表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/8

第三章 白銀将軍の湖の休日

「有給休暇の取得を命ずる。期日は明後日。業務命令だ」

 辞令を差し出すと、アルヴィナは敵の伏兵を発見したときの顔をした。

「……陛下。恐れながら、休暇とは命じられて取るものなのですか」

「本来は違う。だがあんたのような社員には、初回だけ命令で取らせる。二回目からは自分で取れるようになる。統計的に実証済みだ。俺の中で」

「しかし混成訓練課程の改訂が」

「副官に任せろ。あんたが作った相棒班長制は、室長が一日いなくても回るように設計されてる。設計者が一番信用してないでどうする」

 彼女は口を開き、閉じ、それから観念した軍人の顔で敬礼した。

「……承知しました。それで、その、休暇とは……何を、するのでしょうか」

 思わず天を仰いだ。予想はしていたが、ここまでとは。十五で兵隊になって十六年、この人の暦には「戦時」と「戦間」しかなかったのだ。休日という概念が、敵性文化なみに遠い。

「よし。初回は研修つきにしよう。俺が同行する」

「陛下が!? い、いえ、畏れ多い――」

「魔王には視察という便利な公務があってな。城下の視察と、ついでの休暇だ。安心しろ、俺も前世では有給消化率最下位を二十年守った男だ。休み方は、俺自身の再研修も兼ねる」

 当日は、腹立たしいほどの晴天だった。

 俺は角を隠して商人風に、アルヴィナは私服がないことが前日に発覚し、フィオナがいたら卒倒しそうな経緯で城下の仕立屋が緊急招集され、当日の朝に若草色のワンピースが納品された。着てきた本人は「動きにくい」「剣帯を通す環がない」「防御力に不安がある」と文句を並べたが、城門の衛兵が敬礼を忘れて見とれていたので、仕立屋の勝利と言っていい。

 城下の大通りは、市の立つ日で賑わっていた。

「陛下、あれは何の行列でしょう。争いですか」

「新作の焼き菓子の行列だ。並ぶか」

「へ、並ぶのですか? 魔王が? 菓子に?」

「並ぶんだ。休日というのはな、意味のないことに時間を使う訓練から始まる」

 列に並ぶこと四半刻。焼きたての、蜂蜜のかかった菓子を手にしたアルヴィナは、一口かじって、動きを止めた。

「……甘い」

「そりゃ菓子だからな」

「いえ、その……失礼しました。甘いものを、座って食べるのが、久しぶりで。行軍中の糖蜜は立って舐めるものでしたから、その、座って食べると、こんなに」

 言葉が続かなくなった彼女の横顔を、俺は菓子を頬張りながら見ないふりをした。こういうときに気の利いた台詞を挟まないのが、五十五年の人生で学んだ数少ない礼儀だ。

 昼すぎ、俺たちは城下の外れの湖に出た。

 魔王領の南の湖は、夏の終わりの光を敷きつめて、対岸の山まで一枚の鏡になっていた。湖畔の草地に、うちの職員家族が何組か、敷物を広げて弁当を食べている。ゴブリンの子が水切り石の枚数を人間の子と競って、負けて泣いていた。

 アルヴィナは、湖を長いこと見ていた。

「……国境の、ちょうど向こう側に」ぽつりと言った。「よく似た湖があります。私の故郷の村の裏に。子供の頃、妹と水切りをしました。フィオナは不器用で、石がぜんぶ、どぼん、と」

「へえ。あんたは何枚跳ばした」

「十一枚。村の記録です」

「妹さんの前でその顔で自慢したのか。そりゃ泣くぞ」

「な……泣かせてなど! ……いえ、泣きました。すみません、泣かせました」

 彼女は観念して笑い、それから、少しだけ声の調子を落とした。

「十五の年に、村が野盗に襲われました。追い払ってくれたのは、巡回の国境警備兵です。膝を撃たれても、最後まで村の門の前から動かない人でした。……私が兵隊を志願した理由です。ああいう大人に、なりたかった」

「なったじゃないか」

「どうでしょうか。その警備兵は、後に分かったことですが、当時すでに俸給を三ヶ月止められていました。装備も自前。それでも門の前に立った。国は、ああいう人の背中に、ずっと、ただ乗りをしてきたのです。私も軍の上のほうに行くにつれ、ただ乗りをさせる側の書類に、判を押すようになった。……ラウズ砦の命令書を見たとき、あの警備兵の膝の傷を思い出しました。ここで判を押せば、私はもう、あの人に顔向けができなくなると」

 湖を渡る風が、彼女の銀の髪を揺らした。

「陛下。私は、あなたの労働基本法を暗記したと申し上げましたね。実は、あれを初めて読んだのは亡命の半年前です。国境で拾った、貴領の求人票の裏に刷られていました。軍の会議では『敵の謀略文書』として回覧された。ですが私は、夜営の灯りで何度も読み返しました。……働きには必ず対価を払う。命は資本である。困りごとは申し出てよい。謀略文書が、私が生涯で読んだどんな聖典より、まともなことを言っていたのです」

「そりゃ光栄だ。書いた甲斐があった」

「ですから、あの嵐の夜――賭けたのは、飯の温かさだけではありません。この法を書いた者なら、と。……この法を書いた王の国でなら、私は、もう一度」

 彼女はそこで言葉を切って、俺を見た。夏の終わりの光の中で、その目は、面接の日の張りつめた目とも、執務室の疲れた目とも違っていた。

「……もう一度、あの警備兵のような大人を、目指せる気がしたのです。以上です。休暇中に業務の話をしてしまいました。減点してください」

「減点はしない。だが罰として、あれをやってもらう」

 俺は湖畔を指した。水切り用の、平たい石が転がっていた。

「村の記録保持者の腕前を見せてくれ。俺は前世を含めて最高六枚だ」

「……十一枚を、超えてしまってもよろしいのですか」

「言ったな。魔王の負けず嫌いは四天王が保証してるんだぞ」

 結果を記録しておく。アルヴィナ十三枚、自己記録更新。俺、魔力による補正を自主規制した結果、七枚。敗北。ただし夕暮れの湖に向かって石を投げて笑う白銀将軍を見られたので、総合的には俺の勝ちだったと思う。この査定に異議は認めない。

 帰り道、城の灯りが見えてきたあたりで、彼女は立ち止まって、深々と頭を下げた。

「本日の研修の成果を報告します。休暇とは……よいものですね。次回は、自分で申請します」

「よろしい。研修修了だ」

「それと、陛下。その」彼女は顔を上げた。夕闇で表情はよく見えなかったが、声だけは、いつもより一つ若い音がした。「次の休暇も……研修の、続きが必要かもしれません。まだ、菓子の行列に一人で並べる自信が、ありません」

 俺の三者会議――前世の常識と、現世の肉体と、人事の職業倫理――は、その夜、緊急招集された。結論は今回も持ち越されたが、議事録の末尾には全会一致でこう記された。

 次の休暇の視察先を、考えておくこと。

 だが、その持ち越しすら贅沢な悩みだったと、すぐに思い知ることになる。

 夏の終わり。一羽の伝書鳩が、国境を越えて魔王城に舞い込んだ。

 宛名は、アルヴィナ・ロートレック。差出人は、王都の薬師組合。

 彼女の妹からの、最後の手紙を託された者からだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ