶を頼って師匠の元に行ったお陰で、記憶を取り戻せて事態も飲み込めた。
筆頭魔女に未練はない。魔女の館に帰りたいとも思わない。
「私の帰るところは家族のいるところだもの」
エイダンとダニエルの側にいるだけでいい。
……あぁエイダン。
何かあればいつだって二人で相談して決めていたのに。
どうして今、側にいてくれないの?
「エイダンとの思い出がたった五年間しかないなんて。寂し過ぎるわ」
彼とは不思議な縁だと思う。
筆頭魔女として出会っていたならば、お互い記憶にも残らない存在だっただろう。
「シングルマザーかぁ」
ベッドではダニエルがすやすやと寝入っている。
「この子だけは絶対に守り通さなくっちゃ」
アリソンとの揉め事にダニエルを巻き込む訳にはいかない。
ダニエルを危険な目に遭わせることなく決着をつけなければ。
◇◇◇ ◇◇◇
この街に来て五日目の朝。
街の目ぼしいところはあらかた見たし、気になるカフェも制覇した。
宝石も追加で換金できたので、そろそろ旅立つ時かもしれない。
目指すはもちろん精霊王様のところだ。
ペンダントを外してもらわなければならない。
それなのに――。
「ねえ、ママン。そろそろパパンをむかえにいこうよ」
ダニエルに一番触れてほしくない話題を持ち出されてしまった。
「ええとね」
どうしよう。何て答えるのが正解?
「まずは朝ごはんを食べましょう。昨日のカフェに行く約束だったものね」
また先送りしちゃった。
「うん! アレおいしかったから、もういっかいたべる!」
それでも純真なダニエルは、元気よく返事をしてくれた。
ダニエルは昨日のカフェで食べたデニッシュがことさら気に入ったらしく、「ママン! あしたも行こようよ!」とねだれられたのだ。
だからそのことを思い出してウキウキしているんだと思う。
◇◇◇ ◇◇◇
デニッシュはたくさん種類があるのに、ダニエルは昨日と同じカスタードにアプリコットが乗ったものを食べている。
私も結局昨日と同じオレンジのブリオッシュを手に取っているから人のことは言えない。
「ねえ、ママン。きょうはなんだかひとがおおいね」
「……? そうね。言われてみれば少し騒がしいわね」
本当だ。全然気が付かなかった。
窓際の席なので外の様子がよく見えるが、通行人を押しのけて移動している集団がいる。
……え?
一糸乱れぬ隊列。見覚えのある制服。
「騎士?」
「きし?」
ダニエル、覚えなくていいのよ、その単語は。
滞在中、店員との何気ない会話から、この街は王都からかなり南下したところにある中規模の街だと分かった。
ここより南はポツポツと小さな町がある意外、ほぼ農村だ。
こんなところに王宮の騎士が派遣されるなんて……。
「ダニエル。お腹いっぱいになった?」
「うん!」
不穏な空気を感じたので宿に戻ることにした。
◇◇◇ ◇◇◇
宿に戻ると、顔馴染みとなった受付の女性の態度が一変していた。
「あの――お客様。マリラ様」
「何かしら?」
「その。今日は――この後のご予定をお伺いしても?」
「……?」
女性が手元をチラチラ見ながら聞いてきた。
これまで一度も聞かれたことがないのに。
「あれえ? ママン?」
ダニエルの視線の先には壁に貼られた似顔絵があった。
嘘でしょう?!
「ねえ、ママンににてるよね?」
似てるなんてもんじゃない。
私のことをよく知っている人間が描いた手配書だ。
え? 私、国中に手配書が配られていたの?
……あ、それでか!
「きょ、今日は、ええと。予定が変わったので、ちょうど出発しようと思っていたところです。これから荷物を整理しようと思いますので。あ、一週間分払った代金は返金不要ですから!」
それだけ言ってダニエルの手を引いて部屋に駆け込んだ。
ヤバい。ヤバい。ヤバい。
従業員全員にバレている。
おそらく今頃誰かが騎士を呼びに行っているはずだ。
私一人なら別にどこに連れて行かれても平気だけれど、今捕まったらダニエルが乱暴に扱われるかもしれない。
それだけは耐えられない。
あー、転移魔法を習得しておくんだった‼︎
そうだ。精霊王様のところに逃げ込めば誰も追ってこられないはず。
そしてあそこで転移魔法を練習しよう。
精霊王様なら魔法に詳しいだろうし。
うんうん。そうしよう。
「ねえ、ダニエル。精霊王様に用ができたから、またあそこに行こうと思うの。ダニエルも娘さんと友達になったのよね?」
「うん! そっか。またあおうっておわかれしたけど、すぐにあえるんだね」
「そうよ。じゃあ、荷物を持って行きましょう」
「うん!」
精霊王様の里に人間がちょくちょく顔を出していいものか分からないけれど背に腹は代えられない。
「精霊王様ぁ!」
そう呼びかけて、ここにいますと魔力を放出する。
「おう? 魔女か。どうした?」
「精霊王様。またお願い事ができたんですけど、そちらにお邪魔してよいですか?」
「おう? 構わんぞ」
「ありがとうございます」と言い終わった時にはもう精霊王様の里にいた。
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