27 【とある農夫視点】瀕死の男
マリラがドワテ村を追われ旅をしていた頃、マイセン王国の南方に暮らすある農民一家の日常に異変が生じていた。
「父ちゃん! なあ、父ちゃん!」
「ん? 今日は早起きだな。あー、いい天気だ」
「父ちゃん! 大変だよ!」
「なんだ? 鶏が卵を産んでいなかったのか?」
「違うよ! 人が、男の人が倒れてるんだ!」
「は?」
「いいから来てよ!」
息子に袖を引っ張られて外に出たが、倒れている人間はいない。
「お前――」
「あっちだよ。川縁にいるんだ!」
……川か。じゃあ谷から落ちたんだろうな。ごくたまに上流から死体が流れつくことがある。
七歳の息子には早すぎるか。いや、もう分かる歳だな。
「あのな。それはな――」
「父ちゃん! あそこ!」
息子の指さす方を見ると、四つん這いになった男がフラフラと立ち上がろうとしてできず、地面に転がる様が見てとれた。
「生きているのか! よしっ。俺が家まで連れて帰るから、お前は先に戻って、母ちゃんに着替えの準備をするように言っておいてくれ!」
「分かった!」
あんなにふらついていちゃ、また川に落ちちまうぞ。
「おーい! そこのあんた! 今そっちに行くからー! そこでじっとしていな!」
叫びながら走ったが、男は聞いちゃいない。
相変わらずよろよろと這うように動いている。
男の側に駆け寄り腕を掴むと、ようやく俺の顔を見た。
腕がかなり冷たい。全身が冷え切っているようだ。こりゃあかなり危ないな。
「事情は後で聞く。とりあえず家で休むといい」
男の目は虚で返事もない。
意識が朦朧としているのかもしれない。
男の腕を肩に回して体を支え、引きずるようにして家まで帰った。
◇◇◇ ◇◇◇
妻と二人がかりで着替えさせ、頭から毛布に包んでやると、男は眠ってしまった。
「父ちゃん。死んだりしないよね?」
「ああ。体をあっためてやりゃあ大丈夫だ」
「アンタたちはさっさと朝食を取って畑に行きな。この人のことは私が見ておくからさ」
「そうだな。持っていたのはほとんどが銅貨だったから盗んだ金じゃないだろ。悪そうな人間にも見えねえし大丈夫だか」
まあ、万が一男が向かってきても大柄な妻なら、瀕死の男一人くらいフライパンで撃退できるだろう。
「うん――分かった」
「なんだい? その返事は。心配いらないから母ちゃんに任せときな。お前は父ちゃんの手伝いをちゃんとやるんだよ」
「うん」
◇◇◇ ◇◇◇
畑仕事を終えて戻っても、男は眠ったままだった。
男が目を覚ましたのは夕食を取っている時だった。
「おい、あんた! 大丈夫か? どこか痛いところはあるか?」
「……」
「まさか口がきけねえとかじゃないよな?」
「……」
男はポカンとした顔で俺のことを見返すだけで一言もしゃべらない。
「なあ。本当にしゃべれないのか? 名前は? どっから来た?」
「名前?」
「しゃべれるんだな! そうだ。名前だ。何ていうんだ?」
「名前――」
「そうだ。名前!」
「…………その…………分かりません」
「は?」
俺たち家族が三人とも絶句すると、男の方が質問してきた。
「あの。ここはどこですか? どうして私はここに?」
知るかよ。
「父ちゃん。この人――大丈夫なの?」
「ねえ、アンタ。この人、頭を打っちまって、それで――」
妻は言葉を飲み込んだが、きっと、「おかしくなったんじゃないか」とでも言いたかったんだろう。
「あんたはおそらく、上流にある谷から川に落ちたんだと思う。それでここまで流されてきたんだな、多分。俺の息子が川縁に流れついたあんたを見つけたんだ」
「落ちて、流されて――川縁に――私は記憶を失って――あれ? そんな話を前にしたことがあるような……」
こいつ何を言ってんだ?
「あんた、大丈夫か? いや、大丈夫じゃねえな。でも困ったな」
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけして」
「いや、まあ。こういうのはお互い様だからな。だけど自分の名前も分かんねーとなると、どうしたもんだか」
「本当に申し訳ありません。お礼をしようにも、私の家族がどこにいるのか――いえ、家族がいるのかどうかも分かりませんし……」
そうだな。家族がいるなら今頃心配しているだろうな。
「あんたを探しているかもしれねーな。あんたには妻と子がいるのかも知れねえし、はたまた年老いた親の面倒を見ていたのかも知れねえ。せめて無事だってことを知らせてやりてーがな。どうしたもんかな……」
「なあ、アンタ。昔から『人探しをするならサファール自由区』って言うじゃないか。来週には行商人が来るはずだから頼んでみたらどうだろう?」
「そうだな。年恰好と人相だけでも手掛かりになるに違いねー。あんたみたいに綺麗な金髪は見たことがねーからな。瞳もくっきりした青色だし。そんななりじゃなくて綺麗な格好をしていたらお貴族様だと思うぜ?」
「サファール自由区……」
男がポツリとつぶやいた。
「お! 知ってんのか?」
「はい。聞き覚えがあります」
「じゃあ、ここがマイセン王国だってことは分かるんだな?」
「え? マイセン王国? 私がマイセン王国に?」
「何だよ。国の名前はピンとこねーのかよ」
「父ちゃん! まだ気がついたばっかりなんだから仕方がないよ」
「まあ、そうだな。とりあえず尋ね人の情報を集めるしかなさそうだな。その依頼料だけど、あんたが持っていた金から払ってもいいよな?」
さすがに家にそこまでの余裕はない。
「え? お金? 私はお金を持っていたのですか?」
「ああ、これだよ。見覚えはあるかい?」
男が来ていた上着のポケットに入っていた小袋を渡したが、男の表情に変化はない。
「……いえ。でも、よかったです。無一文じゃなくて。わずかですがお礼ができます。あ、依頼料は足りるでしょうか?」
「それくらいの依頼なら大した額じゃねーよ。それに助けたからって金を貰おうなんて考えてねーよ」
「でも、それでは――」
「まあ、あれだな。どこに帰ったらいいのかも分かんねーんだし、しばらくは家の手伝いをするってのはどうだ?」
「え? あの。置いていただけるのですか?」
「仕方ねーだろ」
「ありがとうございます」
妻は俺がそう言うだろうと分かっていたみたいで、「売ろうと思っていた古着を出さなきゃ」とかぶつぶつ言っている。
息子は「やったー」と喜んで男の手を握ってブンブン振っているが、何が嬉しいんだか。
それにしても川に落ちて助かるなんて、もの凄い強運の持ち主だなー。
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