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第3章 オートセーブ

 雨は降っていなかった。


 その代わり、

窓の外では風が鳴っていた。


 深夜一時四十分。


 YLSスタジオには、

液晶タブレットを擦る音だけが響いている。


 レイは黙々と作業を続けていた。


 画面の中には原稿。


 締切があるわけではない。


 誰かに急かされているわけでもない。


 それでも。


 描かなければならない気がしていた。


 創作を続けていると、

時々そういう夜がある。


 理由は分からない。


 ただ手が止まらない。


 気付けば数時間経っている。


 気付けばコーヒーが空になっている。


 気付けば外が明るくなっている。


 そして翌日後悔する。


 だいたい毎回そうだった。


 カリカリ。


 線を引く。


 少し修正する。


 消す。


 描く。


 また消す。


 その繰り返し。


 画面右上には小さく表示されている。


 保存済み。


 レイは確認する。


 数秒後。


 また確認する。


 さらに数秒後。


 もう一度確認する。


「……」


 そして。


 Ctrl+S。


 カチッ。


 保存。


 数秒後。


 またCtrl+S。


 保存。


 さらに数秒後。


 また保存。


 完全に病気だった。


 しかし創作者の多くは似たような症状を持っている。


 少なくともレイはそう信じていた。


 後ろから声がする。


「また保存してます?」


 ヒヨリだった。


 毛布を肩に掛けたまま、

冷蔵庫を開けている。


「してない」


「今しました」


「してない」


「音しました」


 冷蔵庫の扉が閉まる。


 ヒヨリは新しい缶コーヒーを取り出した。


 そして言う。


「レイさん」


「なに」


「保存してから三十秒ですよ」


「うん」


「何が起きると思ってるんですか」


 レイは真面目に考える。


「全部消えるかもしれない」


「三十秒で?」


「三十秒あれば十分」


 ヒヨリは笑った。


「信用ないですね」


「機械だから」


「パソコンかわいそう」


 レイは答えない。


 実際。


 一度経験している。


 数年前。


 五時間分の作業が消えた。


 原因は覚えていない。


 フリーズだったか。


 停電だったか。


 自分の操作ミスだったか。


 もう覚えていない。


 覚えているのは。


 消えたことだけだった。


 画面を見た瞬間。


 真っ白になった頭。


 戻らないデータ。


 存在していたはずの時間。


 確かに描いたはずの線。


 全部消えた。


 あの日以来。


 レイは保存魔になった。


 Ctrl+S。


 Ctrl+S。


 Ctrl+S。


 ほとんど反射だった。


 呼吸みたいなものだ。


 ヒヨリは缶コーヒーを開ける。


 プシュッ。


 小さな音が鳴る。


「でも」


 彼女は言った。


「消えたことあるからですよね」


 レイの指が止まる。


「何が」


「保存です」


「……」


「消えたことない人って」


「そんなに保存しない気がします」


 レイは少し考える。


 たぶん。


 そうなのかもしれない。


 人間は失ったものを覚えている。


 手に入れたものより。


 失ったものを。


 長く覚えている。


 だから。


 保存する。


 だから。


 バックアップする。


 だから。


 FINAL_REAL_LAST_USETHIS_FIXED_REAL.psd

みたいなファイルが生まれる。


 たぶん全部同じだった。


 失いたくないだけなのだ。


「人類って大変ですね」


 ヒヨリが言う。


「急にどうしたの」


「保存しないと不安で」


「保存しても不安なんですよ」


 レイは少し笑った。


 確かにそうだった。


 保存したあとも。


 確認する。


 本当に保存されたか確認する。


 保存先を確認する。


 ファイルを確認する。


 そしてまた保存する。


 終わらない。


 まるで創作そのものだった。


 カチッ。


 レイは再びCtrl+Sを押した。


 画面の隅に表示される。


 保存しました。


 その文字を見て。


 少しだけ安心する。


 本当に少しだけ。


 ほんの数秒だけ。


 そしてまた描き始める。


 夜はまだ長かった。

本作品は以下のサイトにも掲載しています。


・pixiv

・カクヨム


重複投稿による無断転載ではありません。

すべて作者本人による投稿です。

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