第二章 継承 1
誰かの立てる物音で目が覚めた時、もう空は白み始めていた。
ミランシアがいつもの場所で火を起こしている。ミヤもすぐに身を起こした。
「起きたか、ミヤ」
ミヤは、おはよう、とミランシアに返して立ち上がり、身支度を整え始めた。
「よく眠れたか?」
ミランシアの問いに、ミヤは小さく頷いた。
「ここで寝るのも、もうすっかり慣れました」
ミヤはミランシアに笑ってみせた。
メグが見つけたこの岩陰──いつしか四人はここを『拠点』と呼ぶようになっていた──は、頭上を覆うように岩が張り出していて、布で仕切ればうまい具合に夜露を避けることができた。落ち葉や枯れ草を敷き詰めて作った寝床は、地面の冷たさを思った以上に和らげてくれる。
「そうか、それはなによりだ」
ミランシアはそう言うと、大きめの薪をひとつ手に取り、ぱちぱちと音を立てる火の中へそっとくべた。
ミヤは、革の水袋を持って、近くの小川へ向かう。
遠くに、枯れ枝を両手いっぱいに抱えたメグと、買い出しから帰ってきたマルコムが並んで歩いてくるのが見えた。
四人が野宿生活を始めてから、もう一週間が経っていた。
朝食の準備ができると、四人は焚き火を囲んで座った。
「今日も食べ物をありがとうございます」
メグがいつものように呟き、マルコムとミヤもそれに合わせて少しの間目を閉じた。
「さあ、食べようか」
ミランシアが言ったのを合図に、皆がパンやチーズを手に取り、口に運んだ。
「ん〜、今日のパンも美味しいね!」
「焼きたてのやつ選んできたからな」
「さすがマルちゃん!」
「ただ、値上がりがすごくてさ」
そう言うとマルコムは息をついた。少し迷ったように黙ってから、口を開く。
「あのさ、みんなちょっと聞いてくれる?」
皆の視線が集まると、マルコムはついさっき、市場へ買い出しに行った時のことを話し始めた。
「──なんだ、また値上がりしてるのかよ」
市場で食料品を品定めしていたマルコムが思わず声を上げると、店主が肩をすくめた。
「なにしろこのご時世ですからね」
「ご時世ねえ」
ふん、と鼻を鳴らして、並んでいる豆と果物を指差す。店主が袋に詰めてくれている間に、マルコムは腰の巾着から銅貨を手に取って数えていたが、不意にぼそりと呟いた。
「あ、やべ」
「どうしました? お客さん」
「ごめん、ちょっと足りないみたいだ」
「どうします?」
「それ、取っといてくれないか? すぐ戻るから」
店主に言い残し、皆のところへ金を集めに戻ろうとマルコムが振り向くと、その行く手を遮るようにして、いかにも怪しげな背の高い男が立っていた。
色褪せたマントに無精髭。一見浮浪者のようにも思えたが、革製の指無し手袋とブーツはよく手入れされているようだ。
「なんだ? おっさん」
マルコムは訝って、男の顔を覗き込む。男は何も言わずに、店主に銀貨を一枚手渡した。
「それで足りるだろう」
「あ、へい。ありがとうございます。今お釣りを」
「釣りは要らん。取っとけ」
「え、いいんで? へへ、ありがとうございます」
男は店主から手提げ袋を受け取り、マルコムへ突き出した。
「え、なんだよこれ。どういうことだよ」
思わず素直に受け取ってから、マルコムは手元の袋と男の顔をかわるがわる見た。
「立て替えておいてやる」
「え? ……まあいいか、ありがとよ。すぐ返すから待っててくれ」
走り出そうとするマルコムを、男が引き止めた。
「その必要はない。そのかわり、ちょっと手伝え」
そう言うと、男は、人混みから離れた場所へとマルコムを連れていった。
しばらく歩いたところで不意に男は立ち止まり、訝りながら後をついてきたマルコムを振り返った。決して背が低いわけではないマルコムが、少したじろいだように男の顔を見上げた。
「今から、指名手配書を盗む」
「はあ? なんでそんなことを?」
「ラウエル・ケーンが王位に就いてから、毎日のように手配書が増えてる。今朝も新しいのが貼られたところだ」
「人の話聞けよ、おっさん!」
「お前こそ最後まで黙って聞け、小僧」
いいからついてこい、と言うと、男は警兵の詰める番小屋へ向かってさっさと歩き出した。マルコムはわけのわからないまま、男について行く。
やがて男は番小屋の掲示板の前で足を止めると、張り出された手配書を見上げて口を開いた。
「奴の猜疑心は、異常だ。だが、懸賞金をかけてまで捕まえようとするのなら、それだけ、奴にとって目障りな相手ってことだろう」
警兵に聞こえやしないかと肝を冷やすマルコムに、男は向き直った。
「そういう連中を集めてみようと思ってな」
「……なんのために?」
「俺は、ラウエルに父と妹を殺された」
「……それは気の毒にな。で、復讐でもしようってわけか」
男はマルコムをじっと見据えたまま何も言わなかった。
「でも、なんで俺にそんなこと話すんだ」
訝るマルコムに答えるように、男が掲示板を指差す。
マルコムは目を見開いた。男が指差した先には、ミヤの名前と似顔絵があった。その下にさらに続く文言を見て、マルコムは絶句した。
[情報提供した者、捕縛連行してきた者には、報酬を与える。なお、後者の場合、生死は問わない。]
「生死は問わない、って……」
「放っておくと、お前の連れも俺の家族と同じことになる。どうする?」
「……分かった。何をすればいい?」
「よし。それなら、お前は警兵の気を引いてくれ。盗るのは俺がやる」
「分かった。ちょっと待っててくれ」
掲示板の前に男を待たせると、マルコムはことさらのんびりとした足取りで、少し離れた路地裏へと向かった。
奥を覗き込み、そこに誰もいないのを確かめると、マルコムは腰の荷袋の口を開けて皮の手袋を片方取り出した。右手にはめて、指先を軽く擦りあわせる。ざりっとした感触。良好だ。
革袋の中から、今度は小指ほどの紙の筒をつまみあげた。筒の端からは、根元がひねられた薄い紙帯が伸びている。
マルコムは右手の指先を素早く擦り合わせた。火花が飛ぶ。二度、三度と繰り返すうちに、紙帯に小さな炎が上がった。しばらく待って、炎が強まったのを確かめると、マルコムは紙筒を素早く路地の奥へ投げた。
少しの間のあと、パンッ! パン! パンッ! と破裂音が立て続けに響く。
「うわあー、助けてくれー、雷獣だあー」
マルコムは大声で喚くと、すぐに物陰へと身を隠した。
音と騒ぎを聞きつけた番小屋の警兵が、足早に路地裏へと向かう。通行人も立ち止まって、なんだ? 雷獣だって?と恐る恐るそちらを見ている。
「なにもいないぞ」
「おい! 誰だ? 今叫んでたのは」
警兵たちはしばらく辺りを調べていたが、何もないと分かると、憮然とした様子で番小屋へと戻っていった。
「雷獣だってよ、馬鹿馬鹿しい」
「ありゃ砂漠に住んでるんだろ?」
口々に言いながら、何事もなかったかのように再び歩き出した通行人たちの中に、マルコムと男も紛れこんでいた。
人気のない街はずれまで来ると、二人はようやく足を止めた。
「面白いな。お前、雷薬師なのか」
「いいや、雷獣が出たんだ」
興味深そうに聞いてくる男に、マルコムは真顔で返した。
「雷獣、ね」と男が片眉を上げる。
「ところで、おっさん」
「なんだ?」
「なんでミヤが俺の連れだって知ってた?」
「俺のところにはいろんな情報が入ってくるのさ」
にやりと笑う男にマルコムが重ねて聞く。
「木こりか?」
以前、『拠点』の近くを通りがかった木こりに怪しまれたことがあったのだ。その時は、傭兵団の仕事でここに滞在しているのだとメグが話し、その屈託のなさに疑いを解いた木こりはそれ以上何も聞かずに去っていったのだが──。
「さあな。情報源は秘密だ。それより、お前たちこれからどうするんだ。ここで手配書を盗んだところで、もう追われなくなるってわけじゃないぞ」
「そうは言っても、手配書がなくなりゃしばらくは大丈夫なんじゃないのか」
「これっきりで済めばな。だが、何度も手配書が回ってくるようなら、ラウエルも本気だ。そのときは、俺のところに来い」
マルコムは一瞬考えたが、きっぱりと言った。
「まあ、みんなにも一応話しとくけど、期待しないでくれよ。俺だってあんたを全面的に信用してるわけじゃない」
「それもそうだな」
そう言うと男は、ふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあな、おっさん」
マルコムは片手を上げて振り返り、その場を去った。
「指名手配……」
マルコムの話を聞いたミヤは、言葉を失っていた。
「でも、しばらくは大丈夫なんだよね?」
ミヤの肩を抱きながら、メグが尋ねる。
「なんとも言えないな。今すぐどうこうという話ではないかもしれないが」
慎重に答えるミランシアに、マルコムが横から尋ねた。
「どうする、ミランシアさん。頼ってみるのか?」
「信用できるかどうか分からんな。だが、会うだけは会ってみてもいいかもしれない。いずれにしても、私たちのことはもう、その男に知られているわけだし」
ミランシアは腕組みをし、ふと思い出したようにマルコムに聞き返した。
「その男、名はなんと言うんだ?」
「あ、聞いてなかった。おっさんとしか呼んでなかったわ」
また市場で見かけたら話してみる、とのんびり言うと、マルコムは手にしたチーズのひとかけらを口に放りこんだ。
「──全く、おっさんおっさんとうるさいぞ、小僧」
去っていくマルコムの背中を見送った男は、盗んだ何枚かの手配書を懐から取り出した。ミヤのものを抜き出し、素早く目を通す。やがて視線を止めると、男は眉をひそめた。
「サクラノ……十七歳……」
男はしばらく無言でいたが、やがて顔を上げると小さく呟いた。
「おいおい……嘘だろ?」
男は大きく息をついた。かつての友との最後の会話が、脳裏をよぎる。
──国が隣国に攻め込まれたと報せがあった。俺は一度国へ帰る。
「おまえ、俺の妹はどうするつもりだ。このままさよならは許さんぞ」
──心配するな、必ず戻る。そしてその時は、お前を兄と呼ぶことになるな。楽しみだ。
あれが十七年前だ、そう呟くと男は眉をひそめ、もう一度手配書を見て舌打ちした。
「子供だと? 聞いてないぞ、くそっ。あいつ、やってくれたな」
歯噛みしていた男は無理やり笑おうとしたが、その顔は硬くこわばったままだった。




